第2話「ひび割れた黒曜石」
朝が来ると、私はいつも同じことを考えていた。
(――いた)
目を開けて、まず部屋を見回す。少しだけ煤の匂いが残るベッドの傍らに、黒い毛玉がいることもあれば、いないこともある。
いない朝は、少しだけ息が詰まる気がする。
いる朝は——、少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。
あの日――言葉を話す変な黒猫が現れた日を最後に、悪夢をみることは、ほとんどなくなっていた。
あの日の夜、黒猫は微かに鉄の匂いを纏わせていた。何かしたのかもしれない。
黒猫が見つけてきた服も、少しだけ鉄の匂いがしていた。
未だに、時々これが夢なのではないかと不安になり夜中に目を覚ます。いつも傍らに黒猫がいる。
(悪魔を呼ぶ術――でもなんか、悪魔っぽくない)
◇
「起きたのか」
黒猫は窓辺に腰掛け、魔導書を読んでいる。朝日を背に、ページをめくる黒い輪郭だけが見えた。
「うん」
私は身体を起こそうとして、まだ節々が痛み、顔が歪む。
「無理に動くな。まだ全部治っていない」
黒猫は私をちらりと見て一言だけ言葉を発した。
「うん」
私は横になったまま、天井を見た。
(やっぱり悪魔っぽくない)
◇
黒猫は毎日、屋敷の外へ出て何かをしている。
「食料を探してくる」「街の様子を見てくる」——理由は毎回違う。私の昼ご飯を作った後、部屋を出て、荒れた庭園を通り。屋敷の門をすり抜けて外へ歩いていく。
その姿を私は毎日窓から眺めていた。
黒猫は、いつも夕方になる前に戻ってくる。
門の格子をくぐり抜け庭園を横切り戻って来る。いつも同じルートで。
窓から――私に見える様に、歩いて戻ってくる。
黒猫と目が合った。何かを包んだ布を背負って歩いて来るのが窓越しに見える。
(また何か持ってきたんだ)
黒猫は外から戻ってくる度に、いつも何かを持って来る。
パン。果物。時には肉。どこで手に入れたのか、私にはわからなかった。
「今日はこれだ」
黒猫が持ってきたのは、少し歪な形の林檎だった。
「食え。少しは色つやが良くなる」
「……ありがとう」
私は歪な形の林檎をかじった。甘くない。というよりも――。
「すっぱい」
「そうか、これはすっぱいのか。――確かにすっぱいな。野生の林檎は甘くないのか、知らなかったな」
黒猫は、林檎を一口齧ると少し顔を顰めた。変な感想を呟くと、部屋の隅で魔導書を前足で持ち上げた。
「あなたは寝ないの?」
「まだ調べることがある」
「毎晩、何をしてるの?」
「この魔導書の内容について調べている」
黒猫は魔導書を開くと続きを読み始めた。
正直、私自身も魔導書の内容を分からないまま術を使ったので少し気になる。
「どんな事が書いてあるの?」
私の質問に、黒猫は驚いた様子で顔を上げ、私に目を向ける。金色の瞳が丸くなっている。
「どんな術かも知らずに使ったのか?」
「ほとんど読めなかったの。絵だけ見て、真似して血で書いたの」
黒猫は目を閉じて何かを考えている。
「なるほど、偶然条件を満たしたのか。しかし、必要魔力を何処から――?」
黒猫はそのまま考え込んでブツブツと独り言を言い始めた。内容を教えてくれはなかった。
◇
その日の夜。
オパリアが眠った後――。黒猫は屋敷の荒れた庭園に移動して魔導書を開いていた。
『魔物召喚』の術式に目を通す。術式の構造、説明、効果を追いながら、黒猫は考えていた。
(召喚された姿、力は、贄とした血と肉。術者の魔力の質、量によって変化する——)
「つまり、俺の身体はオパリアの魔力と周りの亡骸から作られた物、ということか。――少し試してみるか」
黒猫は、前足に全力の魔力を纏わせた。
前足は周りの空気が歪むほどの魔力を纏っている。
「かなりの量があるな。これなら戦闘面でもそれなりに役に立ちそうだ」
前足を上空へ向ける。空へ向かって光の矢を放つ。
前足から放たれた、光の矢――極太の光線が一瞬で曇り空を貫き、まばゆい閃光が空を埋め尽くす。
「ん?思っていたよりも――」
閃光が晴れた後の空は――。雲一つない、二つの月と星がきらめく夜空となっていた。
「何だこの威力は、想定よりもはるかに――。」
黒猫は思わず声を出して驚いていた。
「これは――正直、予想外だな」
(偶然条件を満たしたとはいえ、禁忌魔法の発動。魔法への強い耐性。そして、この力。あのオパリア、ただの貴族の娘ではないのか?)
黒猫は、燭台の明かりが照らす窓へ、オパリアの眠る寝室へ目を向けた。
「やはり、無理にでも父親から詳しく聞くべきだったか?――あの状態ではどちらにしろ、詳細までは聞けなかったかもな」
黒猫はため息をつきながら、魔導書の続きへ目を向ける。
「あの魔法――『繋がり辿り』使えば死者と話ができるか?――やめておこう、一度しか使えない術だ。それに、正確に呼び出せるかも分からない術に頼るのは無しだな」
黒猫は夜空へ目を向けて、考えを口に出していた。
「いずれ、オパリアが動けるようになった後。オパリアについて。オブシディア家についても調べることにしよう」
魔導書の続きに視線を戻す一つ、気になる記述を見つけた。
「人間を使用した場合について、か」
(人格を残したまま兵器化、姿を保ったまま凶暴性の増加――個人差か?)
黒猫は自分の前足を見た。
「魔力で作られた身体ならば変化させることができるのか。こちらも試してみるか――姿を変えることができるなら、色々都合がいい」
◇
黒猫は昼間は屋敷を出て、周辺の探索を続けた。
街まで歩いて半日ほどの距離があった。人目を避けながら、街の様子を見て回った。
(この地域の治安はあまり良くないな)
浮浪者、物乞い、荒れた市場。かつては栄えていたであろう痕跡が、随所に残っていた。
(オブシディア家が滅んで以来、この地域全体が放置されているのか)
路地裏に落ちていた情報誌を確認する。擦れた文字の中に、見覚えのある名前を見つける。
(近隣領地の権利争い、後任が決まるまでは王家が管理を代行――王妃の名前が何故出てくるんだ?)
ランガル王国の王妃リンナ主導の元。オブシディア領代行運営の為に法整備が進められていることが書かれている。
「黒髪黒目――よく考えれば、似ていなくもないな」
(敵ではない――が、味方とも言いきれない。接触するのはあとでいいな)
「ヴァルテール領については記述はなしか。知ったところで、何も――できないか」
黒猫は、情報誌を手放すと。路地裏の奥に消えていった。
◇
食料や薬の購入資金は、地下牢で始末した男たちの所持金から確保していた。
それほど多くはなかったが、当座の食料を買うには十分だった。
(毒と精神支配魔法で衰弱していた影響か、オパリアの治癒に想定よりも時間がかかっているな。この所持金だけでは、心許ない)
黒猫は、改めて屋敷の中を見て回り、換金できそうなものを探していた。
紋章の入った品、明らかに貴族の所有物とわかる物は避ける。
(貴族の紋章の無い宝石や貴金属なら、それほど足がつかないだろう)
「――使わせてもらうぞ」
いくつかの品を選んで、布に包み屋敷を出る黒猫。近くの街――。裏路地の闇市場へ向かっていく。
裏路地の闇の中に黒猫の輪郭が溶け、膨らんでいく。
◇
昨日の夜、黒猫は帰ってこなかった。
(何かあったのかな。それとも――)
屋敷から出る時に見た姿。宝石や貴金属を袋に詰めて出ていく姿を思い出す。
(もう、帰ってこないのかな)
朝の日差しを感じて、目を開け部屋を見回す。傍らに見知らぬ女の人が座っていた。
「——っ!誰!」
私は反射的に身を引こうとしたが、腕の痛みで思うように動けなかった。バランスを崩してベッドからずり落ちた、ベッドの縁から顔を出して女の人を確認する。
(誰だろう?黒くて長い髪の毛。金色の目。綺麗な人――黒猫の知り合いかな?この人も悪魔なのかな)
私が見つめていることに気が付くと、女の人は手に持っていた紙の束から目を離して、私に目を向けた。
「起きたか。――少しは動けるようだが、無理はするな」
女性の声——聞き覚えのない声だったが。言葉遣いにあの黒猫の姿が、私の頭をよぎった。
「オーリ?」
「オーリ?――俺の名前か?」
女性は首を傾げてオパリアへ尋ねる。
「うん。オーリ、だめかな?」
「別にいい。丁度、名乗る名前を考えていたところだ」
女性の姿をした黒猫――オーリは自分の手を見せる。
「人型の方が色々と都合がいいからな」
「男の人だと思ってた」
オパリアはオーリの手に触れる。細く、白い、柔らかい。温かい肌の感触。
「俺もだ。まあ、長く過ごした影響だろう。ある意味では元の姿とも言えるな。別段支障は無い」
オーリは自身の掌を眺めながら呟く。オパリアはオーリをまじまじと見た。
吸い込まれそうなほど艶のある長い黒髪。宝石のような金色の瞳。白い綺麗な顔。
「……お姫様みたい」
「――そうだな。ある意味、お姫様のようなものだったな」
オーリは、自分の掌を見つめながら。少しだけ悲しそうな目をしていた。まるで――もう会えない家族を、思い出しているみたいな。
「服、それしかないの?」
オーリは屋敷に残されていた給仕服を着ていた。灰と煤に汚れた給仕服。綺麗な黒髪と全然合っていなかった。
「無い。後で調達する」
「街で怪しまれないの?」
オーリは近くに置いてある鏡で自分の姿へ目を向けた。
「一応、洗うか。顔も――せめて目元を隠せるものを用意しなくては」
オーリは、煤のついたままの給仕服の洗濯と帽子を探しに部屋を出ていった。
「やっぱり悪魔っぽくない」
◇
その日から、オーリは人型でいる事が多くなった。
街への往来が、格段に楽になったらしい。
「商人と直接交渉できる。情報収集の幅も広がった。やはり人型は便利だな」
何処か自慢げに胸を張る。オーリの姿に思わず口が緩んでしまう。
「今日は何を持ってきたの?」
私が聞くとオーリは自信満々に包みを取り出した。
「これだ」
オーリは布の包みを開いた。中にはシンプルなデザインのワンピースが数着と、少しの薬草があった。
「お前のサイズに合わせた物だ。着てみろ」
私は服を手に取る、柔らかな絹の手触り。それからオーリを見た。
「……ありがとう」
小さな声だったけど。オーリには聞こえていたと思う。
オーリは何も言わず、夕食の準備に取りかかっていた。
◇
オーリが私の前に現れてから、半年の折り返し地点に差し掛かった頃。
私は、以前より歩けるようになっていた。まだ本調子ではないが、部屋の外に出られるようになった。
(まだ少し歩き辛いけど、――痛くない)
庭園の縁に座って、庭を見ることがほとんどだった。
(夢じゃないんだ。火事になったのも――。パパとママのことも――)
ほかの部屋にも行ってみたけど。どこも煤と埃だらけだった。
地下室には、近づけなかった。
近づきたくなかった。
焼け落ちた木。荒れた花壇。それでも——時折、小さな花が咲いていることに気づいた。
「ねぇ。オーリ」
オーリは書類——街で仕入れた情報をまとめたもの——から顔を上げて、私に目を向ける。
「何だ?」
「今日は、何をするの?」
オーリは少し考えるように首を傾げた。長い黒髪が、風に揺れている。
「そうだな――。前よりは動けるようになってきたからな。そろそろ次の段階に入る頃合いか」
「次の段階?何をするの?」
私はオーリの次の言葉を待った。オーリは、口を開いて少しだけ止まって、少ししてから話を始めた。
「――剣と武術の訓練だ。最初に身体を動かす練習から始める」
私の手に、少しだけ力が入る。
「……戦う為の?」
「お前が、自身を守るための術だが。使い方は、お前次第だ」
オーリは淡々と答えた。その言葉を聞いて、私は庭園の小さな花に目を向け考えていた。
(私の身を守る力。戦う――力。パパとママの仇を、倒す力)
オーリは、何も言わずに私の返事を待っていた。
「わかった。やる」
私は、はっきりとした声でオーリに伝えた。
オーリは私の目を見て、少しだけ不思議な――悲しそうな表情をしているように見えた。
私は、どんな表情をしていたんだろう?
【第3話へ続く】




