第26話「輝安鉱の虎」
「まったく、私は泳ぐのは得意ではないんですよぉ?」
メルクリウスは体から伸びたヒレや触手を服の中へ仕舞いながら、不平を漏らしている。
訝しむような表情をしながらメルクリウスに目を向けるハイロンは顎をひと撫でした後、メルクリウスに話しかけた。
「お主、連邦に帰ったのではなかったのか?」
ピタリと動きを止め、首をミシミシと軋ませながらハイロンへ向けるメルクリウス。
口元の鮫のような歯をちらりと見せ、ゆっくりと笑みを浮かべる。
目元が一瞬だけ、刃物のように鋭くなった気がする。
「いやぁ〜。少々事情が変わりまして、暫く同行させて頂こうかと――ヴォルフさんには個人的に依頼を出しました」
波間の海藻のような動きで話すメルクリウス。ハイロンの眉が少しピクリと動くが、何も言わずにメルクリウスを見ている。
「師匠に依頼ですか?一体どんな?」
ヴォルフの名前を聞いてハジャルが尋ねる。
「ちょっとしたお使いみたいなものですよ。北で用事があったものでねぇ。ヴォルフさんから聞いていないのですか?」
メルクリウスは肩をすくめて答える。
「行き先も言わないで居なくなることが良くあるので、ついていくのが大変なんですよ」
ハジャルはため息をつきながら不満を零した。よくあることらしい。
「北ってランガル王国の?どんなところなの?」
私が質問すると、メルクリウスは片目を閉じて考え事をするような仕草で、そのまま話を始めた。
「山と谷に囲まれた山岳地帯ですよぉ。地竜と呼ばれるモンスターの一種を馬の代わりに使っているとか。後は――果物の生産が有名ですねぇ」
「地竜?」
「うーん。見た目については何といえばいいのか。蜥蜴の様な鱗のある大きな生き物としか――」
メルクリウスが地竜について説明を考えていると、ハジャルが引き継ぐように話し始めた。
「地竜と言うのは、翼を持たない竜の総称で、大きな蜥蜴みたいのだったり羽のない鳥みたいな姿だったり色々いるんだよ。」
(羽のない鳥?よくわかんないや)
「そうなんだ。そう言えば竜ってチンタオで神様扱いなんだよね?」
私がハイロンに質問すると、ハイロンは自身の服の刺繍を示した。
「チンタオで信仰されている竜は正確には龍と呼ぶ。幻獣の一種じゃよ。ほれ、ここにあるのがそれじゃ」
ハイロンは胸の大きな刺繍に指を向ける。
胸元には足の生えた蛇の様な生き物が金色の糸で刺繍されている。
「これが龍じゃ。めったに人前に姿を表さんがの」
ハイロンは刺繍を撫でながら、少し遠くを見つめるような表情をしていた。
◇
大きな渦潮を迂回しながら進んでいく連絡船。
遠くに白い煙のようなものが見えてくる。
よく見ると霧のような雲から、煙突のような岩山がいくつも飛び出している。
「なにあれ?」
船は真っ直ぐにそこへ向かって進んでいく。
(すごい真っ白、岩にぶつかったりしないのかな?)
船は真っ白な霧に包まれ、少し先も見えない。
「我等の島に近づいてきた証拠だ。もう少しで到着だぞ」
虎獣人のタオが、甲板に手を置いて辺りを眺めている。看板に出てきた船員の一人が、大きな鐘を数回鳴らしている。
しばらくすると、霧の向こうから返事をするように別の鐘の音が聞こえてきた。
「――すごい音」
思わず耳に手を当ててしまうほど大きな音だった。
「驚いたか?霧の中で迷わないようにお互いに合図を送っているんだ」
タオは私に目を向けながら、少し笑った。
何度目かの鐘の音のやり取りの後、霧の先に何かが見えてきた。
霧の港では虎や熊の獣人が松明を手に持って、船を誘導している。
誘導された船の乗組員達は手早く係船柱にロープを投げる。
「ロープは危ないから離れてな!」
乗組員の犬獣人が声をかける。
「ふにゃふにゃ投げてるようにしか見えない」
(――なのにしっかり縛れてる。)
「ふにゃふにゃ?こう見えて結構頑丈なんだぜ?」
犬獣人は笑って、ロープを次々と結んでいく。
「縄の扱い方を教わってはおらんのか?盗賊相手もするじゃろう」
ハイロンが私に目を向けながら尋ねてきた。
「教えてもらってないよ?いつもぐるぐる巻きにしてた」
(いざって時になんか使えそうな気がする。港の人なら教えてもらえないかな)
「着いたぞ。我等山氏族の島、千剣島だ」
港の船着き場に止まった船の看板で、タオは少し自慢げに胸を張る。
「霧でなんにも見えないよ?」
私はあたりを見回すけど、真っ白な霧でほとんどよく見えなかった。
「タオよ。上に上がらねば風情も何も無いぞ?」
ハイロンの言葉に、しまったという顔をするタオだった。
◇
霧の港の奥に、巨大な水車が幾つも連なっていた。
水車の回転に合わせて軋む木の音、滑車を通る鎖の音。
複数の籠のような箱が、岩肌に沿って上下している。
「これがさっき言ってた乗り物?」
私は、大きな木箱を見上げた。人が乗る用と、荷物を運ぶ用、幾つかの大きさの籠が並んでいる。
「海風車と呼んでいる。海風と水車の力で、崖の上まで一気に運んでくれるのだ」
タオが、慣れた様子で籠の一つに乗り込む。
私達も続いて乗り込むと、軋む音とともに籠がゆっくりと上昇を始めた。
「わぁ、浮いてる!」
足元がふわりと浮く感覚に、私は思わず手すりを握りしめた。
メルクリウスは、籠の縁から身を乗り出して、楽しそうに周囲を見回している。
「これはこれは、実に趣がありますねぇ」
◇
霧が、少しずつ薄くなっていく。
やがて――視界が、一気に開けた。
「――っ」
私は、思わず息を呑んだ。
真っ白な霧の海。
その海面から、無数の細く尖った岩の柱が突き出していた。
まるで、剣を無数に突き立てたような山々。
それぞれの頂には、緑の木々が茂り、陽光を浴びて輝いている。
「これが――千剣島」
柱と柱の間には、細い吊り橋や太いロープが幾つも渡されていた。
風にゆれる橋を、小さな人影が行き来している。
「すごい景色」
私は、言葉が続かなかった。
霧の海に浮かぶ剣の山々は、まるで絵画の中の景色のようだった。
「素晴らしい。なんて景色なんでしょう。脱走してよかったぁ」
メルクリウスは、感極まった様子で両手を広げていた。
メルクリウスが動くたびに籠とロープが大きく揺れて、軋む音がしている。
「ここに来るたびに思うが。よい眺めじゃな」
ハイロンも、満足気に目を細めて霧の海を眺めていた。
◇
海風車が頂上へ到着すると、鎧を纏った虎の獣人達が、整列して私達を出迎えていた。
中央に立つ、ひときわ大柄な亀のような老獣人が、ゆっくりと進み出てくる。
「クク老師!わざわざ出迎えずとも此方から伺いましたのに」
タオとメイメイは老獣人に駆け寄り、胸の前で拳を合わせる挨拶をした。
「なぁに散歩のついでじゃよ。それに珍しい客が来たと聞いてな」
亀の獣人――クク老師は、掌を伏せるような仕草で返事を返し、私たちの方へ視線を向けた。
「――まだ生きておったかハイロン」
目を細め、値踏みするようにハイロンを見ている。
「それはお互い様だろうククよ」
ハイロンも、負けじと見つめ返す。
二人の体からオーラのようなものがにじみ出ている。
周囲の兵士達から、ツバを飲み込む音が聞こえた気がする。
(なんか凄い。今にも戦い出しそうな雰囲気がする)
「未だに皇帝補佐なんぞやっておるのか?いい加減、目の上のたんこぶになっていることに自覚をもたんのか?これだから年寄りは――」
クク老師は挑発するような口調でハイロンへ話しかける。
「目の上のたんこぶじゃと?鏡をみてから物を言え、老師だなどとしゃしゃり出おって。長の立場がないのではないか?そういうのを老害と言うんじゃぞ」
ハイロンは一歩も引かずに言い返す。
「老害だと?弟子一人おらん百年独り身のお主に言われとうないわ」
クク老師の額にしわが寄る。
その言葉を聞いて、ハイロンは不敵にニヤリと笑う。
「ざぁんねんじゃったなぁ。弟子ならおるわい。お主こそロクな後継者もいないで寂しいのぉ〜」
勝ち誇ったような表情でシャオロンを引っ張り出すハイロン。
「え?おれ!?」
突然土俵にあげられて、困惑している様子のシャオロン。
「ほれ!しゃんと挨拶せい」
ハイロンがシャオロンの背中をバシッと叩く。
(すごい音、痛そうだなぁ)
叩かれたシャオロンは背中の痛みで涙目になりながらぎこちなく挨拶をする。
「いっ――皇家、第五子シャオロンと申します」
クク老師は大袈裟に狼狽える。
「まさか――お主に弟子を取る器量があったとは。しかし!儂も負けておらんぞ!」
そう言ってクク老師は指笛を鳴らす。
数人の色んな獣人の女性達が赤子を抱えて歩いてきた。
「な!?また増やしたのか!この煩悩ジジイめ!」
ハイロンは顔を顰めてクク老師を睨めつける。
「今年生まれた儂の孫たちじゃ。かわいいじゃろぉ〜」
クク老師は不気味なニヤニヤとした表情をハイロンへ向ける。
「見てみぃ。ほっぺたがぷにぷにじゃぞ?」
まるで見せつけるように獣人の赤ちゃんに頬ずりするクク老師。
ハイロンは拳を握りしめ、少し悔しそうに歯を食いしばって震えている。
「ふ、ふん!孤児とみれば誰彼構わず養子にしよって。多ければいいというものではないわい!」
ハイロンはシャオロンを指差して大きな声で叫んだ。
「儂のシャオロンの方が断然かわいいわい!12にもなってまだおねしょをするんじゃからな!」
その場にいた全員が静まりかえった。
私たちは、何故か誇らしげにドヤ顔をするハイロンを見つめて、何も言えなかった。
クク老師はポツリと呟いた。
「それは――かわいいのぉ」
老師は生暖かい目をシャオロンに向けた。
遠くから小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
一瞬の後、シャオロンの顔は真っ赤になった。
「ああああああああああああっ!?」
シャオロンは叫びながら両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。
◇
ハイロンとクク老師はお互いに悪態をつきながら酒場へ行ってしまった。
「秘密だって言ったのに――」
シャオロンは真っ赤な顔のまま俯いている。
(私も少し前まで怖い夢を見ておねしょしてたからな)
私はシャオロンへなんて声をかけたらいいのかわからなかった。
「さっきからなんだか頭がふわふわする。なんで?」
「高い場所は空気が薄いからだな。先に屋敷に向かい一休みして体を慣らすといい」
シャオロンに目を向けたタオは何とも言えない複雑な表情で、山から山へ伸びるロープと大きな籠を指さした。
「山から山へは橋もあるが、あの籠に乗って移動したほうが早い」
タオとメイメイに続いて私たちも籠に乗り込んだけど――。
メルクリウスが乗り込むと、籠は大きな音を立てて揺れ、ロープが軋んでいる。
「こう見えて私、結構重いので次の便で良いですよ」
そう言ってメルクリウスは籠から降りる。
タオはチラリとメルクリウスに目を向けた。
「その方がいいだろうな」
メルクリウスは真っ赤な舌を出して少し照れたようにしている。
「上がってくるときも少しヒヤヒヤしてましたよぉ」
「あ、そうだメルクリウス」
「はい何でしょう?オパリアさん」
首を傾げる仕草をして、私に目を向けるメルクリウス。
「後で聞きたいことがあるんだけど」
私はロープの扱い方をメルクリウスに聞こうと思っていた。
(釣り好きって言ってたし。多分慣れてると思うから)
「私が分かることでしたらいいですよ」
メルクリウスはニコニコとした表情で答えた。
タオが合図を送ると籠は移動を始めた。
山から山へ、空中を進んでいく。
◇
メルクリウスはオパリア達を見送った後、考え事をしていた。
甲殻類の殻のような指を顎に添え、タコの触腕のような髪の毛がとぐろを巻いている。
「聞きたいこと、ですか――何でしょう?見当もつきませんねぇ」
綻んだ口元から見える鋭い歯がキラリと光っている。
「そう言えばヴォルフさんはそろそろランガル王国に着いた頃ですかねぇ」
メルクリウスは左目を閉じる。
周りに聞き取れないほど微かな声で何かを唱える。
「かの地を我が地に、かの者の視線を我が目に宿せ『共有開始』」
メルクリウスの左目が仄かに緑色の光を放つ。
「片目だと少し見づらいですけどまぁいいでしょう」
懐から手鏡のような物を取り出して話しかける。
「あ~あ~。聞こえますかぁ?」
『うぉ!――何のようだ?』
手鏡のような物からヴォルフの声がする。
「コーラリア領に着いたみたいですねぇ」
『覗いて見てんだろ?なら言わなくてもいいよな』
ヴォルフはあからさまに不機嫌そうに答える。
「そうそう、傷跡見られないようにしてくださいね?後々面倒なので」
『言われなくてもこんなもん人に見せらんねぇよ』
次の籠が到着したのを見て、メルクリウスはゆっくりと歩き出し、籠に乗り込んだ。
慣れた手つきで合図を送り、籠はゆっくりと動き出す。
「ヴォルフさん、そちらにも見えますか?ここは絶景ですよ。いやぁ~旅っていいですねぇ」
『なんだこれ?すげぇ景色だな――ってそっちの視界も見れるのかよ』
メルクリウスはクスクスと笑いながら、ヴォルフに向けて話しかける。
「だから言ったでしょう?操り人形では無いって」
ヴォルフの視界に映る、あるものに気が付いたメルクリウスは興味深そうに目を細めた。
「そう言えば、――面白い人を連れていますねぇ」
『あ?こいつのことか?海に浮かんでたのを拾ったんだよ。コーラリア領で保護してもらおうと思ったんだが、ちょっと訳ありっぽくてな』
ヴォルフは少し言いづらそうにしていた。
「言わなくてもいいですよ。訳ありと言うかその人、私と同じで実験から逃げ出した一人ですから。ただ――」
『ただ?何だよ。何かあんのか?』
「その人、私と違ってこっそり逃げずに大暴れして施設ごと吹き飛ばしたんですよねぇ。まぁその混乱のおかげで私も逃げ出せたんですから、私にとっては恩人と言っても過言ではないですね」
『――は?』
魔の抜けたような声を出した後、ヴォルフは沈黙した。
「そう言えば、もう一人逃げ出した方がいましたねぇ。今頃何処にいるでしょうねぇ」
メルクリウスはクスクスと笑いながら、霧の海に沈む夕日を見つめていた。
【第27話へ続く】




