Episode35:お嬢さまは凡人です
「これって、な~に?」
楢井先生が右手の人差し指を口元へよせて、考えるようなしぐさをする。
すると小太郎は画用紙をスッと撫でて愛おしそうに言うのだ。
「これはオレのあこがれの人です!」
「ふ~ん。河本くんはこ~ゆ~のが好きなんだァ。センセーもこのセンス、好きよ~」
以外にも先生は小太郎の絵を茶化すことはなく、寧ろ好意的な言葉を口にした。
ひな子や愛奈に不人気だったことを忘れたように、小太郎は先生の言葉に顔をほころばせる。
さっきまで彼と良い雰囲気になっていた愛奈は、それを全部かすめ取っていった楢井先生を見つめながら歯をギリギリと鳴らす。
そんな状況もおかまいなしなのか、空気を読まないのか、楢井先生は不機嫌な愛奈と大人しくにしていたひな子の肩をポンポンと軽く叩く。
「じゃ~あ、小坂部さんと旭川さんも~。画用紙にお絵かき、終わったかな~?」
ルンルン♪ともいいそうな口ぶりで笑顔の楢井先生が愛奈とひな子に問う。
愛奈は『いえ……』とだけつぶやき、ひな子は描いていた途中の黒猫の絵を見せた。
先生はウフフンと意味ありげに鼻を鳴らすと、別のグループの方へとお尻をくねくねさせて歩いて行く。
一体何だったのかとひな子が楢井先生を見ていると、小太郎も何故か彼女を目で追っているように感じたのだ。
愛奈の方はむくれて、その授業中は無言のまま画用紙に鉛筆で小太郎と大して変わらないレベルの何かを描き殴っていたのだった――。
美術の時間が終わると、楢井先生はクラス委員の愛奈に生徒たちの画用紙を集めて持ってくるよう指示して、自分はとっとと美術室から出て行ってしまった。
とりあえず小太郎やひな子は愛奈のお手伝いをする。
使用した道具をしまい簡単な美術室の片づけ、そしてクラスメイトたちから課題の画用紙を受け取り、三人で楢井先生がいると思われる保健室へ向かうことにした。
次の授業まで画用紙を持つのは男子である小太郎。
女子二人は手ぶらで歩く。
ちょうど昼休みに入ったので、せかせかと急ぐことはない。
ちなみに小太郎は自分の絵を楢井先生に褒められたので、自分だけが荷物を運んでいる状況に不満がないようだ。
あの絵を褒めただけであっさりと小太郎の好感度を上げるとは、ボインボイン――恐ろしい女……。
そんな風にひな子が思っていると、問題なく保健室へ到着した。
愛奈がドアのよこに取りつけられた小さなパネルを操作する。
その上のモニター画面に楢井先生がにこやかに手を振って笑う姿が現れ、保健室のドアがパシュッと開く。
どうやら向こうからドアロックを解除したようだった。
「ド~ゾ、入ってらっしゃい~」
いつものゆるい語尾を発しながら、楢井先生がひな子たちを呼ぶ。
「失礼します」
愛奈はそう言うと、一礼して保健室へと足を入れる。
小太郎とひな子も愛奈に合わせて一礼してから保健室へと足を踏み込んだ。
先生は小太郎からみんなの提出課題を受け取ると、無造作に机の下の引き出しにしまうと、生徒三人に開いたままのPCモニターをみせた。
そこには高等部の学生では理解できないであろう論文が映し出されており、学力優秀な愛奈がかろうじてAIに関する論文だと推察ではないのかと口にした。
「小坂部さんはさすがですねェ。アメリカの某大学の卒業生が、在学中にこの研究論文を書き上げたそうですよ~。これによってAIの発展が十年分は飛躍的に進んだと言われていますの~」
はあ~っとうっとりした顔をする楢井先生に、愛奈はやや怪訝な表情を浮かべる。
「先生はAIに関心があるのですか?」
「えっとね~。センセーは~、ロボット工学に興味があってェ、それにともない人間の骨格の勉強をしてたら~、いつの間にかに養護教諭になっちゃってました~」
「はぁ……」
ロボット工学からどうしたら養護教諭に?
と楢井先生の言葉につっこむ気もなく、愛奈は興味なさげに返事をする。
小太郎とひな子は映し出された工学論文の内容が頭に入ってくるワケでもなく、先生と愛奈のやりとりを他人事のようにホケ~ッと見つめていた。
「ねぇ小坂部さん。この論文、あなたと同じ歳の女の子が作ったのよォ?――信じられる~??」
「……え?」
挑発するように楢井先生は愛奈に向かってニヤリと笑う。
「上には上が、いるものよね~」
「そうですか。それでは用も済みましたのでこれで……」
「ウフフ。ありがとね~ん♡」
馬鹿にされた思った愛奈は、先生の顔も見ることも一礼することもなく保健室を出る。
それにつられて小太郎も愛奈のあとをついていく。
ひな子も二人のあとを追うように保健室を出ようとしたところ、楢井先生が以外にも彼女に声をかけてきた。
「旭川さんってェ、機械オンチって聞いたけどォ、ホント~?」
「あ、はい。電子器具関係の扱いは苦手ですわ」
「へ~。旭川のお嬢さまが、ねェ……」
「ええ………」
少し考えこむような顔つきをし、先生は黙り込んだ。
よく分からずにひな子も沈黙する。
一分も経たないうちに我に返った楢井先生がにこりと笑い、『もう出て行ってかまわないわよ』と言った。
ひな子は先生にうながされるままに保健室を出る。
ドアロックが掛かる音を聞いたあと、ひな子は神妙な顔つきをして近くの女子トイレに駆け込むのでした。




