そして希望へ
家に帰り自分のベッドでぐっすりと寝た。 少し退院が早すぎたかもしれない。夜から具合が悪くなる。今回も頭のなかでゴーゴーと音がする。
お腹の手術なので重いものは3週間持てない、仕事も4から6週間後、そして1ヶ月は安静にと書いてあった。またこうやって寝たきりで夏休みが終わってしまうのだ。
数日後傷口を見てみた。お腹に4つの穴があいている。左右に1つづつ、おへそのすぐ下それから恥骨の上。
青あざと治りかけの黄色のあざですごい色になっている。
腫瘍はガンではなかった。
良かったという気持ちと同時に、何か取り返しの付かないことをしてしまったのではないかと悲しみが襲ってきた。
「取ってしまわなくても良かったのかも」
胸を失った。再建は何回も失敗した。 その上、子宮と卵巣も失った。女ではなくなった気がした。生きるために、決心したのだが正しかったのかと悩みまた泣いていた。
その時にそれを発見した。
お腹に浮かんでいたピンクリボンのアザだった。
乳がん撲滅のマークがこんな所に。
多分それはチューブが丸くあたって赤くなっていたのだと思う。
それでも私にはそれは(生きろ)という印に見えた。
神様からの贈り物だと思えた。
これで、もう大丈夫だ。私は正しい事をしたんだ。と。 もうこれで大丈夫なんだと確信したのだった。
絶対に良くなる。これからは家族と楽しく長い人生を送るのだ。
何度も何度も泣いた。泣くたびに布団にくるまって泣いた。私を包み込む温かい布団は子宮で、涙が羊水だ。布団を出たら生まれ変われる。
何度泣いても良いのだと思う。何度も何度も生まれ変われば良いと思う。
また立ち上がって歩けるのなら、転んでも座り込んでも良いのだ。
私は家族の支えがなければここまで来られなかった。愛情と笑いに癒やされて、また立ちあがれることが出来たのだ。
夫はどんな時もそばに居てくれた。ユーモアも忘れず励まし続けてくれた。
息子は私の生きる力になった。
生まれた時に「この子のためなら死ねる」と思ったものだが、愛する子供のために生きることはもっと大事なことだと学んだ。
乳がんは私にいろいろなことを教えてくれた。
特にめそめそ泣いてばかりだった私を強い戦士に変えてくれた。
これからもずっとファイターでいようと思った。
でもこれからの道は明るく楽しい道が続いていると信じたい。
そこを3人で手を繋いでゆっくりと笑いながら歩いて行こうと思う。
最後に
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あれから14年になりました。
私はすっかり元気になり、現在はオハイオで暮らしています。
息子は22歳になりました。もうすぐ大学を卒業します。
大学近くにアパートを借りて独立していますが毎週末実家にに帰ってきています。
夫は長年勤めた空軍を引退して新しい仕事をしています。
闘病は家族共々とてもつらかったのですが、絆がとても強くなったと思います。
週末は3人で食事をするのを楽しみにしています。とても仲の良い家族だと思いますが、これもあのつらい日々があったからかもしれません。
乳がんがとても増えています。それから最近代替治療、無治療という言葉をよく見かけるようになりました。
手術、抗がん剤、放射線、抗ホルモン剤の4大治療が標準治療と呼ばれています。
私はこの標準治療を全部したおかげで今現在元気でいられるのだと信じています。
体は傷だらけになりましたが、生きている素晴らしさとは比べ物にならないのではないでしょうか?私はそう思います。
乳がんになってしまっても、希望は絶対にあります。今絶望の中にいるがん患者さんに元気になって欲しい。そう思い、ブログやエッセイで残したいと思いました。
いつの日か乳がんが撲滅しますようにと心から願っています。
アルファポリス エッセイブログコンテストに参加しています。
ブログ形式にしなくてはいけないのかと誤解してブログにまとめてしまいました。
よろしければそちらもぜひ。
https://tomotan2003.blogspot.com/ (サバイバー進行乳がんを生き抜いて)




