01-09 嵐がくる - 自分の服に気をつけよ、さらば半ばを得ん
鐘の音が鳴って、私は目を覚ました。天井も、そこに差し込んだ朝日の色も、何もかもが知らない景色。ベッドが揺れてる。部屋を見渡せば、狭い空間に置かれた異国の調度品。ここが船の中で船長室だと思い当たった。天井の変な色の朝日は、窓にはめ込んだベネチアガラスの模様だ。
木造船のきしむ音が、聞くともなく聞こえてくる。
「メインマスト索ひけぇ! 風に負けんな!」
「「「おーっつす」」」
「たんねぇぞ、腹にちからいれろ! 付いてんのか!!」
「「「おおおっつっつ!!」」」
耳が汚れる。十分すぎる騒音なのに、それをかき消すほどの大音響の怒鳴り声だ。
「樽で、密航したんだった」
完全に目を覚ました私はベッドをでた。いつもならメイドが起しにきてくれる。台に用意された洗面器には、適温のお湯が満たされてて、顔を洗ったら用意されたタオルをくれる。やさしくブラッシングもしてくれる。
「つめたい……」
私は、床に置いてある水桶で顔を洗うと、紐にかけてある何用かわからない布で、顔を拭いた。
すれた臭いがする。自分の服からだ。樽のニオイが染みついてる。船に乗ることしか考えてなかったから、持ってきたのは水筒一個。一着でも着替えを持ってくるんだった。
ばたんとドアが開いた。はいってきたのはイオニアスだ。
「起きてるなアリアナ。船員におまえを紹介する。来い」
「え? ええ」
船長室は、船のなかで一段高い船尾楼にある。甲板に出ると、大勢の船乗りたちがいた。人数はおよそ30人くらい。居場所はバラバラだ。ネットにつかまったり、舷側や樽に乗ってたり、ヤードの上だったり。整列って形がない。全員がならべるほど広くない。操船中の人は手が離せないのはわかる。けども統率がなさすぎる。
好奇心満載の、遠慮のない目を浴びせられ、怯んだ。船長が、そんな私の背なかを押して、話をしだした。
「あー。全員知ってるだろうが。会長の孫で密航者のアリアナ嬢だ。樽に忍び込んだが、夕べ、小便に出てきたところを、見つけた」
わっはっはと、大きな笑いが広がる。
かーっと顔が熱くなる。それは言わなくてもいいことだ。乙女に恥をかかせて、なにが楽しい。
「アルゴー号に客はいらん。アリ嬢は船員見習いとして扱う。女がいると調子もくるうだろうが準男子として馴染んでもらいたい」
船乗りたちから好奇と下心の混じった視線が突き刺さる。かーっと顔が熱くなった。
「イーヴォ航海長。こいつをフィリッポスの下につけろ。パロスと合わせれば半人前くらいの働きにはなるだろう」
パロスって、昨日サボって鞭を受けた少年だ。彼と合わせて半人前とか失礼だわ。けれど、当てにされすぎて過酷な場所に置かれるよりはマシだと思い直した。
「会長の孫なん?」
「どこにいくんだ」
「男いんのか」
「おれ、おれ、今夜どうだ」
わいのわいの。船員たちが好奇と、隠すつもりのない下心でまるだして、迫ってきた。怖い。怖い怖い。
船長が帽子を被りなおし「まかせた」と後ろへ引いた。代わりにでたのがイオニアス。
「船では俺がアリアナの保護者をやる。手を出したり、傷つけたり、小便たれとバカにしたいやつは――覚悟しておけ」
イオニアスのひとにらみで、規律らしきものが支配した。小便たれって言ってるの船長なんだけど。
「配置につけ! まずは、ドデカネス諸島を抜けるぞ! 南南西に舵を切れ!」
まわりにいた船員たちが蜘蛛の子を散らすように、散っていく。甲板にもぐりこんだ人は、これから寝るのだろう。男で溢れる船上は静まり返った。
「えーと」
おかげでいきなり手持無沙汰。私はなにをするんだ。ちょっとだけ惚けてると、少年がやってきた。私よりも小さい。くんっと、胸を張り、無理に威張ろうとしてる。
「僕はパロス。見習いの航海士だ。あんたの大先輩になる。分からないことがあればなんでもきいてくれ。……イテっ」
後ろから若い船乗りが頭を叩いた。こっちはもっと年上で、10代の後半と見受けられる。20歳にはなってないだろう。
「サボり魔がエラそうに。俺はフィリッポス。あんたに仕事を教える役目を任された」
「パロスにフィリッポスね。私はアリアナ・サロリオン」
「あんた港でみかけたことがある。密航なんて怖いもの知らずだな。船と海は、どれくらい知ってる?」
「船はイオニアス――副長に教え込まれたわ。乗ったのは初めて。ご教授をお願いね」
「フィリさん。この女ずいぶんエラそうだ、懲らしめてやろうぜ、イテって」
くす。笑っちゃいけないけど間が絶妙だ。この二人、コメディアンのコンビ組んで、大道芸をやったら絶対にウケる。
「黙ってろ。これから船の案内をする。女のあんたに期待してねぇ。足手まといにならなぇ程度には、知っておいてもらおう」
「わからないことはきけ。僕は航海の勉強してる。イテっ」
「パロスもくるんだよ! 操船覚えろ」
この後、私はフィリッポスの案内で船を廻った。
「この船団は、キャラック3隻とキャラベル2隻の、5隻からなってる」
主な荷は大型で速度がでるが、小回りのきかないキャラックに積まれてる。キャラベルにも荷物は乗ってるけど、フットワークを生かした護衛が主な仕事だ。旗艦はキャラック。ガタクタ号という寄せ集めみたいな船名だ。
私たち船はアルゴー号という。縦帆1、横帆2の標準的なキャラベルだ。船足が深くて、キャラックほどではないけど、かなりの荷が運べる。従来の船よりも少人数で運航できるから、すこしでも利益をあげたい商船に向いてる。
縦帆と横帆の組み合わせはいいとこどりだ。縦班は横風や切り上げに強く、横帆は強い風を受けて速度がだせる。前方の三角形縦帆のおかげで、風上への切り上げ角度が高い。 大西洋など外洋向けに設計されたらしい。けど、短時間に風が変わる地中海には、もってこいの最新船だ。
フィリッポスは、ヤードの名称と目的、各帆と索の関係。など基本的な操船を教えてくれた。イオニアスよりもずっと分かりやすい。
「なるほどーー勉強になりますフィリッポスさん」
「パロスが感心してどうする」
いちいちうなづくパロス。メモに残してあとでじっくり記憶に刻みたい。船長室に、紙と羽ペンがおいてあった。借りれるけどやめた。風の強い甲板じゃインクが飛ぶ。文字なんて書けたもんじゃない。
「……ねぇ。雲の流れ、速くなってない?」
空を指さす。青空の向こう、南から黒い雲が猛烈な勢いで押し寄せていた。
「雲かたしかに黒いな」
「青空だぞ。素人娘が知ったかぶるな」
フィリッポスが首をかしげる。パロスはケッっと、唾をはいた。この子。本当に航海術を学んでるのだろうか。そう思っていると、副長が、声を高めて指示を飛ばした。
「フォアヤードとメインヤード、メインスル以外の帆を畳め。ジブは現状。嵐が来る」
――嵐が来る――
副長の声で、空気が一変した。
さっきまでのざわめきが、張りつめた糸みたいに細くなる。
やっぱり。
私が見た雲は、間違いじゃなかった。でも――
(本当に、当たってる……?)
一瞬だけ、不安が胸をよぎる。
その間にも風は強まっていく。帆がばたつきはじめた。
「副長、総員起こしは?」
「いい。嵐は小規模だ乗り切れる。フィリッポスはメインヤードだ昇れ」
「はい!」
フィリッポスはロープをするする登っていき、みるみるうちヤードにとりついた。すでに登っていた男たちと息を合わせて、縮帆にとりかかる。
からんからん。
鐘は、通常通り二回。30分の砂時計がひっくり返される。
船長がやってきて、指揮を副長とかわる。
「風が募ってきた。変わろう」
「下番します」
自由になった副長は、肩をコキコキならして、各部署を回り、余った部署の人員を手薄な配置に動かす。樽など、流されそうな甲板の物品は階下に運びいれられ、連絡ボートの保護膜の固縛を確かめる。静索の緩みはいうにおよばずだ。
私はメインスルの動索引きに加わった。好奇か心配か、船乗りが声をかけてくる。
「か、会長さんのお嬢か」
「無理しなさんな娘っ子。船底で震えてても笑わんぜ」
天気の移りかわりは素早い。そうこうするうち、頭上には雨雲。あっというまに風が強まって。波が高くなっていく。
「縮帆まだか! フォアヤードトップスル、なにやってる」
「人をよこしてくれ 風に負けて畳めねぇ」
見上げれば、フォアマスト――二本マストの前側――の上の帆がぱたついてる。二人が縮帆を急いでいるが、帆が風でばたついてなかなかたためない。人もまわそうにも、それぞれ手が離せない。
余分な人員はいない。休みの人たちをを起こせばよさそうだけど、そうしない。これしきの嵐なんか、想定内てことだ。
「あがれパロス」
「え、ぼ、ぼくが」
「帆に隠れてたろうが、高所が苦手なんていうなよ」
パロスの手は縄を握ったまま止まっている。指が白くなるほど力を込めているのに、一歩も動けない。
「でも、こんな風の中で……落ちたら……」
声が震えていた。
操船術は航海士の必須科目ではない。|アルゴー号<この船>では”客はいらない”が方針だ。船長の命令は絶対。その副長の命令に反する意味を理解してない。とくに緊急時は、口ごたえの数秒の間にも状況は不味くなっていく。
みっともなくて見ていられない。
『船は弱っちい少年を男にする』
パパ。覚悟のない子は男になれないみたい。
このままじゃ間に合わない。
帆は暴れてる。人は足りない。あれが裂けたら、もっとまずい。
――見ていられない。
「私がいくわ!」




