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お風呂で死んだ元社長は中世の海でスローライフしたい  作者: きたぼん


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10/21

01-10 嵐のお嬢 ー 幸運は勇者に味方する



「私がいくわ。マストに登る」

「え、お嬢が? やめろ」


 船長が止めるが、かまわず、フォアマストの縄梯子にしがみつく。


「ぼ、ぼくはしらないからな。女神の嫉妬で船を壊される」


 パロスは甲板の下層へと逃げてしまった。


 |船檣支索<シュラウド>はマストを動かないように支える縦の索で、それを横に繋いだ索は|縄梯子<ラトリン>と呼ぶ。登るのは久しぶりだ。縄梯子を上がるのはコツがいる。風と波で揺れが激しく、ふり落とされそうになる。


 船は上に行くほど揺れが激しい。甲板の3倍、いや5倍は上下左右にゆすられる。風に加えて雨もついてきた。


「さすがに怖いわね」


 手が滑りそうになる。索にしがみつくように昇っていく。

 足を掛けた縄が、ふいに大きく跳ねた。


「っ……!」


 一瞬、体が宙に浮く。指に全体重がかかる。滑る。


 落ちる――


 歯を食いしばって、腕を引き寄せた。胸がマストにぶつかる。


「……っ、まだよ」


 甲板がすごく小さく感じる。あれに落ちたら潰れて死ぬ。海に落ちたら助からない。パロスの尻込みがわかった。怖がらずにマストに上がれるのは職人。むち打ちのほうがマシだ。


 思えば昔、何度もイオニアスに登らされたけど、いつも晴天だった。港中に停船した船だったし。彼なりに気遣っていたとわかった。


 昇ったヤードでは歯の抜けた船乗りたちが、凶器となった荒ぶる帆と格闘していた。


「人が足りないのは? 私、どこにはいればいいわけ」

「お、お嬢? あ、左。あいだに入れ」

「左のあいだ。わかったわ」


 ここの長らしい船乗りが、あごをむけた。私に感心してる、というより、呆れた表情だ。かまわず、索を伝って左側の間にはいった。


「ったく。たのもしい増援だな。おい」


 いかにも頼もしくなさそうだ。苦笑いだし。


「おまえら、お嬢にいいとこみせるぜ! ひけぇ!」

「おおおお」


 ゆっくりと、麻製のぶ厚い帆が畳まれていく。帆がしぼむにしたがって、分かりやすく横揺れが減る。嵐だから、揺れは大きいが、さっきよりずいぶんとマシになった。時間はかかったが、大人2人分ほどに小さく丸めて、ヤードに縛りつける。縮帆完了だ。


 私も、奮起させたって意味で、役に立った。


「左舷に一点落せ……いや、右舷に切りなおせ。裏帆を打たせるな」

「ジブ、右舷緩め、左舷引け」


 風と波は目まぐるしく変わる。眼下の甲板では船長が変化の兆候を読み解き、先んじて、指示を出す。舵と帆が忙しい。帆の索を緩めては延ばすため、左舷と右舷を人員が行き来する。


「マスト上! 島影はどうだ?」


 島影。ドデカネス諸島はたくさんの小島と浅瀬でできている。ギリシャとオスマンは昔繋がってて、ぽっきり折ったら、残骸と粉が散らばった。例えば、そんなふうに島が点々とある。この悪天候に船は、どこにもぶつからず、すり抜ける必要がある。


「どうもこうも。なんも見えねぇ!」


 海図があるし、島と島はそれぞれかなり離れてる。晴天なら浅瀬に乗り上げるほうが難しい。けども、こう、風に翻弄されてるいま、自由な航路がとれない。浅瀬も島も見つけにくい。船底をすこし掠っただけでも座礁して、沈没だ。停泊なんてもってのほか。


 私は索に腕を絡ませて、手のひらの庇で雨粒を避ける。目には自信がある。身を乗り出し、雨霧に曇った彼方を見つめる。


 雨が視界を削る。何度も瞬きをする。

 なにもない。黒い海と灰色の空だけ――


 いや。


 わずかに、水平線の上に、色の違う影がある。

 波とも雲とも違う、動かない輪郭。


 ――島だ。


 見間違いだったら終わりだ。船路を誤らせる。

 でも――あれは、ある。

 私はもう一度、目を凝らした。


「島影発見! 二時の方向よ!」


 私の叫びが嵐を切り裂いた。見間違いなら船を死地へ追いやる。けれど、波とも雲とも違うあの不動の輪郭は、間違いなく島だ。


 キティラ島だといいな。ベネチアへはギリシャ南端をまわるのが近い。キティラ島は、南端のさらに南だ。

 諸島を抜ければ、本気の地中海。そこは、オスマンの西がすっぽり収まるくらいの海原だ。島や浅瀬を気にしないで、のびのび船が進める。


 クレタ島だとまずい。クレタ島は一番大きくて諸島の最南にある。その東を通るのは、かなり遠回りだ。


「副長……お嬢はああいってるが。信じていいのか」

「問題ない。あいつに、みっちり教え込んだのは俺だぜ。島影くらいはわかる」


 イオニアスのイオニアスの野太い声がマストまで昇ってくる。


「その言葉を信じるぞ。進路変更! 左舷に切り直し。総舵手ゆっくり取り舵だ」

「ゆっくり取り舵。了解」


 それから数時間。途中の八点鍾で8人が入れ替わりながら、一致協力。嵐を超えることができた。はじめにみえた島は、キティラ島じゃなく、もっと東の別の島。私は最後まで見張りを続けた。


 諸島を抜けて風が安定したところで、見張り役を交代してもらう。がちがちにつかまってたからかた手が硬直し、縄から離れない。昇ってきたフィリッポスに助けてもらい、縄梯子で降りた。瞬間、視線が集まる。


 一拍おいて――


 ぱち、ぱち、と拍手が広がった。


 それはすぐに大きくなって、船中に響いた。


「お嬢、すごいな!」

「副長の弟子だとよ。さすがだぜ!」

「あの鬼会長の孫だろ。角はねえようだがな。がっはっは」


 ぺしぺし。背中や頭を叩かれながら、もみくちゃに歓迎された。


「みなさん。私は、及第点かしら?」

「文句なしだ勇気ある娘さん。アルゴー号へようこそ」

「だったら誰か、剣を教えてくれないかしら」

「剣……? 女が?」


 船乗りたちは、申し合わせたかのように、一斉にイオニアスをふり向いた。副長は腕を組んで首降っていた。


「イオニアス……ちょっと、あなたたち」


「さぁて、仕事だ仕事」

「んだな……」


 私を取り巻いていた連中は、航路の線図のように散っていった。


 入れ替わるにうに、下層からパロスが引っ立てられた。羽交い絞めだ。副長の命令を無視したうえ、みんなが嵐に格闘してる最中に隠れていたのだ。船乗りは弱虫を嫌う。溜飲をさげる意味でも、罰は必須。


 むち打ちは、格好のショーとなる。ちょっとかわいそうだ。


「ぼ、ぼくは悪くない……! あんな嵐で登るほうが狂ってる!」


 ぐちゃぐちゃに顔を歪めて、私を指さした。


「私?」

「この女だ! こいつのせいで……! 魔女だ、魔女に違いない!」


 言うにことかいて魔女あつかいされた。魔女なんて、噂がたっただけで、たちまち教会から審問官がやってくる。拷問という名の尋問を受け、魔女とみとめるまで止めない。仲間からの私刑で殺される女性もいる。


 このこ、ちっともかわいそうじゃない。


「お嬢が魔女だと」

「そうです船長! まちがいない」


 船員たちの目が私にあつまる。魔女は口から出まかせだ。だけど、芽生えた疑問は伝染するもの。あの黒死病みたいに。男しかいない船上で魔女の尋問。考えたくもない。


 長い沈黙がおりた。


 私は思わずあとずさりしていた。そんな私を見ていた船長は、パロスへと視線を移す。その肩を鉤腕をまわすと、うんざりした口調でこう言った。


「5回ですまそうと思ったのだが。変更する。8回だ」

「な、なんで」

「マストに昇るのは誰だって怖い。嵐となればなおさらだ。みんな、自らの恐怖心に負けまいとがんばって索を握ってるのだ。それが、臆病なバカの代わりに、昇った恩人を糾弾するとはな」

「男の風上にもおけないやつだな」

「俺が、てめぇの性根を叩きなおしてやる」

「わ、ワシにやらせろ。助けた女を晒すとは」

「いや、おいらが打つ。はらわた煮えかえってしょがねぇ」


 誰が鞭を打つかで、「オレ」が「わし」がと、次々に名乗りをあげていく。


「僕がやろう。こいつの監督責任は僕にある」


 そう申し出たのは航海士。こういう折檻は下っ端の役目なのだが、腹に据えかねたらしい。総員一致で彼にきまった。


「え、イーヴォさん。冗談ですよね。父さんも喜びませんよ」

「僕は親方として失格だ。お前の父親から男にしてくれと頼まれたんだが温かった。これからはもっと厳しくいく」


 左右から抑え込まれて、シャツを脱がされるパロス。背中の、昨日打たれたばかりの背中の傷がまだ生々しい。


 ――また打たれるの。


 思わず、視線を逸らしかけて――やめた。


 「異教の言葉にこういうのがあるぞ」と航海長が言った。


「信仰において最も完成された信者とは、道徳心の最も優れた者である」


 含蓄のある言葉だ。お爺様が知ったら、異教徒のくせにと悔しがって、もっとよい言葉を聖書で捜しそう。


「それって、どういう」

「航海士候補から外す。いまからお前は下っ端船のりだ。そこで道徳を学び、せめて半人前になれ。そのときは候補に戻すことを考えよう」

「い、いやだ。ぎゃ、ぎゃあああぁ…………」


 航海士による、熱と愛情がたっぷりこもった鞭が放たれた。

 一回。二回。三回。パロスは 四回目で、声が途切れた。


 五回目の音だけが、空しく響いた。

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