01-11 遭逢 ー かた手だけでは、手拍子を打つことができない
快晴だ。
激しい嵐がウソみたいに、覆っていた雨雲は消えた。水平線がはっきり見えて、背後にある遠くの島まで確認できた。風も順風。これだよ。これこそ、私が思い描いてた海の旅の空。晴れ模様だ。
「本当に乗り越えたのね。信じられない」
「言ったろう。あの程度の嵐は屁でもない」
船長のアンドレアスは、左腕の|鉤腕<フック>を索にひっかけながら、
「オナラにしては、すごかったわ」
「そりゃそうだ」
片目をつぶって笑った。
ともかく嵐は乗り越えた。展帆はメインマストのみ。次の鐘まで風をみてから総帆するという。
いまは、最低限の船員を配置に残し、あとはワインで喉をうるおしてる。航海では酒よりも、日持ちしない水のほうが貴重だ。さっきの雨で、空の水樽が満たされたのだ。私は水を浴びるように飲む。しばらくは水に困らない。
「おーい甲板 なーんか流れてきますぜ、板か筏か、あとは何か」
マスト天辺にいる見張りから、ノンビリした声が降ってくる。
「あいまいだな。はっきりしろ」
「すんません船長! 筏のような木に、何かこどもが乗ってように見えるっす。はい」
見張りは他の船や島をいち早くみつけるのが仕事。マストだけでなく前方の船主楼にいる。場合によって、後方の船尾楼にも立つ。
「筏とこどもか。何時の方角だ。腕で指せ」
時間は、教会の鐘の数で報らせるものだ。船員にかぎらず、時を刻む時計を知らない。船乗りは方向の指しかたを教えられるけど、慣れないととっさにでない。時計方向といってもピンとこないから、手で示す。
「あっちっす。死体じゃねーすかね。寝たきり動かねぇ」
「11時か。ロレ爺いるか」
船長は老齢の船乗りを呼びつけた。ロレ爺と呼ばれたすこし腰が曲がった男は、「なんすかねぇ」とひょこひょこやってきた。
「こどもの漂流者らしい。死んでるか寝てるそうだ。どうみる?」
経験豊富なご意見番は、あごを掻きながら、目を細める。
「奴隷の子と思いやす。嵐で放り出されて、板にしがみついたけど、力尽きて死んだ。そんなところっす」
「筏は木材になるな。人は生きてれば取引につかえる。回収だ。総舵手。面舵一点。信号旗あげろ『漂流物は当船が回収する』だ」
回収するらしい。漂流物を放置してもいいことない。人は助けるのが当たり前だ。
船団は前方に3隻、右後ろに1隻の陣容。信号旗前を行く3隻は筏をスルーした。
「各船の信号確認『了解した』です」
「面舵一点、|宜候<ようそろ>」
船長の指示を、操舵手が復唱する。
”おもかじ”ね。私も、知識をおさらいしておこう。
|面舵<おもかじ>は船首を右にむけること。取舵は反対に左に向ける。点は角度のことで、1点あたり11.25度を表すんだった。90度を8分割してるから、真北から左へ数えた場合は、8点で真西を表す。16点なら真南だ。あくまでも船首からみるから、東へも同じく1点2点と数えてく。
面舵一点なら、『船首を右へ11.25度傾けろ』になる。
「減速。全帆風を受け流せ」
速度を落とす船。漂流物が近づいてくる。子どもだ。10歳くらいの男の子だ。布切れ一枚身に着けてない、あられもない格好だ。筏じゃなく板に横たわってる。
船員たちの引き上げがはじまる。かなりうるさい音なのに起きない。本当に死んでるかも。
「誰がいく? 俺はいやだぞ」
小太りの船員と、その仲間ふたりが言い合ってる。急ごしらえの救出役を、たがいに押し付けようとしてるのだ。
「おれもいやだが……いこうか」
「なら、俺がいく。酒の配給が増えるからな」
船は狭い世界。男たちは、仲間から臆病者と思われることを、なにによりも嫌がる。時と場合によるようだ。まさか行くと言い出したふたりに、小太りが慌てて手をあげる。
「配給が? お、俺がいく!」
「「どうぞ、どうぞ」」
「え……?」
小太り挙手したとたん。二人の仲間が手を下ろして役目を譲る。救出役は小太りときまった。なんか小芝居を見せられた気分だ。
早速、小太りが綱で縛られる。ヤードの木材を頑丈な綱でしばり、クレーンにし先端にくくりつけられる。人海戦術。クレーンは10人がかりで抑えて操つられる。
「そーっとおろせ、いいか? ゆっくりだぞ。ふりじゃねぇぞ」
小太りが、尻をおさえながら額の汗をぬぐう。コミカルさに思わず噴き出す。船員たちの笑いがおこるなか、こどもは無事、救出された。
「おーしあげてくれ……ーーわー」
終わった。そう安心していたら、小太りは仲間に押されて転落した。
「あ!」
びっくりして船縁から身をのりだす。「押すなっていったろー」と騒ぐ小太りは、繋がれた綱で引き上げられた。その後3人は、甲板に並んであいさつ。
「ありがとうございましたー」
拍手喝采で。投銭が飛んだ。
「なによあれは」
わけがわからない。結局なんだったのか。
「えみゅークラブっていう大道芸人だ」
「大道芸って、瓶を割らずに投げたり、高い竹馬でジャンプするあれ?」
「オスマンじゃけっこう有名だぜ。ベネチアで一旗あげるってさ」
「へえ。知らなかったわ。あ。カッターに乗り移ったわね」
「別船に渡るんだ。長い航海じゃお笑いは引っ張りダコよ。また来いよー!」
惜しみない拍手を浴びて、えみゅークラブは去っていった。
そんなこんな首尾よく救出が終わる。子どもは甲板に寝かされた。それを私たちは輪になって囲んだ。ゆっくり胸が動いてる。よかった。生きてる。
私の期待も高まった。こんな子が嵐で助かったんだ。お父様もきっと。
「息はあるか」
子どもは助けた。でも誰も触ろうとしない。病気をもっていたらヤバいからだ。最悪なのは黒死病。さっきの小太りは入念に体を洗ってた。船乗りは汚れを気にしない。
「息を確かめなくても、ほら。元気そのものっすよ」
「そうだな。こいつの面倒はフィリッポスに任せた」
フィリッポスが一瞬こわばりつつも、「はい船長。めんどうみます」と意気込みをみせる。それからなぜか下層降りていった。
「ほかは解散しろ。出航するぞ」
「部署に着け! 船団に置いてかれないよう遅れた分を取り戻すぞ!」
船長の命をうけた副長が、具体的に怒鳴って指示。ほーい、と船員はおのおの持ち場に散っていた。
残ったのはロム爺と私。立ち会ってていいのか淑女として迷う。子どもは裸。男子の突起がにょきっと明快。『確かめなくても、元気』なのが女でもわかる。顔がほてってきた。手で顔を覆って、指の隙間からのぞいた。釘付けだ。
|それ<・・>以外の特徴は。黒髪。年は8歳から10歳くらい。痩せてる。それと手首に真っ黒な細帯。革紐?
顔は、私のようなギリシャ風でもオスマン風でもない。ロム爺は奴隷といった。細帯が焼印かわりの目印かも。だけど奴隷にしては肌がキレイ。運搬中の奴隷ならなにかしら傷があるのに。その肌の色は白くない。オスマン人のような褐色でもない。日焼けか。
フィリッポスが、水バケツと、服を抱えてもどってきて。子どもの体に服をかぶせた。ちょっと残念と感じたのは気のせいだ。私は淑女なのだから。
「なにか言いました。お嬢」
「え。ううん別に」
「うーうぅ……」
子どもが小さくうめいて目を開けた。面倒をみるフィリッポスは、見守るだけで触ろうとしない。病気を恐れてるのだ。黒死病は触っただけで病気をもらい、翌日には死んでる。
この子は喉がきっとカラカラだ。水を飲ませないといけないのに、フィリッポスはなにもしない。ロム爺も、「喉がかわいておろうの」というばかり。
「もう。あなたたちったら」
しかたがないので抱え起こす。
「お、お嬢、病気が」
「黒死病は熱がでて体が黒くなるわ。熱はないし体は黒くない。フィリッポスお水をちょうだい」
「あ、うん」
口をあけさせて、うけとった柄杓で水を流し込む。子どもの目がバッチリ開かれ私と目が合う。黒い瞳が印象的。どきりとする。水を飲み込んだ子どもが、眉をひそめた。なんだろう。
二口目を飲ませようと、柄杓をあてがった。子どもはいらないという風に払いのけた。
なんかエラそう。漂流してたのに喉が渇いてないのか。後ろ手をついて自力で座ったので、抱えていた手を放すと、自分の腰のあたりを見回してる。何か失くした風だ。
「おまえはどこからきた」
「……OMAE、DOKO?」
反対側にフィリッポスが膝をついて聞いた。子どもは、ぞんざいに片言をくりかえした。
「どこからきたんだ? 名まえは?」
「DOKOKARA…… NAMAE……」
またしても、質問をオウム返しに繰り返すだけ。まるで意味が分かってない。通じてないらしい。
私たちは普段ギリシャ語を話す。他国との取引では|共通語<サビール語>に切り替える。|共通語<サビール語>は、ギリシャ語にアラビア語などが混じってるから、たいていは通じて便利なのだ。フィリッポスも|共通語<サビール語>を試す。反応は変わらない。通じてないのだ。
「とんでもねぇ未開地から買われてきたのかもしれねぇのお」
ロム爺が結論つけるが。子どもは、あごに手をあてて考え込んでる。知性をうかがわせる態度と、私にはみえる。奴隷はこういうとき、おびえるか逃げるのに、この子は落ち着いてる。言葉を知らないバカや、未開地出身にしては異常だ。
「ほかの言葉はどうかしら? ゲルマン語とかラテン語は」
「なんるほど。よく思いつきますね。ラテン語はベネチア出身の航海士さんが得意すけど、あんな西のインテリ言葉など、奴隷風情はしゃべれないかと。あと、ゲルマンの田舎ことばは俺が 知らないっす」
「ラテン語ならわしができる。きいてみようの」
「ロム爺、西のインテリだったんすか」
「西じゃ共通語じゃ」
「へぇ」
ラテン語は知識階層が使うものと思ってた。聖書はギリシャ語。東正教の神父もギリシャ語。西から来た神父はラテン語の聖書を抱えていた。商人の国ベネチア人も偉ぶってラテン語を話す。なんでそうなのか。わからないけど、そういうものだ。
ロム爺の語りかけに子どもは首をひねる。ラテン語も通じない。なんだこいつって、むっとしてる。年寄りへの敬いは持ってない子らしい。
私もためしに語りかけた。ゲルマン語だ。
『あなた。わかる? 言葉、話せる?』
ゲルマン語は、もっと北のドイツやイングランドの不便な田舎言葉だ。話せる人間はほぼいないけど、勉強して覚えたのだ。もしもお父様がゲルマンに流れていたとき、言葉がわからないと捜せない。
『ああ……スコシ、ワカル』
「通じたわ」
ふふん。ロム爺とフィリッポスの意外そうな顔が笑えた。子どもよりも驚いてる。
「まじかよ。会話に聞こえるっすぜ。知らんけど」
こいつ。イオニアスに言いつけて、グロッグの配給を減らしてやる。
『私は、アリアナ。アリアナ・サロリオン。あなた名まえは?』
『ナマエ、ヒロシ。ユノミズ・ヒロシ』
ユノミズ・ヒロシ。聞きなれない名前だ。




