01-12 どこかの地中海 ー 賽は投げられた
嵐のあと、奇妙な子どもが船に引き上げられた。
それが――俺だった。
『私ハ、アリアナ。アリアナ・サロリオン。アナタナマエハ?』
べたべたする板に座りなおした俺に、たどたどしい英語で、女性が話しかけてくる。活発そうな赤い髪。肩甲骨まである2本のおさげ。美人な響きを感じられる。アリアナ・サロリオンていうのか。良い名前だ。容姿に相応しい。
俺は助かったらしい。いつのまにか嵐は去っていた。あのまま漂流していたらいつか死んでいた。海に落ちて溺れる。それとも空腹で餓死。幸いにも、死に方を選ぶことなく済んだようだ。いまのところは。
こっちも片言の英語で返事する。自慢じゃないが中学レベル。他国の交渉は部下に任せていたから、日常会話に毛の生えた程度。いつか英語教室行こうと思ってるうち、タイミングをなくした。アニメで学んだとかいう日本語堪能な外国人が増加していた。
『ナマエ、ヒロシ。ユノミズ・ヒロシ』
|湯水<ゆのみず>|火史<ひろし>65歳。長男に殺された哀れな経営者。
『ヒロシ? ユノミズ?』
どっちで呼ぼうか迷ってるのか。名まえはヒロシ って言ったんだがな。どっちでもいいが、外人さんだからファーストネームか。
『ヒロシ』
『ワカッタ。ヒロシ、水、ノマナイ?』
『水。イナライ』
水をすすめてきたが、断わった。木の臭いがついてて不味いのだ。喉は乾いてないし、魔法でだした水は100倍は美味い。
『ソレヨリ、ココハドコダ』
助けてくれたここは、帆船の木製の甲板だ。頭上には大きな帆が風を孕んでる。声をかけあって索をひく船員たち。
この女性や男たちが着てるのは中世っぽい衣服。その徹底ぶりに感心する。これは巨大なナントカランドだ。この人たちはその|従業員<キャスト>にちがいない。
でも変なのだ。
あの記憶が虚像でなければ、俺は海原にいた。それが、行ったこともないTDLかUSJのアトラクションに紛れ込んでる。あっちが夢か。いや、夢というなら、浴室から別の場所にいること事体が夢だ。なんにしても変だ。
『ドコ。地中海ダシロウ。エーゲ海ノ南。ソノドコカ』
『エーゲ海!!!?』
有名な『カ◯ブの海賊』じゃなくて。あ、あ、いや、そういう設定か。そういえば、話された言語は最初アラビア語で、次にラテン語……わからんけど、イタリア風だった。ほんと徹底してるな。
いや。まてよ。
本当にエーゲ海かもしれない。海の上にいたんだからな。わけがわからない。
『エーゲ海、ノ、ドコダ』
『イマイッタ。南』
らちが開かない。エーゲ海は地中海。それはわかるが、イタリア以外の国と地形の区別がつかない。ギリシャとトルコ?間だっけ。そんなところにTDLがあると。いや、エーゲだからEDLか。USJならUSE。ユニバーサル・スタジオ・エーゲ。
あーまて。落ち着け。ここは現地だ。
考えてないで見ればいいだけのこと。EDLなら、シ◯デレラ城とか、ビッグな山が見えるはず。USEなら、でかい地球儀が有名だったな。俺は立ちあがって、周りをみわたした。城か地球儀か。
「マジかぁ……」
海だった。
海のど真ん中。見渡す限りの海。つまり、嵐の前となにも代わってない。はるか遠くに似たような帆船が数隻あるが、陸はない。島の影らしいのがかすかに見える。
そんなところを、こんな小さな、20メートルくらいしかない船で航海してるという。エンジンの唸りがない、風まかせだ。
帆に風をはらませす航る勇姿はかっこいいし、ロマンあふれる。だが、果てまである水平線の海原の上。あまりの頼りなさに、身がすくんだ。
「くそーなんでこうなる。俺がなにかしたか」
『ドウシタ?』
「あ、いや」
状況はわからないが、俺は命を救われた。その礼は尽くさないといけない。恩はすぐ返せ。あとに延ばすほど高くつく。社員たちに言ってる俺が、なぁなぁにスルーしては立場がない。
『……タスケテクレテアリガトウ』
謝礼金を渡さねば。ほかにも相手がもとめるなら、なんでも。命を救われた。その対価は無制限。誠意を尽くさねば……それなりに。
『電話カシテクレ イエ……イヤ、社に、レンラク、シタイ……』
ふと気づく。みんなやけに背が高い。爺さんも若い男も見上げるような大男。アリアナだけは小さいけど、それでも頭ひとつ分、俺より背が高い。
巨人の船かよ。でなければ俺が縮んだ? ばかな。
『デンワ? シャ? ワカラナイ。フィリッポス?』
通じてない。さっそく英語力の脆弱さを露呈。
知ってる? とふうに、若者フィリッポスに確かめてるが、彼は肩をすくめて首をふった。さすがは外人。仕草がサマになる。
”電話”は英語でテレフォン、いやスマートフォンか。
”会社”はカンパニーか、コーポレーション。
言葉は正しく、だ。整理して言い替えてみた。
『スマートフォン、カシテ。コーポレーション、ニ、レンラクシタイ』
『スマートフォン? コーポレーション?』
そんなカンタンな言葉さえ通じないとか。
『おーまいがーー』
情けなくて頭を抱えた。俺の発音がここまで破滅的に悪かったのか。あまりな英語力のなさに涙がでてくる。
とはいえ現状、お礼に差し上げられものは、無い。
財布もなければ、金のネックレスもつけてない。探るまでもないハダカであり、服らしき布を貸与される現状だ。手首のGの腕時計は5年もつけてる中古品。差し上げるなど失礼だ。
会社の秘書に電話して……ケータイがないんだった。
まったくもって堂々巡り。
『シロウ……』
アリアナが、俺を抱き寄せ頭をなでる。可愛そうにみえたらしい。誰かに頭を撫でられるのは、ガキ以来。こんな年寄りにも慈愛をくれる。優しい良い子だ。
それにしても『オーマイガッ』は利便性が高い。どの国の、誰の前でやっても通じる。日本人だと、今となってはオヤジギャグにもならんのだが。
『コッチ、来ル』
手をとられた。どこかに連れていくらしい。フィリッポスが騒いで、止めようとするが、彼女はかまわずずんずん歩く。引かれるまま甲板を行くこと、約10歩。重い木扉の奥の部屋に案内された。
「ほーお?」
内張りさえない木造むき出しの内装。甲板が続くだけの床には絨毯も敷いてない。ただし調度品に目をむいた。
アンティークでビンテージ物がずらりである。ローチェスト、テーブル、ティーセット、ランプ。どれもこれも職人の技が光る逸品だ。そういう高貴な諸身はないし詳しくないけど、本物だけがもつ迫力というのか、そういう気品を放ってる。
ここまで金をかけるとは、現代のアトラクションはすごい――いや。ちがうな。
――もう認めたほうがいい。
体の変化。大海。そこを行く帆船。かろうじて通じる英語が一人だけ。家族連れや陽気なカップルがいない。安全帯もヘルメットもなして、高いマストをかけ昇っていく乗組員。観光地でありえない。俺ひとりをだますドッキリにしては念入りにすぎる。
鏡があった。とても質が悪く、出来損ないゆがんでる鏡だが、そこに写った自分の姿にコトバを失う。子どもの自分。アルバムにある小学生の俺が、そこにあった。
「これが、俺か」
体が子どもに戻ってるという埒外の現象。俺の知る日常ではありえない。俺には風呂で死んだ明快な記憶がある。それが、どういうわけか子どもの体で出現。
生まれ変わったのではなく若返った。エーゲ海に転送されて。
ひとつとってもわけがわからん。
夢ならば起きれば覚めるが、一度寝て起きてる。
SFでいう平行世界か。いや文明が帆船レベルだからファンタジーだ。受け入れがたいが。異世界。そんな言葉。世界観が、この現象としっくり合う。
『シロウ。紅茶、飲ンデ、落チ着クノ』
アリアナがお茶を淹れてくれた。子どものころに飲んだリプトンのティーパックによく似た味。懐かしい香りで、気持ちが落ち着く。水そのものは不味いが。
『シロウ、ハ、奴隷?』
恐々と問いかけてくる美少女は、年齢は大学生くらいだが、西洋女性は大人にみえる。実際はわからない。
丈の短い赤茶チュニックに白のブラウス。下はゆったりとした作業むきズボン。素材は上も下もウール。質は良くない。船上で特別な存在だと掛けてもいいが、セレブが身に着ける品質ではない。ちぐはぐだ。
『奴隷? 俺ガ?』
『チガウノカ』
なにを訊こうとしてるんだこの子は。いや、奴隷が売り買いされてる世界ってことか。
どれくらい古い文明だ。西暦千年代? いや二本マストの帆船を製造する造船技術があるのだ。推測するなら文明は中世レベル。タイムスリップした可能性もあるな。
『ドレイ デハナイ』
『ソウ。ヨカッタ。ドコカラ来タ。ナンデ遭難?』
どこからと言われたら、もちろん日本。だが告げてもいいのだろうか。情報には価値がある。こっちからはなるべく与えずに、それとなく相手から聞き出すべき。
アリアナが不安そうに俺をみている。つまらない癖がでた。ビジネスを上手に運ぶ駆け引きなど不要だ。どうせ、知らない世界なのだ。駆け引きもなにもない。
『ニホンだ。フロで溺レテ、ウミでソウナンした』
『ニホン……シラナイ。オフロデ遭難、船ニフロ付キ。シロウ金モチ』
『イヤ。家ノフロで、スベッテ、溺レテ、火事ニナッテ。海ニイタ』
事態の説明は無理。俺にはおそらく日本語でも無理だ。アリアナも母国語じゃなさそうだし。意思疎通ができてるかさえ不明だ。
駆け引きなど、できようもないのだ。
『混乱シテル、カワイソウ』
哀れに思われてしまった。捨てられた仔犬なみに映ってるかもしれない。
そのとき腹の虫がくーっと鳴った。アリアナから笑みがこぼれた。
『キヅカナカッタ、遭難、ハラペコヨネ?』
最期の食事は夕方だが、それが何日前だかわからないくらい前だ。いまなら革のベルトだって食ってみせる。次に時計ベルトを替えるときは丈夫なナイロンでなく本革にする。
『厨房、火ハ消エテル。ナニカ捜ス』
彼女は、ローチェストを探り始めた。部屋はこの娘のじゃないのか。彼女は『コレカナ』を箱を取り出す。中にあったごつごつした物体を差し出した。なんだこれ。
『パステリ、アッタ』
「ぱすてり?」
食い物か。クッキーだろうか。みてくれは悪い。平べったいし、すごく硬そうだ。食べれるんだろうか。食べれるんだろうな。差し歯が折れないか心配――する必要はないんだった。
怪訝そうな顔をしてたらしい、彼女は自分で食べて見せた。
『ホラ。甘イヨ。ドウゾ』
「ありがとう」
一口かじる。これは”おこし”だ。ゴマの香りがどこか懐かしい。ほんのり甘くて蜂蜜の味もする。美味しいことは美味しいのだが、とても硬くて。喉が詰まる。さっきの紅茶は飲み干してしまった
「ぐ」
『ふふ。慌テルカラ。紅茶、淹レル』
『自分、水ガアル』
『自分ノ水?』
魔法でだした水を空になったカップに注ぎ、しそれでパステリを飲みくだす。一息ついた。水はこっちのほうが美味い。天然湧水ほどではないが、バケツ樽より遥かに上等だ。これで紅茶を淹れてもらおう。
『紅茶ヲ コノ水デ』
『マサカ ソレ……魔法?!』




