01-08 言い分 - 確かなことを打ち捨てて不確かなことを追い求めるのは、愚か者のやることだ
イオニアスに背中を押されて船長室にはいり、薦められるまま椅子に座る。
「アリアナ。お前は次の港で降ろす。アイワルクに寄港する船に乗れ」
地中海貿易で財を成すサロリオン商会に生まれた私は、停泊や新造船は乗せてもらったことは何度もある。でもこんな、実際に荷を運んでる船に乗る機会はなかった。
初めてはいった船長室に感動だ。ぐるぐる見まわす。船の中でも一段高い船尾楼に設けられた部屋。数少ないプライベート空間。とにかく狭い。広さは私の自室の半分もなく、物だって多くない。ありふれたオーク材のテーブルと椅子は傷だらけ。仕舞える物など限られる使い古されたローチェスト。
「え? なんか言った?」
「下ろすっていったんだ……船長室が珍しいか。贅沢な品々には慣れてるだろうが」
「そうだけど、初めてだから」
腐食剤をぬったくっただけの無骨なむき出し材木。重量を減らすため内装すらない。だけど不思議とお洒落で、統一感があった。机上に重ねられた数枚の海図が、航海中の船って感じですてき。ローチェスト上の固定された箱には、流行の茶器やコーヒーセット。扉を開けばきっと酒や小物がぎっしり並んでる。
どれもが、私のものより数段落ちるが、生活の香りがする空間が新鮮。ついつい目を凝らしてみとれていた。まるで別の世界に舞いこんだよう。
「紅茶好きだったな。お。こいつはコーヒー。船長の野郎ためこんでるな」
「コーヒー! コーヒーがあるの? 飲みたい」
紅茶はハーブ茶よりも好きだ。東方のどこから運ばれる嗜好品。王族から貴族に広がってるとかで、いまではスパイスよりも高価となった。とはいえ、西オスマンの港ならどこでも買える。お金をだせればだけど。
コーヒーは手に入りにくい。紅茶よりも古くから飲まれてるにもかかわらず、品自体が少ないのだ。じつはうちの商会でも扱ってるが、おじいさまが飲ませてくれない。「異教徒の物など、飲むと口が曲がる」そうだ。
|ポータブル火鉢<ブラジャー>でお湯を沸かすイオニアス。船上は火器禁物。煮炊きは調理場限定だ。自室で暖房・湯沸かしの火がつかえるのは船長の特権だ。
「出港んとき波止場がざわついていた。あれがアリのせいだったとはな」
「騒動になってたのね。暗いうちならバレないと思ったのに」
芳醇な香りが鼻をくすぐる。これがコーヒーの香り。
「ほれ」
洒落た茶器に注がれた琥珀色。その熱い飲み物を、ゆっくりと口に含んだ。
「ん……?」
紅茶とあんまり変わらない。というより紅茶そのもの。コーヒーてじつは紅茶の別名?
「紅茶だ」
「……」
「コーヒー道具がわけわかんねぇ。そのうち船長にきいておくわ」
「あーーーーそうーーーーー」
がっかり。こういう奴だった。いつだって期待を斜めに裏切る男。
「うめぇ」
たしかに美味しい紅茶だ。家で飲むのと遜色ない。コーヒーがよかった。
「アリ。いくつになった」
「14よ」
「あれから6年か。お転婆に磨きがかかったな。覚えてっか。俺と出会ったあの日を」
「運命の恋人みたいな意味深な言いかたしないの」
あの出会いにそういう要素は一粒もない。船に興味があると祖父にいったら、見繕って連れてきたのがこの男だ。
「あなたは、とても|不細工だった<・・・・・>」
「|不機嫌だった<・・・・・>といえよお嬢様。あんとき俺は出港直前だった。とつぜん会長に呼びだされ、何事かとおもええば、わがまま娘のお相手役だ。航海してりゃボロ儲けだったってのによ、不機嫌にもなろってもんだ」
「あなたいきなり、私を停泊船のマストに吊るしたわね。船を知るなら風になれっですって? しばらく高いところが怖くなって、階段さえ上がれくなったわよ」
「新入りは必ずマストに登らせる。落ちて死ぬ奴もいるがお前は有望だったな。ははは」
「ええ。おかげで鍛えられたわ。私は立派に育ちました」
港町に生まれ子供は海が好きだ。あらゆる人種と言葉で溢れるする波止場。いっぱい帆を広げたたくさんの船。沖合に停泊された謎船。昼夜かまわず荷揚げされる異国の積荷。子供はみんな見果てぬ空想を、競うように膨らませる。海の向こうに行ってみたい。冒険に乗り出したいと。
「港町のガキは例外なく海に憧れる。が、船乗りになるヤツは少数だ。俺が思うにゃ、オスガキのなかで、夢見がちか、変わり者か、運命にさらわれた男だけだな」
『パパ。無理して笑うくらい辛いのに、どうして海に出るの』
『どうして……アリアナは難しいことをいう。どうしてだろうな』
『わからないの?』
『そうだな。次に帰るまで考えておこう。約束だ』
「女だてらに密航してまで乗り込むたぁ。立派すぎて涙がでるぜアリアナ」
話ながら私は横目で、机の海図を睨んでいた。あの海図はエーゲ海。私たちの住むサロリオン商会のあるアイワルク。対岸のギリシャや、南にある大きなクレタ島まで。ほかにも多くの島々が描き込まれてる。点々と虫ピンが刺してあって、糸でそれを繋いでる。航路だ。
イオニアスは紅茶を飲み干して机によりかかり、体で海図を隠した。フフンと、分かりやすく嫌味に笑う。
「どこあたりにいるか。知りたいか」
その必要はない。欲しかった情報は手に入れた。私も笑って答える。
「ヒオス島の南。ドデカネサ諸島までは達してない。脅しは無意味よ」
ヒューっと、副長が口笛を鳴らす。正解のようだ。
この船の最高速度は11ノット。平均で8ノットで12時間走ったと計算した。やたらタッキングが多かったのは、島と半島を通過するため。アイワルクから遠い。
イオニアスは私を港で下ろすといったけど、できはしない。どんなに世の中が進歩しようと、女が一人で気楽に乗れる安全な航路など実現不可能。私が帰るには、サロリオン商会の船に直接乗るしかない。それは、本拠地のアイワルク。またはイスタンブール、レパンド、ベネチアに限られた。
立ち寄った港にたまたま商会の船がいれば、乗ることもできるけど、偶然に偶然が重ならないと、そんなことは起こらない。この船はレパンドに寄らない。
「さすがわ俺の弟子」
海図の読み方は難しい。読み書きもできないただの船員には無理だ。副長は若いころから、それができ、私も教えてもらった。ほんの数か月で海に出てしまったけど、それを足がかりに私は頑張った。いろんな人質問攻めにしてほとんど独学で身に着けたのだ。弟子と認めるつもりはない。
「おとうさまの娘ですから」
気なっていたのは、アテネで補給するかどうか。サロリオン本家があるアテネなら帰りの船で帰らせる可能性があった。このルートでそれはない。船団が、私ひとりのために寄港しないし、護衛船の単独航行もない。目的地ベネチアまで、降ろされることはない。
よかった。
「ふん…………密航の成功で喜んでるようだが。降りればよかったと後悔するぜ」
探るような目つきで私をみる。
「船上がどういう場所かわかってないようだな。お嬢様の遊び場とはちがうんだぜ」
ガッと頭をつかんできた。あのときのように、髪の毛をくしゃくしゃにする。
「いたったたたた!」
「あ。え? そこまでやってねぇが。痛かったか」
痛いのよ。たんこぶが。私は手を払ってにらみ返す。
「わかってるわ。航海が過酷だってことくらい」
「過酷は航海だけじゃねぇ。孤立した男の世界ってことだ」
「むさくるしい男所帯ってこと? 出入りの商人からさんざん聞かされてるわ」
「むさくるしい? とんでもねぇ」
とんでもない?
「教育のない、迷信深い、娯楽に飢えた、ついでに女に飢えたむさくるしい男どもの巣窟だ。紳士な俺とちがってな」
典型的な船乗りの生態。汚いだけかと思っていたが、女として危機は、想定してなかった。そういえば、娼館や宿屋のお姉さまたちが言っていた。陸に上がった船乗りはあっちに飢えてると。
商会に出入りする多国籍の商人たちは腹を読ませない。船乗りは真逆であけすけだ。よく言えば純粋純朴。悪く言えば、粗野で野蛮で理性がない。
「…………最悪ね」
そう答えたが。強がりだった。
げんなりする。たいした計画もなく、勢いにまかせて、船に乗った。乗ればなんとかなるつもりだったけど、不安になってきた。大丈夫か私。いきなりくじけそうだけど、もうもどれない。これは私が選んだ道。渡りきるしかない。
「それでも私は、覚悟をきめたの。お父様に会って答えを聞くのよ」
「やっぱりそれか」
父は約束した。次に会うまでって。だから絶対会える。
「社長は海に落ちた。俺もみてた。助かりっこねぇ」
「パパは死んでいない。生きてるわ!」
「そうかい? まぁいいさ。この船に客はいらねぇ。しっかり働いでもらうぜ。部屋はここを使えるよう船長にはなしとく。ベッドと便所以外は何にも触るな。今夜は寝ろ」
「お願いがあるのだけど」
「なんだ」
「剣を教えて」
「お転婆もいいかげんにしろ」
イオニアスは船長室から出ていった。
机に置かれたティーカップ。私は、自分が飲んだカップとを、桶の水で洗い雫を布巾でふき取ってチェストにならべた。ベッドは少し湿っていた。




