01-04 からだカラカラ ー 汝自身を知れ
「ネロ……うごくうごくぞ!!」
触れて【ネロ】と唱えることで、海水を動かすことができた。言葉の意味はわからないが、水に有効な呪文だった。ずぶぶっと、海面が凹っと持ちあがって、直径10センチの球体で、空中に安定して空中に上がった。
手の平を動かすと、コンマ2秒ほど遅れて着いてくる。離れてもいいようだ。触れてなくても動かせた。面白い。何センチまで放せるんだ。
5センチは余裕。20センチ、20センチ。なら50センチもいけるか。だめだった。
試した結果、30センチくらいが限界だ。それ以上になると、ただの水になってざばーっと落ちた。
水を操れた。俺は今日から魔法使いだ。
「喜んでる場合か。これだけではな。なんにも使えない」
10センチの海水球体が動かせたが、それがどうしたって話である。ステージショーでやれば、金がとれるそうだが。海上遭難ひとりマジックは、腹の足しにならない。
もしや攻撃できるのか。上空には鳥。俺を食うつもりであるなら、こっちが食っても文句はないよな。
「行け! 鳥をねらえ!」
キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー キー
指先を鳥に向けてみたが、球体は動かない。さらに数を増やした鳥に嘲笑された。群れだな。30羽はいる。そんなに俺を食いたいか。
「塩分などのミネラルやプランクトンが、ごちゃっと混じっているんだよな。海水は」
攻撃できないなら飲み水にならないか。欲しいのは水。飲める真水だ。球体の一部を1センチほどに分離し、口の中にいれた。舌で転がすが味がしない。グミのような弾力を示してる。噛んでみたら水に戻った。
「うむ…………塩辛い。ぺっ」
変わらず海水のまま。下手に水物を含んだせいか、強い乾きが襲ってくる。
水が飲みたい。
海水ならある。見渡す限り存在する。これも水に違いがない。飲んでみるか。体内に水分が十分あるなら、少量の海水なら問題ない。そういう実験をどこかで読んだような。いやだめだ。ためして、やっぱだめでしたって分けにはいかない。
動かすことはできたのだ。どうにかならないものか。内容物、不純物を分離分別できる方法はある。あるはずだ。
「【ネロ 分離】」
おおきなシャボン玉みたいに、ぽよんと揺れただけ。分離も、変質したようには見えない。なにも変わらない。呪文の言葉が違うのだろう。あきらめるな。トライ&エラーだ。バグを潰していけば、いつかみつかる。
「ネロ分解 ネロ遮断 ネロ別離 ネロ離れろ ネロゴー ネロソフト ネロねーろ……」
そもそも【ネロ】が何語ってことだ。少なくとも日本語の「水」ではない。いや、地球の言葉と考えるべきでない。たまたま、口からでたのが当てはまっただけのこと。そうならば、日本語以外の言語なら、また、たまたま、呪文に当てはまるかもしれない。
まずは英語。
「ネロリリース ネロセパレート ネロセパレーション ネロアイソレート ネロデタッチ ネロドライブ ネロディビド ネロセクター ネロアパート ネログルーピング ネロテクニクス……」
まずは英語っていったが、英語以外俺はろくに知らない。高卒はこれだから。だから子供たちには大学に行かせた。行きたくないって言っても通わせた。知識と学歴は武器だ。
「ネロバブル ネロシー ネロスイミング ネロプール ネロマリン ネロスプラッシュ ネロダム……」
ちがうな。分離を表す言葉じゃなければ意味がない。もっとも、やったどれも、全部外れたけど。用いる言葉は、分離、分離。別れだ。
「ネログッバイ ネロシ―ユー ネロアデユー ネロチャオ ネロアロハ ネロチュッス ネロオールボアール ネロ再見 ネロド・スヴィダニヤ ネロタンビエッ……」
まだまだ。まだまだ!
「ネロ、ネロ……ネロ秘孔 ネロあたた ネロひでぶ ネロスキル ネロ念 ネロじゃんけん ネロ雫 ネロスタンド ネロ亀波 ネロ ネロ ネロ ネロ ネロ ネロ ネロ ネロ ネロ ネロ ネロ なろう ねろ ね ろろろ……」
だるくなってきた。空腹の極みか。いや渇きのほうが深刻だな。
社員教育で呼んだ健康の講師が言っていたな。
体内の水分は、1%失ったときは喉の渇きを感じる程度だが、2%でめまいや吐き気、3%で疲労感。そして10%までいくと痙攣や意識障害が現れるんだっけ。
水は命だ。俺の命はあとどれくらい……。
~~~~
「う……うぅ、気持ち悪い」
目を覚ました。悪い夢をみていた。大海原を遭難していた。喉が渇いて水を求めてひたすら、イミフの呪文を唱えていた。平和な現代日本でそんな特殊なことが、起こりうるはずないのに。うーっと、伸びをする。のばした手が、冷たい水中にはいった。
目を開ければ、そこは海の上。空腹と喉の渇きはそのままに、海の上を漂ってる。呪文を唱えながら、気を失い、寝てしまってようだ。空には雲。見事な青を覆い隠してた曇り空。暗くなってもきてる。夜が近い。夜になればさらに死が近づくだろう。
風も強い。夢であればよかったのに。
「呪文、続きを、けっほ…… ね、ねお……」
声が出ない。口内の唾が水気が少ない。喉が渇きすぎて、しゃべりくいのだ。咳をするのがしんどい。少し眠ったせいかだるさは消えてる。だが喉は、呪文どころではない。
頼りの乗り板を波が洗っている。体は適度に濡れていて、心地いいくらいだ。遭難の俺を海は気ままに漂わせる。乾いているのに飲むことができない。飲みつくせない水があるというのに。それがとても忌まわしい。
水。風呂のお湯でもいい。こんなことになるなら、もっと飲んでおくのだった。
目閉じる。結局ここで死ぬのだろう。生き返ったのか。それととも助かったのか。どちらなのか、状況はわからないが、死ぬのだ。
結局死ぬ。だとすれば、この時間はいったいなんだったのだ。目を閉じてまどろむ。まどろみながら思い起こす。「報い」という文字を。
そうか。風呂の溺死は足りないのだな。俺が、人生でお前たちが与えた苦痛は、短時間にくたばる溺死や焼死では不足と言いたいのか。そうやって会社をでかくするため、他人を貶めたり、多少は人を騙したりしたが。地獄へ落ちるほど罪ではないではないのだ。
その代わり、用意されてるのが、この別世界というわけだ。生きる希望を与えるふりをして、実際あるのは死の将来。時間をかけてあがかせ、わずかな希望にすがらせ、命を終わらせる。なんという悠長な罰だ。じわじわ絶望へ追い込む方策として、こんな効果的な仕組みはない。
ははは。
~~~~
目を覚ました。またしても、寝ていたようだ。曇り空はあいかわらずだが、明るさを増してる。寝ているあいだに、夜を越えたようだな。限界をこえたのか、渇きを感じない。空腹もどこかへいってしまった。
だるさが消えてる。そこだけは完全回復だ。
体をおこすのもおっくうだ。寝そべった状態で、体を横に向ける。
海水め。こっちこい。
手の上に海水を呼んでみた。海面がせりあがる。5センチほどの球体がやってきた。
ははは。魔法か。俺の技術も棄てたもんだじゃないな。
もっとこい。
次のがやってくる。3個、4個、5個。手のひらの上、ぐるぐる宙を回ってかけっこしている。
はははは。
ネズミがじゃれあってるみたいだ。海水のくせに、楽しませてくれる。
ホント。こいつは立派にマジックだ。下手な大道芸よりも金がとれる。駆けずり回って頭を下げた。あの、経営の金策に走らなくてもいい。仕事がみつかってよかったな。マジックで。
ははは。マジック……
ん?
俺は、声を発してないぞ。【ねろ】など唱えてない。なのに、こいつら。なぜ、思うがままにうごいてるのだ。
ひとつにまとまれ。
体内のどこかに、なにか、熱いものがうごめく。意識してじっと見つめると、5つの球体が合体して、大きな一個になった。思った通りに。
ならば。
4つに別れろ。
やはり熱くなった。意識すると4つになった。意識。意識さえすれば、自由に制御できるのか。そんな。こんなにカンタンに? あの【ネロ】って呪文はなんだったんだ。ならば、ならば、成分を分けることも可能か。
成分ごと別れてみろ。
袋はないがゴミ分別だ。
熱いものが動いた。水球の中が変化がおこる。内部に、細かな物体が出現し、まとまっていく。見てるとそれは、外に飛び出した。10以上の結晶を作って浮いてる。
突然、雷がなった。パラパラと雨粒が落ちて、裸の体を濡らしていく。待望の雨が振ってきたのだ。
まったく。もっと早く降れよ。
雨を無視して俺は、浮いてる水球に顔を近づける。そこに、ざぶっと、顔をのめりこませた。乾いた舌に水分がしみ込む。まごうことなく、真水だった。喉が鳴った。ゆっくりと流し込んだ。
「……助かった。生きても、いいんだな」




