01-31 マルタ島の港 ー 「知恵は信者の失われた宝である」(アラビアのことわざ)
「起きろシロウ」
「んーーー?」
揺り起こされて目を覚ます。いつのまにか寝ていたらしい。
「……着いたのか。マルタ島に」
汚れた板の上でぐっすりと。暗さの点では昼もわからないから、ある意味寝るにはうってつけだが。こんな環境に慣れてきた自分が悲しくなる。
伸びをして体を起こした。
空腹には勝てずに、ビスケットもウジを取って食った。悲しい。
「とっくにな。主だった連中は上陸したぜ」
かすかに鳥の鳴き声が聞こえてる。揺れをあまり感じない。本当に停泊してるようだ。
「マルタ島の名物はなんだ。串焼きか」
「ボケたことぬかすな……ウサギ料理だトマトやハーブと一緒にじっくり煮込んだシチューが評判だ」
ウサギ料理か。親世代は野山で獲って食べたらしいけど。美味いのかな。
レッテーリオは唾をつけてドロボウ髭を整える。こいつ流ファッションだ。汚ならしい。騎士団から異教徒で反乱者と認定された、いわくつきの髭。
「外を見てみたいな」
拘束の身である。よけいな振る舞いはカストが承知しない。鞭で打たれる。何度も思うが。あれは見てるだけで痛い。
「聞いたがカストは陸だ。甲板上がれるぜ」
「いいな。行こう。太陽を拝まないとビタミンDが不足する」
「なんだそりゃ」
甲板にあがる。帆はすべて畳まれ錨は降ろされてる。船首は、鎖が繋がれ桟橋の太杭に縛りつけられてる。あれだけいた船乗りの数は半減してた。
船の外に目を移した。
「……すげぇ」
言葉を失う。
素晴らしい。
広い入江に、頑健な木造桟橋が張り巡らされ、大小の船が係留されていた。俺たちを襲ったタイプのガレー船だけで30隻は超えるだろう。帆船が湾内を往来する姿は一枚の絵だ。
そんな入江の左右は丘。段々に建ち並んだ、同色の石で造られた建物が、見下ろすように並んでる。
世界遺産の景色。勝手に動くPCのAIが壁紙にどうですかと薦めてきそうな、記念に撮りたい光景である。
ビバ、マルタ島。ビバ、地中海の孤島!
「バレッタ港だ。うろちょろするな小僧。身柄が決まるまで不用意な振る舞いをつつしめ……」
目の前に切っ先が迫ったので、反射的に体が動いた。関節技に体格は関係ない。腹を弾き、柄を握る手を捻って抑え込んだ。
「ぐぬ。貴様」
しまった。つい。抑えこんだ後に、剣の主が騎士とわかる。
「不用意に剣をつきつけたお前が悪い。ん? 身柄が決まるまで?」
どたどた集る騎士たちが、たちどころ囲み、俺に剣を抜突きつける。刺されればハリネズミで即死だが、俺は手を緩めない。
「腕が、お、折れ、る……そこの髭。どうにかしろ」
「はいはい。すまんね騎士殿。シロウ手ぇ放せ、こっちこい」
レッテーリオが間に入った。文句をつけてきたので、しぶしぶ騎士を解放してやると、髭は俺を舷側に引っ張った。こそこそ早口でまくし立てる。
「シロウおまえ! いちいち騒ぎを起こさんと気が収まらない思春期か!」
「決まるまでとは、どういう意味だ、髭。カストがなんとかするんじゃないのか」
「聞けよクソが。おいっ オルハン副長。説明してやれ」
呼ばれてイケメンが振り返った。
「オレ? たかがガキになんで」
「ガキじゃねぇ。イオニアスが寄越したアリアナ嬢の従士だ。頭も切れる。それなりに」
それなりでわるかったな。
「はー。ま。嬢ちゃんには傷を治してもらったし」
「頼んだ。理屈がわからねぇと勝手に動く質だからな。俺は騎士を探ってくる」
レッテーリオは騎士たちの側へ。暇してる船乗りに命じて酒樽を運ばせ、休憩してはどうだとにっこり笑う。騎士はしかたないなと、苦い顔をしてみせるが、渡されたデカンターは断らなかった。船上に宴会が始まった。
「あの騎士がいうように、俺たちは船ごと捕縛された」
声を落としたオルハンが、いかにも嫌そうに話しはじめた。背が高い中近東風の渋いイケメンだ。髭は、多くの船乗りが無精ひげなのに対し、キレイに剃り上げ1mmも生やしてない。オルハンという名前は、トルコ……オスマン系かな。
商会が拠点にしてるのはオスマンだったな。アリアナもその爺さんもギリシャ人。ギリシャ人が、オスマンで仕入れて、ベネチアで売りさばいてる。手広くやってるグローバル企業になるんだな。そりゃ、オスマン系がいても変ではない。異なる言葉と習慣に応対できるよう、いろんな人材が必要だ。
この船だけでなく船団にはいろんな人種が入り混じってた気がする。
俺の会社も後年は、各地の言葉がとびかっていた。トイレの壁には使い方をプリントした張り紙が張られた。最初、日本語と英語だけだったのが、中国語、韓国語、フランス語、ベトナム語の張り紙が追加。白い壁を埋めていた。
「おい。ぼけーとして、聞いてんのか」
聞いてない。悪いか。
「聞いてるよ。えーと捕縛されて、それから?」
「最初ねぇじゃねーか! 次やったらトプスルに吊るす。くそ。捕縛してだな……」
真面目だな。渋イケ長髭は本当に、はじめから説明してくれる。
パウロ騎士団はマルタ島を拠点とする狂信的な十字教の騎士団。異教徒ミカヅキ教の船を狙い、拿捕して改宗を迫る。改宗しないヤツは気紛れで解放することもあるが、たいていは奴隷行きという。
ここまでは、アリアナと髭のレッテーリオから説明されてる。歴史あるあるだ。
だが十字とか、ミカヅキとか言われてもピンとこないんだが。脳内で変換してみるか。うーむ。
十字教はキリスト教に、ミカヅキ教をイスラム教に置き換えた。
悪くない。胃の腑に落ちてしっくりくる。
「十字教でも金に目がくらんで、異教徒を手助けした者は同罪だ。けどな、そこあるのが|グリーザ ゾーニ<グレーゾーン>てやつだ」
「グレーゾーン?」
「オスマンから運ばれる東方の商品は、西は手に入らねぇ貴重なものだ」
金銀ルビーやサファイアなどの貴金属。シルクロードで運ばれる毛織物。コンスターチノーブル特産品のキリストや聖人を描いた絵画。
それに俺も知ってる香辛料。胡椒、ネツメグ、クローブ、シナモン、これらスパイスは料理の保存や風味づけに使われ、ヨーロッパの貴族にとって富の象徴だ。
オスマンは憎い。だが運ぶ商船がいないと、そこで儲けてる貴族が困る。貴族は十字教に多大な寄付をする。大手の檀家さんだ。オスマンの荷が止まれば不満が募り、不平が教会に届き、パウロ騎士団が教皇のお叱りを受ける。
言葉だけならまだしも、具体的な、寄付の減額や拒否といった圧力がかかると。さすがの教会も困る。教義と貴族の板挟みになった騎士団は、ある程度、黙認する形で船を見逃す。
それでも標的は必要だ。奪ってもお叱りを受けにくい標的が。
「ギリシャ商人か」
「そのとおり」
荷のほとんどを運ぶ船はベネチア商人が所有する。いっぽう、ギリシャ商人は、地域的利点から、オスマンが拠点だ。ギリシャの宗教は東正教(ギリシャ正教と脳内変換。十字教を国の風土に寄せてるが、重箱の隅はつつきやすい。船数はあっても、ベネチアと比べれば少ない。
「異教徒でもない船を狙うのは、教義として許されるのか」
「許されないから訴える。文句を言う奴のために、裁判所があるってことさ」
面白い。パウロ騎士団の裁判所は、異端審問のほか、間違って奪われた船の苦情を受ける。訴えが認められれば、荷や船はもどってくるらしい。裁判はけっこう厳密で、荷の件意外にも、判断つかない陳情が持ち込まれるとか。
眉唾の審判かと思ったのだが、そうでもなさそうだ。
「まあ、家族経営みたいな資金力のない個人は、ほとんど泣き寝入りになるが」
民事裁判にもいえるが、訴訟を起こすには、起こすだけのパワーがいる。知識、金、時間、人材、権力などだな。なので訴えてくる荷主は、奪った総数より遥かに少なくなる。裁判を厳密にやって荷を返しても、十分に御釣りがくる算段だ。マルタ島という海賊組織はウハウハだ。
「なるほど。いまは審議待ちってことなんだな。了解した」
「ふーー。やっと理解したなと言いたいが、少し違う」
「違う?」
まだあるのか。さすがに聞きたくなくなってきた。飽きた。
「カストは、ダニーロスの荷物を取り戻しに行ったが、このペトラ号は別……イヤそうな顔をするな」
「イヤそうではない。イヤなのだ」
訴訟は、前世で何度も経験してる。商標権、会社の土地家屋問題、無くなった社員の家族の保証、起用タレントが起こした不祥事の火消し。一個一個が長く、多大な費用がかかる。専属弁護士に任せていたが、裁判所に出頭することもあった。訴訟の二文字は腹いっぱいだ。
宗教と権益が絡んだ海賊行為品を取り戻す? 何年かかるんだ胡椒は有機物。腐るぞ。俺たちだって歳を取る。
「ちなみにオスマンのオレは元ミカヅキ教徒だ」
「へぇ。ぽんぽん改宗できるものなのか」
「西に来るにはそれが一番なのさ。オスマンで商売するのに十字教からミカヅキ教に改宗する奴もいるぜ。ミカヅキ教徒は商売に寛容だ。一部、狂信者はいるがな」
「懐が深いな」
解釈違いで小競り合いしてるか、異教徒にテロするイメージが強い。触らぬ神に祟りなし。宗教はなるべく関わりたくなかったが、遅いか。
「それはそれ、これはこれ。話を続けるぜ」
続くのか。
「嬉しそうだな副長さん」
さっきと態度が真逆になってるぞ。俺がイヤな顔するのが楽しいらしい。
吊り下げられるほうがマシな気がしてきた俺は、首だけ振って聞き流すことにしたが、肩を組まれ真横でしゃべられては耳も塞げない。
横道にそれる話をまとめるみる。
積み荷の半分を渡してペトラ号が解放してもらうことになる、らしい。
カストはその交渉もしてる、らしい。
操船はだめでもヤツはその方面の頭は意外と切れる、らしい。
”らしい”ばっかり。ひとつも確かなことがない。
「予想願望だらけだな。カストは当てにできるのか」
「半々ってとこだ。しくじらなきゃ」
俺たちの命運はカストにかかってる。あのカストか。よりにもよって。
「船を出して逃げる手はある。あるが、これじゃな」
酒をふるまわれた見張り騎士たちは、赤ら顔だ。ふらつく足で甲板を歩き回り、大声で唄う。桟橋を巡回する二人組の騎士が舌打ち。同僚の職務怠慢に憤る、いうより、自分らも飲みたいのだ。
船着き場の奥。港には人がたくさんの人が行き来してる。ここは漁港も兼ねてるようで、漁師と、魚を買い付ける商人とやり取りがにぎやかだ。
土地柄だろう騎士や神父も目立つ。島中がこの船を見張ってる気がする。意識過剰だろうか。
「操船できるだけの人数の味方を作るのがまず無理。ダニーロスは旗艦長で、カストは命に従って動いてるにすぎない。マルタ島は一時的な寄り道で、報酬も約束してるとなりゃ、反乱とまでは言い切れん。ついてる連中を寝返らせるのは至難だぜ」
なるほど。
この男が船長なら、反乱は不首尾だったんじゃないのか。髭よりも頭が切れる。
「味方の人数確保できたとしてよ。カスト側の封じめはどうする。牢屋は使えんし、殺すわけにもいかん。見張りをたてれば操船に足りない。八方ふさがりだ。万が一上首尾にいっても、時間がかかりすぎる」
課題は船内だけじゃない。
10人はいる武装の騎士は追い出せるのか。長でさえ俺に負ける腕しかない。酔っ払ってるから海に放り出すことができそうだが、港には、30以上ものガレー船がある。係留されてるが、帆や漕ぎ手のない船ばかりではない。少なくとも5隻は、出港可能にみえるし、港の内外には常に、なにかしら船のが航行してる。
「味方はいまのところ4、いや5人しかない。すべての難題を片づけられるのか」
「エヴデキ・パザル・チャルシュヤ・ウイマズ」
ふーっと、オルハンは肩をすくませた。
「は? なんだって」
「家でやった市場の計算は、バザールでは合わない」
机上の空論ってことかな。事前に、頭の中でどれほど完璧に計画を立てれたとしても、いざ現実の場に出て実行すると、そうはうまくいかない。
ははは。笑うしかない。
「ところでおまえ、本当に子どもか。経験を積んだ若造と話してるみたいだぜ」
「若造……と言っておこう」
ほんとは年寄り。姿は子ども。間をとって若造だ。
深刻に頭を抱える俺たちと反対に、甲板がうるさい。酔漢と化した騎士どもが騒がしくなっていた。
「この酒はまぁまぁ効くな、不味いが、酔える」
「だろ。まま、飲め飲め」
薦めてるのは髭だ。情報収集をしてたんじゃないのか。目的を忘れて、一緒に盛り上がってる。肩をま組んで歌ってるし。だめなヤツだ。
「貴族たちの葡萄酒を飲んでみたいな! スペインやイタリアの親からの贈り物だぜ」
「領地持ち貴族の次男三男たちだっけ」
へぇ。こんな島の騎士に貴族がいるのか。あぶれ者の集団と思ってた。ちなみに言葉は俺にもわかる|共通語<サビール語>。髭に合わせてる。多国籍が入り乱れる世界では、言語に堪能にならざるを得ないのか。
「羽振りいいな。南イタリアか」
「飲んだことあるんか」
「一度だけ、晩さん会のご相伴に預かった。ありゃあ一級品だった」
髭は調子を合わせてる。一級品か。船長職はいろんな機会があるんだな。
そういえば、アリアナが見当たらない。カストが騎士団長と引き合わせていたが。副長室にこもって休んでいるのかな。
「副長室をみてくる」
「アリアナ嬢に会おうってのか。残念だったな」
「残念? どうして」
「騎士団が連れてった」
「なんだって!」
「カストの計画には必要な人間だぜ。当たり前だろ」
テーブル代わりの樽。上には酒とつまみが散らばってる。どっちもロクな品物ではないが、酔うだけだから足りるようだ。
「おーあの娘な。めんこいよな。嫁に欲しい」
俺たちの話が耳に入ったのか。上機嫌の騎士たちは、それを話題にする。聞いていくうちに、俺は、体中の血液が凍る思いがした。
「嫁なら3人もいるだろうが、それに歳もかんがえろ」
「いや、2番目の息子の嫁に丁度いい」
「14になるんだったか。だがよしとけ」
「なんでだよ」
「あの娘は、魔女だそうだ」
「魔女か」
「船乗りが噂してたぜ。あやしげな術を使うそうだ。誰にもみつからず船に潜んだり、妙な草で怪我を治したって。明日には魔女裁判だな」
「悪魔に魂を売ったか。地獄に落ちるがいい」
「まったくだ。ほれ飲め」
西洋の黒歴史。魔女裁判……。アリアナがその対象とされてる。




