01-30 船倉で考える ー 老いたキツネは罠では捕まえられない
「すまないな」と船乗りが背中を押した。俺とレッテーリオは船倉への階段を下る。俺はどろぼう髭の背中を小突いた。
「残念だったな。船の主導権を取り戻したというのに」
マルタ島行きを企てたカストが反乱しペトラ号を乗っ取った。そこに俺が興した小火騒ぎ。総員を火消しに動員した結果、船がどこにいるか不明に。カストは方向音痴でメカ音痴。悪い職人気質の見本。六分儀の使い方も知らないどころか毛嫌いする。牢に押し込んだ元船長のレッテーリオに操船を丸投げし、自室に引きもった。
レッテーリオが返り咲き、目的のベネチアを目指したペトラ号だったが、運の悪いことに、マルタ島のパウロ騎士団に追われ捕まってしまう。
マルタ島へ連行されるとわかり、引きこもりのカストが再登場。敵の騎士を味方にして、ペトラ号の支配権をもぎとった。
そしていま。レッテーリオと一緒に、船倉へ逆戻りになった。
「かえっていい感じかもしれん」
「なにがいい感じだ。どうせ、なにも考えてないんだろう」
なんでこんなところにいるんだろうかね。たとえば、無人島に流れついてたら、魔法でスローライフが始まったろうに。楽しいかどうかはわからんが、こんな、常態的な危険に晒されることはなかったと思われる。
「船を取り返す方法は任せた。シロウに委任」
「ものは良いようだな」
「魔法を黙っておいてやる代わりだ」
俺はこの世界の異物。しかもバレたら即火あぶりの魔法スキルまで備えている。はるか未来の知識を持つチート存在……と言いたいところだが、どれもこれもあまり役に立っていない。火魔法など足を引っ張る始末でむしろマイナスだ。
ガレー船の誘導で船が向かってるマルタ島は教会の島。異教徒や異端を目の敵してる海の要塞らしい。
「異教徒と異端者はどう違うんだ」
「んなもん言葉のままだ」
異教徒と異端者は別物という。異教徒は別の宗教の信奉者。異端者は、同じ教徒でありながら道を誤った者。教会が認めてないあらゆることを信じる人間を指す。正統な教義・教理から外れた思想や信仰、またはそれに類する行為全般だ。独自の解釈もアウトとなる。
迷信や呪術の類はもちろんタブー。極端なところでは、悪魔崇拝やそれに基づいた魔女狩りは有名だ。迷信や呪術の実践がだめ。民間療法の薬草を使った治療も、教会が遺憾といえば、異端とされた。
なるほど。まったく興味が惹かれない。だからどうだって感じだ。
俺はどうだろ。八百万神と仏教に、緩くつかった標準的な日本人だ。異教徒は改宗の余地があるので手優しい。処罰の対象にならなそうだが。あ。魔法が使えるんだった。やはりりバレるとマズイ。
どうやって逃げるかだ。敵地の孤島から、バレずにそっと。
アリアナだけじゃない。味方となる乗員まで連れて船を奪って逃げるんだ。最初は俺一人だったのに、どんどん難易度が跳ね上がっている。確実に深みにはまっているな。
「どえらくムズイミッションなんだが? できるのか」
「かんたんなら苦労はねぇが逃げれなきゃ奴隷だ。死ぬまでガレー船のオール漕ぎだぜ」
「それは……御免こうむりたいな。あのさ。その髭だけはやめたほうがいいぞ」
一目で異教徒に疑われるファッションなんぞ、害でしかない。ファッションに寛容な世界の俺でさえ、昭和のコント以外でみたことない。
「それだけはできない」
なにが、お前にそこまで執着させてる。
甲板の下、酒を酌み交わす船医と料理長の、「お帰り。船長」「甲板は居心地がわるかったか」のひやかしを受け流し、陽の届かない下層へ降りる。ランプのか弱い炎。大工は樽の補修を、布係は帆の継合わせをしていた。
視力が衰えそうな仕事だな。
「きなすったな。牢屋がお好みかい」
「ほっとけ」
指定された場所でレッテーリオがごろんと横になった。そこはもはや牢屋にはみえない、ただの隙間だ。臭いはあるが、小火のあとは少しマシになってる。清掃したようだ。
臭さに紛れて忘れていたが、体が臭い。風呂どころかシャワーもない。トイレ(大)後なんて、言葉の意味のまま”手拭き”で、弾ける波に指を晒して汚れを流してる。いつ疫病が発生してもおかしくない。最低の環境だ。
服は、初めにもらった着の身着のまま。着替えはない。せめて洗ってさっぱりしたい。
「洗濯はどうしてる? 水は貴重はわかる。服は干してるようだが洗剤は?」
「船員はしょんべんかけてるな」
「しょんべん? しょんべん!? まさか小便か??」
「汚れがとれるぜ。それから網に入れて船尾に垂らし|海水<しお>で洗うのさ」
「……聞かなきゃよかった」
アリアナが黙った理由はこれか。女子が、しゃがんで、しゃーって。ブリューゲルの作品『子供の遊戯』に自分のおしっこを眺める少女があったっけ。聖水なんて言い逃れは洒落にもならん。言えないはずだわ。
俺は自分の水で洗おう。
「高価な船長服はさすがに真水だ。石鹸もつかうぜ。汚れを落としてごまかす。陸にあがったとき洗濯女に頼んでキレイにしてもらうのさ。べっぴんなら胡椒やって一晩……」
「わかった、もういい。黙れ」
なんか生々しい。エロ談義は好きだがオブラートに包んでくれないかね。レッテーリオくん。
「カストな。マルタにこだわる目的がなんだ。わかるか」
「そりゃわかる。裁判所行くっつーんだから、目的は明白よ」
「裁判か。落としを取り返したいとか、商敵を訴えるたいとか」
交番に届いた10円玉な。
「そんなところよ。それより船だ。取り戻せないか。長居はろくなことにならん」
「自分で考えるんじゃなかったのか。子供を当てにするなよ」
「子どもは大人を諫めたりしねぇ。むしろ頼られて喜ぶもんだ。飯食って考えろ」
俺たちを連行した船乗りは食い物を置いてった。髭はそれを横になったままかじる。その食い方、胃がもたれるぞ。
俺もビスケットを取る。そこには、小さい物体がうごめいていた。
「げっ!ウジ虫! こんなの食うのか」
「避ければ食える。お休み」
「まて髭。裁判所のことをもっと聞かせろ」
「あ? たっぷり聞かせてやったろ」
「そんな施設が孤島にある理由だ。何を審議するのか。正当性も気になる」
「ガキは知らんでいいことだ」
「めんどくさくなったら、ガキ扱いか」
「……ぐがー」
こいつは。
「おい」
ゆすっても起きない。狸寝入りでなく、一瞬で寝いってしまった。肝が太い。こうでないと荒くれの船長など勤まらないんだろう。
俺はどうだったか。大勢の社員たちはどんな目で俺を見ていたのかな。まあ、肝の座ったほうではなかったか。




