01-28 現在地は地中海だろ ー 狼は老いても毛が変わるだけ
「ふふ。冗談よ。話は聞こえていたわ。ようこそ副長室へ。海図はこれでいいわね」
アリアナは、水でもぶっかけそうな怒りを、ぱっとひっこめたが、こっちは震撼が収まらない。肝がひえたわ。孫のような年齢の少女に驚かされるとは。
いやな記憶は、こうした、ふとした拍子によみがえる。
娘が中学時代。用事で部屋にはいると、彼氏とキスの最中だった。娘の目は殺意に満ちていた。あれ。悪いのは俺だろうか。鍵をかけなかった娘か。それとも不届きな彼氏か。
元から少なかった会話は、これ以来、完全に途絶えた。
あれにはパニクった。
「肝が冷えたぜお嬢。レディのマズイ現場に遭遇したかと思った」
思ってることを船長が言った。
「六分儀と羅針盤も揃ってるわ、……どうかした?」
「……いや」
「おお 六分儀! 蓄えをはたいて、やっと買った相棒!」
「万一壊れてても私のせいじゃないからね。床に転がっていたわ」
「床に!? カストめぇぇぇ!!!! よこせ!」
レッテーリオはアリアナの手から、両手に収まる三角状のごてごてしたの機械を奪い取る。かなり重要アイテムのようだ。
「指標鏡のアーム正常。水平鏡も破損ナシ。遮光グラスも無事、対物レンズと接眼レンズは……よし」
ぶつぶつ言いながら壊れてないか点検する髭。何を言ってるかわからない。
「アリアナ。六分儀は何をする機械なんだ?」
「緯度と経度を読む機械よ。二点間の角度。つまり星や太陽と水平線の角度を読んで、現在地を割りだすの。それだけでは足りないけどもね」
ほう。GPSの中世版ってところだな。アンティークショップで、ミニチュアが1200円で売ってことは言わないほうがいいな。
「あああ!」
「どうしたの?」
「フレームが! 傷ついてる!」
「どこ? 見せて」
「ここだ、20度から24度の目盛り。触るなよ」
「読める読める。問題ないわ。青銅製のフレームは傷つきやすいの。壊れにくくて精度を望むなら真鍮か象牙にしなさいよ船長」
「買えるわけない。航海2回分の儲けをつぎ込み、親から資金提供してもらい、それでも足りず、女房を質草にして、やっとこれを入手したんだ!」
相当に貴重なものらしく、価値は計りかねる。が、人としてあるまじき入手法である。
「……最低」
「なんとでもいえ女房は取り返した。それより現在地だ。カストの見立てを信じれば、このあたりシチリア島の東だ。西進すれば、シチリア島に行きつく着くわけだが、シチリアとマルタの間をすり抜けちまう可能性も同じだけある」
海図には航路とおもわれるたくさんの線が描きこまれてごちゃごちゃだ。地形と位置が、俺の知ってる地図とかけ離れてて、見てもよくわからない。
頭の中で位置を整理。ここがシチリアか。ナポレオンが生まれたり、マフィア発祥で有名な島だな。その北にある長い半島がイタリア。
カストが目指したのはマルタ島。シチリアの南に、ぽっつりある点がそれか。ほんと小さいな。
「不味いのか?」
「おおいにまずい」
レッテーリオの口が歪む。アリアナが別の海図を取り出した。
「海図をみて。真っ白でしょ」
シチリアを含んだ西側の海図だ。さっきより西。左側といえばわかりやすい。シチリアとイタリア、それと長細い島に囲まれた海域がぽっかりある。南からでっぱってるのはアフリカで、地図や旅行番組でしか知らない大陸がそこにある。
こんなとこまで来るなんてな。世界に感心がない俺だが、感動が禁じ得ない。転生だかなんだかしらんが、感謝感激だ。
「なに? どうしたのシロウ。涙ぐんだりして」
「……涙もろい年頃なんだ」
「シロウ。あなたは一人じゃないわ」
なんかアリアナが抱きしめてきた。
船長は、海図に頭を埋めるようにして呻ってる。
「来たことねぇ。航路がわからん」
どういうことだ。海図はある。ざっくり位置もわかってる。航路なんかわからんでも、上陸すればいいという話だろう。
「おめえ。なんも知らねぇんだな。なんのために連れてきたかわかんねぇだろ」
レッテーリオにため息をつかれた。よぽど不思議そうな表情をしていたようだ。
「何のためと言われてもな」
勝手に俺を当てにしたのは髭だ。
「他の地図と見比べろ。いいか。線が描いてるな? こいつが海路。海の道だ。どこどこの岬から、どの方向目指して何ノットで何日進めば陸。そういう線だ。ほかにも細かなことが記してある。わかるな」
「点や、注意書きがあるな」
定置網かな。漁師じゃあるまいし航路にそれはないな。この時代に定置網漁があるかわからん。
「乗り上げたら危険な岩礁とか浅瀬とかだ。陸に近づくほど重要になってくる」
「そうなのか。ゆっくり進めば安全だろ」
「目的が上陸ならそうしてる。小舟を下ろして水深を測るの」
なるほど。船を沖合に留めて、じわじわ近づいていくのか。しかし、いまは、何も見えない。沖合どころか、方角も不明だ。いや方角はわかるのか。
それなら、べつに、岩礁がわからなくっても困らないというよりも、当たったら不運というレベルだ。大海のど真ん中で見えない岩場と衝突して沈没。それは怖いけど、いろいろ混乱してないか。
「目的とやるべきことが混同してないか? カストがああなってもマルタ島に行くのか、当初の目的地はベネチアと聞いていたが」
「あ? ああーそういえば」
「……そうだったわね」
やっぱり。こいつらときたら。
「ベネチアなら北進一択。そのうち陸が見えてくる。進路は決まった! お前を呼んだ甲斐があったな。わははっ」
「いてって」
ガシガシ頭をなでられた。
地中海は広い。広いけど内海だし東西南北の大陸に囲まれてる。太平洋と比べれば池だ。食料もあるし船乗りはみんな元気。同じところをぐるぐるしないで、どこかにまっすぐ進めば必ずどこかの陸が見えてくる。
レッテーリオが「立て直すぞ!」と高笑いで部屋をでていった。慌ただしさが全船へ拡散していく。
足音と軋みをのぞけば、副長室は静かになった。アリアナがベッドに腰かけ、ふーっと息をついたほほ笑んだ。ひとまとめにしたロングヘア。ため息の少女はそこにいるだけで、絵になるな。
「船長ってみんな贅沢なのね」
「なんの話だ」
ベッドと海図机のぞけば壁の|チェスト<小ダンス>があるだけの狭い部屋。彼女は立つとチェストに寄った。
「コーヒーよ。船の副長は高価な嗜好品たしなむゆとりがあるみたい。シロウ淹れてよ」
「そこは、私が淹れる っていうとこだろ」
「見よう見まねでいいなら淹れてもいいわ。味を保証しないでいいなら」
彼女のコーヒー初体験は、俺がガラクタ号で淹れたやつだけだ。任せても、ロクなものにならない。
「淹れるから手伝えよ。どれどれ。お、なかなかアンティーク趣向だな」
リアル中世なんだからアンティークが当たり前だけど。この|手挽き機<コーヒーミル>の装飾はガタクタ号より凝ってる。豆を挽いて粉にする。
アリアナが、俺が魔法で出した水を沸かす。チェストからふたつカップをだして布をかぶせ準備OK。
挽いたコーヒーを布に置く。ゆっくり湯をかける。蒸れるのを待って、お湯を注いでいく。チェストを漁ると砂糖の容器があった。
「砂糖を発見したが、いらないよな」
「いるわよ入れて。苦いのを好むキミの舌こそ信じられない」
「何杯だ」
「たくさん!」
訊いてはみたものの、どうやって入れよう。匙は木製と銀製の2種類で、どっちもスープ用で大きい。ちょうどよい小匙はない。がばっと、砂糖をツッコんだ。コーヒーショップの小匙なら10杯分ほど入ってしまった。やばっ。
「ふぅ。甘みと苦味。この調和がいいのね」
いいのかよ。絶対、砂糖の甘さに打ち消されて、味わいなんぞ、ふっとんでるぞ。まぁ満足そうだからいいけど。
「そ、そうだろ?」
俺も飲む。悪くないといいたいが、前の船で飲んだのと同じく、酸化が進んで酸っぱい。長期の旅でも味の変わらないコーヒー豆はないのだろうか。炒るタイミングが早すぎかもしれないが、違うかも。プロじゃないのでわからない。
「アリアナ。マルタ島に行くなら、まだ間に合うぞ」
「パパには会いたいけれど、あの情報はきっとガセ。商会長の孫の私を連れて行って、何かに利用するつもりだったのよ」
それは、レッテーリオも言ってたかな。マルタ島には、金になる何かがあるようだ。
ま、行かないのなら、考えてもしょうがない。
「おっと」
船が激しく転進した。床が斜めに傾き、立っていられなくなる。
コーヒーをこぼしそうになったがなんとかこらえた。しかし、アリアナのほうは、手からコーヒーカップが離れ、ゆっくりと宙に舞う。
俺は避けたが、彼女本体もバランスを崩してこっちへ倒れてきた。
「きゃっ!」
支えたが無理だった。床は水平じゃなく。俺は小さい。もつれあうというより、膝蹴りを喰らう形で、ベッドへ突き飛ばされた。
「ふぎゃ」
胸を縁に強打した。変な声がでる。コーヒーカップが降ってきた。頭から熱いコーヒーをかぶった。
「あちちっ! 水、水っ!」
魔法で水を出して、自分にかける。たちまち熱さがひいていく。ふー。やばかった。火傷は免れたようだ。
こっちにきて以来、細かな不運が連続してる。気のせいだろうか。
「なんだかなー」
またしても水浸し。やっと服が乾いたというのに。
「だ、大丈夫シロウ!? どこか痛いところは!?」
「ああ。怪我もなにもない。びしょ濡れだけど。ははは」
「そうね。せっかくコーヒーもぐちゃぐちゃ。ふふ」
二人でベッドに背を預けながら、なんとなく笑いあった。急旋回による傾きが、やっと止まった。
「シロウ……」
顔が近いし紅い。なんか変な空気になる。
「総員甲板にあがれ。休息中も起こせ。海賊だ」




