01-24 船火事と消火 ー 常に最善を尽くす
「船倉で火事だっーーー」
非常事態を叫ぶ男が、目の前を走って、甲板の階段を昇っていく。
男たちがわらわら出てきて、駆けだす。寝ている者があわててとび起きた。
火事は怖い。燃え広がる炎によって、いくつもの町が壊滅してる。建物が石やレンガでできてるギリシャも、例外ではない。
それはわかるけど、酷いありさまだ。絵にかいたような騒動が伝染していく。蜂の巣をつつくとはこのことだろう。
「ずいぶん慌ててるわね。屈強な船乗りたちのくせに」
「お嬢はわからんだろうが、船はことのほか火に弱い。船の材料は布と木で、腐食を防ぐタールがたっぷり塗ってるときた。油にまみれた木材なんて、恰好の餌食。逃げることもできねえ。火あぶりの牢獄だ」
むち打ちにも動じなかった副長がうろたえる。
「牢獄……船倉からっていったわね」
シロウは牢だ。牢は船倉だと聞いてる。燃える火のそば。無事でいてほしい。
恐怖が感染する。足がすくみそうだ。頭をふって怖気をふるった。
「み、水よーーー誰でもいいから、水! どんどん、持ってきて!」
私の声で、パニックを起こしかけた船員たちが我にかえる。
「そうだ! 水だ!」
そこからの行動は迅速だった。
「そこの樽は水か」
副長は、診療室に奥にある5つの樽を指さす。聞かれた薮船医は、椅子から跳ね起き、大きく首をふった。
「水じゃねぇぞ。ワイン3本とグロッグ2本だ」
グロッグは、水割りラム酒のこと。ただの水は腐食が速いから、3割程度の酒を足すことで長持ちさせる。酒と水。どっちがメインかわからない飲み物だ。
「グロッグでも火は消える。いただくぜ」
「やめろ、俺の酒」
「非常事態だ。カストに弁償してもらえ」
「あのどケチが弁償するかよ」
副長は嘆き叫ぶ薮医者を、微笑みながらどかした。一人だけ酒を飲んだ恨みだね。
「お前ら、転がしてもっていくぞ」
「喜んで! せーのっ」
船乗り二人とグロッグ樽を引き出す。狭い通路を蹴り転がしていった。
階下から薄い煙がたちあがり、臭いが強くなってる。
「入り口から降ろすぞ。クレーンが使えればな」
「準備に時間がかかる、悠長なことやってられないって」
船倉は深い。荷の上げ下ろしは、甲板の開口部をあけてクレーンで吊る。そんな時間も人もない。
「だな……落とすか。もっと……力いれろ」
「傷がうずいて力が……段差あるし……ぐ、っぐ」
「うん、うん、せーのっと、おっ、おわわ」
段差でなかなか落ちていかない樽を、勢いつけて押したが、勢い余って落下すると、足をひっかけた3人も、仲良く階下へ落ちていった。直後、樽の割れる音がした。
「あぎゃー」
「だ、大丈夫?」
ドジだ。けども笑える状況じゃない。
「あーいてぇ」
「大丈夫だあ」
「どこも折れてねぇ。びしょびしょだけど」
よかった。無事のようだ。
樽に奮闘してる間に、階段や通路に、船乗りたちは列を成していたのだ。こんなにいたのかという人数。カストの怒鳴り声が遠くに聞こえる。
「索はほっとけ。並べっ、運べっ、俺の船を守れ」
甲板から、必死のかけ声が。カスト船長だ。
「い、いくぜ、水だ」
間髪おかずバケツが降りてきた。中身は海水。タプタプだ。私も列にはいった。
「行くぞ!」
「よこせ!」
渡された水バケツを、次の人が受け取る。手から手へ、次々に渡され、下へ繋がれていく。バケツリレーだ。
「ほいっ」
「おうさっ」
「はいっ」
バケツの渡しかたが乱暴。誰もが、べちゃべちゃに濡れてる。悪態をつく人はいない。みんな火を消すのに必死で、それどころじゃない。
時間との闘い。直ちに消さなければいけない。広大な海にとって船はちっぽけ。いくらでも、海水があるっていうのに、海は味方してくれない。
いつまで続くのだろう。何分? 何時間?
早く消えて。
「……シロウ! このままお別れ? そんなの嫌だ」
感情に支配されかけたそのとき、口伝えが、上がってきた。
「なんだって? 聞こえない」
「……水はいらんと、言ってる」
「えっさ。いいってさ?」
「ほいさ。いいのか……水はいいらしい」
「おいしょっ。もういいって?」
伝言がかけぬけていく。
どういうこと? 火が消えたの?
本当かな。本当であってほしい。
「ほら、水だ、受け取れ」
「ほいっ……始まったばかりだぜ」
でも水は、じゃんじゃん送られてくる。リレーは、すぐには止まらないらしい。後ろからきたバケツを前へ渡し、振り返っては、受け取る。
「なんだ? おいしょっ。つまり、おいしょっ 水をかけても無駄ってこと?」
そういうこと?
水がいらなくなった理由……。
絶望的だ。
「こらしょっ……もう、逃げるしか、ない?」
「うんしょ。海にか……」
「ほいさ。そりゃそうだろ」
逃げるならボートしかない。でもボートは、甲板に固定してある1艘だけ。数人しか乗れない小さなボートだ。
「死にたくねぇ……」
「に、逃げろ!」
船乗りたちは水バケツを放り出した。
パニックになった。
目標は外。階段の開口部だ。男たちが押し寄せた。皆、上がるのに必死だ。
つぶされる!
身の危険を感じた私は、診療所の隅にうずくまる。
シロウのところにいくか、それとも逃げるか、決断しないといけない。
そっと、様子をうかがう。
開口部は、ぎゅうぎゅうに詰まって、身動きができなくない。まるで瓶の栓だ。
「行け、行けよ」
「動けねぇ」
「お、押すな……」
「く、くるしい」
ひっくり返ったバケツの海水で、あたりは水びたし。何人かが滑って転んだ。起き上ろうともがくけど、踏まれて、起き上れない。
下は火事。床は洪水。逃げ道はなくなった。
このまま閉じ込められて、船と運命をともにするのかな。
そのとき、別の、怒鳴り声があがってきた。
「消えた、消えたんだ。何度も言わすな! 火は消えた!」
副長だ。火が消えたと言ってる。聞き違いでなければ。
「火が消えた?」
「ホントかよ」
「おーい! 水、流すな。荷がだめになる! 借金で首つりたいか!?」
水が下層へと流れ込んで、階下の荷を濡らしまくってるらしい。
「ほんとみてーだな。荷がやべぇってさ。副長はウソつかん」
「元副長な。言っとかんと現船長がうるせぇ」
船内に安堵が広がる。パニックが鎮まっていく。床でむせてる船乗りが助け起こされた。開口部は緩くなり、詰まった栓がなくなった。彼の信頼は厚い。さすが、むち打ちに耐えただけのことはある。
「おーい。お嬢はいるか」
その副長が呼んでる。私は、診療所から顔を出す。
「ここにいるわ。どうしたの?」
「こっちに来い。ガキが死にそうだ」
「シロウが?! 通して……」
なにが起こったの。
私は、男たちを押し分けて、階下へ急いだ。
タイトルに着けてるフレーバーテキストは、ギリシャ、ローマ、イタリアの格言です。




