01-22 ペトラ(岩)号のお嬢 ー レイヴンズ(カラス)へ行け!
「休めたかお嬢? 出ていいですぜ。外の空気を吸いたいだろう」
私は副船長室から解放された。急いで甲板に出て見えたのは、小さくなっていくクレタ島。船団はまだ港なのか、追ってくる船影はない。期待は無駄とわかってる。なにせ、拘束を命じたのは旗艦長だ。船団の目的地はベネチア。助けに来たりはしない。
「クレタ島はエーゲのケツだ。お嬢さまらしく、感傷的なサヨナラするか。がはは」
カストが下品に笑う。私が絶望するのを楽しもうとしてる。憎たらしい。思い通りになんか、なってやらない。
「しばらく来れないものね。名物料理を食べておけばよかった」
笑顔でいうと、意外そうに眉毛をあげた。ざまみろ。当てが外れてがっかりしてる。
「腹が減ったってのか。肝の太いお嬢さんだ。昼飯までがまんしな」
こんなに胸が苦しいのに。食事が喉を通るわけない。
「ええと。行先はどこだったかしら。アレクサンドリア?」
「白々しいな。マルタ島だ。父親がいるといいな」
「お父様に会ったらお願いするの。あなたとダニーロスを縛り首にしてって」
「おお怖えぇ。ま、仲良くやりましょうや。頼みてぇことがあるしよ」
「頼み事ね。それがなんであっても、私がきくとおもう?」
「きくさ。商売についてのことだからな」
商売の言葉に気持ちが動いた。船の積み荷は貴重な絹や香辛料。引き換えに得られるのは、金、ベネチアガラス、錫など。それをコンスタンティノープルで売って……体に流れるお爺様の血が計算してる。首をふって振り払った。
「興味がないわ。船は自由に歩いていいのよね」
シロウに会いたい。相談したい。マルタ島は確定してる。そこからどうやって逃げるのか。
「もちろんですぜ。あの小僧に会う以外はな。腹が膨らんだら大事だ」
「このゲス」
「がっはっは。索が緩んでるぞ、おい」
カストが索の担当を怒鳴りつけた。風は9時方向から。帆はみごとな3角をなしていた。すこし傾いた船は順調に間切って進んでる。
「緩んでるようにみえないけど」
「緩んでるぜ。そこの3人にむち打ち。10回だ」
素人にはわからない程度に緩んでいたのかな。でも、そんな程度でむち打ちを命じるなんて。正気を疑う。
こんなときアルゴー号ならどうだろう。あの船長なら注意か小言で終わる。仲間たちから小バカにした笑いがおこるが、すぐ忘れる。この船で笑う船員はいない。カスト以外には。
「俺に酒だ! レッテーリオの荷を飲みほしてやるぜ、がっはっは」
そこらの小男に命じて、小樽を持ってこさせる。なみなみ注がれたワインをひったくったカストは、一息に飲み干した。
「ぷっはー。好きに寝て、好きに飲む。船長はこうでなきゃな。そうだろ」
「そうっすね。へへ。あのーカストさんおいらたちの報酬は、どんだけっすかね」
「荷をベネチアで捌いてからだ。心配いらん。1年は遊んで暮らせるぜ」
「そっすか、そっすね。楽しみに待っときます。へへ」
小男は何度もうなづいて甲板に潜っていった。口は笑ってる。目は笑ってない。
男たちが中央マストに縛りつけられた。あんなことで本当にむち打ちとは。正気なのか。命じられた刑が開始された。
「マルタはまだ先だ。ピリピリしてちゃもたねえぜお嬢、酒につきあえ」
「飲まない。私はお水が好きなの」
「下戸かよ。つまんねぇ女だな」
ビシ……ビシ……ビシ……
「おー悲鳴あげねぇか。レッテーリオの副長さまは強いねぇ。船乗りはこうありてぇな」
ビシ……ビシ……ビシ……
刑をうける船乗りたちは唇をかみしめ痛みに耐えている。打つほうも受けるほうも、そこには、声がなかった。
「仲間なんでしょ。もうやめたら」
「見せしめよ」
「みせしめ?」
「俺が規律だってのを教えてんのさ陸もんにはわからんだろうが、船には厳格な規律があるんでさ。こいつら艦長として乗り込んだ俺に従わなかった。あと10回、追加だ」
打たれて血を吐いてる船乗りは見たことがある。商会に仕入れできていた。甘いお菓子をもらったこともある。真面目で陽気な男だ。
「でも、怪我して船員が減ったら元も子もなくなるわよ」
「減ったときは増やせばいい。マルタでもどこでも、船乗りになりたがる博打うちなど、吐いて捨てるほどいるぜ。それとも、お嬢が代わるか?」
男と目が合う。「こんなの屁でもねぇ」とばかりに口角を上げった。
私は口をつぐんだ。
「お? どこにいくんだ」
「部屋よ。ほかにどこがあるの」
「そりゃあな。飯のときは声をかける。鍵はかけとけ悪い連中がいるからよ。がはは」
カストは、わざとらしく舌なめずり。
気分がわるい。なにもできない自分に、腹が立った。
私は、踵をかえす。与えられた部屋に逃げ込んだ。
海は快晴。悔しいほどの海路日和だ。地中海の風は気紛れだけど、いまはおあつらえ向きの迎え風。船団には、三角縦帆のペトラ号に間切って追いつける船がない。
クレタ島とマルタ島の距離はおよそ800キロ。船が8ノットで走ったとして、数日で到着する。
「シロウは可笑しな技を使っていたわね。島についたら会えるわよね。そのときに教えてもらおう」
私は船が好き。窮屈な陸から離れた今はまるで夢のようだ。マストで大はしゃぎしたい。こんな、うっぷんのたまる船でなければ、そうしていた。
「マルタ島。ほんとうにパパがいるなら……」
お爺様は言っていた。
マルタ島は、パウロ騎士団が根城とする島と。十字教の信者で、騎士団をかたってるけど、教会や教皇の公認を得てるかはとても怪しい。
問題は騎士団が、異教徒大嫌いで、偏狭だってこと。十字教だと、海賊から守ることがあるけど、ミカヅキ教の船とみれば、人でなしの海賊に変貌する。
襲いかかって船は没収。積み荷は強奪。船乗りも客も皆殺しだ。船が本当にミカヅキ教かなんて調べもしない。公認がどうであれ、海の軍隊は本物で屈強という。
船の所属がどっちつかずで、判断に迷った場合どうするのか。風聞によれば、あいまいになるという。見逃したり襲ったり。そのときの気分や島の懐事情で、船長判断で変わるという。
私たち、ギリシャ人の船は、そのどっちつかずになるらしい。
なぜなら、ギリシャ人の立場は複雑だから。
ギリシャ人は東正教を信じる。東正教は、十字教から別れた宗派。ギリシャ風土を取り入れた十字教なので、十字教と同じ神を信じている。お爺様たち上の世代は熱心な信者が多い。
それだけならいいけど、ギリシャやエーゲ海の周辺が、オスマン帝国の支配下にあることが、事態を複雑にしてる。ミカヅキ教のオスマン帝国の中に、私たち東正教がいるのだ。
なんで、それが可能かというと、ミカヅキ教が商人が起こした宗教ってことが起因してる。たとえ他宗教であっても、もめごとを起こさず、税を納めさえすれば、あまり気にしない風習なのだ。そんな風だから、ほかの宗教の人たちが、わりと自由に暮らしてるし出入りしてる。交易に都合がいいので、ミカヅキ教改宗する仲間もいるくらいだ。
それが気に入らないのだろう。パウロ騎士団は、ギリシャの交易船を狙うことがある。異教徒にあたらないのに、異教徒の荷と難癖をつけて、殺し、奪い去るんだ。
まるで海賊そのもの。いや賄賂が通じない分、海賊よりも厄介だ。
マルタ島はそんな島。わざわざ上陸するなんて、信じられない。まともなギリシャ商人なら、寄りさえしない。
でも万が一。
パパがマルタにいる情報が本当だとして。パパが働かされるなら船だ。商人としても船乗りとしても経験豊富だった。たとえつかまって、奴隷にされていても、陸で働かされる姿は想像できない。
カストだってわかってる。なのに、わざわざ行くなんて。
理由はなに? 私のためなんて、たわごとは信じない。
狭い部屋の狭いベッドに横たわる。
ステンドグラスから差し込む日が眩しかった。




