01-17 水ポンプ ー 後の日は前の日の弟子である
ルーベンは俺たちにハンドルを押しつけた。俺が根を上げて泣きだすにちがいないと決めつけてる態度である。ルーベンも新米時代は、やらされたのだろう。この水汲みハンドルは、新人いびりの定番ツールだ。
『ルーベン!』
甲板から声がした。副長の呼び出しだ。
『エルホメ・トォラ! ―― カネ・ト!』
彼は声を張り上げて答えてから、俺たちにやっておけと念を押す。上機嫌で階段をあがっていった。
『シャクニ触ルヤツ 発明 アイツ チガウノニ』
『ヤロウゼ』
仕組みそのものは単純だ。長いスクリュー管の中の水をくみあげる。汲み漏れが多かったり、高さがあるほど、あがってくる水量は減る。
簡単な仕組みだが、ハンドルは鉄製。管の内部に相当な摩擦がかかるから廻すのに力がいる。ベアリングは発明されてない。とにかく重い。
バケツリレーよりはマシとはいえ、顔の高さのハンドルをぐるぐるやるのは相当きつい。底一杯の腐り水を空にするなんて、無理な話しだ。
田舎のがちゃぽんポンプは愉快にみえるが、湯舟を一杯にするのは気が遠くなる。
この、回転力に依存するスクリューポンプのしんどさはそれ以上と推測できるし、ルーベンの態度からもわかる。
古来、水汲みは重労働なのだ。なんでも電気で片付いた現代が懐かしい。
『バ、バリース』
アリアナが、歯が折れそうなくらい食いしばってハンドルを回す。数回回したが、水はぽとりとも出ない。それなりの速度で回さないと水は上がらない。ルーベンが軽そうに回していたな。船乗りとして筋肉が鍛えあげられていたのだ。
ハンドルの高さは目のあたり。ちびの俺に力がはいらない位置だ。
なにか載れるものは……木箱を見つけた。運んできて、よっこらせと上がった。ベストな高さになった。アリアナをハンドルを交代。一ミリも回らない。ルーベンが憎らしい。新人教育マニュアルの改定を要求する。
『タ アクソ イロニエス……嫌味 イワレル』
「そうだな」
たかが子どものいやがらせ。嫌味だって可愛いものだ。俺は聞き流してもいいのだが、アリアナはカンに触るご様子だ。
俺は水を操れる。この能力でなにがやれるか、いろいろ試してみたい。
周りをみた。コックは料理造りで忙しそうだ。ハンモックからはイビキの合唱。
さっき鐘が3回聞こえた。音は鳴るたびに増えてる。時を告げてる。腕時計で計ったが30分間隔。おそらく交代の合図にもなってて、何回目かでハンモック連中が起床する。少なくともあと30分は時がある。
「誰もみてないが。アリアナ見張っててくれ」
俺は排水溝から海水を呼び込むと、弾力と粘着を与えて、ハンドルに絡ませた。水のカバー。トラックのハンドルカバーみたいになった。カーショップに陳列したらひとつくらい売れるかも。
『マギア……!』
アリアナが察して俺を隠すように立った。
水に「回れ」と命じる。
最初はまったく動かなかったが、気合を込めると、ゆっくりと廻りだした。赤い水がちょろちょろ出てくる。回転があげると水量が増えた。勢いよく流れていった。
『スゴイ シロウ』
「おお! さすがは俺」
ほめられてうれしい。自画自賛もする。ガンガン回すぞ。
気合というが、それはおそらく魔力にあたる。エネルギーの行使には、なんからの資源消費が必須だ。RPGでいうところのMPだ。
漂流で魔法を使ったときは何度かだるくなって寝てしまった。あれはきっと魔力の枯渇だ。いまはあれより多くを消費してる自覚があるが、眠くない。だるさにも襲われない。
魔力量が増えたのか、少ない魔力で行使できるよう最適化されたか。
片方、もしくは両方かもしれない。指標がないのでわからないが。
「使えば使うほど総量が増える。預貯金もそうあってほしかった」
金あれば。父親が会社を傾けることはなかった。
俺は社長なんて面倒事を引き継ぐことなく、大学に進学して、楽しく就職できたろうに。
まあ振り返ってもしょうがない。とっくに人生は終わってるのだ。
目の前に人生を、いかに楽しく歩いていくか考えるとしよう。
「まあ前途多難なんだが」
中世の海で遭難。救助されて帆船商船の下っ端だ。
江戸時代の丁稚奉公でも、ここまで過酷じゃないだろうよ。
『出ナク ナッタワ』
うん? 赤水の出が悪くなった。
ポンプが壊れたのか。ハンドル回しをやめて暗い船倉へ降りる。樽底には泥だけが残ってる。さらりとした液体はすべてかきだしたようだ。すくえる水はない。時間がたてばまた溜まるだろうが。
「これ。終了でいいんだよな。ええと。おーい?」
木造加工のオヤジに声をかける。
仕事を邪魔されていやな顔をしたが、立ちあがって見に来てくれた。
『ティ エネ アフト ト ペディ?』
「迷惑だよな。わかる。俺もそう思うがルーベンがいないんだよ。あんたが代わりに評価してくれ」
船底を指さした。オヤジは怪訝そう首を伸ばし、船底をにらんだ。そして、目をこすってからもう一度見た。
『おお! テリオセ ト ネロ。アディオ イネ!』
「そうか。空になくなるのは珍しいか。魔法でやったんだよ。楽でいいな」
魔法と言ってしまい、焦ったが。どうせ日本語は分からないのだ。
『デン・イーサイ・カコス、ミクれ! わっはっは!』
「いたいいたいっ」
大喜びされた。笑いながら頭を叩かれた。階上にもどる。アリアナは複雑な表情をしていた。
『魔法 スゴイ デモ……』
ああ。使うなって話だったからな。でもアリアナの前ならいい思ったんだ。ついでに言っておこう。
『アリアナ コトバ 普通ニシテ』
『普通? サビール コトバ? ナンデ?』
いつも使ってるのはザビール語っていうのか。不便な片言英語のやるりとりは、かえって弊害になってる。言語は覚えなきゃいけないのだ。すでにコツはつかんだ。普段語でしゃべってもらったほうが早く覚える。
生きていくためには、アリアナたちの世界をもっと知る必要があるのだ。
『オレ アリアナ モット 知リタイ』
『OH!』
アリアナの白い頬がみるみる紅く染まっていく。
『アンタポクリノメ スト イプソス トン ペリスタセオン』
それから俺を抱きしめると、愛でるように頭を撫でてくる。スキンシップが多い娘だが、目の時より熱量が高い。言葉を言い間違えたか。
俺はザビール語を習得できるのだろうか。不安になってきた。
地獄に女神は嬉しい。女性に抱きしめらたのはいつぶりだろう。俺も短い腕で抱き返す。アリアナはなかなか放してくれない。数分間そうしたアリアナは照れながら離れた。
労働につかった粘着水が残った。どうしよう。せっかく作った物体。海水に戻すにしても魔力を込める手間が余分だ。捨てたところで、写メ晒して文句いう世間はいないのだが。
「海にゴミはなあ」
SDGs(持続可能な開発目標)を意識する現代人としては、海を汚すことに抵抗がある。数百年後かにおこるであろう温暖化の一助となるのも、気分が悪い。
回収して再利用できないものか。たとえば、デジタルデータのように圧縮保存しておき、使うときに復元できたら便利だ。ゲームのアイテムはそんな風だった。猫型ロボットのポケットは四次元空間につながってる。
ゲームやアニメに興じれたのは高校までだが。昔のことほど覚えてるものだ。
「物は試しやってみるか。試験費用は無料だしな」
ゼリー状の液体をハンドルから切り離す。縮めるイメージで気合(魔力)を込めた。
込めた。
込めた。
……ぐぬぬ。
気のせいだろうか。残像をのこして、一回り小さくなった。
「マジか。イケるのか」
もっと込める。
込める。
込める。
……ぐぐぐぐ。
また少し縮んだ。
体がだるくなってきた。これ以上込めたら、気絶の予感がある。
あと一息という気がしてしょうがないのだが。惜しいが別の機会にしよう。ルーベンがもどってくるまえにゼリーを海に捨てた。
『ティ セリス ナ カニス?』
「何をしたかったって? べつに」
心は傷まない。海から得たものを返しただけだ。酸いも甘いも乗り越えた年寄りは、分別を手放すのも早いのだ。
『シロウ、アリアナ! ミン・テンベリャーゼイス』
ちょうどルーベンがやってきた。階段を降りるなり、ハンドルを持ってない俺の額を小突く。ニヤけ笑いを隠そうとしない。出来の悪い下っ端をからかって楽しむつもりだろうが。
「サボってない。終わったんだ」
『テリオセ? レス プセマタ!』
「お前には残念だろうがウソではない。船倉をみてくればわかるぞ」
ルーベンは肩を怒らせ降りていった。俺とアリアナはハイタッチ。
1分とたたずもどってきた。
『テリオセ ト ネロ。アディオ イネ!』
船倉のオヤジと同じことをいってる。そんなに空になるのが珍しいのか。
『ポス ト エカネス?』
「どうやって? 企業秘密だ」
それからもルーベンは、船のあちこちを連れまわした。これも船の新人教育カリキュラムかな。あらゆる作業を、とりあえず体験させるようだ。
船内の案内が一通り終わるまでの間、何度も鐘がなった。
時を告げる鐘の音は、4時間ごと。それは交代を告げる合図だった。
サブ作業、メイン作業、休みのローテ。それを3つの班でまわす。班のリーダーは、二人の副長と航海士が務める。俺たちの班の長はティツィアーノって副長だ。
やっと交代になった。
こんなに体をつかったのはいつぶりか。さすがにへとへとだ。子どもになったせいか、時間を長く感じる。魔法を使い切らなくてよかったと、心から思った。アリアナは俺を見てほほ笑んでる。まだ余力を残してるのか。さすが現地人だ。
食事は焼いた肉と野菜。厨房に並んでトレーに貰う。たいして美味くもないそれを、不味い薄酒で流し込む。
『シメーラ エネ エナ グレンディ!』
『アフト デン トロゲテ スタ ステリャ!』
これが、ごちそうだって? しかも陸じゃ食べられないレベルの?
アリアナも「まずまずね」って食べてるし。中世の食料事情怖いな。
酒を配られた。水の件があるから断わったが、飲まんと死ぬぞと脅され。しかたなしに飲んだ。
「ぐへぁっ うっすい酒。ラム酒か?」
案の定不味い。水は腐りやすい。冷蔵保存も濾過装置もない帆船時代は、水の代わりにワインを飲んでいた。それは知っていたが。ひどすぎる。
『イネ ディスコロ ヤ ペディア』
子どもには早い? そういう問題じゃない
せき込む背中を、船乗りたちが笑いながらバシバシく。痛いからやめろ。
一通りバカ騒ぎしおえる。船乗り連中は甲板下へ下がっていった。ハンモックへもぐりこむのだろう。
俺も、腹が膨れたせいでまぶたが重くなったきた。どこで寝ればいいんだ。アリアナは部屋に連れて行こうとする。立場は救助された遭難者ではない。同室はマズイと思うのだが。
ルーベンが妬ましい目つきで、俺を下層に連れていく。お前はここだとばかりに、樽の上を指さす。横では髭男がすやすや寝てる。ほう。荷物上にハンモック吊るすとは。空間利用がすごいな。吊り方を教授する。ハンモック中に布を敷いて寝るらしい。
ハンモックは始めての経験だ。落ちないよう慎重にぶら下がる? がくるりと回転して転落してしまった。受け身はとったのだが、樽に頭をぶつけた。危険極まりない寝具である。
何度か挑戦し載りこんだ。寝苦しかったが、こつを覚えれば意外と楽とわかる。揺れる船上では、ベッドより快適かもしれない。いつのまにか眠っていた。
どれだけ寝たかわかないが。揺り起こされて目を覚ます。
ハンモックに
「ふぃー交代か」
あくびをしながら甲板にあがる。
船首で監視してる船員が声を張りあげた。
『シマトフォレス シメエス プロセギゾ』
信号機があがったようだ。旗艦からの命令だ。内容はなんだ?
副長が舌打ちしながら、アリアナを横目でみた。
『プロセギゾ スト リマニ ハニア イェニコー・エゲルティーリオ!』
鐘がけたたましく鳴り響いた。なんだ?
『イェニコー・エゲルティーリオ』
『イェニコー・エゲルティーリオ!!』
『イェニコー・エゲルティーリオ』
副長の言葉を船員らがくり返すし、船の隅々まで、口伝えでいきわたる。下の船員たちが甲板にあがってきた。休んでいた連中である。彼らは、一瞬で人の少ない部署にかけつけ、配置についた。
『パーシ・ヘルケイン!』
俺とアリアナも索引きに加勢。全員でとりかかる作業が始まった。全ての索が、引きに合わせて緩められる。ヤードが動いて帆の向きが変わる。舵が忙しく回転し、船は急旋回。船首が島へ向けられた。
小島にみえていた島が近づくほど大きくなっていく。風が複雑にかわる。帆の角度調整が忙しい。島へ接近するにしたがい帆が畳まれていく。高速でつこむわけにいかないからな。
「まるで風使いだ。利用術がすごい」
やはりエコな推進装置と実感した。船長と副長ふたりが阿吽の呼吸で指示を出す。制動につかったり推進使ったり自由自在。
俺は縮帆を手伝いながら感嘆する。
ようやく港にはいる。
桟橋があるが、10隻ほどの船が独占しており、こちらの船団が寄ることはんできない。離れた場所にとてつもない重さの錨を降ろす。船員たちに安堵がひろがるのがわかる。熟練の船乗りが総出でとりかかるほどの作業だった。
『アリアナ ナヴァルヒダ メタトピス』
『エゴー?』
副長がこんどはアリアナに話しかける。彼女はためらい、あとずさりしたが、俺の腕をとる。
『アア…… ネ マズィ メト ペディ』
副長は頭をかくしぶしぶといった風に、うなづく。アリアナは喜び俺の頭を掻きむしった。
甲板で陣取っていた小舟が降ろされた。上陸だ。漕ぎ役の船乗りたちが降りて副長が続く。食料や物資補給とか、交易だろうか。この世界にきて初めての陸。興味があるが、下っ端は、連れていってもらえないだろう。
副長に続いてアリアナが乗った。ここで別れか。と思っていると、ルーベンに抱えられた。これは嬉しい。俺も上陸するようだ。




