01-15 案内 ー 人間の無知は自分自身の敵である(アラビアのことわざ)
鉤腕船長とイオニアスっていう副長が会談している。副長がルーベンという若い男を船乗りを呼びつけ何事かを指図。すぐにルーベンは俺たちのほうへやってきた。
顔つきは高校生くらいか。そんな少年を俺は見上げてる。あらためて、小さくなった自分を実感させられた。
『ルーベン。ルーベン』
彼は名前をいいながら自分の胸をたたいた。これは。自己紹介のルールなのか。
「俺は。シロウ。シロウ」
胸をたたいて名を名乗った。二人で胸をたたきあう。ゴリラのドラミング合戦だ。
そんな俺たちにアリアナが噴き出す。なにやってんのて表情だ。自己紹介ルールではなかったらしい。
ルーベンは俺とアリアナを指さして、自身を指さした。なんのことだ。首を傾けてると、フンっと顎をつきだし、また、アリアナと俺を指さす。なるほど。キミは俺たちの教育係に任命されたのか。これより新入社員研修を始める、ということらしい。
『私 船ノコト ワカルノニ』
納得する横でアリアナは不満そうだ。
そんなアリアナにルーベンが一言。とたんに彼女の表情にほぐれて、俺の肩をポンとたたたいた。
『オネーサン ミテ 覚エル イイワネ』
やるなルーベン。アリアナを上手におだてた。いや彼女がちょろいのか。
今日という日を覚えておこう。CEOから一転。教えられる立場へ成り下がった記念日だ。船の仕事はよく分からないが。やるしかない。
覚えられなかった場合はどうなるか。
船での役立たずは物理的に不要物となる気がする。水も食料はとても不味かったが、それでも貴重な生命線だ。ごく潰しに与える食い物はない。となれば……。まあ、そうなったときは、そうなったときなのだが。
日本なら、すごすご家に帰ればいい。就職に失敗しても次がある。後日、別の会社を受けなおすこともできよう。新人の再就職には風あたりが強い風潮はある。命まではとられない。うちの社はウェルカムだったぞ。
サメのエサにならないよう、せいぜい精進しよう。
第一歩は造り笑顔。円滑なコミュニケーションは会社生活を快適する。上司や先輩に好感をもってもらう。
「よろしく先輩」
ニコッとほほ笑んだ。
『……!』
すると頭をたたかれた。スマイルゼロ円が通じない。文化の隔たりは大きい。
アリアナにも頭を叩かれた。こっちは頑張れって励まし。
ふたりとも、年寄りの頭をなんだと思ってる。
ルーベンが索をつかんだ。真ん中にある一番高いマストを昇っていった。天辺には数人の船員。そこで作業をするらしい。ルーベンが怒鳴りながら大きく腕をふった。
「俺にも、昇ってこいと?」
マストはかなり高い。15m、いや20mはある。5階建ての独身マンションに匹敵するのではないか。そんな危険な高所に、縄梯子に毛のはえた頼りないロープだけで上がれと?
安全ベルトは?
命綱は?
生命をまもるセーフティアイテムが、一切みあたらないんだが。
「無理だよなアリアナ? ……アリアナ?」
アリアナがするする昇っていく。迷いも淀みもない。見事な索さばきである。
「うっそだろ。いてっ」
副長に尻を蹴られた。なかなか昇ろうとしない俺に、いらだったのだろう。
『ピゲネ ピゲネ』
「いけってことね。愚問ながら訊くけど、生命保険の加入は?」
『ゴーゴー』
英語で言い直さなくてもわかる。
「いま行くから蹴るな」
年寄り扱いがひどすぎる。俺はしぶしぶ、縄梯子であり牽綱でもある、潮の浮いた|索<ロープ>を握った。ぐにゃりとしなる。木やアルミ梯子と異なって、確固とした掴んだ感や、踏みしめ感がない。
アニメの怪盗が、ヘリコプターの縄梯子で颯爽と逃走するシーンがあるが、あんなのは不可能と確信した。恐ろしく不安定で、正直怖えぇ。
揺れる索にしがみつきながらおっかなびっくり昇っていく。数段で慣れた。波風で湿ったそれは意外にも手になじむ。
また、思いのほか手足や体が軽く、自由に動くことに感動。懸念だった腰痛も五十肩がすっかりきえてる。まるで丁寧な整体施術を受けた直後だ。
あっというまに、ルーベンの待つヤードを超える。最上まで昇りつめた。天辺には、簡素な足場と囲いが設けられていた。
「ほーお。これは……すごいものだな」
遥かなるさきには弧を描く水平線。
左前方にある影は島かな。あとは、四方どこを見渡しても海しかない。
仲間と思しき帆船が3、4隻。種類はわからないが、マストが3本のと4本のがある。2タイプだ。
悪くない。素晴らしき眺望よ。
揺すられ軋むマストも、風情のうちに収まった。飽きずに見てられる。とはいえ15分くらいが限界だろう。それ以上は腕がしびれる。そして手が離れれば落ちて死ぬ。
『ドゥリャ!』
ルーベンが足を引っ張った。仕事しろと言いたいらしい。
せっかくの憩いを邪魔された。
「なにすればいいんだ?」
『デセ。デセ』
風になびく紐を結べという。帆を縛っていた紐のことか。展開して縛る必要がなくなった紐。結んであったのが、解けて風になびいてる。結び直せということか。
「わかった」
ロープ結びか。基本はたしか”もやい結び”。くるっとまわして、ぐいっと通すあれだ。参加した自然会のボランティアで教えてもらった。ロープワークだ。ほどきやすいように、片方をリボンに。
「はいできた」
『……。』
ルーベンのどや顔が曇った。がっかりしてる。できない新人に教えるのが彼の仕事。自慢するつもりだったかもしれん。仕事を奪ってすまんね。逆に、アリアナは感心してる。
ルーベンが何も言わずに降りていく。マストは終わりのようだ。俺も降りる。
甲板では操船作業の船乗りたちが、忙しく働く。初めてみるローテクだ、俺も興味が尽きない。
帆がついてる横棒を、左舷と右舷から索で引いたり緩めたりして、風の当たる角度をベストに調整する。また、風が弱ければ帆の数を増やし、強すぎれば減らす。風は推力。重油も石炭もいらない完璧なエコだ。
マストは3本、それぞれに、1枚か2枚の帆があり、左右で引く構造だ。索の緩みと緊張時の、遊びが必要なので、長さにはかなりの余裕がある。結果。甲板はいたるところ索だらけ。丸めてはあるが邪魔なのだ。不可欠なので認めるしかない。
甲板には小さな船が載せてある。荷や人の運搬用だが、場所を狭くする要因だ。索も舟も人の移動に邪魔になる。ギリで、動線が確保されてるのが不思議だが、なにかトラブルが起きてあたふた急ぐ事態になったときは、転倒を誘発するにちがいない。
俺は転ぶ自信がある。年寄りなめんな。
50すぎると、変哲のない路上でも転ぶんだぞ。
風は方向、強さともに安定していた。索引き人員は間に合ってるようにみえた。
『ヴォイシソ・セ・カティ?』(Βοηθήσω σε κάτι?)
『イマステ・アルケティ』(Είμαστε αρκετοί. )
手伝いはいるか?
いらん。まにあってる
たぶんそんな会話だ。
『イタン・カロス・オ・ミクロス?』(Ήταν καλός ο μικρός? )
暇そうに駄弁っていた船員が、こっちを見てニヤニヤしながらアリアナに話しかけた。おそらく「そのチビは役に立ったか?」とでも言っているのだろう。
『アフト・ト・ペディ・イネ・ピオ・ジェントルマン・アポ・セナ』(Αυτό το παιδί είναι πιο gentleman από σένα.)
アリアナはべーっと舌を出し、男たちはどっと手を叩いて笑った。「あんたたちより、この子の方がよっぽど紳士よ」とでも言い返したか。ろくでもない冗談を言い合っていることだけは、雰囲気で察しがつく。
次は甲板の下、つまり船倉らしい。10段ある手すり付きの階段は急角度。梯子のような急角度だ。ルーベンは手すりをにぎり、なかばジャンプのように飛び降りた。すげえ。若さの特権だ。俺とアリアナは大人しく一段ずつで降りた。




