迷宮胎動1
「………………うわぁ」
門を潜った先に辿りついた場所は、薄っすらと蒼く煌めく結晶の光を受け岩肌が青くそまった光景が、一面に広がる神秘的な大きく広い空間だった。
ただ、ぐるりと辺りを見渡して見ても、出口は見当たらず、落盤か何かで出口の無くなった閉じた洞窟の空洞のようだ………
「ようこそいらっしゃいました。落人殿」
背後から声が聞こえ、後ろに振り向くと、そこには黒い艶やかな際どい改造燕尾服に身を包み、背中から透き通った蟲の翅を生やしたピンク色の髪をした小さな女性が宙に浮いていた。
「どうも初めまして、私、あなた様のチュートリアルを務めさせていただく案内人のルッカダンと申します。以後、お見知りおきを」
上半身を深く曲げ、片足を引き優雅に礼をするルッカダン。
しかし、礼から戻り、こちらを見るルッカダンの目には、隠しきれないほどの侮蔑の色があった。
「さて、まずは、あなた様の恩寵の確認から、行うといたしましょう。
既に説明は成されているでしょうが、あなた様には手にした恩寵に沿った天職が与えられます。
その役に定められたタスクを熟し、星の輝きを目指してください。
それでは、こちらをお使いください。
この石板は、黒曜石板といい、所持者の潜在能力を映し出す力を持つ石板です。
これに、あなたに与えられた能力が映し出されます」
そう言ってルッカダンは、美しく煌めく装飾を含め全てが、真っ黒な四角い石板を差し出してきた。
石板を受け取り、しばらく眺めていると、その表面に薄っすらと文字が浮かび上がってきた。
ーー
名前:■■■■
天職:ダンジョンマスター
位階:0
体力:50
魔力:#@$&!?*%¥
技能:――
恩寵:絶倫
:繁殖
ーー
ひどい、ただそれに尽きた。
石板に映し出されたぼくの能力。
位階は、当然まだ0。体力は50、魔力とやらの数値は文字化けしてしまっている。
初めて知る技能という項目。
そして、この絶倫と繁殖が、本来あの男に渡される筈だった恩寵なのだろうが、結果として、ぼくの恩寵になってしまっている。しかし、この恩寵をどう使えというのか。
ただ、何より気になるのが………
「名前がない……?」
表示されていないのは、何でだろう。
ぼくの名前は■■■■…………ッ!?
思い出せない!?自分の名前の筈なのに?!何で?どうして!?
「名前が無いのは、落人が既に存在を否定された者だからだよ。存在を否定されたってことは向こうでは、あんたはもう居ないものとして、世界そのものから抹消されたんだよ。
それにしても、う〜わ、ナァニこの最低な恩寵?」
すぐ傍から嘲笑うような声が聞こえた。
横を見てみるとルッカダンが、口元に手を当てて、こちらの手元を覗き込み、冷笑を浮かべていた。
「絶倫に繁殖って、プックククク。
頭の中、ヤる事でいっぱいのお猿さんですかぁ〜?。
体力、ひっく!しかも、魔力の表示も可怪しいし、とんだハズレ枠じゃん」
先程までの慇懃な態度から一変、ずっと目の奥で語っていた侮蔑の表情を前面に出し、こちらを見下しているルッカダン。
「こんな恩寵でダンジョンマスターが、
天職とか何これ? 初めて見たよ。
ていうか、ダンジョンマスターに必要な技能が無いのにダンジョンマスターが天職とか、完全に踏み台扱いじゃん、可哀想〜。天職としての仕事が、これとか。
あ~あ、つまんな〜い。せっかく、久しぶりに落人で愉しく遊べると思ったのに、真面目にやって損した!
はいっ、解散、解さ〜ん!」
一方的に捲し立て、何処かに行こうとするルッカダンを慌てて呼び止める。
「ちょっ、ちょっと待って!
いきなり、何なんですか!?
踏み台ってどういう事ですか?
天職って恩寵に合わせて与えられてるんじゃないんですか?!
タスクの確認の仕方は?この石板に書かれている内容も理解しきれてないんです。
お願いします。ちゃんと説明して下さい、案内人なんでしょう?!」
矢継ぎ早な質問で、呼び止められ、振り向くルッカダンは、至極迷惑そうに顔を歪め、汚物を見るような目でこちらを見てきた。
「はぁ?うっさいなぁ、知らねぇし。
使えない玩具に割く時間とか、無ぇから。………あ~でも、これは、渡しとかないといけないんだっけ?」
そう言って、ルッカダンは何かを取り出し、こちらに向かって放り投げてきた。
「うわっ、ちょ、とっと」
ルッカダンから投げられた物を、慌てて受け取る。
「何これ、メダル?
あの、これって一体?」
「ま、精々、足掻きなよ。じゃあね〜♪」
こちらの問い掛けに答える事なく、ルッカダンはそれだけ言い残して姿を消した。
「そ、そんな…………」
何ひとつ重要な情報が、説明される事のないまま、チュートリアルを務めるはずの案内人、ルッカダンから見捨てられた。
これから何をすれば良いのか、何も分からないまま、投げ渡されたメダルを手に、ぼくは、途方に暮れた。
しばらくの間、呆然として棒立ちになっていると、何故か、自然と嗤いが溢れてきた
「……………………ははっ」
なんだ、これ。あの白い空間から、今この時に至るまでの……いや、学校でいじめの標的にされて、目の前で親友だと思っていた人を失って。
「ははははは……っ」
こんな訳の分からない状況に落とされて、自分の存在を否定されたと告げられた。ほんの少し希望を齎されたと思ったら、暴力でそれを奪われて、挙句、何も知らされないままに、勝手に失望された。
「はははははは…っハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!」
なんだ、これ?
いじめという暴力で、居場所を奪われて、自分達の期待に応えられなかったぼくに失望し、見捨た両親。挙句、訳の分からない内に人殺しにされて誰も彼にも存在そのものを否定されて………。
何で同じような事が、繰り返されるんだ。
しかも、ルッカダンは、ぼくのことを踏み台と言った。
もう、こんなの嗤うしかないじゃないか。
また、同じように否定されるのか?
また、同じよう暴力で奪われるのか?
今度は、誰に身勝手な失望をされるんだ?
目尻に涙を、滲ませるほどに狂ったように嗤い続ける。ひとしきり、嗤い続けて、ため息と共にふと、地球でのことを振り返る。
両親の期待に負けないように、がむしゃらに勉強をがんばってきた。
大切な親友だったから、勇気を出して暴力に立ち向かった。
いじめられる日々は、辛かったけど、親友と励まし合いながら耐えてきた。
結局、全てが裏目に出て、ぼくは居場所も、友達も、何もかも無くして今、こうして見知らぬ場所にひとり、放り出された。
それでも、何もかも無くなって、空っぽになってしまった筈のぼくの中に残されたものがあった。
目を閉じると、嫌でも浮かんでくる。
あの日、目の前で地面に叩きつけられた友達の姿。
彼の血で真っ赤に染まった地面。鼻を刺激する鉄錆の血の匂い。拉げた頭から溢れる灰色の物体。そして、ぼくを見つめる光を失った二つの眼球。
あの時、最後に会った時に謝ったのは何で?
どうして、自殺なんかをしてしまったの?
あの時、ぼくも助けに入れば何か変わったの?
その後悔が、ずっと心の中に残っている。
あの暗い部屋に引き篭もり、自分の殻に閉じ籠もっていた時もずっとその事ばかり考えていた。
きっと、この後悔はいつまでも残って行くんだと思う。
この後悔を抱えたまま、生きていくのかと思ったこともあるけど、だからと言ってぼくが死んでどうなる?
あの時、生徒会長が彼に囁いていた何か。
きっとそれが、彼を自殺に追い込んだ本当の原因なんだと思う。
彼を自殺に追い込んだあいつらが。ぼくが彼を自殺に追い込んだ信じている大勢の人達が、ぼくをここに放り込んだ。
ぼくがここで死んだりしたら、それこそあいつらの思う壺じゃないか。
だから、死ねない。死んでなんかやるもんか。
「……精々、足掻きなよ…か」
ルッカダンの残した言葉を思い返しながら、この【魂の選別】は、這い上がる為の機会を与える為の儀式と言っていたのを思い出す。
「ハハッ、もうどん底まで、落ちたんだ。後は這い上がるだけ……か」
なら、生きる為、生き残る為に最後まで、足掻こう。それが、空っぽになったぼくに出来る、たったひとつの事なんだから。
そう思い、改めて、ルッカダンから渡されたメダルと黒曜石版を見る。
「ルッカダンから渡されたこのメダル…
多分、これがぼくの天職に必要なピースに、なるんだと思う」
手のひらに乗せたメダルは、五百円玉くらいの大きさでよく観察すると、表面にとても緻密な魔方陣の様な紋様が、刻み込まれており、不思議な、だけどとても強い
力がひしひしと伝わってきた。
「それに、この黒曜石板。タブレットってつくくらいだから、能力の表示だけじゃなく、検索や情報の確認とかも、出来る筈
………っ!」
黒曜石板に映された項目を、タップしてみる。すると、推測通りタップした項目の詳細が、表示された。
【天職:ダンジョンマスター】
概要:ダンジョンコアを用いることで、一定の範囲をダンジョン化する事が出来る。
ダンジョン内に生物が存在する(生存P)、またはダンジョン内で生物が死亡した場合(撃破P)にダンジョンポイント(以下DP)を取得できる。
DPを使用する事で、
・ダンジョン範囲の拡張
・ダンジョン施設の増設
・ダンジョンモンスターの生成
・ダンジョンアイテムの作成
を行うことができる。
ダンジョンの及びダンジョンモンスターの維持には、DPを必要とし、ダンジョンの範囲、モンスターのランクが大きい程に必要DPは増加する。
DPによって、生成されたダンジョンモンスターからは、ダンジョン内での生存P及び、撃破Pは取得できない。
ダンジョンコアが破壊された時、ダンジョンは消滅し、ダンジョンマスターも死亡する。また、ダンジョンマスターの死亡した時、ダンジョンコアも崩壊しダンジョンは消滅する。
ダンジョンコアの取得は技能:ダンジョンコア作成で一定以上の魔力を帯びた魔石での精製。もしくは、コアモンスター(ダンジョンコアとしての能力を持つモンスター)との契約で代替可能。
「これが、ダンジョンマスターの天職の概要。でも、ぼくにはダンジョンコア作成の技能がない。これが、踏み台扱いされた理由か?」
確かに、天職の要である筈のダンジョンを作れない。これは、致命的だ……。
もうひとつのコアモンスターとの、契約とやらも他に出口の見当たらない岩だらけの洞窟じゃ探しようが無い。
つまり、ぼくは、ろくにタスクも熟せず、位階を上げられないまま、他の落人達と戦わなくちゃいけない事になる。
「だからこそ、このメダルが何なのか、知らなくちゃいけない」
メダルを翳して眺めて見る。
「きっと、この魔方陣みたいな紋様が、何か鍵になっていると、思うんだけどなぁ」
とりあえず、手当たり次第に何か反応がないか、思いつく限りに試してみる。
まず、メダルを地面に置き、踊りながらメダルの周りを回ってみる。
…………反応なし。
次に、メダルに供物を………
こんな所に捧げられそうな供物なんてないので、蹴られて怪我をした時に流れた血をメダルに付けてみる。
………反応なし。
メダルの魔方陣を地面に描いてみる。
………反応なし。
メダルに、呪文を唱えてみる。
「オープンセサミ!テクノクマヤコン!アブラカタブラ!エコイクメッサイク!ちちんぷいぷい!エロエロアザラク!オンカラ・キリ・ソワカ!アブラゲ・タンブラ!ブビデ・バビデ・ブー!!!」
………………………………反応なし。
結局、何一つ進展する事はなかったので、黒曜石板を使い、メダルのことを知ることが、出来ないか調べてみることにした。
「初めからこうすれば、良かったかな……」
何かメダルに関係する機能が無いか、黒曜石板の装飾や側面、画面の裏側を見てみるも、嵌め込めそうな窪みや差し込み口といったものは見つからない。
また、黒曜石板の画面を弄ってみるが、新しい情報は出てこない。というか、タブレットの画面が全く動かない。表示されている文字をタップすれば、詳しい情報が表示されるが、どんなに弄っても、最初に表示された画面の他には、何も出てこない。
「所持者の潜在能力を映し出すだけの機能しか無いのか、それとも、まだ使い熟せていないだけで、他にも機能があるのか…」
できれば、後者であって欲しいが、如何せん、手探りでやっていくしかないのが、もどかしい。
まだ、試していない手を考えてはみるものの、いい考えは中々、出てこない。
「あ~もう、どうすれば良いんだ」
両手足を投げ出して、地面に仰向けで倒れ込む。
視界に映る景色は、どこを見ても、蒼く煌めく結晶とその光を受けた青い岩肌で、一体、何時、他の落人と戦う事になるのか、その為に備える時間は、いくら残されているのか、この洞窟で、どう食料や水を確保すれば良いのか?
初めは、感動したこの神秘的な空間も、押し潰されそうな圧迫感と、出口の無い閉塞感に自分の暗澹たる未来を突き付けられているようで、解決策を思いつけない焦りも相まって、ひどく無慈悲で残酷な景色に見えた。
ため息混じりに体を起こし、胡座をかいて座り込み、胡座の上に黒曜石版を置いた。
手持ち無沙汰で、手慰みにメダルを親指で、弾いて上に飛ばす。落ちてきたメダルを掴もうとして、
「あっ」
そのまま、手をすり抜けて黒曜石版へと落ちていった。メダルが画面にぶつかる次の瞬間、黒曜石板にメダルが波紋を立てて沈んでいった。
『救済者の投入を確認。
登録者■■■■の遺伝情報を確認。
登録者■■■■、照合致しました。
確認、救済者による救済を行いますか?
救済者の行使の機会は、一度だけです。
救済者の行使により、救済措置として、一度きりの奇跡が発動します』
メダルが黒曜石板に沈み、黒曜石板の画面に浮かび上がってきた文字を見て、少しの間、唖然とした。
救済措置、天職に合わせた一度きりの奇跡。おそらく、この現状を打破できる唯一の機会。
「つ、使います!使います!使いますぅ!!」
慌てて画面に表示された、“行使する”の文字を何度もタップする。振って湧いたこの好機、絶対に不意にしてなるものか!
『救済者の行使の承諾を確認。
登録者■■■■の遺伝情報と天職及び、技能、恩寵の情報の確認。
…………完了しました。
これより、運命交路による召喚を開始します。
運命交路により、登録者■■■■と最も相性の良いモンスターを召喚致します』
黒曜石板から、一筋の光が照射されて、目の前に、メダルに刻まれていたものと同じ紋様の魔方陣が描かれていく。
描かれた魔方陣から、眩しい光が放たれた。光はどんどん烈しくなり、あまりの眩しさに思わず、両腕で目を覆うも視界は白く塗り潰されていき、やがて、何も見えなくなった。
光が治まったのか、目に入ってくる光が弱まり、真っ白だった視界が回復してくる。やがて、治まった視界に飛び込んできた光景に思わず、息を呑んだ。
そこに在ったのは、人外の美と怪物の畏れを併せ持つひとつの到達点。
薄っすらと青みがかった床に着くほど長い白銀色の髪は天上から漏れる光の筋をそのまま糸に紡いだかのような煌めきを纏い、その髪の合間から覗く極めて整った顔立ちは幼気でありながらも、神が持てる技術の全てを使い、己の理想を余すことなく注ぎ込んだかの様な美しさを放ち、こちらを見つめるふたつの瞳は、緋い宝石の如き虹彩の中に黄金の光を湛え、身震いする程の威光を携えている。
綺羅星の光が溶け込んだ夜色に金のラインが走る甲殻が、蟀谷から耳、顎など顔の側面を甲冑の面貌の如く縁取り、首、鎖骨から肩、肩甲骨にかけてを覆い、肩から指先までと太ももからつま先にまで、甲殻をオペラグローブやロングブーツを身に着けるかのように薄く纏い、貴婦人の気高き品格を感じさせるドレスの如き様相を呈していた。
肩甲骨から続く甲殻が、背中からお尻、脇腹までを覆い際どいハイレグとなっているが、下品な印象は微塵も持たせず、鎖骨より下から下腹部にかけてまで白くきめ細やかなシルクの如き輝きを放つ肌が露出しており、体を覆う甲殻の夜色と肌の白さのコントラストが芸術品の様な美しさと妖しげな色気を両立させ、その完璧な均整のとれた艶やかな肢体の女性らしい魅力を引き立てている。
側頭部からは甲殻と同じ色彩の三回湾曲した彼女の身長よりも大きな武骨で荒つい角が斜め後ろに向かって生えており、正面からは終焉を意味するΩの様にも見える。
腰の付け根からも同じ甲殻に覆われた大きく太い尻尾が生えており、それらが、怪物としての力強さと恐ろしさを醸し出していたが、それが彼女の美しさを損なうことはまるで無く、寧ろ神聖さの中から滲み出る畏れを引き出すアクセントになって、結晶から漏れ出る蒼い光が踊る空間の中に佇むその人影は、その光に照らされることで、より一層神秘的な美しさを際立たせていた。
「…………………………」
声が出なかった。ただただ、彼女の放つ畏れと美しさに魅了され、圧倒された。
しばらくの間、互いに無言で見つめ合っていると何を思ったのか、彼女は、徐に手を伸ばしながら、此方に向かって歩いてきた。
「………ぁ………ぁぅ……ぁ」
喋れないのか、言葉にならない意味のない音を漏らしているが、必死に何かを自分に伝えたがっている様に見える。
直ぐ側にまできた彼女の伸ばされた手に掴まれ凄い力で、引き寄せられる。
引かれた勢いはそのままに彼女とぶつかり一緒に床に倒れ込む。倒れた衝撃に身構えるも、いつまで経っても衝撃は無く、柔らかなぬくもりに包まれていることに気付く。
「……………………えっ…?」
見ると彼女に頭を胸元で抱き締められて、体を尻尾で絡め取られていた。
「あ…ぃ…よぅ…う、ぁぅ……あっ…たぇ…」
突然のことに、驚いて目を白黒させていると、抱き締められたまま、拙い滑舌でそんな言葉を掛けられ、頭を撫でられた。胸元から見上げる彼女の瞳には、溢れんばかりの慈愛の温もりが湛えられていた。
発せられた言葉は、ちゃんとした言葉になんてなっていなかったけれど……
【大丈夫、頑張ったね】
確かにそう言われた気がした。
彼女のぬくもりと頭を撫でられる感触に、自分の中で張り詰めていた糸がゆっくりと緩んでいく。
目に熱いものが溢れてくる。
呼吸が乱れて、息が詰まる。
もう、込み上げてくるものを抑える事なんて出来ず……
「………っ、…ぁ…うぁ、あぁぁぁぁっ!」
初めて会ったばかりの、名前も何もかも知らない、少女の腕の中で、声を上げて、泣いた。
いつ以来だろう、人に優しくされたのは。
いつ以来だろう、誰か褒められたのは。
いつ以来だろう、誰かに認められたのは。
両親は、どれだけ頑張ってもできて当たり前だと、褒めてくれることなんて無かった。
学校の誰もがいじめられるているぼくを無視し、冷たく見下ろした。
知っている人、顔も知らない人、誰も彼もが、ぼくを人殺しと決め付けて、心無い言葉を突きつけてきた。
懸命に抑え込んでいた感情が込み上げてきて、目から溢れる涙を堪えることができなかった。
彼女の胸に顔を埋めて、人目もはばからす咽び泣く。涙は止まること無く溢れてきて、泣き続ける最中、彼女はずっと頭を撫でながら抱き締めてくれていた。
一頻り泣いてすっきりしたことで、冷静に考える余裕が出てきた。
今もぼくを抱き締めながら、にこにこと嬉しそうに笑っている彼女は、きっとコアモンスターだ。証拠がある訳じゃないが、何故かそうだという確信があった。
運命交路に因って、彼女はぼくへの救済として、喚び出された。つまり、彼女との契約は必須事項だ。
だからこそ、彼女との契約の前にぼくは、彼女に言わなければいけない事がある。
ぼくは、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、彼女に告げる。
「君に、お願いがある。この戦い……【魂の選別】に参加する為に、ぼくは君と契約しなくちゃならない。」
「でも、ぼくと契約する事で君の命とぼくの命は繋がれて、ダンジョンマスターであるぼくが、死んだ時、君の命も喪われることなる」
「それでも、ぼくが生き残る為には、君との契約が、絶対に必要なんだ」
「大した恩寵もない、もうほとんど、何も残ってない空っぽなぼくだけど、生きる為に、生き残る為に絶対に諦めない。最後まで足掻き続けるから……」
「だから、ぼくに生き残る為の力を貸して欲しい……!!」
これは、彼女に対しての、ぼくなりの誠意だ。契約のデメリットを彼女に伝えるメリットは、ぼくには無い。でも、彼女を騙すなんてこと、ぼくには出来ないかった。
大丈夫と、頑張ったねと、ぼくを抱き締めてくれた彼女には、嘘をつきたくなかった。
ぼくの言葉を聞き終えた彼女の顔は、変わらなかった。変わらず、慈愛に満ちた微笑みでぼくを見つめていた。
最初から、答えは決まっていると言わんばかりの笑顔で、そっとぼくの顔に手を添えてゆっくりと顔を近づけてきて…
「んむっ!?」
ぼくの唇に自分の唇を重ねてきた。
突然の事に、驚くも、次いで重ねた唇から彼女との間に実体を持たない熱を持った糸が繋がる感覚がした。
これが、契約の完了した証か、とぼんやりと少し熱を持った頭でそんな事を考えた。
しばらくして、唇を離した彼女はこちらを潤んだ瞳で見つめていたが、名残惜しそうにぼくの顔から手を離し、体に絡みつけた尻尾はそのままに、ぼくの背後に回り込んで寄りかかり、後ろから首に手を回して抱え込み、肩越し顔を覗かせた。
抱え込まれたまま、黒曜石板を操作する。すると、黒曜石板の画面に新しくダンジョンに関する情報が更新されていた。
ーー
名前:■■■■
天職:ダンジョンマスター
位階:0
魔力:#@$&!?*%¥
技能:――
恩寵:絶倫
:繁殖
契約:【幼生母胎竜ティアマット】
【ダンジョン】
階層:0
モンスター:0
DP:0
施設:0
ーー
契約した彼女、幼生母胎竜ティアマットの情報とダンジョンに関する項目が追加されている。
幼生母胎竜ティアマットの項目をタップして、彼女の能力を確認してみる。
ーー
【幼生母胎竜ティアマット】
契約主:■■■■
等級:伝説級
特性:神性(微)
:竜属性
:竜鱗鎧
:■■■■■■(封印中)
:■■■■■(封印中)
:コアモンスター
能力:十三の獣(幼)
:太母のの胎
:ラビュリンスアドミニスト
:命の鎖
:生命系統樹目録
詳細:汎ゆる生物の始祖とされる母胎竜ティアマットの幼体。神と竜のふたつの属性を 併せ持つ。竜鱗で覆われた体は全ての属性に耐性を持ち、物理・魔力両方の攻撃を半減する。■■■■■■に因って汎ゆる種族の因子を持ち、どんな生き物でも産み出せる。■■■■■の力により自身の産み出した生物とその系譜が、存在する限り生命を維持し続ける。
ーー
明らかに、普通じゃない能力群を見て、思わず冷や汗が流れる。
震える指で、表示された能力をタップして情報を確認して行く。
【十三の獣(幼)】
自分の心象から13体まで眷獣をデザインし、創生できる。創生の際、供給する魔力量に応じて強さが決まる。
(現在の力では、幼生体の眷獣しか創生出来ず、能力に制限が付く。成長する事で制限は解除されていく。)
【太母の胎】
汎ゆる種族と子を成し、汎ゆる種族を
生命を生み出せる。
生命を生み出す為には、その種族の遺伝情報が必要になる。
【ラビュリンスアドミニスト】
コアモンスターを通して、ダンジョンマスターがダンジョンをコントロールする事ができる。
【命の鎖】
契約主と繋がる命の鎖。
この能力を持つ者が、死なない限り、契約相手の命も保たれる。
【生命系統樹目録】
汎ゆる生命に関する記録がなされた力。
この能力を持つ者は、汎ゆる生命の知識を持つ。それは、過去から現在に至るまでの汎ゆる生命の情報を持った生きた大辞典とも言うべきものであり、好きな時、好きな様に必要な情報を引き出す事が出来る。
能力の詳細を確認したことで、改めて彼女の規格外さを理解できた。
封印されている能力は気になるが、タップしても詳細が表示されることはないので、ひとまず置いておく。
その事を差し引いても彼女の能力と、ぼくのダンジョンマスターという天職の相性は、まさに運命の赤い糸で繋がれていると言えるレベルだ。
体の震えが止まらない。恐いからじゃない。これは歓喜の震えだ。
ようやく手にした希望への歓喜の震えだ。
背後からティアマットに抱き締められながら、彼女と共にこの戦いを生き残る為の決意を、口にする。
「じゃあ、始めようか。ぼく達の生存戦略を」
ぼくの言葉を聞いたティアマットは、優しく微笑み、抱き締める力をそっと強めた。
どうも、黒染です。
誤字脱字報告、アドバイス等、面白かったら、高評価のほどよろしくお願いします。




