幕間1
―――オギャー、オギャー、オギャー。
巨大な石が積み重ねられた重厚な城塞に赤ん坊の大きな泣き声が響き渡る。
無骨な城の外壁とは異なる綺麗に磨き上げられ、漆喰が塗られ、白く滑らかに仕上げられた壁と鮮やかな赤い絨毯の敷かれた廊下。
マントを翻し、ズンズンと足早に絨毯を踏みしめ歩く偉丈夫と、その後ろを息を切らせながら追いかける老執事。
偉丈夫は廊下に響き渡る赤ん坊の声に気持ちをはやらせて、老執事はそんな主に落ち着く様、声を掛ける。
「だ、旦那様。落ち着いてください。はやる気持ちは分かりますが、魔力をお抑えください。皆、怯えています!」
「何を言うか、セブルス! ようやっと待ち望んでいた我が子に会えるというのだぞ! そんな時に落ち着いていられるか!」
老執事、セブルスの必死の呼び掛けも意に介さず、歩く速度を緩めるどころか、さらに速める偉丈夫。
彼の名前はヴァルディン・ウォリア・フリードリヒ・ヴァイン・アラストール。少し長めの金色の髪を後ろに束ね、整えらた囲み髭を蓄えた厳つい顔。幾つもの戦場を潜り抜け、実戦で鍛え上げらた筋骨隆々の体を上質な生地の軍服で包み、片肩マントを肩章と飾緒で止めた軍人貴族。
大陸一の国土を誇るイスカンダル帝国の十大貴族のひとつ、アラストール侯爵家の現当主である。
イスカンダル帝国は、ダンジョンを攻略する事で、ダンジョンから得る事の出来る多種多様な特異な性能を持つアイテム……迷宮具を使い領土を広げてきた武力国家である。
イスカンダル帝国は、ダンジョンが多く出現する国であり、また、ダンジョンのある土地を積極的に併呑していった。そうする事で、より多くのダンジョンを擁し、それを攻略する事で、さらなる武力を得て国力を増大させてきた。
ヴァルディンもまた、ダンジョン攻略と戦争によって身を立ててきた生粋の武人である。
そんな彼が、興奮を抑えきれずに狂喜に満ちた表情で足早に歩いているのだから、擦れ違う使用人達は堪らない。
しかし、ヴァルディンはそんな使用人達の様子など、気にする余裕も無かった。長い間、恵まれなかった待望の我が子が生まれたと、つい先程使用人が伝えてきたのだ。
廊下を進むにつれて、赤ん坊の声が大きくなっていき、やがて、中から泣き声が聞こえる扉に辿りつくと……
「子供が生まれたと聞いたぞ!」
バンッと大きな音を立てて、扉を開け放ち、叫びながら部屋へと入る。
部屋の中には、何人もの乳母や使用人達がベットを囲んでおり、その中心には乳母の一人に抱かれた、お包みに包まれて泣いている赤ん坊がいた。
突然の当主の来訪に周りにいた使用人達は慌てて頭を下げる。
ヴァルディンは、赤ん坊の姿を目に留める途端、喜びを抑えきれずに自然と口元を綻ばせた。
「おめでとうございます、旦那様。元気な男子でございます」
喜ぶヴァルディンに傍に近づいて祝辞を述べたのは、ヴァルディンの妻の侍女頭にして乳母頭のカンネラという壮年の女性だった。
カンネラから、生まれた子供が男子だと聞いたヴァルディンは、さらに顔を綻ばせて喜ぶ。
「なんと! それは喜ばしい!! フハハハハハ、これで我がアラストール家も安泰だ! そう思うだろ、セブルス!」
「はい、大変喜ばしい事です」
ヴァルディンは笑い声を上げながら赤ん坊のいるベットの傍まで近づくと、乳母に抱かれて、今だ泣いている赤ん坊を覗き込む。
「うむ! 良い顔だ……。 この子はとても強い男になるだろう」
赤ん坊の顔を見て、何かを感じ取ったのか満足そうに頷くと、赤ん坊の頭をそっと撫でながら、優ししげな顔でおもむろに口を開いた。
「トール」
「……? トールでございますか?」
ヴァルディンの言葉の意味を理解出来ずに、カンネラは主に対して失礼だと思いながらも、つい鸚鵡返しに聞き返してしまう。
「この子の名前だ。勇ましき雷神。その力を持って悪しき怪物を打ち倒した武人トールギスから肖った」
「それは素晴らしき名前で御座いますね」
「ハッハッハッハ。そうだろう、そうだろう。………うおっ!?」
ヴァルディンが頷いていると、彼の魔力が一気に抜け、ヴァルディンは驚いて声を上げ、ふらついて倒れそうになる。
「だ、旦那様っ!?」
「何、心配するな。トールの名付けで、幾らか魔力をトールに持っていかれただけだ。しかし、この量……。ははっ、流石は俺の息子だ」
セブルスに支えられ、持ち直すと持っていかれた魔力量に、思わず笑いが溢れたヴァルディンは、手を伸ばしてトールを優しく撫でる。
カンネラも、セブルスも共にヴァルディンに撫でられて、何時の間にか泣きやんでいたトールを見遣る。
ずっと泣いていたと言うのに、ヴァルディンに撫でられている今は、とても安心した様子で眠っていた。
「……フッ。私の様な男に触られて、ここまで熟睡出来るなら、度胸も十分だな」
そう言うと、ヴァルディンはトールから手を離して、「まだ残っている政務があったな」と言って、セブルスを伴いドアへと向かう。
「カンネラ、後の事は任せたぞ。何かあれば、直ぐに連絡しろ」
「はっ。畏まりました、旦那様」
「うむ。行くぞ、セブルス」
「はっ」
部屋を出て行くヴァルディンの背中を、扉の締まる音が聞こえるまで深く頭を下げて見送ったカンネラは、主が去った事を確認すると直ぐ様、他の使用人達に指示を出して仕事に戻った。
――しかし、数日後……
再び、廊下を足早に歩くヴァルディンの姿があった。しかし、期待と喜びに満ちていた数日前とは異なり、その顔は、焦燥と不安で鬼気迫る表情となっていた。
「トールの容態が急変したとは、どういう事だ!?」
「分かりません……。カンネラが言うには、原因は分からず、突然苦しみ始めたとしか……」
彼らがここまで焦っている理由は、つい先日生まれたばかりの息子、トールが突然、原因不明の高熱と魔力欠乏症を発症したとカンネラから連絡を受けたからであった。
「カンネラ! トールの容態は!?」
壊れるのではないかという程の勢いで扉を開けて、トールのいる子供部屋へと入るヴァルディン。
そこでは、乳母や使用人達、そして医師が忙しなく動き回り、トールの看病をしていた。
「ヴァルディン様……」
その中でも、一層動き回り、指示を出してトールの看病をしていたのがカンネラだった。トールの容態が急変してから、ずっと寝ずの看病を続けて、働き続けていたであろうカンネラは、心労と睡眠不足と疲労で憔悴しきっており、ヴァルディンを呼ぶ声に力は無く、今にも倒れてしまいそうだった。
「申し訳ありません、ヴァルディン様。ヴァルディン様に託されたトール様がこのような状態になってしまったと言うのに、何も出来ずに……」
ヴァルディンから直々に託さたトールの病状を何も改善出来ない事への焦りと己の不甲斐なさにカンネラは、腰を折り曲げ、深く頭を下げる。
「……良い。お前のその姿を見れば、どれ程心を砕いてきたか、察して余りある。面を上げよ」
「勿体なきお言葉、感謝いたします」
頭を下げたまま、ヴァルディンの労いの言葉を受け、感謝の言葉を述べた後、カンネラはゆっくりと頭を上げる。
「原因は……やはり、分からないのか?」
「はい、……誠に申し訳ありません」
ヴァルディンの問い掛けに、カンネラは痛々しそうに顔を歪め、血を吐くような声で謝罪し、再び頭をさげる。
「そうか……」
ただ一言、そう呟くと静かにトールに目を向ける。カンネラは、そんな主にもう一度頭を下げると、トールの看病に戻った。
「セブルス、金に糸目はつけぬ。優秀な医者を、魔道士を集めよ。何をしてでも、原因を見つけ出し、治療法を見つけよ」
「……はっ!」
主の命を受けたセブルスは直ぐ様、医者と魔道士の手配をする為に部屋を出て行った。
そして、ヴァルディンは暫くの間、何をするでも無く、呆然と使用人達に看病されるトールを眺めているだけだった。
やがて、ヴァルディンはおもむろに口を開いて、誰に聞かせるでもなく呟く。
「何故、このような事になっているのだろうな……? ようやく出来た息子だと言うのに……」
ヴァルディンは、そっとトールから視線を外し、天井を見上げ、その先にある空を想う。
「天は……、何故、この様な仕打ちをなされるのか……」
その呟きは、慌ただしい部屋の喧騒に掻き消され、誰の耳にも届くことは無かった。
医者や魔道士、乳母、使用人等、沢山の人間が、トールの治療と看病の為に慌ただしく動き回る部屋の中、トールの眠るベットの上、空中に浮かぶ人影があった。その人影は人形程の大きさで、フリルが多く付いた改造燕尾服にフレアスカートといった出で立ちの金髪碧眼のアンティークドールを思わせる美貌の少女だった。名前はシンシア。【魂の選別】で落人を手助けする案内人のひとりである。
彼女は、誰の目にも留まる様な場所にありながら、誰にも気付かれる事なく、ベットの上で眠るトールを見ていた。
「これは、不味いですね……」
トールの様子を見て、その症状の原因を察し、このままではトールの命は無いという事を理解したシンシア。
「規格外の恩寵……ですが、その恩寵が納める為の器を圧迫して破裂しそうになっているみたいですね。その上、恩寵が持ち主を死なせない様に器を治して、広げようとして、トールくんから魔力を吸い取ってる」
恩寵自体が持ち主を救おうと、トールがまだ能力を自覚していないにも関わらず、意思を持つかの様に自立稼働している事。
「でも、その所為でトールくんの魔力が枯渇して魔力欠乏症が発症してしまっています。それに幾ら恩寵が器を広げようとしても、トールくんの生み出せる魔力が少なくて、修復が追いついていない」
しかし、それが決して多くないトールの魔力を根こそぎ奪い、足りない魔力を補う為、生命力すら削ってしまい、その所為でトールは命の危機に陥っていた。
(魂の器と恩寵の格があっていないみたいです。でも、何故でしょう? 通常、恩寵は落人さんの魂の器に合わせて与えられる筈なのに……)
シンシアは、トールの器と恩寵の格が合っていない事に疑問を覚えるが、落人の担当をするのは今回が初めてのシンシアは、その原因を知らなかった。
恩寵と器のズレがあるという事は知っている。それに対処する為のやり方も教わった。しかし、純粋なシンシアは人の悪意というものをまだ、理解しきれていなかった。だから、この赤ん坊になった落人が他人から恩寵を奪ったという発想が出てこなかったのだ。
その上、シンシアはとても真面目で優しい性格をしており、余り人を疑うという事をしなかった。
今も、恩寵と器のズレに疑問を抱いてはいるものの、それよりも目の前で死に瀕している落人を助ける方法を考えていた。
「でも、今から調律を申請しても、赤ん坊のこの子では、調律が終わるまで身体が持ちません」
トールの体力から考えて、このまま消耗していけば、ズレを治すより先にトールの体力が尽きるとシンシアは判断した。
救う手立てはある。しかし、それは落人にただ一度きりの奇跡を起こすものであり、シンシアは自分の勝手な判断でこれを使用して良いのかと悩む。……が、シンシアはその迷いを直ぐに断ち切る。
「いえ、私は案内人です。案内人の役目は、落人さんが【魂の選別】を生き抜く為の補助を行う事。それに、落人さんの命が掛かっているんです。躊躇っている時間はありません」
シンシアはそう独り言ちると、何処からともなく、綺麗な装飾のされた真っ黒な石板、黒曜石板と不思議な金色のメダルを取り出した。
眠っているトールの元に近づくと金色のメダルをトールの口に入れて、唾液をつける。そして、そのメダルを黒曜石板の画面に落とす。メダルは黒曜石板の画面に波紋を広げて沈んでいく。
「落人トールに緊急事態が発生。落人トールが救済者の使用が不可能な為、案内人権限により、救済者の代理使用を申請します」
黒曜石板に救済者が完全に沈んで波紋も消え去るの確認すると、シンシアは音声パスワードのように黒曜石板に向けて救済者使用を申請した。
『救済者の投入を確認。
登録者■■■■改め、トールの遺伝情報を確認。
登録者トール、照合致しました。
案内人権限の使用の申請を確認、……承認致しました。
確認、救済者による救済を行いますか?
救済者の行使の機会は、一度だけです。
救済者の行使により、救済措置として、一度きりの奇跡が発動します』
黒曜石板の画面に救済者の使用確認の文字が浮かび上がる。
「使用します」
シンシアは黒曜石板の画面をタップして救済者の使用を承諾する。
『救済者の行使の承諾を確認。
登録者■■■■、改めてトールの遺伝情報と天職及び、技能、恩寵の情報の確認。
…………完了しました。
黒曜石板を使用し、神器級アイテム・虚黒珠を錬成します』
その文章が、消えると同時に黒曜石板がシンシアの手から浮かび上がり、空中で泥のように溶け出す。泥はそのまま、トールへと降り注ぎ、トールの手の中で真っ黒な玉となる。
突然、トールの手の中に現れた真っ黒な玉に、周りにいた人間達が騒然とし始める。
それもそうだろう。生まれて数日、しかも急に体調を崩して、常に人が付きっきりで看病していたにも関わらず、誰も気付かぬ内に何時の間にか黒い宝玉の様な玉を赤ん坊が持っていたのだから。
しかし、それ以上に周りの人間が驚いたのは、トールので手の中に黒い玉…虚黒珠が現れてから、肌で感じられる程にトールに魔力が集まっていっている事だった。そして、魔力が集まっていく内に、苦しげなトールの表情が和らいでいき、トールの容態が快復へと向かって行っている事をこの場にいる全員が、理解した。
「何だ、何が起きているのだ!?」
その異常事態にいち早く我に返り、真っ先に声を上げたのは、戦場に出てそういったものに関わる機会が多く、自身も魔力を扱う事の出来るヴァルディンだった。
「わ、分かりません。トール様の手の中に突然、黒い玉が現れたと思ったら……。しかし、魔力欠乏症の症状が、治まり始め、トール様の容態も安定し始めて、快復に向かっています」
他の人間達は、突然の事に混乱して事態を把握できていなかったが、ヴァルディンはトールの容態の急変、突然現れた黒い玉、トールへと集まって行く魔力を見て、頭の中にある話が過った。
それは、極稀に生まれたばかりの赤ん坊が死に瀕した時、何処からともなく不思議な力を持ったアイテムが現れて、奇跡を起こり、死の淵より舞い戻ってきたという話。
「待て、この現象。何処かで聞いた覚えが……」
今の状況が、その話の状況が余りに似すぎているとヴァルディンは感じた。そして、その話に出てきた赤ん坊達は皆、後々共通する異名でが付けられていた。
(まさか、この子がそうなのか?)
全員に共通する異名、それは舞い降りし者。
遠き地、遥か彼方からこの世界に舞い降りた落とし子。
彼らは皆、やがて偉業を成し遂げ、誰もが知る、語り継がれる英雄となっていた。
(この子が、本当に“舞い降りし者”なのだとしたら、何たる僥倖……、何たる巡り合わせ……! それならば、あれだけの魔力を名付けで持っていかれたのも、当然だ。ダンジョン攻略と戦争に因って戦いと武を重んじる我がアラストール家に英傑の雛が生まれるとは……! 私の見立ては間違っていなかったという事か!)
「だ、旦那様……? 如何なされたのですか?」
「……皆、もう心配する事はない。これは、吉兆の証だ」
ヴァルディンの言葉に周囲の人間は困惑するが、ヴァルディンは構わずに喋り続ける。
「この子の手に現れたのは神器。遠くに聞こえた英雄、英傑達と同じ天より授けられし、奇跡を起こす代物」
最初は困惑していた人間達も、ヴァルディンの話を聞いている内、次第に昂奮していく。自分達の主の子供が、如何なる星の下に生まれたのかを理解して。
「この子は、いずれ誰もが知る偉業を成し、歴史に名を残す英雄となるだろう! しかし、まだこの子は赤ん坊……皆、心せよ! 我らの双肩に新たな英雄の未来が掛かっている!!」
「「「「「「……はっ!!」」」」」」」
そうして、また全員が慌ただしく動き始める。しかし、彼らの顔には先程までの悲壮感は無く、未来の英雄への眩いばかりの希望があった。
そして、その光景をシンシアは、空中から眺めていた。
「一先ず、命の危機は脱した様ですね」
シンシアが、救済者を使用して生み出された神器、虚黒珠。その能力のひとつ。周囲の魔力を吸収し無制限に溜め込む事が出来、吸収した魔力を持ち主に還元する能力により、恩寵がトールから吸い取る魔力を肩代わりする事で、トールの身に起きていた恩寵がトールを救おうとして起きた悪循環を断ち切った為、トールの容態は安定した。
「これなら、調律の申請をして、実行するまでは保ちそうですね」
トールの容態が安定した事を確認し終えたシンシアは、手を自分の後ろに翳す。すると、手を翳した先の空間が揺らいで鏡の様な門が現れる。
「後は調律の申請をするだけですが、………うぅっ。何を言われるのか、今から怖いです。でも、あのままですとトールくんは死んでいましたし、間違った事はしていない筈です。大丈夫……な筈。ああ、もし駄目だったらどうしましょう……。お叱りだけで済むと良いのですが……」
暗い不安そうな顔で、独り言を呟くシンシアが、門へと入るとスゥっと溶けるように消えていった。
どうも、黒染です。
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