第15話 竜の咆哮
訓練場の砂が風に流され、白くかすんでいた。
兵士たちの声も、どこか遠くに聞こえる。
――いつもと同じはずなのに、やけに静かだ。
親父……いや、ディエゴ兵士長は俺に話しかける。
「エルンスト様だが領地に戻ることとなった。
その際にリリアーナ様も同乗してアイゼンロート領に行く」
「……リリアも? なんでだ?」
「アイゼンロート領を見て回るんだ。
竜に関する資料や剥製はアイゼンロート領にあるからな。
エルンスト様の護衛がリリア様の身も守るが、こちらもリリアーナ様の護衛をつける。」
少しだけ、ディエゴ兵士長は視線を逸らす。
「……縁談の続きもやる予定だ」
「俺はルチアーノ様と領地に残る。
リリアーナ様の護衛はガルドに任せるぞ」
「…………」
――リリアの護衛として遠征する。
何度もしてきたのに、とても重く感じる。
……理由は分かっている。
昨日の夜が原因だ。
逃避行を提案して――失敗した。
「ガルド? どうした? なんか元気がないな」
「いや、何でもない……」
リリアと一緒にいれば、きっと空気は重いだろう……でも。
「ああ、リリアの護衛……やるよ」
たとえ、俺の思いが届かないとしても――リリアを守る。
「もしかして……リリアーナ様と何かあったのか?」
「まぁ、少しだけ……大丈夫だよ」
「そうか……
ただ、こうして一緒にいるのも限られるだろう。
後悔の無いようにな」
……その通りだ。
一緒にいる時間も残り少ない。
アイゼンロート家に嫁げば、リリアはアイゼンロート領で過ごすことになるだろう。
そうなったら、もう会えない。
俺は会いに行く正当な理由を持てない。
理由は、そう……貴族ではないから。
◇ ◇ ◇
遠征の準備をし、リリアの元へ向かう。
庭園の花は手入れが行き届いていて、どれも美しく咲いている。
だが、その整いすぎた光景が、なぜか息苦しく感じた。
リリアはすでに準備を終え、なぜか庭園の方にいた。
遠征といっても平原や森に行くようなフィールドワーク用のドレスではない。
……普通の貴族の令嬢の服装だ。
「ガルド……」
一瞬、リリアの顔が歪んだ後、すぐに笑顔の仮面に切り替えていた。
「おはよう、今日の護衛はガルドが?」
「ああ……ああ、そうだ」
何かを言おうとして、何も言えない。
苦笑交じりに、隣を示す。
『ここに来て』と。
「……どれくらいアイゼンロート領で過ごすんだ?」
「大体、3週間程度かな。
アイゼンロートの城、博物館、森……そして、危険な鉱物が採掘される鉱山に行くの」
指折り数えるように、淡々と行き先を挙げていく。
まるでただの予定の確認のようで――そこに感情はほとんど見えない。
「そして、その3週間で縁談の結果は決まる」
まるで他人事のように語る声音だった。
「エルンスト様がこんなに早く帰城するのは、エルンスト様とお父様との会話が終わったからなの。
縁談が成立した場合のすり合わせは終わっている」
事務的な説明。
だが、その整いすぎた説明が、定められた運命を感じさせる。
「あとは決めるだけ」
短い一言。
それは、残りの時間の短さを表していた。
「本当はお父様が決めていいんだけどね、縁談の決定権をいただいたの」
そう言って、リリアはわずかに笑う。
――けれど、その笑みはどこか硬かった。
「ここに来たのも、フローレンス家も見納めかなって思って……ちょっとわがまま言っちゃった」
「……」
「さぁ、そろそろ行きましょうか。
エルンスト様を待たせるわけにはいかないもの」
せっかくの2人きりの時間だったが、結局切り出せる話はなかった。
決断の時はすでに過ぎている。
◇ ◇ ◇
エルンストの馬車でアイゼンロート領へ向かって、数日。
道中に問題はなかった。
リリアとも、ほとんど顔を合わせていない。
先頭を騎士達が進み、中央の馬車にリリアとエルンストが同乗している。
その後ろに、俺たち護衛が続く。
フローレンス領はすでに越え、今はアイゼンロート領内だ。
あたりは草原。
視界を遮るものはない。
曇天のせいで薄暗いが、見通しはいい。
それだけに、隊の警戒もどこか緩んでいた。
……俺も少しだけ、別の事に気が向いてしまう。
もちろんリリアのことだ。
考えても考えても、この天気のように思考は晴れない。
初めて訪れる地では、もっと緊張感を持っていたはずだ。
リリアは周りを見ないで走り出す。
俺は周りを警戒しながら、ついていった。
こういう平原のときだって警戒してた。
意識を逸らすためにも、周りを観察する。
不自然に揺れる草むら――なし。
動物の腐臭――なし。
動物の鳴き声――周りの馬の足音であまり聞こえないが、多分なし。
木々などに隠れる動物――……そもそも、周りに木がない。
色々と警戒したが、周りに動物はいなさそうだ。
――違和感。
草原は静かだ。
静かすぎる。
こういう場所には、いつも何かしらの気配がある。
小鳥でも、獣でもいい。
だが今は――
何もいない。
背筋を冷たいものが走る。
その瞬間。
「敵襲ーッ!!」
鋭い叫びが空気を切り裂いた。
馬がいななき、隊列が乱れる。
次の瞬間――
視界を覆う、巨大な影。
四足、翼一対、硬い鱗。
空を駆ける巨獣――竜だ。
その足元で、大地が砕けている。
――ただ、降り立っただけで、この惨状だ。
「リリアは!?」
馬を捨て、馬車へ駆ける。
横倒しになった馬車は半ば潰れ、車輪が空を向いている。
御者台は砕け、御者が地面に投げ出されていた。
「……ぅ」
微かにリリアが動く。
「リリア!大丈夫か?」
「……ええ、でも足が……」
倒れた馬車の中で、リリアの足が座席の下に挟まっていた。
衝撃で外れた座席が斜めに落ち込み、膝を押さえつけている。
折れた板が鋭利になっていて、無理に出そうとすると怪我しかねない。
直後――竜が咆えた。
腹の底を揺さぶるような低い咆哮。
空気が震え、胸骨の奥まで響いてくる。
馬が恐慌を起こし、何頭もの馬が手綱を振り切って逃げ出した。
まずい――悠長に助け出している時間がない。
「エルンスト様!こちらの馬をお使いください!」
声の方を向くと、いつの間にか馬車から出ていたエルンストが馬に乗っている。
「よくやった!……お前たち!しばしの間、ドラゴンの目を引き付けろ!私が逃げ切った後は、四方に散開して撤退せよ!」
「「「了解!」」」
エルンスト配下の兵士達は一斉に声を上げる。
「作戦開始!」
エルンストがこちらを見下ろす。
嫌な予感がし、背筋を凍らせる。
縁談のときに言っていた。
エルンストは以前、兵士達を切り捨てて撤退した、と。
「貴殿らも手を尽くして撤退することだ。
やつは高所から逃げるものを探す。
逃げるよりも隠れる場所を見つけることだ」
それだけ言うと、馬の向きを変え、エルンストは馬を疾走させる。
「なっ!? おい、待――」
まだリリアが残っているのに! どうしろってんだ!
くそっ!
他に馬は!?
周りを見るも、馬はドラゴンに潰されるか、既に逃走済みだ。
背負って逃げる?
この見晴らしのいい草原で?
――ダメだ。
追いかけてきたら、完全に詰みだ。
そもそも、挟まれた状態で無理に引っ張りだせない。
エルンストの話を思い出す。
竜は神話の生物なんかじゃない。
そして、分が悪いなら逃げる――そういう動物らしい動物だ。
倒せないにしても、追い払うだけならできるかもしれない。
剣を抜く。
エルンストの兵士達も応戦している。
ほとんど傷を与えられていないが、剣や槍でも戦えることがわかる。
「……ガルド?」
リリアが小さく問いかける。
「大丈夫だ、リリア。――俺が、必ず守る!」
地面を駆ける。
その勢いのまま、足を斬りつけると、キィン、硬い鱗で弾かれる。
なっ、嘘だろ!?
驚きで、一瞬硬直してしまうが、竜の足元で呆けている暇はない。
暴風のように動く巨体を避けながら、大きく距離を取り、ドラゴンの全体を観察する。
傷がついているのは……翼。
いや、剣じゃ届かない。
傷の原因は矢だけだ。
足にも傷があるのに、さっきはなぜ斬れなかった?
違う……関節か!
身体を動かすために、柔らかいんだ。
再び走り出し、すれ違いざまに関節を斬りつける。
鱗は硬いが、今度は少し深く切り裂けた。
よし、これならいける!
自然と口角が上がったとき……
――ドラゴンが、こちらを睨みつける。
途端に背筋が凍った。
視界の端で尾が消える。
大きな衝撃が身体を襲い、宙に弾き上げられる。
――息が、できない。
次の瞬間、背中から地面に叩きつけられた。
視界が白く弾ける。
音が遠くなる。
肺が潰れたように空気を求めるが、吸えない。
「……っ、ぁ……!」
遅れて、焼けるような痛みが全身を走った。
力を振り絞って立ち上がる。
血がだらだらとこぼれ落ちていく。
攻撃される瞬間、同じ方向に飛べたお陰で、まだ立つ気力はある。
次の攻撃は受けられない。
ドラゴンの一挙手一投足に注意を払う。
ドラゴンはこちらに振り返り、爪足を振り下ろす。
圧倒的な質量と速度を持ったそれを躱し、回避ざまに関節を斬る。
更に足元を駆け、他の足も斬っていく、巨体にとっては小さな傷でも、地面を濡らす血は広がっている。
ドラゴンが迫ってくる。
恐怖よりも、理解が上回る。
こいつの動きは大体わかった。
ドラゴンの猛攻ひらりひらりと躱し、間接めがけて斬りつける。
竜の動きはとても単純だ。
速く重いが、駆け引きはない。
「……なるほど。……たしかに、でかいトカゲだ」
怒り狂ったドラゴンが迫りくる。
開けた口を傾け、左右から挟むように嚙みついてくる。
速い――だが、好機!
大きく上に飛び、噛みつきを回避する。
そして、落下の勢いのままドラゴンの瞳に剣を突き刺す。
――大きな痙攣の後、ドラゴンは倒れ伏した。




