第14話 静かな夜の終わりに
月の蒼い光と冷たい風を通り抜ける。
とても静かな夜だが、独特な歩法のおかげで足音は響かない。
――他の選択肢があるのではないか。
何度もそう思いながら、リリアの部屋に辿り着く。
前にリリアが話していたが、よく夜更かしをするらしい。
聞いた話だと、まだ起きている可能性がある。
……だが、エルンストとの縁談もあった。
今日は疲れに任せて眠っているかもしれない。
扉の前で悶々と考えてしまう。
……ここまで来たんだ。
後は天運にでも任せよう。
リリアが寝ていたら、何もせずに帰る。
起きていたら……。
コン、コン。
小さくノックしたのに、静かな廊下にも響き渡る。
…………。
……やっぱり、もう寝たか?
踵を返そうとして、扉の奥から「どなたですか?」と小さい声が聞こえる。
……起きていたのか。
覚悟を決めるように小さく息を吐く。
「ガルドだ。夜遅くだけど、失礼するぞ」
キィ、と扉を開けると、部屋は真っ暗だ。
窓のカーテンは開いていて、冷たい月明かりだけが、部屋をわずかに照らしている。
そして、リリアは窓のそばに立っていて、月明かりに照らされていた。
白く薄い寝間着を羽織っていて、寝ようとしていたところだったのだろう。
顔には昼間の疲れが、そのまま顔に残っていた。
……いや、私室でも考え事をしてたのか、より深い疲れに見える。
「ガルド……どうしたのこんな時間に……」
……言葉に詰まる。
やっぱり、引き返すべきなんじゃ……。
「? ……ガルド、その服装……」
「あ、ああ……」
今、俺は屋敷内で過ごすときの服装ではない。
外に出るときの服装でマントも羽織っている。
リリアが何かを察し、目を細めて見極めようとする。
緊張のせいか胸のあたりを握ってしまう。
「……なぁ、リリア」
「……なに?」
「一緒に……逃げないか?」
絞り出すように提案する。
リリアは沈黙したままだ。
顔は見れない。
それでも、月明かりに映る人影の動かなさが恐怖を煽る。
「リリア……今、めちゃくちゃ大変なんだろう?
今にも壊れてしまいそうな感じだぞ。
大丈夫……。
フローレンス領のことは、ルチアーノ様が何とかしてくれるって。
俺はスラム出身だからな、どこでだって上手く生活できるさ。
猟師とか農民とか。
リリアはきっと薬師とかになったら皆に喜ばれるさ。
だから、ここから抜け出そう!
ここじゃなければ、……どこだっていい。
ここは……貴族という役割は……リリアを苦しめてしまう……」
――言った。
言ってしまった。
後悔が心臓を締め付けるようだ。
「ガルド」
数秒後、無機質な呼びかけが俺を射抜く。
「ありがとう」
その言葉に顔を上げる。
その顔には、喜びも悲しみも読み取れない。
「ガルドの話を想像してみたの」
リリアは目を閉じ、深く……深く言葉をかみしめていた。
「そうだね、とても素敵な話……。
とても……暖かな未来。
何の束縛もなくガルドと一緒に過ごす日々はとても……そう、とても楽しいんだろうな」
「そうだ! きっと楽しい日々が待ってる!
何か苦難があったとしても必ず俺が守る。必ずだ!
職務がなくったって、一日中守る!
だって、俺は……俺はリリアを――」
伝えようとして恐怖が襲う。
ヘルマンの縁談の時、彼の好意は拒絶された。
伝えるのか? この気持ちを?
貴族であるヘルマンですら拒絶されたというのに――
「ガルド。……私、あることに気づいたの」
突然、リリアが独白する。
開かれた瞳は俺ではなく、リリアの横の本を眺めている。
「これは恋愛小説なの。
――それもね、禁断の関係の話。
身分差のある男女が恋に落ちてしまう話。
でも、この本では結局結ばれないの」
リリアがその本を撫で、淡々と話す。
「この本だけじゃない。
禁断の関係の恋愛小説は、ほとんどが結ばれない。
私も結ばれた話を見たことがないわ。
――結ばれた後に悲劇で終わるのではなく、結ばれない悲劇が描かれる。
物語は終わりに近づくにつれて、世界に引き戻されるかのように悲劇へ向かうの。
どうして、こんな結末が多いのだろうか? っていつも思っていたわ」
「それでね、ガルドとの、ありえたかもしれない未来を想像して気づいたの」
リリアがこちらに向き直り、小さく……力なく笑う。
その金色の瞳からは、涙が零れている。
「私は……私たちは、やっぱり貴族なの。
自分の感情じゃなくて、領地単位で影響を考えるの。
ガルドと逃げたとして、そこで幸せに過ごしたとして……
きっと、その選択で失われた多くの人の幸せが私を苛むの。
……この小説の主人公が結ばれたら、皆、その貴族を指して責めるわ。
『貴族としての務めを果たせ』『責任から逃げるな』
……そして、私がここから逃げたら、私は私を許せない。
永遠に――」
リリアの瞳から大粒の涙がボロボロと落ちていく。
言葉を投げかけようと、口を開くも言葉が見つからない。
ただただ、『救えなかった』という結論が浮かんでしまう。
力が抜け、うまく立てない。
今にも倒れてしまいそうだ。
リリアが机の花瓶に挿してあった一凛の花を手に取る。
「あなたの思いに答えたい。
……でも、伝えたら壊れちゃうの。
多分、私の感情がぐちゃぐちゃになって壊れちゃう――
……だからこれは、私の精一杯の回答」
リリアがその花を俺に渡す。
――それはシルフィムの花だった。
それは、出会いの思い出。
枯れにくさからつけられた花言葉は『変わらぬ永遠の恋』
幼い頃、リリアはこの花を贈られて告白されることを望んでいたはずなのに――
少女時代の夢の象徴は――夢のままで終わらせた。
思わず膝から崩れ落ちてしまう。
そのシルフィムの花を抱きかかえるように。
それでいて優しく――。
「さようなら、ガルド。
この話は――この物語はここで終わり」
夜は終わり、明日の日が昇る。
――そして、別れの日が近づく。




