第12話 眠れぬ夜と銀色の封蝋
窓から、冷たい月明かりが差し込む。
明かりをつけず、僅かな月明かりだけを頼りに私室でひとりたたずむ。
全身鏡には、しかめっ面をした少女が映っている。
鏡に映るリリアーナは表情が暗い。
これではダメだ。
これは貴族の姿ではない。
深く息を吸って、吐く。
鏡に映る自分を見つめる。
笑顔を作る。
もう一度。
……違う。
今のは少し強すぎる。
口角をほんの少しだけ上げる。
目元の力は抜く。
――これなら、令嬢として通用する。
感情ではなく、意志で笑みを作る。
それが貴族の基本姿勢。
落ち込んでいる時は、いつもこれを行う。
表情を間違えないように。
感情を出さないように。
◇ ◇ ◇
朝日が昇り、私の部屋を照らす。
曇天のせいか、そこまで明るくはない。
花瓶に指してある白いシルフィムの花は、今もなお枯れる様子はないのに、見ているとなぜか胸が苦しくなる。
鏡に映る私は、どことなく暗い表情だ。
原因は、眠りの浅さ以外にもあるんだろうな。
午前の講義の時間でもあまり身が入らなかった。
講義が終わっても、ずっと気が抜けたままだ。
そんな調子で廊下を歩いていると、曲がり角でガルドに会う。
「あ、ガルド……」
「……おう」
ガルドが手を挙げて、挨拶してくれる。
私も軽く手を振り、挨拶する。
昨日までは、それだけで嬉しかったのに。
ガルドと一緒にいることが気まずい。
でも、昨日のような温かさではない。
……心を削るような、そんなざわつき。
いつものように笑えず、代わりの作り笑顔が出る。
……昨夜に練習をしておいてよかった。
「リリア、どうした? 何かあったか?」
「え? ……いや、何でもないよ……」
あっさりとばれた。
自然な笑みになるように注意していたのに。
「……そうか? ……何かあったら言ってくれ」
ガルドに言う?
何を?
この気持ちを?
――それはダメだ。
この恋は伝えてはいけない。
言ったら、何もかも壊れてしまう。
「うん……ありがとう」
自然と、作り物の笑顔で答えてしまう。
ガルドが僅かに顔をしかめる。
ごめんね。
私がちゃんと貴族になりきれていないから、心配させちゃった。
顔を背け、そそくさと歩き、逃げるようにその場を離れる。
でも、ガルドはしっかりと後ろをついてきてくれる。
……何も聞かずについてきてくれる。
今までは当たり前だった。
温かみを忘れてしまうほどに。
でも、今は逃れられない痛みとなる。
無言のまま歩いていく。
後ろから聞こえるガルドの足音。
一歩遅れてついてくる、いつもの距離。
――子供の頃から変わらない距離。
振り返れば、きっと目が合う。
でも、それが怖くて振り返れない。
…………。
……。
長い沈黙の末、廊下の分かれ目に着いた。
「……この後、お父様のところへ行かなければならないから、この辺で」
「……ああ」
ガルドと別れた後、なぜか安堵の息が出てしまう。
……こんなことで安心してしまう自分が、少し嫌だった。
◇ ◇ ◇
扉の前に立ち、息を整えた後、ノックをする。
「リリアーナです」
「入れ」
執務室には私とお父様だけで、使用人たちは下がらせていた。
窓から日光が差し込むが、曇天のせいで部屋が暗い。
気のせいか、張り詰めた空気が漂っている。
「リリア。これを見てくれ」
お父様が、一通の手紙を差し出した。
折りたたまれた羊皮紙。
封蝋はすでに割られている。
家に届く書状は、まず当主が目を通す。
その規則に、今さら驚きはない。
けれど――
受け取った瞬間、私は息を呑んだ。
視界に飛び込んできたのは、
銀色の封蝋。
割れてなお、紋章ははっきり残っている。
8つの剣が交差する意匠。
それは王に次ぐ大貴族のみが許される紋。
――アイゼンロート公爵家。
「お父様、……これって」
「アイゼンロート公爵家だ」
爵位の順番は男爵、子爵、そして、フローレンス家も位置する伯爵。
その上に辺境の領土などを治める侯爵。
公爵はその上。
王に次ぐ爵位だ。
「そのアイゼンロート家の次期当主――エルンスト・フォン・アイゼンロートからの縁談の申し込みの手紙だ」
「公爵家がなぜフローレンス家に……?」
「手紙に書いてあったが、リリアの創薬技術が目当てらしい」
また、『創薬』関連……?
シルフィム軟膏を作ってから、どんどん日常が壊れていく気がする。
私が頑張ったから、こうなったの……?
…………いえ、違うわ。頑張ったからこそ、この話が来た。
領民にとっても、フローレンス家にとっても利益になる。
私の選択は間違っていない。
……ガルドの顔が、一瞬だけ頭をよぎる。
私は小さく首を振った。
「鉱山に囲まれた地であるため、社交会に出ることも少ないが、噂は聞いている。……威圧的で冷徹な合理主義だとな。
だが、正直、爵位の差を考えると私たちが断るのは難しい。
さて……どうしたものか」
「お父様」
喉が少しだけ詰まる。
……でも。
「答えは決まってます」
「私がアイゼンロート家とフローレンス家を結びます」
「リリア……いいのか……?」
「何を言っているのですか。……これが貴族の令嬢に課せられた使命です。私は……貴族として勤めを果たします」
――最後の縁談が始まる予感がした。




