第2話:僕のラップは海底1万メートルの水圧すら防ぎきる 前編
「……佐藤くん。頼んだ商品はすべて積み込めたかね?」
『ロコスト東新宿店』での騒動からわずか一週間。
佐藤蓮は、真っ白な高級スーツに身を包んだ老爺——グループ会長の後ろを歩いていた。
「はい、会長。特選和牛のパックから、鮮魚コーナーで仕入れた極上のマグロの中落ちまで、特別保冷用コンテナに満載です」
「うむ。君が『+α』を施してくれた食材は、我がグループの海外VIP用レセプションでも絶賛されていてね。君の技術には本当に感謝しているよ」
蓮は目覚ましい昇進を果たしていた。
会長直属の特別部署『特選商品企画部』の課長代理へと異動となり、給料も待遇も一変したのだ。
だが、今日の目的地は通常の店舗ではない。
太平洋の真っ只中、海上浮体都市のようにそびえ立つ世界各国・メガ企業合同の海底研究基地——【アビス・ポート】だった。
◇
数か月前、蓮にスキルが生まれたあの日――運命が切り開かれた、あの日。
太平洋の海底8,000メートル地点で巨大な亀裂が発掘された。
その奥に広がっていたのは、地底深く何十層にも渡って無限に広がる古代世界——通称『ジュール・ヴェルヌ地底世界』。
そこには地上にない希少な鉱石や古代遺物が眠っており、世界中から研究機関、軍関係者、そして……一獲千金を狙う人々が集まっていた。
「すっげぇ……これがアビス・ポートか……!」
甲板に出た蓮は、見上げるほど巨大な海上基地の姿に息をのんだ。
海面から突き出た無数のドックには、世界中の企業が誇る最新鋭の『深海調査用・潜水艇』がズラリと並んでいる。
ロコストグループは、この海上基地へ食料や日用品を供給する契約に食い込んでいたのだ。
聞こえてくるのはスタッフの忙しない足音、メディアの高らかなレポート。
だが打って変わってドックの雰囲気は重苦しかった。
「また失敗か! 水深8,000メートルの大穴の入り口で、第3特別調査艇が水圧に耐えきれず圧壊だと!?」
「おかしいだろ! チタン合金の特殊装甲だぞ!? 1平方センチメートルあたり1トン程度の水圧なんて、計算上は耐えられるはず——」
技術者たちの怒号と悲鳴が響き渡る。
「ダメだ! 中から『深海魚人』の群れが現れて妨害してやがる! いくら潜水艇が頑丈でも、外壁に傷をつけられたら破砕孔へ水圧が集中する! 従来の技術じゃ、あの地底世界の門すら潜り抜けられん……!」
開いた亀裂に「アビス(深淵)」の名が冠されたのも伊達ではない。
これまで見たこともない生物群——明確な知性を、いや攻撃性と悪意を備えた異形の集団があふれ出したのだから。
深海8,000メートルの極限水圧と、そこに生息する凶暴な魚人族。
二重の障壁の前に、地上最高峰の科学技術者たちが手も足も出ずにいた。
「ハッ、情けねぇな! 科学の力(笑)なんてそんなもんかよ!」
ドックの片隅で高笑いをあげたのは、全身を白銀の鎧で包んだ男だった。
背中には巨大な大剣。彼を取り囲むように、豪華な装備のパーティーメンバーが立っている。
コスプレなどではない。ここは一獲千金を狙う者が集う鉄火場なのだから。
……そう、彼らは「冒険者」である。
アビス・トレインチが口を開けたあの日、蓮の運命が切り開かれたあの日。
世界の各地で、夢物語と思われていた「特殊能力」に目覚める人々が現れた。
突如現れた理解不能な異能に世界は驚愕し、恐怖した。
……だが、人間とはどこまでも欲深く業の深い生き物だ。
「絶望におびえる人類はいまや未来を手にしたのです! 地獄の悪魔を退ける勇者たちに栄光あれ!」
大国の大統領が言葉を選び抜いて吹き上げた演説——その意図を、全世界は悟った。
化け物には化け物をぶつければいい、と。
そうして送り込まれた冒険者たちの中でもひときわ目立つ一団が、科学者たちを嘲り散らしていた。
あまりにも耳障りな雑言だが、誰もそれを遮ることができない。
「あれは……Aランク冒険者パーティー『銀翼のライオン』のリーダー、ネッツァ-チャド-ネビュラか……」
「今や世界最高峰の探索者だな。彼らの船だけが唯一、第10層まで到達しているらしい」
周囲が羨望と恐怖の混ざった視線を向ける中、大剣の男——ネッツァは鼻で笑うと、荷物の搬送作業をしていた蓮の肩をドンと強く突き飛ばした。
「おいおい、どけよジャマだ! スーパーの配達員がこんな戦場にノコノコ出てきてんじゃねぇよ!」
「あ、すみません……」
荷物を抱え直す蓮に、ネッツァは蔑むような視線を向ける。
「おい配送係。お前らみたいな泥臭い裏方がいくら上質な肉を運ぼうがな、あの海底の大穴を潜れるのは選ばれた俺たちだけなんだよ。分かったら引っ込んで——」
その時だった。
ウーッ! ウーッ! ウーッ!
港全体に、甲高い緊急警報が鳴り響く。
『緊急事態! ドック3に停泊中の「最新鋭民間潜水艇・ポセイドン号」に異変! 海底より這い上がってきた魚人部隊が外壁を損傷させました!』
『水深300メートルの調整用ドックにて、急激な水圧変化により外壁が歪み始めています! 乗組員5名が取り残されているもよう!』
モニターに映し出されたのは、水圧でみしみしと音を立てて凹んでいく潜水艇の映像だった。
外壁には魚人の鋭い爪でつけられた無数の亀裂が入っており、今にも押し潰されそうだ。
「お、おい……魚人が深海から上がってくるなんて聞いてないぞ……」
「だ、ダメだ! 今から救出艇を出しても、水圧差でハッチが開かない!」
「救出まであと10分かかる! だが潜水艇の強度は3分も持たないぞ! 乗組員が潰される!!」
現場はパニックに包まれた。
Aランク冒険者のネッツァすら、「チッ……あんな深さで外壁がイかれてちゃ助けようがねぇな。見捨てとけ」と吐き捨てて引き下がる。
「いや、引き上げようよ」
傍らの魔術師めいた少女が冷めた声を上げる。
「10分かけてもいいんだ。魚人は陸に上げちゃえば弱体化するから、そこを叩こう」
だがその声は、エンジニアたちのすがるような目に答えるものではなかった。
「諦めなよ。囮さ、『コラテラル・ダメージ』ってやつ。……こっちだって命張ってんだ」
正当な主張ではある。
無理に送り込まれた、命懸けの現場。負うべき義理など彼らにはない。
だけど……。
(助からない……潰れる……? どんな死に方だよ……)
モニターに映る苦悶の顔から目を逸らし、蓮は握りしめた拳を見つめた。
自分はただの配送担当だ。戦う力も、魔法もない。
現場に背を向けようとしたそのとき、蓮の前にウィンドウが現れた。
見慣れたそれは、いつもと違う強い光を放っている。
(何をしろって……僕に何ができるっていうんだよ! 無理だって!)
目を背け、うつむいた先の足元。
むき出しの地面に落ちる自分の影が、音もなく、しかし確かに叫んでいる気がした。
(変えてくれ……変わってくれ!)
うだつの上がらなかった、あの日の蓮がそこにいた。
「おい君! 何をする気だ! 危険だぞ!」
警備員の制止を振り切り、蓮は調整ドックの緊急エレベーターへと飛び乗った。




