第1話:バイト先での逆転ざまぁ
「おい蓮! お前、手が止まってるぞ! たんぽぽ乗せるだけの作業で何モタモタしてんだ!」
冷気が充満するスーパー『ロコスト東新宿店』のバックヤード。
魚の生臭さと金属の冷たさが漂う空間に、店長の怒声が響き渡った。
「す、すみません……!」
蓮——佐藤 蓮は頭を下げ、再びベルトコンベアの上へと視線を戻した。
流れてくるのは刺身のパック。
蓮の仕事は、そのパックの隅にプラスチック製の黄色い花——食用菊(通称:たんぽぽ)をひたすら乗せてはラップすること。それだけだ。
時給、最低賃金。
就職活動に失敗し続け、ようやく辿り着いたのがこの単純作業だった。
「はぁーあ。レンさんは気楽でいいっすよねぇ〜。毎日たんぽぽ乗せてるだけでお金もらえるんだから」
隣でへらへらと笑うのは、同期で仕入れ担当の浜真だ。
要領が良く店長に媚びを売るのも上手いこの男がまた、何かにつけて蓮を格下扱いしてバカにしてくる。
「誰にでもできる仕事だからな。代わりなんていくらでもいるんだよ」
店長は冷たく言い放つと、蓮の方も見ずに鼻で笑った。
(……僕だって、もっとちゃんと働きたいのに)
蓮は手元を動かしながら、胸の奥で呟いた。
どれだけ正確に、見栄えよくたんぽぽを添えても、誰も評価してくれない。「たんぽぽ乗せ」は、この店で最も無価値な仕事とされていた。
そう、誰にでもできる簡単な作業、何の変わり映えもない日々、そのはずだった。
しかしその日の夕方、事件は起きた。
◇
「——おい! 何だこのマグロは! 生臭くて表面がドロドロじゃないか!」
ピークタイムを迎えた店内。売場から老人の大声が響き渡った。
慌ててバックヤードから飛んで出た店長と浜真。その後ろから、蓮も様子を伺う。
声の主は、質素な和服を着た小柄な老爺だった。
その手には、浜真が今日「超特価で仕入れた」と自慢していた、安売りマグロの刺身パックが握られている。
「こんな傷んだものを売り場に並べるなんて、衛生管理はどうなっているんだ!」
「ひ、ひぃっ……!」
小柄な老人が放つ場違いなほどの眼光の鋭さに、店長は冷や汗をダラダラと流していた。
夕方の売り場には他のお客も集まり始め、ざわざわと不穏な空気が広がっていく。
焦った店長は、すぐ隣にいた浜真を睨みつけた。
おびえるかと思いきや、浜真は一瞬だけ嫌らしい笑みを浮かべると、売場の後ろに立っていた蓮をビシッと指差した。
「て、店長! これ、仕入れと管理を担当したバイトの蓮さんの仕業ですよ!」
「え……!?」
突然名前を呼ばれ、蓮は目を見開いた。
「そうです! 僕は『そのマグロは危ないからダメです』って止めたんです! なのに蓮さんが『いいから並べろ』って言う事を聞かなくて……! 頼むから店の損害、全額賠償してくださいよ蓮さん!」
浜真はすらすらと嘘を吐いた。
数時間前、解凍手順もおかしな傷みかけたマグロを見つけ、「ハママさん、これ売るの危険じゃないですか?」と注意したのは蓮の方だった。それを「たんぽぽ乗せの無能が口出すなw」と聞き流したのは浜真本人だ。
「そ……そうだ! 全て彼、蓮の独断です!」
店長も即座に乗っかった。「お客様、大変申し訳ございません! この不快なバイトは即刻クビにして、警察に突き出しますので!」
二人は完璧な手口で、すべての責任を蓮に押し付けようとしていた。
集まった客たちの冷ややかな視線が、一斉に蓮へと向けられる。
いつもの蓮なら、恐怖で震え、言われるがままに謝罪していただろう。
だが——その時、蓮の視界に『異変』が起きた。
(……なんだ、これ?)
蓮の目の前に、青く透き通ったウィンドウが浮かび上がる。
【固有スキル:刺身にたんぽぽを乗せる(Lv.1)】
※詳細:完成品に対し、概念的な『+α(価値・効果)』を強制付与する。
頭の中に、そんな無機質な声が響いた。
(刺身に……たんぽぽを……乗せる能力……? 意味がわからない。でも……)
怒鳴られればすぐに目を伏せた、そうしてやり過ごして来た。
だがウィンドウに気を取られて顔を上げれば、違う景色が見えてきた。
縮みあがる男二人の姿など、ただ情けないばかり。怖さのかけらもありはしない。
やがて生まれてきたのは、自分をハメて責任を擦り付けようとする店長と浜真への怒り。
そして何よりも――この理不尽な状況を打ち破りたいという強い願い。
青く透明なウィンドウが光り出す。
今の自分に何ができるか、何をすべきか。
その白い光が教えてくれると、わけ知らず蓮は確信していた。
無言でバックヤードに戻る。
売れ残っていたごく普通のパック——398円の『マグロの中落ち』に手を伸ばす、いや、蓮の手が吸い寄せられていく。
(こんな時まで刺身にたんぽぽを? 僕はいったい、何だって……)
ようやく浮かんだ小さな疑問、それすらもウィンドウの光に塗りつぶされていく。
刺身の上に、プラスチックの黄色いたんぽぽを、ひとつ。
――丁寧に、添える――
いつもの作業だった。毎日、何時間と繰り返すうち腕が、指先が覚えてしまった仕事。
(何でこんなこと……)
いや、違う。そうじゃない!
(頼む……変わってくれ!……変えてくれ……!)
心の中で強く念じた瞬間、たんぽぽから淡い光がこぼれてゆく。
マグロが光を吸い込んでいる――そんな「発見」を意識できたか、どうか。
蓮の目の前に浮かぶウィンドウはその文字を変えていた。
【効果発動:熟成度の極限付与 + 脂の黄金比化】
何をすべきか、もはや明らかだった。
パックを両手で捧げ持ち、混乱極まる売り場へ、再び。
「お客様。当店の不手際、誠に申し訳ございません。お詫びに……こちらをお召し上がりいただけますか」
「おい蓮! 勝手な真似すんじゃ——」
怒鳴る店長を完全に無視し、蓮はラップを外した。
一切れのマグロを試食用トングで老人に差し出す。
不快そうに眉をひそめた老人だったが、刺身から立ち上る生臭さゼロの「芳醇な香り」には抗えなかった。トングを受け取り、その身を口へと運ぶ。
「——っ!?」
次の瞬間、老人の体が硬直した。
ねっとりと舌に絡みつく上質な脂。噛むほどに溢れ出す、熟成された強烈な旨味。
ミシュラン三ツ星の高級料亭でもお目にかかれないレベルの「至高のマグロ」が、そこにあった。
「な……なんだこれは……!? 398円のパックで、これほどの味が……!? 菊の添え方一つで、素材のポテンシャルをここまで極限に引き出しているというのか!?」
見開かれた老人の目には涙すら浮かんでいた。
蓮が静かに頭を下げる。
「刺身は『完成品』ですが、ほんの少しの彩りと手入れ(+α)で、味はいくらでも変わりますから」
パックの端には、いつも見ていた一輪の黄色い造花。
もはやただの「刺身のたんぽぽ」に戻っていた。
「素晴らしい……! 本当に素晴らしい……!」
老人は激しく感銘を受けた様子で頷くと、胸ポケットから一枚の『漆黒の名刺』を取り出し、蓮に差し出した。
「私はこの『ロコスト』グループの代表だ。本日は現場のお忍び視察だったのだが……君のような本物の目利きと技術を持つ若者に出会えるとは」
「「え……会長……!?!?!?」」
店長と浜真の顔から、一瞬で血の気が引いた。
ガタガタと震え出す二人を、会長は氷のように冷たい眼光で射抜く。
「店長、そして浜真君と言ったか。自分の管理不足と仕入れミスをバイトに擦り付け、嘘の報告で保身を図るとはな。一部始終、すべて見させてもらったぞ」
「ひ、ひぃぃっ!? か、会長! 違います! これは蓮が仕組んだ罠で——!」
「言い訳は不要だ。君たちの処分は即座に人事に伝える。即刻荷物をまとめて出ていきなさい!」
「「そんなぁぁぁぁぁっ!?」」
見苦しく悲鳴を上げる二人は、駆けつけた警備員に引きずられていった。
残された売場には、温かい拍手が巻き起こっていた。
会長が蓮の肩をポンと優しく叩く。
「佐藤君と言ったね。君のその技術と誠実さ、我がグループで存分に活かしてもらいたい。明日から、本社直属の特別部署へと異動してもらう」
「え……僕が、ですか……?」
こうして、理不尽に虐げられていた「刺身にたんぽぽを乗せるだけの男」佐藤 蓮の日常は、終わりを告げたのだった——。




