第1話:機神の霊廟と、透き通る脅威
アビス・ポート第21層——通称『機神の霊廟』。
足を踏み入れた瞬間、一行を迎え入れたのは、地底世界に眠る巨大な超科学の金属構造物だった。
果てしなく高くそびえる天井からは無数の銅製パイプや怪しいルーン文字が刻まれた魔導線が張り巡らされ、見上げるほど巨大で錆びついた金属歯車が「ガチャン……ガチャン……」と重厚な音を立てて絶え間なく噛み合っている。床面に敷き詰められた冷たい鉄板の隙間からは、時折「プシューッ!」と熱気を含んだ蒸気が激しく噴き出していた。
「まあ……! なんと素晴らしい古代の蒸気機械群ですの……! この緻密な歯車の噛み合わせ、無骨でありながら洗練された構造美に、なんだか目眩がしてしまいますわ!」
マルカが額の作業用ゴーグルをクイッと跳ね上げ、少女らしくその瞳を爛々と輝かせながら周囲の複雑な機械構造をまじまじと見つめる。
だが、その心躍らせる仕草とは裏腹に、彼女の背中に背負われた大型スチームドリルはすでに微細な振動を開始していた。彼女の冒険者としての優れた聴覚と嗅覚が、蒸気の臭いに混じって漂う「生体物質の存在しない不気味な気配」を察知していたからだ。
「感心して目を見張ってる場合じゃないって、マルカちゃん。ここから先は、実体を持たない死の怪異『ポルターガイスト(光学幽霊)』と、侵入者を容赦なく迎撃する古代自動機械兵の巣窟なんだから」
エレナがいつものパリッとしたスーツ姿を崩さず、愛用の超小型タブレットを指先で手際よく操作しながら、サバサバとした口調で冷徹にデータを提示する。液晶画面の青白い光が、彼女のメガネのレンズを険しく光らせていた。
「特にこのポルターガイストたちが厄介なの。奴らは光学透過特性と霊的非実体化能力を持っているから、剣による物理攻撃はもちろん、並の属性魔法攻撃すら一切を透過してしまう。そのくせ、冒険者の精神や魂を直接引き裂いて狂わせる攻撃をしてくるから……。大企業のメガ・アビス社でさえ、ここを強行突破するために1個数億円もする超高価な『神聖霊体除去砲』を何台も配備して、ようやく独占攻略を進めているレベルの超最難関ルートなんだよね」
「数億円の神聖霊体除去砲か……。またずいぶんと大掛かりで豪華な装備だね」
蓮はエレナの説明を聞いて「うーむ」と首をかしげると、肩に掛けた生活感あふれる100均の帆布トートバッグをごそごそと漁り始めた。
古代遺物や危険な魔導具の噂が飛び交うこの最前線ダンジョンで、彼のトートバッグからカサカサと虚しい音を立てて取り出されたのは、あまりにも見慣れたプラスチック製品だった。
日本の家庭のお掃除コーナーで誰もが一度は目にしたことがある、持ち手のついたプラスチックの柄と、螺旋状の切れ目が入った白い紙粘着ローラー——そう、『カーペット用粘着クリーナー(予備テープ1本付き・100円)』である。
「来る途中のダンジョン前100円ショップで買った粘着クリーナーなんだけど。これでちょっと掃除してみるか」
「ちょっと蓮! 掃除って、何言ってるの! 相手はあらゆる物理的実体をすり抜ける概念的な透過霊体モンスターだって言ったでしょ!? 100円ショップの粘着テープで幽霊が取れるわけないでしょ!!」
エレナが即座に呆れた顔で、サバサバとしたツッコミの絶叫を響かせる。
だが、その声に応じるかのように、巨大な歯車の陰や暗い通路の奥から、ひんやりとした皮膚を撫でる不気味な冷気が一気に立ち込めてきた。
ヒュゥゥゥゥ……キシャアアアアッ!!
空気が歪み、青白く透き通った無数の人型の影——数百体にも及ぶポルターガイストが、鋭い爪を模した冷気を撒き散らしながら、壁や床を透過して蓮たちへと一斉に群がってきたのだ!
「来ますわ、蓮さん、エレナさん! 精神汚染波の数値が跳ね上がっています! 物理防護壁が意味を成しませんわ!」
マルカがスチームドリルを構え、蒸気を噴射させて警戒するが、実体を持たない相手にはドリルによる粉砕も届かない。通常なら、数億円の魔導兵器で霊体波動を干渉・消滅させるしか術がない絶望的な状況だった。
「えーっと、めくり口は……ここか」
しかし、蓮は迫り来る死の群れを前にしてもまったく動じる様子がなく、至ってマイペースにコロコロの粘着テープの端を少しだけ剥がし、準備を整えた。
そして、空中に向かって、まるで部屋のカーペットに付いた埃や髪の毛を撫でるかのように、スッとコロコロを走らせた。
コロ……コロ……。
「だーかーら! そんな紙のテープを空中に滑らせたところで何の意味も——」
エレナがツッコミを完成させるより早く、世界を揺るがす奇跡が起きた。
ピタァッ!!!
「……え?」
空間を切り裂くような、妙に粘着質な音が響き渡る。
蓮が空中で滑らせたコロコロの表面に、襲いかかってきていたポルターガイストの先頭集団が、文字通り「ベッタリ」と貼り付いたのだ。
「ギ……!? ギシャアアアアッ!??(取れない!?)」
あらゆる物理攻撃を透過し、壁すらもすり抜けるはずの光学幽霊たちが、まるでトリモチに引っかかったハエのように、必死に半透明の体をうねらせて暴れている。しかし、どれほど霊力を振り絞ろうとも、粘着テープの表面から一ミリたりとも離れることができない。
100均の徹底された企業努力と、蓮の規格外の魔力が意図せず融合した結果——その白い紙テープは「この世のあらゆる波長・概念・霊体を完璧にキャッチする超粘着空間」へと変質していたのである。
コロコロコロコロッ!
「よし、どんどん取れるぞ。思ったより埃……じゃなくて幽霊が溜まってるなこれ」
蓮は手際よく柄を動かし、右へ左へ、空中をコロコロと掃除していく。
ペタッ! ペタペタペタッ!!
「キシャアアッ!?」
「ヒ、ヒエエエエッ!?」
先ほどまで冒険者の精神を引き裂く恐怖の存在だったポルターガイストたちが、次々と粘着ローラーの表面に巻き込まれていく。
一往復するたびに数十体の幽霊がキレイに回収され、ローラーの表面はあっという間に半透明の青白い幽霊たちでぎっしりと埋め尽くされていった。
「な、なにこれ……嘘でしょ……!?」
エレナは手にしていたタブレットを落としそうになりながら、目の前で繰り広げられる滑稽かつ戦慄の光景に開いた口が塞がらない。
タブレットの霊体反応モニターが、信じられない速度でゼロに向かって低下していく。
『空間霊体密度:99.8% 減少』
『ポルターガイスト反応:捕捉・固着完了』
「物理透過の概念はどこ行った!? 100円のカーペットクリーナーに幽霊がびっしり引っかかってるって、何それ! どういうことか説明しなさいよ!」
蓮は手元を見つめ、粘着ローラーが青白い幽霊でいっぱいになったのを確認すると、フッと息を吐いた。
「あ、一回分が埋まっちゃった。でも大丈夫だ。これ、斜めめくりカット仕様だから簡単に剥がせるし」
ペリペリペリ……ッ!
蓮がテープの端を引っ張ると、気持ちのいい音とともに、数十体のポルターガイストがびっしり張り付いた一枚目の粘着紙が綺麗にめくられた。
そして、剥がされた紙の中で高密度に圧縮された幽霊たちは、逃げ出すことすら叶わず「キュウ……」と情けない声を上げて、小さな純度100%の霊導魔石へと圧縮・変化してポロリと地面に転がった。
「よし、めくって新しい面を出したから、予備テープに掛け替える前に残りのやつも掃除できるね」
コロコロコロッ!
「ギ、ギシャアアアッ(逃げろー!)」
かつて無数の冒険者を発狂させ、メガ・アビス社が数億円の神聖霊体除去砲を配備して厳重に警戒していた最凶の光学幽霊たちが、今や掃除機から逃げ惑うゴミのように悲鳴を上げて散の子を散らすように逃走し始めた。
しかし、蓮の巧みなコロコロ捌きからは逃れられず、次々と白い粘着テープの餌食になっていく。
「……マルカちゃん、これどう思う?」
エレナが遠い目をして尋ねると、マルカはドリルを肩に担ぎ直し、苦笑いを浮かべながら言った。
「え、ええと……蓮さんのおかげで、霊廟の空気がとっても清々しくて、埃っぽさもなくなりましたわね……!」
「そういう問題じゃないでしょ!!」
ほんの数分前まで死の冷気が満ちていた古代の金属廊下は、すっかり掃除が行き届き、ピカピカに磨き上げられたかのように快適な空間へと変貌を遂げていた。
「ふぅ、きれいになった。予備テープも1本ついてるし、この先の階層でもまだまだ使えそうだね」
蓮は満足そうに笑うと、100円の粘着クリーナーをトートバッグへと大事そうに仕舞い直した。
メガ・アビス社が莫大な予算と最新兵器を投入して死闘を繰り広げている最難関ダンジョンで、100円ショップの掃除用具が再び完全勝利を収めた瞬間であった。




