第6話:崩壊する水車と見苦しい責任転嫁
「PDCAサイクル」という魔法の言葉で現場にすべてを丸投げしてから、五日が経過していた。
その間、ゼノンはただの一度も川辺の建設現場へ足を運ばなかった。「指導者が口を出しすぎると現場の自主性が育たない」という、ネットのビジネス記事で読んだようなもっともらしい理由をつけて、アリアが差し出す果実水を飲みながら昼寝を繰り返していたのだ。
そんなある日の午後、泥と木屑で真っ黒になったドノバンが、息を切らして村の中央広場へ駆け込んできた。
「ゼノン様! ゼノン様ぁっ! できましたぜ、あんたの言った『水車』が!」
その声に、うとうとしていたゼノンは薄く目を開けた。
周囲にいた村人たちが歓声を上げ、わらわらと集まってくる。皆、この五日間、ドノバンたち男衆が不眠不休で木を切り、削り、組み立てていたのを知っているのだ。
「ほう。ずいぶんと早かったな」
ゼノンはあくびを噛み殺しながら、ゆっくりと立ち上がった。
「現場の知恵とやら、見せてもらおうか。案内しろ」
村長やアリアをはじめ、期待に胸を膨らませた村人たちの大行列を従え、ゼノンは悠然と川辺へ向かった。
しかし、現場に到着してその「完成品」を目にした瞬間、ゼノンの顔から余裕の表情が消え去った。
「……なんだ、これは」
思わず口から漏れたのは、純粋な呆れ声だった。
川の浅瀬に設置されていたのは、ゼノンがネットの画像で見たような、美しく真円を描く水車ではなかった。
太さも長さもバラバラな丸太を、無理やり蔓と粗悪な鉄釘で繋ぎ合わせた、歪な十角形のような巨大な木組みだった。水を汲むための桶も、角度がデタラメに取り付けられており、どう見てもバランスがおかしい。
中心を通る軸はただの極太の丸太で、それを支える台座の木と直接こすれ合う構造になっていた。
「へへっ、どうですかいゼノン様!」
ドノバンは誇らしげに鼻をこすった。
「あんたの言った通り、まずは作ってみる『あじゃいる』ってやつでやってみました! 木を曲げる技術がねえから、短い丸太を繋ぎ合わせて輪っかにしたんです。摩擦の問題は、獣の脂をこれでもかってくらい塗りたくって滑りを良くしときやした!」
(いやいやいや、ゴミじゃねえか!)
ゼノンは内心で激しくツッコミを入れた。
素人目に見ても、あんな不格好な物体がスムーズに回転するとは思えない。だが、村人たちは「ついに川の水が勝手に汲み上げられる」と信じて疑わず、拝むようにその歪な木組みを見つめている。
今さら「こんなの動くわけないだろ」とは言えない。自分が「細かい実務は任せる」と豪語してしまった手前、ここでダメ出しをすれば自分の指導力を問われることになる。
「……ふむ。まあ、見栄えは悪いが、第一段階のプロトタイプとしてはこんなものだろう。回してみろ」
ゼノンが鷹揚に頷いて見せると、ドノバンは嬉しそうに男たちに指示を出した。
「おう! それじゃあ野郎ども、堰き止めてた土嚢をどかせ! 水流を当てろ!」
男たちが川の流れを変えていた土嚢を撤去すると、勢いよく水が「水車もどき」にぶつかった。
ドパァッ!という水飛沫とともに、歪な巨大木組みがゆっくりと動き始める。
「おおおおっ!!」
「回った! 水車が回ったぞ!!」
村人たちから割れんばかりの歓声が上がった。
桶が水をすくい上げ、上空へと持ち上げていく。ゼノンも一瞬、(お、なんだ。案外適当に作っても動くもんだな)と安堵の息を吐きかけた。
しかし、歓喜の時間は数秒しか続かなかった。
ギギギギギギギッ……!!
水車が半回転したところで、周囲の歓声をかき消すほどの耳障りな軋み音が響き渡った。
「な、なんだ!?」
ドノバンが顔色を変える。
原因は明白だった。
不揃いな丸太で作られた輪は、回転するたびに重心が偏り、すさまじいブレを生み出していた。さらに、水を汲み上げた桶の角度が悪く、頂上に達する前に水がすべてこぼれ落ちてしまっている。水路に水が流れるどころか、ただ川の水を空中でばら撒いているだけだ。
そして何より致命的だったのは、中心の「軸」だった。
巨大な木組みの自重と、激しい水流の圧力。それらが一点に集中する軸受けの台座では、獣の脂など一瞬で絞り出され、木と木が直接悲鳴を上げてこすれ合っていた。
キュルルルルッ! バキッ!
「あっ! 軸から煙が……!」
アリアが悲鳴を上げた。摩擦熱により、台座から白い煙が上がり始めたのだ。
「止めろ! 土嚢を戻せ!」
ドノバンが叫んだが、もう遅かった。
水を吸って極限まで重くなった歪な十角形の木組みは、偏った重心に遠心力が加わり、自壊へのカウントダウンを始めていた。
繋ぎ目に巻かれていた蔓がブチブチと千切れ、粗悪な鉄釘が弾け飛ぶ。
メキメキメキッ……ドッシャアアアアアン!!
凄まじい轟音とともに、村の男たちが五日間不眠不休で作り上げた水車は、ただのゴミの山となって川の中へ崩れ落ちた。
バラバラになった丸太の破片が、無情にも川下へと流されていく。
「あ……ああ……」
ドノバンはその場にへたり込み、絶望の声を漏らした。
村人たちも言葉を失い、呆然と川面を見つめている。希望が一瞬にして絶望へと変わった瞬間だった。
(うっわ、マジで壊れやがった……)
ゼノンは冷や汗を拭いながら、一歩後ずさった。
どう考えても、力学的な計算も図面もなしに丸投げした自分の責任である。しかし、三十五年間、失敗を他人のせいにして生きてきた男の脳は、この期に及んでも自己保身の言い訳だけを高速で組み立てていた。
「ゼノン様……」
涙目のドノバンが、すがるような視線を向けてきた。
「こ、これは一体……俺たちの作り方の、何が悪かったんでしょうか……」
その問いかけに対し、ゼノンはわざとらしく深い溜息を吐き、そして――突然、声を荒らげた。
「何が悪かったかだと!? ふざけるな!!」
ビクッと、村人たちが肩を震わせる。
ゼノンは顔を真っ赤にして、ドノバンを指差した。
「お前たちの技術レベルの低さには呆れてものも言えん! 私が完璧な『三圃式農業』と『水車の自動化』という理論を与えてやったのに、なんだあのゴミは! 真円すら作れないのか! 軸の強度計算すらできないのか! 小学生でももう少しマシな図工ができるぞ!」
「で、ですがゼノン様! 俺たちは言われた通り、現場で考えて……」
「言い訳をするな! すべてはお前たちの技術不足、いや、知能の低さが原因だ! 崇高な設計図を渡されても、三流の職人には組み立てられないということがよく分かったよ!」
設計図など最初から一枚も渡していないにもかかわらず、ゼノンは堂々と責任を押し付けた。ネット掲示板で論破された時、相手の言葉尻を捕らえて人格否定に走るのと同じ手口だ。
「せっかくこの村を救ってやろうと思ったが……無駄だったようだな。豚に真珠、お前たちに現代知識だ。もういい、私を失望させるな」
ゼノンは冷酷な言葉を吐き捨てると、くるりと背を向け、村の広場へと歩き出した。
背後からは、誰の反論も聞こえてこない。ただ、ドノバンのすすり泣く声と、村人たちの絶望に満ちた沈黙だけが、静かに川辺を満たしていた。
(ふぅ……あっぶねぇ。なんとか誤魔化せたか。まあ、失敗したのは俺のせいじゃないしな。あいつらが勝手に作ったものが勝手に壊れただけだ。俺は悪くない。絶対に、俺は悪くない)
崩壊した水車のことなどすでに頭から消し去り、ゼノンはいかにして自分の威厳を保ったままこの村に居座り続けるか、それだけを考えていた。
だが、彼のこの浅ましい責任転嫁が、村人たちの心に決定的な「不信感」の種を植え付けたことに、この時の彼は気づいていなかった。




