第4話:狂乱の宴と肥大化する自尊心
その日の夜、村の中央にある広場には煌々と焚き火が焚かれ、村人たちが総出でゼノンを囲んでいた。
普段はその日のパンにも困るような生活をしている彼らだが、村長が「救世主への対価だ。備蓄をすべて解放しろ!」と号令をかけたことで、村中のなけなしの食材が集められていた。
「さあさあ賢者様! どうぞこちらの酒も!」
「ゼノン様、私がお注ぎしますね!」
ゼノンの両脇には、アリアをはじめとする村の若い娘たちが陣取り、甲斐甲斐しく世話を焼いている。彼女たちの着ている服は粗末で所々ほつれているが、スッピンの素朴な美しさは、ネットの加工画像ばかり見てきたゼノンにとって新鮮かつ強烈な魅力があった。
何より、自分に向けられる瞳が100パーセントの「尊敬」と「崇拝」で構成されていることがたまらない。
「あぁ、すまないね。まあ、俺にかかればこの程度の奇跡、息を吐くより簡単なことなんだけどな。ははは!」
差し出された木組みのジョッキをあおり、ゼノンは上機嫌で笑った。
中身の酒は酸味が強く、薄められた安い果実酒のようだった。出された食事も、石のように硬い黒パンと、野菜のくずが浮いた塩気の薄いスープ、それに筋張った野鳥の丸焼きだけだ。
日本にいた頃なら「こんなゴミみたいな飯が食えるか」と母親に皿を投げつけていたレベルの粗食だが、空腹の限界だったゼノンは、威厳を取り繕いながらも貪るように平らげていた。
「おお……なんと豪快な食べっぷり。やはり偉大な賢者様は生命力も桁違いじゃ!」
「それに、私たちのこんな粗末な食事を文句一つ言わずに召し上がってくださるなんて……なんてお優しく、慈悲深いお方なの……!」
(いや、ただ腹が減ってただけなんだけどな)
心の中でツッコミを入れつつ、ゼノンは「神の御遣いなのだから、民の食事を共に味わうのは当然のことだ」と鷹揚に頷いてみせた。その言葉に、村人たちはさらに感極まって涙ぐむ。
たまらない。この圧倒的な承認欲求の満たされ方はどうだ。
現実世界の日本で、冴木誠という男に向けられていたのは「軽蔑」か「無視」のどちらかだった。部屋から一歩も出ず、ネット掲示板で顔の見えない相手とレスバトルを繰り広げ、勝った気になって優越感に浸るだけの毎日。
だが、ここは違う。
ちょっと聞きかじった中学生レベルの社会科の知識を披露しただけで、村中がひれ伏し、美少女たちが身を寄せてくるのだ。
(やっぱり、俺が底辺だったのは日本の社会システムが狂ってたからだ。俺の本当の価値を理解できないバカばかりだったんだよ。この異世界こそが、俺という天才の真価を発揮できる場所なんだ!)
ゼノンは気持ちよく酔いが回ってきた頭で、バラ色の未来を思い描いていた。
水車を作って村を豊かにし、その実績を元に領主や貴族に取り入る。現代知識で内政チートを繰り返し、あっという間に出世街道を爆走する。金も名誉も女も、すべて思いのままだ。
「ふっ……ふはははは!」
思わず漏れ出た邪悪な笑い声も、村人たちには「救いのビジョンを見据える賢者の微笑み」として受け取られていた。
宴が最高潮に達した頃、ひとりの筋骨隆々な男がゼノンの前に進み出た。
顔には深いシワが刻まれ、太い腕にはいくつもの傷跡がある。村の木工や建築をを一手に引き受けている、ドノバンという職人だった。
「賢者ゼノン様。あんたの言った『水車』とやら、ぜひ俺に作らせてくれねえか」
ドノバンは真剣な眼差しでゼノンを見据えた。
「川の力で水を持ち上げるなんて、俺の人生で聞いたこともねえ。だが、あんたの言葉には嘘がないと俺の職人の勘が言っている。明日からすぐにでも取り掛かりてえ。俺たち男衆が総出で木材を切り出してくるからよ」
「ほう、素晴らしい意気込みだ。労働の喜びを知る者は美しいぞ、ドノバン」
ゼノンは偉そうにふんぞり返りながら答えた。
「おう! それでよ、賢者様。さっそくで悪いんだが、その『水車』の図面か、細かい仕組みを教えてもらえねえか? 歯車ってやつの噛み合わせや、水を汲む桶の角度、軸の太さ……俺の頭じゃ想像もつかなくてよ」
ドノバンの具体的な質問に、ゼノンの顔から一瞬だけ笑みが消えた。
(……図面? 歯車の噛み合わせ? 桶の角度?)
そんなもの、知るわけがない。ゼノンが知っているのは「水車は川の流れで回って水を汲み上げる」というフワッとした概念と、ネットの画像検索で見た外観だけだ。
力学的な計算どころか、日曜大工すらしたことがないのだから。
心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。しかし、ここで「知らない」と言えば、一瞬にして築き上げた自分の権威が崩れ去ってしまう。
ゼノンは咄嗟に、ネット掲示板で相手の質問をはぐらかす時に使っていた「論点ずらし」と「謎の上から目線」の技術を繰り出した。
「……やれやれ。ドノバン、お前は少し視野が狭いようだな」
「えっ?」
「私は『設計思想』という崇高なビジョンを授けたのだ。それを作り上げるのは、現場に生きるお前たちの仕事だろう? 私が手取り足取り図面まで引いてしまっては、お前たちの技術は永遠に向上しない。違うか?」
ゼノンは立ち上がり、ドノバンの肩をポンと叩いた。
「俺はあえて、お前たちの自主性に任せることにした。試行錯誤し、自分たちの手で未来を切り拓くんだ。俺はそれを見守るのが役割だ。……細かい部分は、お前の職人魂で見事作り上げてみせろ!」
適当なビジネス用語と自己啓発めいた言葉を並べ立てただけの詭弁だったが、無知ゆえに純粋な村の職人には、それが恐ろしく深い親心のように響いたらしい。
「け、賢者様……! あんた、そこまで俺たちのことを……!」
ドノバンはボロボロと男泣きを始めた。
「わかりやした! このドノバン、命に代えてもあんたの『びじょん』とやらを形にしてみせまさあ! 明日から寝ずに働くぞ、野郎ども!」
「おおおおっ!!」
村の男たちが雄叫びを上げ、宴の熱気は最高潮に達した。
ゼノンは安堵の息を吐きながら、内心で冷や汗を拭った。
(あっぶねぇ……。まあ、適当に木を組んで丸くすりゃあ、あとは川の流れが勝手に回してくれるだろ。所詮は水車だしな。俺の仕事はここまでだ。あとは現場の底辺労働者どもが汗水垂らして働けばいいんだよ)
根本的な問題をすべて丸投げし、都合の悪い現実から完全に目を背けたゼノン。
自分の吐いた嘘と無責任な言葉が、明日以降、この村にどれほどの絶望をもたらすことになるのか。酔いと自己陶酔に浸る三十五歳の男は、微塵も気づいていなかった。




