第3話:賢者の浅知恵と救済の口丁
アリアに案内されて通されたのは、村の中央にある一回り大きな小屋だった。とはいえ、隙間風が吹き込むみすぼらしい造りであることに変わりはない。
そこには、深く皺の刻まれた顔に疲労を滲ませた初老の男が待っていた。この村の村長だという。
「アリアや、その妙な身なりの男は一体……?」
「村長様、このお方は森の奥で深い瞑想をされていた賢者、ゼノン様です! きっと、神様が私たちの村を救うために遣わしてくださったに違いありません!」
アリアが興奮気味にまくしたてると、村長は胡乱な目をゼノンに向けた。無理もない。どう見ても薄汚れた灰色のスウェット上下を着た、猫背で小太りの三十五歳である。威厳など欠片もない。
しかし、ここで怯んでは「レスバ最強」の名が廃る。ゼノンはわざとらしく重々しい咳払いをした。
「……疑うのも無理はない。だが、私の目は誤魔化せんぞ。この村、酷い有様だな。土は痩せ細り、民は飢えと渇きに苦しんでいる。長たる者の無能が招いた悲劇、といったところか」
ゼノンの高圧的な態度と、痛いところを突かれた言葉に、村長は顔をしかめた。
「……旅の御仁の言う通りじゃ。この数年、雨が少なく作物が育たん。おまけに、長年同じ麦を作り続けたせいで、土の『精霊の力』が枯れ果ててしもうた。川は村の外れにあるが、谷底のように低い場所を流れており、水を汲み上げるだけで村人の体力は限界じゃ……」
村長が悲痛な顔で語るのを聞きながら、ゼノンは内心でガッツポーズを決めていた。
(きたきたきた! 典型的な中世農業の停滞期! 連作障害に水不足とか、マジでテンプレ通りじゃねえか。精霊の力? バカ言ってんじゃねえよ、ただの土壌の窒素不足だろうが。ここで俺の『現代知識』を披露して、格の違いってやつを見せつけてやる!)
ゼノンはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、わざとゆっくりと立ち上がった。
「愚かだな、実に愚かだ。精霊の力などというオカルトにすがるからそうなる。いいか、お前たちの農業は根本的に間違っているんだよ!」
「な、間違っているとは……!?」
「『三圃式農業』を知らないのか? 畑を三つに分け、一つに冬穀物、一つに夏穀物、そして残りの一つを休耕地にして家畜を放牧するか、クローバーなどのマメ科の植物を植えるんだ」
「さ、さんぽしき……? 休耕地? 畑を休ませるなど、ただでさえ収穫が少ないのに飢え死にしてしまいますぞ!」
村長が反論するが、ゼノンは鼻で笑った。ネットの知識をそのまま垂れ流すだけの彼にとって、相手の反論は「無知の証明」でしかない。
「だからお前らは低学歴……いや、無知なんだよ。マメ科の植物はな、根にある菌が空気中の『チッソ』を取り込んで土を豊かにするんだよ! 家畜の糞尿も肥料になる。これを三年周期で回せば、永久に豊かな土壌が保てるんだ。Wikipedia……いや、我が師の書物にもそう記されている!」
「チッソ……? 空気中の力を土に取り込む……!?」
村長とアリアは顔を見合わせた。彼らにとって、それは魔法か神の奇跡のように聞こえたに違いない。窒素固定の正確なメカニズムなどゼノン自身も全く理解していなかったが、それらしい単語を並べるだけで異世界人は簡単に騙されてくれる。
「土の問題はそれで解決だ。次は水だな。谷底の川から手作業で汲み上げていると言ったな? 原始人かよ。そんなものは『水車』を作れば一発で解決だ」
「すいしゃ……とは、水車の魔道具のことでございますか? あんな高価なもの、王都の貴族しか……」
「魔道具? 違う違う、ただの物理法則だ」
ゼノンは得意げに腕を組み、ドヤ顔で語り出した。
「大きな木の輪っかに桶をいくつも取り付ける。それを川の流れに任せて回せば、勝手に水を汲み上げて上へ運んでくれるんだよ。あとは水路を作って畑に流すだけだ。二十四時間、文句も言わずにタダで働き続ける最強の自動化システムってわけだ」
その言葉に、小屋の中は水を打ったような静寂に包まれた。
村長はワナワナと震え出し、やがてその目から大粒の涙をこぼした。
「おお……おおお……! 川の力で、勝手に水が上へ昇ってくる……! なんという奇跡! なんという叡智! あなた様は、やはり本物の賢者様でいらしたか!」
「すごい、すごいですゼノン様! これで村は救われます!」
アリアも尊敬の眼差しを向け、ゼノンの手を両手でぎゅっと握りしめた。柔らかく温かい少女の手の感触に、ゼノンの承認欲求は限界突破しそうだった。
(ふ、ふははははは! チョロすぎる! 俺の言うことをノートに書き写す勢いで聞き入ってやがる。日本のネットじゃ『ソース出せ』だの『浅い』だの叩いてきた連中め、見たか! これが俺の本当の価値だ! この世界なら、俺は神にすらなれる!)
有頂天になったゼノンは、もはや自分が世界を統べる王にでもなったかのような錯覚に陥っていた。
「ま、俺の天才的な頭脳にかかればこれくらい造作もないことだ。安心しろ、この村の復興は俺がプロデュースしてやる」
「ありがたや……! 皆の者、今宵は賢者様を歓迎する宴じゃ! なけなしの蓄えじゃが、すべてを注ぎ込んで賢者様をおもてなしするのじゃ!」
村長が外に向かって叫ぶと、集まっていた村人たちから歓声が上がった。
彼らは希望に目を輝かせ、ゼノンを救世主として崇め奉った。ゼノンは満面の笑みで手を振りながら、これからのバラ色の異世界ライフに胸を躍らせていた。
だが、この時の彼は完全に忘れていた。
『三圃式農業』に必要な作物の種も家畜も、この貧しい村には存在しないことを。
そして何より、『水車』という複雑な建造物を一から設計し、木材を切り出し、組み立てるための「図面」も「技術」も、彼自身の中に一切存在していないという残酷な事実を。
ネットで拾った「概念」だけを振りかざした男の、メッキが剥がれるまでのカウントダウンは、すでに静かに始まっていた。




