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35歳職歴なしのレスバ最強ニート、火事で死んで異世界転生したから現代知識で無双しようとした結果  作者: 八咫 日本


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第20話:名もなき罪人の最期と、変わらぬ世界(最終話)

冷たい石の床に横たわる冴木誠の体は、もはやただの骨と皮の袋に過ぎなかった。

「嘆きの地下鉱山」の最下層にある、陽の光が永遠に届かない暗牢。彼がここに放り込まれてから、何日、あるいは何週間が過ぎたのか、彼自身にも分からなかった。与えられるはずだったわずかな水さえも、看守が忘れたのか意図的に無視したのか、ここ数日は全く配給されていなかった。

飢餓と脱水症状が極限に達し、誠の意識は現実と幻覚の狭間を漂い始めていた。

薄暗い牢屋の石の天井が、時折、見慣れた四畳半の天井に見えた。鉱山のカビ臭い空気は、いつの間にか飲みかけのコーラとコンビニ弁当の酸い匂いにすり替わっている。

「……あぁ、レス、返さなきゃ……」

ヒュゥ、ヒュゥと浅い呼吸を繰り返しながら、誠は虚空に向けて震える指を動かした。

何もない空中で、カタカタとキーボードを叩く真似をする。彼の脳内では今、自分をバカにした異世界の住人たちを、ネットの掲示板で完膚なきまでに論破している最中だった。

(アリアの奴……俺がペニシリンの作り方を教えてやったのに、感謝一つしやがらないで……。ゴルドも、俺の火薬の才能に嫉妬して罠にハメたんだ。暴動を起こした奴隷どももそうだ。全部あいつらが悪い。あいつらが低学歴で、無知で、俺の崇高な理論を理解できない土人だから……!)

頭の中だけで都合の良い言い訳を並べ立て、仮想の敵を罵倒し続ける。そうしなければ、惨めで無価値な自分の現実を直視してしまいそうだったからだ。

「ふ、ふはは……どうだ、ぐうの音も出ないだろう……俺の勝ちだ。俺は賢者なんだから……」

だが、虚空を叩いていた指先が、ふと冷たい石の床に触れた。

その圧倒的な現実の冷たさと硬さが、誠を甘い幻覚から無情に引きずり戻した。

目の前にあるのは、デュアルディスプレイの青白い光ではない。果てしなく続く暗黒だ。

力強く響くはずのキーボードのタイピング音はない。聞こえるのは、自分の死にかけた哀れな呼吸音だけ。

「あ……れ……?」

唐突に、誠の心に巨大な恐怖が押し寄せてきた。

誰もいない。誰も見ていない。ネットの掲示板なら、誰かが必ず反応してくれた。罵倒であれ、嘲笑であれ、自分がそこに存在しているという証明があった。

しかし、この異世界の暗闇には何もない。彼を気にかける者は、ただの一人も存在しないのだ。

「いやだ……いやだ、一人は嫌だ!」

誠は最後の力を振り絞って、石の床を掻きむしった。剥がれた爪から血が滲むのも構わず、ひび割れた喉の奥から悲鳴を絞り出す。

「お母さん! お母さん、助けてよ! ごめんなさい、俺が悪かったから! もう部屋から出るから、働くから、だから助けて! 誰か! 誰かぁぁっ!」

かつて見下していた親にすがりつき、泣き叫ぶ。しかし、その声は分厚い石壁に吸い込まれ、誰の耳にも届くことはなかった。

三十五年間、責任から逃げ続け、他人の努力を鼻で笑い、口先だけの知識で世界を征服できると本気で信じていた男。

彼が最後に直面したのは、己の無能さをごまかすための弁明すら許されない、残酷なまでの孤独な死だった。

「か、みさま……おれは……とくべつな……」

ヒュゥッ、と。

最後に肺から空気が漏れる音がして、誠の体はビクンと一度だけ跳ねた。

そして、開いたままの濁った瞳から一筋の涙をこぼし、完全に動かなくなった。

冴木誠、異世界での自称「賢者ゼノン」。

享年三十五。そのあまりにも滑稽で、情けない人生の幕引きだった。

数日後。

独房の様子を見に来た看守が、異臭を放ち始めた誠の遺体を発見した。

「チッ、死んでやがる。だから新入りは面倒なんだ。おい、片付けるぞ」

看守たちは顔をしかめながら、誠の足を乱暴に掴んで引きずり出した。彼らにとって、囚人が死ぬことなど日常茶飯事であり、そこに同情や感傷など一切ない。ただの不快なゴミの処理でしかなかった。

誠の痩せこけた遺体は、鉱山の裏手にある底なしの縦穴――名もなき罪人たちの死体をまとめて捨てるための処理穴――へと運ばれた。

「いち、にの、さん」

無造作に放り投げられた体は、深い闇の中へと落ちていき、やがて鈍い音を立てて他の骨の山に混ざった。

墓標もない。葬いもない。彼がこの世界に生きていたという痕跡は、たった数日で完全に消え去った。

誠が消えた後の異世界は、驚くほど何も変わらなかった。

アリアの住む辺境の村では、ゼノンが破壊した水車の残骸を村人たちが自力で片付け、ドノバンを中心にもう一度、自分たちの手と知恵だけで小さな水路を引き直していた。地道な努力が実を結び、村は少しずつだが豊かさを取り戻しつつあった。

商業都市バロアでは、爆発で吹き飛んだギルドの倉庫が新たに建て直され、今日も商人たちが活発に取引を行っている。

彼らは誰も、ゼノンのことなど思い出さなかった。

思い出す価値すら、彼にはなかったのだ。

ネットの浅知恵だけで無双しようとした最強のニートは、異世界の歴史に何一つの影響も与えることなく、ただの迷惑で哀れな詐欺師として忘れ去られた。

彼がかつて夢見た「自分に都合の良い異世界」など、最初からどこにも存在しなかったのである。

(了)

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