第19話:孤独の底と幻影の故郷
「嘆きの地下鉱山」の最深部、光の届かない独房の冷たい床に、冴木誠――ゼノンは転がっていた。
あの日の愚劣な暴動は、数時間の内に完膚なきまでに鎮圧された。首謀者として名指しされたゼノンには、過酷な労働どころか、薄暗い狭い牢屋への監禁と、一日一回のわずかな水という罰が下された。
カビの生えたパンの欠片すら与えられず、数日間飢えと渇きに耐え続けた彼の肉体は、すでに人間の形を保つのがやっとのところまで崩れ果てていた。頬は極限までこけ、目は落ちくぼみ、あばら骨は皮一枚を通して痛々しく浮き出ている。
「はぁ……はぁ……、寒い……痛い……腹が減った……」
ゼノンは震える両手で自身の細くなった腕を抱きしめ、牢屋の石の床にうずくまっていた。
かつてネット掲示板で他人を嘲笑い、安全な部屋から世界を支配しているつもりになっていた男の面影は、どこにも残っていない。
しかし、その肉体がどれほどボロボロになろうとも、ゼノンの脳髄に巣食う「歪んだ自負」と「他責思考」だけは、奇妙な悪臭を放ちながら生き残り続けていた。
(なんで……なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ……)
うわ言のように、ゼノンは泥の味しかしない口を動かす。
(俺は悪くない。あの村人どもも、あの商人どもも、この鉱山の奴隷どもも……全員、俺の高度な理論を理解できない無知なバカばかりだ。俺ほどの天才を正しく処遇できないこの世界が狂ってるんだ……!)
最後まで、自らの過ちを認めることはなかった。
自分が水車を作れなかったのは村人の技術不足。火薬で大爆発を起こしたのはギルドが悪い材料を渡したから。暴動が失敗したのは奴隷たちが無能だったから。
すべての失敗を他人のせいにし、自分は常に「正しく、選ばれた被害者」であり続けることで、彼は自分の心が完全に崩壊するのをかろうじて防いでいた。
いや、防いでいるつもりになっていただけだった。
「……お母さん……」
ふと、ゼノンの口から掠れた声が漏れた。
極限の飢餓と孤独の中で、彼の脳裏にフラッシュバックしたのは、かつて自分が何十年も引きこもり続けていた、あの四畳半の自室だった。
冷暖房が効き、埃っぽいが安心できたあの部屋。
文句を言いながらも、毎日決まった時間に母親がドアの前に置いてくれた温かい弁当。
そして、どれだけ夜更かしをしても誰にも怒られず、ただ目の前のモニターに向かってキーボードを叩き、ネットの海で「最強の自分」を演じ続けていられたあの日常。
「帰りたい……あそこに……帰してくれよ……」
涙が枯れ果てた眼窩から、熱いものがぽろぽろと零れ落ちた。
あの頃の彼は、社会から見れば「ただの引きこもりニート」であり、負け犬だったかもしれない。だが、少なくともその小さな部屋の中では、彼は「世界の王」だったのだ。
現実の厳しさ、人間の怒り、暴力、そして責任という重圧から完全に逃避し、甘い幻想の中で一生を過ごすことができた。
それを自ら「異世界転生して無双してやる」などという身の程知らずな野望を抱き、外の世界へ飛び出したせいで……すべてを失い、こんな薄汚い穴倉の底で犬死にしようとしている。
「俺は……俺はただ、ネットでレスバに勝って、チヤホヤされたかっただけなのに……なんでこうなったんだよ……!」
独房の冷たい壁に向かって、ゼノンは情けなく泣き叫んだ。
しかし、どれほど声を枯らそうとも、誰も答えてはくれない。あの懐かしい実家の母親がドアを開けてくれることもなければ、匿名掲示板の画面の向こうから「お前は悪くない」と慰めてくれる優しいレスがつくこともない。
ここは現実の異世界であり、彼は自らの無能さと無責任さによって、誰からも必要とされず、誰からも愛されない「完全な孤独」という名の牢獄に囚われていた。
差し伸べられる救いの手など、最初から存在しない。
ただ静かに、誰にも看取られることなく、己の妄想と後悔の中に沈んでいくだけ。
「うっ……あぁ……」
ゼノンは力なく床に倒れ込み、引きつった痙攣を最後に、ぴくりとも動かなくなった。
三十五年間、部屋の中から世界を呪い続け、異世界に飛ばされてからも口先だけで他者を踏みつけにし続けた男の精神は、ここで完全に音を立てて砕け散ったのだった。
残されたのは、ただ肉体が静かに冷えていくのを待つだけの、名もなき廃人の抜け殻だけだった。




