第13話:無知の代償と大爆発
カチッ。
火打ち石から飛んだ、ほんの一筋の小さな火花。
普段ならば、すぐに虚空で消え失せる程度の微弱な熱量に過ぎない。しかし、現在の石造り倉庫内は、完全に乾燥した硫黄、木炭、硝石の微粒子が極限まで充満し、空気と完璧に混ざり合った「爆発限界」に達していた。
火花が粉塵の一つに触れた瞬間、時間は静止したかのように思えた。
「粉塵爆発」――それは、空気中に浮遊する可燃性の微粒子が連鎖的に引火し、爆発的な燃焼を引き起こす現象である。現代の工場などでも厳重な警戒が敷かれる恐ろしい災害を、ゼノンは密閉された空間で、自らの手によって意図せず引き起こしてしまったのだ。
シュガァッ!!
ゼノンの視界が、瞬時に純白の閃光で塗り潰された。
「え……?」
間の抜けた声を上げる暇すらなかった。閃光に遅れてやってきたのは、内臓を直接握り潰されるような凄まじい衝撃波と、すべての音を奪い去るような轟音だった。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
商業都市バロアの空を裂き、大地を揺るがす大爆発。
分厚い石壁で覆われていたはずのギルドの倉庫は、内側から発生した途方もない膨張圧力に耐えきれず、まるで安物の風船のように内側から弾け飛んだ。
数百キロの巨大な石の破片が砲弾のように四方八方へ飛び散り、隣接していたギルドの別棟や、周囲の塀を紙くずのように粉砕していく。
「あばばばばばばばっ!?」
爆心地にいたゼノンは、爆風と熱線をモロに浴び、倉庫の分厚い鉄扉ごと空の彼方へ吹き飛ばされた。
本来なら即死していてもおかしくない威力だったが、運悪く(あるいは運良く)樽の陰にいたことと、扉が盾になったことで、ゼノンの体は中庭の石畳を何度もバウンドしながら無様に転がっていくにとどまった。
「……が、あ……ッ」
どれほど転がっただろうか。
ゼノンは瓦礫の山に突っ込んで、ようやく停止した。
鼓膜は完全に破れ、キーンという不快な耳鳴りしか聞こえない。全身の服は焼け焦げ、皮膚には無数の火傷と打撲の痛みが走っている。しかし、急激に分泌されたアドレナリンのせいで、痛みよりも思考の混乱が勝っていた。
ゼノンは煤で真っ黒になった顔を上げ、焦点の定まらない目で周囲を見渡した。
そこには、まさに地獄が広がっていた。
さっきまで自分が立っていた石造りの倉庫は跡形もなく消え去り、地面には巨大なクレーターが穿たれている。周囲の建物は半壊し、赤々と炎を上げて燃え盛っていた。
そして何より酷いのは、巻き込まれた人々の惨状だった。倉庫の警備に当たっていた門番たちや、隣の建物で働いていたギルドの職員たちが、飛散した石の破片を浴びて血まみれで倒れ、呻き声を上げている。
「な、なんだこれ……何が起きたんだ……?」
ゼノンの足りない頭では、粉塵爆発のメカニズムなど理解できるはずがなかった。
「ちょっと火をつけただけなのに、なんで樽の火薬ごと全部爆発してんだよ!? 俺は一掴み分しか燃やしてないのに!」
化学反応の恐ろしさを知らない無知な男は、未だに自分が何を引き起こしたのか分かっていなかった。
その時、半壊したギルド本部の入り口から、顔を真っ赤にして激怒する男が飛び出してきた。
商人ギルドの長、ゴルドである。
彼の豪奢な服は埃にまみれ、額からは一筋の血が流れていた。突然の大爆発に巻き込まれ、あわや命を落とすところだったのだ。
「ゴ、ゴルド……!」
ゼノンは朦朧とする意識の中で、ゴルドの姿を認めた。
そして、その肥大化した自己愛と歪んだ承認欲求は、この凄惨な状況下にあっても、全く的外れな結論を導き出した。
(そうだ……これだ! 見たかよあの威力! 俺の適当に混ぜた火薬が、こんな大爆発を起こしたんだ! これを見れば、ゴルドの奴も俺の才能にひれ伏すに違いない!)
ゼノンは全身の痛みに顔を歪めながらも、ニヤァッと気味の悪い笑みを浮かべ、瓦礫の中から這い出した。そして、血まみれの職員たちを助け起こそうとしているゴルドに向かって、得意げに叫んだ。
「ど、どうだ……! 見たかよゴルドぉ! これが俺の『火薬』だ! 約束通り、ド派手な威力を……見せてやったぞ……! ふ、ふはは……どうだ、恐れ入ったか……!」
周囲の悲鳴やうめき声など一切耳に入っていない。自分は圧倒的な力を証明した「勝者」だと信じて疑わないゼノンの狂気じみた笑顔。
ゴルドはゆっくりと振り返り、ゼノンを見た。
その三白眼には、底知れない怒りと、絶対的な殺意が渦巻いていた。
「……貴様……正気か?」
「ははっ、俺の天才っぷりに言葉も出ないか? さあ、俺にいくら投資する? こいつを量産すれば、他国を侵略することだって……」
「黙れェェェェェェェェェェェッ!!!!」
ゴルドの咆哮が、耳鳴りのするゼノンの鼓膜にもビリビリと響いた。
ゴルドは大股でゼノンに歩み寄ると、その胸ぐらを乱暴に掴み上げ、巨体ごと宙に持ち上げた。
「ひっ!?」
「投資だと? ふざけるな! 貴様のそのくだらん遊びのせいで、我がギルドの倉庫が吹き飛び、貴重な商品が灰になった! それどころか、私の優秀な部下たちが何人も死に欠けているんだぞ!!」
「え……あ、いや、違う! これは実験で……あんたが威力を証明しろって言ったから……!」
「私は『制御された力』を見せろと言ったんだ! 都市のど真ん中で自爆テロを起こす馬鹿がどこにいる! この被害額がいくらになると思っている! 貴様はただのイカれた爆弾魔だ!!」
ドゴォッ!
ゴルドの重い拳が、ゼノンの顔面にめり込んだ。
村のドノバンに殴られた時とは比べ物にならない、訓練された本物の暴力。ゼノンは鼻血と歯を吹き飛ばしながら、再び地面に叩きつけられた。
「あべっ……あがっ……い、痛い……!」
ゼノンは頭を抱えてうずくまった。
ネット掲示板の知識だけで、安全管理も計量もせず、ただ危険物を混ぜ合わせただけのニート。彼がもたらしたのは「イノベーション」などではなく、ただの無差別な「破壊」と「殺戮」だった。
「衛兵! 衛兵はいるか!!」
ゴルドが怒鳴ると、騒ぎを聞きつけた都市の武装兵たちがワラワラと集まってきた。
「この狂人を捕らえろ! 絶対に逃がすな。ギルドへのテロ行為と器物破損、さらに殺人未遂だ。法の裁きを受けさせ、徹底的に賠償させるぞ!!」
「ち、違う! 俺は賢者だ! お前らを儲けさせてやろうと……!」
「黙れ! 引っ立てろ!」
槍を突きつけられ、両腕を屈強な衛兵に拘束されるゼノン。
焼け焦げたスウェット姿で、血と鼻水にまみれて泣き叫ぶその姿は、賢者どころかただの惨めな罪人でしかなかった。
「離せぇっ! 俺は悪くない! 俺は天才なんだ! お前らが俺の才能を理解できないだけだろぉぉぉっ!!」
誰の耳にも届かない見苦しい絶叫を上げながら、ゼノンは都市の地下牢へと引きずられていく。
自分の失敗を決して認めず、周囲を見下し続けた男に待っているのは、もはや情状酌量の余地もない、冷酷で絶対的な「現実の裁き」であった。




