第11話:商業都市と欲望の商人ギルド
城壁に囲まれた巨大な商業都市バロア。
活気あふれる市場、行き交う馬車、そして豪華な衣服を身にまとった商人たち。辺境の貧しい村とは比べ物にならない文明の香りに、冴木誠ことゼノンは興奮を隠しきれなかった。
「ふはは……ここだ。これこそが、俺の才能にふさわしい舞台だ!」
折れた鼻は曲がったままで、顔は泥と血の汚れがこびりついている。着ているグレーのスウェットは所々破れ、悪臭を放っていた。道行く人々は皆、ゴミでも見るような目で彼を避け、ハンカチで鼻を押さえていく。
だが、ゼノンの脳内フィルターはそれらの侮蔑の視線を「未知の天才に対する畏怖」と都合よく変換していた。
彼が向かったのは、都市の中央にそびえ立つ、ひときわ豪奢な石造りの建物「バロア商人ギルド」の本部だった。
入り口に立つ屈強な門番が、ゼノンの姿を認めるなり槍を交差させて道を塞ぐ。
「おい、乞食。ここは金を持たぬ者が立ち入る場所ではない。失せろ」
冷酷な声で言い放つ門番に対し、ゼノンは鼻で笑った。ここで怯むようなら、ネットの海で数々の修羅場をくぐり抜けてきた意味がない。
「乞食? 愚かだな。俺はこれから、お前たちの雇い主であるギルド長に莫大な利益をもたらすビジネスパートナーだ。さっさと通さないと、お前、クビになるぞ?」
「なんだと……? 狂人め、つまみ出せ!」
門番たちがゼノンの腕を掴もうとしたその時、奥から恰幅の良い、豪奢な絹の服を着た中年の男が現れた。鋭い三白眼に、脂ぎった顔。商人ギルドの長、ゴルドである。
「騒々しいぞ。何事だ」
「はっ、ギルド長! この薄汚れた狂人が、ギルド長にビジネスの提案があると喚いておりまして……」
ゴルドはゼノンの惨めな姿を上から下まで値踏みするように見下ろした。普通なら即座に追い出すところだが、長年、欲望渦巻く商業都市で生き抜いてきたゴルドの勘が、この奇妙な男から発せられる「異質な知識の気配」をわずかに感じ取っていた。
「……ほう。ビジネスの提案、だと?」
「そうだ。俺の名は賢者ゼノン。あんた、今までにない『画期的な破壊の力』に興味はないか?」
ゼノンは薄汚れた手で、もったいぶるように天を指差した。
「岩山を一瞬で吹き飛ばし、鉱山の採掘効率を百倍にする魔法の粉。あるいは、敵の軍勢を音と光の爆発で壊滅させる新兵器……。俺は『火薬』という、この世界を根本からひっくり返すイノベーションの製法を知っている」
「火薬……? 爆発だと?」
ゴルドの目が僅かに見開かれた。この世界において、爆発を起こすには高位の魔術師を雇うか、希少で高価な魔法石を使うしかない。もしそれが、安価な粉末で代用できるとしたら、その経済効果と軍事的価値は計り知れない。
「ギルド長、こんな乞食の戯言を信じるのですか!」
「黙れ。……面白い、その『火薬』とやらの話、詳しく聞かせてもらおうか。私の執務室へ来い」
ゴルドの言葉に、門番たちは信じられないという顔で道を開けた。
ゼノンは内心で(ほら見ろ! やっぱ俺の言う通りだ! こいつは話がわかるやつだぜ!)と狂喜乱舞しながら、尊大な態度でギルドの奥へと足を踏み入れた。
豪華な調度品に囲まれた執務室。ふかふかのソファに深々と腰を下ろしたゼノンは、出された高級なワインを遠慮なく飲み干した。
「で? その火薬とやらは、どうやって作るのだ?」
ゴルドが探るような視線を向ける。
「材料は三つだ。『硫黄』『木炭』、そして『硝石』。たったこれだけだ。これらを俺の『現代知識』に基づいた黄金比率で配合すれば、世界を支配できる力が手に入る」
「硫黄と木炭……それに硝石だと?」
ゴルドは顎を撫でた。どれも、薬の材料や日用品として市場に出回っているありふれた物質だ。それらを混ぜるだけで爆発物が生まれるなど、にわかには信じがたい。
「ふむ……。しかしゼノンとやら。言うだけなら誰にでもできる。私は商人だ、結果が出ないものに投資はしない」
「疑うのか? ならば実験環境を用意しろ。材料さえ揃えてくれれば、すぐにでもプロトタイプを作って見せてやるよ」
ゼノンはニヤリと笑った。ネットの知識で「黒色火薬の材料」を知っているだけで、配合の比率も、安全な混合方法も、ましてや静電気や摩擦による暴発の危険性など微塵も理解していない。だが、彼の脳内ではすでに「材料をボウルに入れてスプーンで混ぜるだけの簡単な作業」に変換されていた。
ゴルドはしばらくゼノンを見つめていたが、やがて獰猛な笑みを浮かべた。
「いいだろう。このギルドの裏手にある石造りの倉庫を一つ、お前に貸し与えよう。材料も必要なだけ用意してやる」
「話が早くて助かるぜ。まあ、天才である俺に投資したあんたの判断は間違ってないよ」
「ただし」
ゴルドの低い声が、執務室の空気を冷たく凍らせた。
「三日だ。三日以内に、私を納得させるだけの『爆発』を見せてみろ。もしそれがただのハッタリだった場合……私を騙した対価は、お前のその命と、地下鉱山での一生の奴隷労働で支払ってもらうことになる。……良いな?」
その蛇のような冷酷な目に、ゼノンは一瞬背筋が凍る思いがした。村の村長やドノバンのような純朴な人間とは違う。この男は、本物の悪党であり、現実主義者だ。
だが、肥大化した自己評価は、ゼノンの危機感をすぐに麻痺させた。
「ふ、ふん。当然だ。三日もいらないね。明日には度肝を抜かせてやるよ。俺のPDCAサイクルを舐めるなよ」
適当なビジネス用語を吐き捨て、ゼノンは立ち上がった。
数時間後、ギルドの裏手にある隔離された倉庫に、大量の硫黄、木炭、硝石が運び込まれた。さらに、乳鉢や乳棒、計量のための天秤など、実験に必要な機材が一式揃えられた。
「よしよし……揃ってるな」
誰もいない薄暗い倉庫の中で、ゼノンは材料の詰まった麻袋を見つめ、不気味に笑った。
「火薬なんて、この三つを混ぜるだけだろ。比率? そんなの適当にドサドサ入れて混ぜりゃ、どれかが反応して爆発するに決まってる。俺は天才なんだから、カンで黄金比率を引き当てられるさ」
化学の恐ろしさを全く知らない素人が、致死量の爆発物に手を出そうとしている。
村での失敗から何一つ学ばず、己の浅はかな知識を妄信し続けるゼノン。彼がこれから引き起こそうとしているのは、無知が招く必然にして、最悪の大惨事だった。




