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ギルドを追放されたサブマスター、最強の冒険者に引き抜かれて溺愛される  作者: 野塩いぜ


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第8話 崩壊

※ロレンツォ視点

 掲示板の前に立って、俺は依頼書を睨んでいた。


 五枚。今日届いた依頼は五枚だけだ。ひと月前なら、朝の時点で二十枚は張り出されていた。


 依頼書を一枚手に取る。街道沿いの魔獣討伐。報酬はそこそこ。難易度は——わからない。


 依頼主の記述には「中程度の脅威」とある。中程度とは何だ。魔獣の種類は書いてあるが、数が書いていない。出没する地形の情報もない。これをこのまま掲示板に張り出していいのか。


 ジュリエッタなら、こういう依頼書をどうしていた。


 ——考えるな。あいつはもういない。俺が追い出したんだ。


 依頼書を掲示板に張った。他にどうしようもなかった。裏にどんなリスクが隠れているのか、俺には読めない。依頼書に書いてあることが全てだと思って処理するしかなかった。


 ジュリエッタは、書いていないことを読んでいた。季節、地形、魔獣の習性、依頼主の言い回しの裏。あいつの目には、俺に見えないものが見えていたらしい。


 らしい、としか言えない。見たことがないのだから。


 いや——見ようとしなかったのだ。


「ロレンツォ」


 声をかけてきたのは、古参の剣士だった。紅蓮の剣の設立当初からいる男で、腕は確かだ。ただ今日の顔には、いつもの覇気がなかった。


「話がある」

「なんだ、急ぎか」

「辞める」


 一言だった。


「……は?」

「今月いっぱいで紅蓮の剣を抜ける。もう決めた」


 頭が追いつかなかった。こいつは初期メンバーだ。このギルドに誰よりも長くいる男だ。


「待て、なんでいきなり——」

「いきなりじゃない。先月から何度も言おうとした。でもあんたはいつもソフィアと一緒で、まともに話を聞く暇がなかっただろう」


 返す言葉がなかった。言われてみれば、ここ数週間、冒険者と個別に話をした記憶がない。


「俺だけじゃない。マルティーノとフェデリコも来月には出る。そっちは他の冒険者が知ってるだろ」


 そんな話は知らない。俺には届いてない。誰も、俺に何も言ってこないのだから。


「査定がめちゃくちゃなんだよ。先月はB級の依頼に新人を送り込んで重傷者が出た。その前は依頼書の地形情報が古いまま更新されてなくて、待ち伏せを食らった。命がけで働いてるのに、ギルドの側が俺たちの命を守る気がないならやってられない」


 男の声は、怒っているというより疲れていた。怒る気力も残っていない声だった。


「——今のあんたは、あの人がやっていた仕事がどれだけ大事だったか、わかってないんだろうな」


 あの人、とだけ言った。名前は出さない。出す必要がないからだ。


「あの人は俺たちの実力を全部把握していた。誰がどんな地形で強いか、誰と誰の連携が噛み合うか。依頼書の裏まで読んで、やばい案件は掲示板に出さなかった。そのおかげで、紅蓮の剣から死人が出なかった。あんたはそれを知らなかっただろう。知ろうともしなかった」


 男が背を向けた。

 

「本来なら避けられた失敗だ。これ以上は、死人が出る」

 

 ——俺が上手くやっていれば、重傷者は出なかった。


「あの夜、酒場で止められなかったのは悔やんでるよ」


 立ち去る足音を聞きながら、俺はその場に立ち尽くしていた。

 

***


 冒険者が減れば、受けられる依頼が減る。受けられる依頼が減れば、収入が減る。収入が減れば、さらに冒険者が離れる。


 歯車が狂い始めると、止められなかった。


 依頼の査定を自分でやろうとした。ジュリエッタがやっていた仕事を、俺が代わりにやればいい。そう思った。


 ――無理だった。


 依頼書を読んでも、どこに危険があるのかわからない。魔獣の名前は知っていても、季節ごとの行動の変化など考えたこともなかった。冒険者として前に出ていた頃の記憶など、とっくに錆びついている。冒険者の編成にしても、誰と誰を組ませればいいのか基準がない。ジュリエッタが頭の中に持っていた膨大な知識と経験は、どこにも残っていなかった。文書化されていない。手順も引き継ぎもない。


 当たり前だ。あいつを追い出したんだから。


 契約書の管理も手に負えなかった。大口顧客との折衝は、以前は全てジュリエッタが仕切っていた。俺は客の前で豪快に笑って見せるのが役目で、契約の細部を詰めたことはただの一度もない。


 報酬の支払い条件、免責の範囲、追加費用の算定基準——どれも客を相手に決めなければならない事項のはずだが、どう交渉すればいいのかわからない。ジュリエッタがいた頃は、俺が客と酒を酌み交わしている間に、全て整っていた。


 整っていることが当たり前だと思っていた。


 そこに、来客があった。


「ロレンツォ殿。お時間をいただきたい」


 ベルナルディだった。仕立ての良い外套、後ろに護衛が二人。相変わらず偉そうな面構えだが、今日はどこか——冷たい。


「おお、ベルナルディ殿。いつもお世話になっている。何か新しいご依頼で——」

「依頼ではない。契約の打ち切りを伝えに来た」


 言葉が、理解できない。


「……打ち切り?」

「来月以降の護衛契約は更新しない。今月の残りの便については既存の条件で処理してもらって構わないが、それ以降はない」


 ベルナルディの声に、交渉の余地はなかった。


「待ってくれ。うちとの契約はもう三年になる。何か不満があるなら——」

「不満はとうに伝えたはずだ。護衛の質が落ちている。先月の便では護衛の冒険者が道中で怪我をして、荷が一日遅れた。護衛が荷を守るのではなく、護衛自身が足手まといになっている」


 覚えがあった。先月の護衛任務で、編成が悪かったのか——いや、そもそも編成を誰が組んだ。俺が適当に人数だけ揃えて送り出したのだった。


「改善する。次の便では人員を増やして——」

「人数の問題ではないだろう」


 ベルナルディが遮る。俺だって本当は分かっていた。

 ——ジュリエッタなら、失敗するような編成は組まない。最小限の人数で、上手く組み上げる。


「以前のお宅には、護衛の配置を考えてくれる人間がいた。どの区間に何人置くか、誰をどこに配置するか、全て合理的に組まれていた。だから信頼していた」


 最早誰の話をしているかは明白だった。名前は出さずとも、お互いに同じ人間を思い浮かべている。


「今はそれがない。人数を増やしたところで、配置の根拠がなければ意味がない」

「……善処する。少し時間をくれれば——」

「ロレンツォ殿」


 ベルナルディの目が、初めて同情のようなものを帯びた。


「次の契約先はもう決めてある。星の道標(ステラ・グイダ)だ」


 体の中を、冷たいものが走った。


「あちらのサブマスターの提案が見事でね。変動編成と言って、護衛の人員を区間ごとに調整する方式を出してきた。費用を三割落として、質は上がる。うちが求めていたのは、まさにああいう仕事だ」


 あちらのサブマスター。それが誰か、俺は知っている。


「——決まったことだ。長い付き合いだったが、ギルドは結果で判断するしかない」


 ベルナルディが外套を翻して出ていき、護衛が続く。俺はその間、まったく動けなかった。


 星の道標。ジュリエッタ。


 俺が追い出した女が、今も同じ仕事をしている。同じ仕事を——いや、俺のギルドではできなかったことを、別の場所で実現している。


 変動編成。そんな提案、聞いたことがない。ジュリエッタは紅蓮の剣にいた頃、そういう案を出していたのだろうか。出していたとして、俺はそれを聞いていたのか。


 ……聞いていなかったのだろう。聞く気がなかったのだろう。


 酒場に向かった。ジュリエッタがいた頃は冒険者で賑わっていた場所が、今は半分も席が埋まっていない。がたつくテーブル。以前は気にならなかったそのがたつきが、今は妙に耳障りだった。



***



 ソフィアは、いつもの場所にいた。


 酒場の隅の席で、おとなしく微笑んでいる。俺が近づくと、花が開くように表情が明るくなった。


「お疲れ様です、ギルドマスター。何かありましたか?」


 優しい声。いつだってそうだ。ソフィアは俺の話を聞いてくれる。大丈夫ですよと言ってくれる。ジュリエッタのように小難しい顔で問題点を並べたりしない。


「……ベルナルディに切られた」


 椅子に崩れるように座った。情けない姿だとわかっている。ギルドマスターが冒険者の前で弱音を吐いていい場面ではない。


 でも、他に誰に言えばいい。


「年間契約を打ち切られた。次は別のギルドに行くと。……星の道標だそうだ」


 ソフィアの目が、ほんの一瞬だけ細まった。すぐに元の穏やかな表情に戻る。


「それは大変でしたね。でも、大丈夫ですよ。ギルドマスターならなんとかなります」

「なんとかなる、か……」

「なりますよ。ロレンツォ様は強いんですから」


 ——その言葉が、心地よかった。


 ジュリエッタなら、こうは言わない。「ベルナルディ様を失ったなら、次の大口顧客を開拓する手段を考えなければ」と現実を突きつけてくるだろう。あるいは「契約を切られた原因を分析して再発を防がなければ意味がない」と。


 正しい。ジュリエッタの言うことは、いつだって正しかった。


 だが、正しいだけじゃやっていけない。俺はただ「大丈夫だ」と言ってほしかっただけだ。それのどこが悪い。


 ソフィアが、俺の杯に酒を注いだ。


「ギルドマスター。前から思っていたんですけど」

「何だ」

「あの方——前のサブマスター。本当に優秀な方でしたよね」


 唐突だった。ソフィアの口からジュリエッタの話が出るのは珍しい。


「……ああ。それは、まあ」

「依頼の査定も、冒険者の配置も、顧客との交渉も。全部あの方が回していた。ギルドの隅々まで目が行き届いていて、どこにも隙がなかった」


 ソフィアが微笑んだまま、小首を傾げた。


「おかげで私、ずっと窮屈だったんですよね」

「……窮屈?」

「はい。あの方がいる間は、何をするにもきちんと管理されていたから。昇格も依頼の受注も、全部あの方の目を通さなきゃいけなかった。少し、息苦しかったなって」


 窮屈だった。息苦しかった。


 それは——そうだろう。ジュリエッタの采配は慎重すぎた。有能ではあったが、冒険者の自由を必要以上に縛っていた部分もあったのではないか。ソフィアが窮屈だと感じるのも無理はない。


「でも、もうあの方はいないですから。今はあなたのギルドです。ギルドマスターのやりたいようにやればいいんですよ」


 そうだ。そのためにジュリエッタを追い出したのだから。俺のギルドを、俺のやり方で動かすために。


「……ああ。そうだな」


 杯を傾ける。安い酒が喉を灼く。


 ソフィアが隣で微笑んでいた。いつもの穏やかな笑顔。困った時に寄り添ってくれる笑顔。


 ——その目の奥に何が映っているのか、俺には見えていなかった。

本日は二話まとめての投稿となります。9話と合わせてお楽しみください。

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