第6話 異変
その日、星の道標の受付に見覚えのある顔が並んだ。
三人。いずれも紅蓮の剣に在籍していた冒険者だった。
先頭に立っていたのはガルシア。大柄な斧使いで、紅蓮の剣では中堅どころだった。その後ろに弓使いのリナ、そして若い魔術師のエミリオ。
三人とも、私の顔を見た瞬間、表情が変わった。安堵と、それから少しの気まずさ。
ガルシアが口を開いた。
「——サブマスター。いや、元サブマスターか」
「今は星の道標のサブマスターです。ガルシア、久しぶりですね」
ガルシアの顔には、前にはなかった疲労の色が浮かんでいた。
「あんたがいなくなってから、紅蓮の剣はめちゃくちゃだ」
静かな声だった。怒りを通り越して、諦めが滲んでいる。
「依頼の査定がまともにできてない。ロレンツォは依頼書を読まずに掲示板に出すから、難易度がでたらめだ。先月だけで重傷者が四人出た」
「四人……」
「しかも全部、本来なら避けられた怪我だ。依頼の裏にあるリスクを誰も読んでない。あんたがやっていた仕事を、誰もできないんだ」
リナが続けた。
「腕の立つ冒険者から順にいなくなってる。残ってるのは、他に行く当てがないか、ロレンツォに義理立てしてるかのどっちかよ」
「大口の顧客も離れ始めてる」
エミリオが付け加えた。まだ若いのに、目の下に隈がある。
「ベルナルディ商会は既にうちとの契約を切ったって聞いた。他の大口も、更新の時期に動くだろうって噂が回ってる」
ベルナルディの名前が出て、私は内心で納得した。あの商人がうちに来たのは、リーヴェの森の件だけが理由ではなかったのだ。紅蓮の剣への信頼が揺らいでいたからこそ、新しいギルドを試す気になった。
「……それで、あなたたちも出てきたんですね」
ガルシアが頷いた。
「正直に言う。あの日——酒場で、俺は何も言えなかった」
覚えている。酒場の隅で目を伏せていた冒険者たちの顔は、今でもはっきり思い出せる。ガルシアもその中にいた。
「止められなかった。あんたが追い出されるのを、黙って見てた」
「あの場で声を上げていたら、次に追い出されるのはあなたたちだった。責めるつもりはありません」
ガルシアの拳が膝の上で握られて、開かれた。
「……すまなかった」
「謝らなくていいです。それより——」
言いかけて、胸の奥に鈍い痛みが走るのを感じた。
ガルシアたちの口から語られる紅蓮の剣の惨状。重傷者、流出する冒険者、離れていく顧客。
怒りだろうか。それとも、悔しさ?
——考えるのは、まだ残っている冒険者のことだ。他に行く当てがなくて残っている者。ロレンツォに義理立てして残っている者。その人たちが、まともな査定も受けずに依頼に送り出されている。
胸が痛いのは、その人たちのこれからを思うから。
でも、もう私にできることはない。紅蓮の剣に戻る選択肢はないし、戻ったところでロレンツォが耳を貸すはずもない。
「——それより。星の道標への加入を希望する、ということでいいですか」
三人が頷く。
ちょうどその時、背後から聞き慣れた足音が近づいてきた。
「ジュリエッタ、来客かい?」
レオナルドが受付に現れた。依頼から戻ったばかりらしく、革鎧に薄く砂埃がついている。
三人がレオナルドを見て目を見張った。国一番の冒険者のことは知っていても、実際に目の前にすると印象が違うのだろう。
事情を手短に説明すると、レオナルドは迷うことなく頷いた。
「歓迎する。紅蓮の剣で腕を磨いてきた冒険者なら心強い」
「……いいのか? 出ていく時にギルドマスターと揉めたわけじゃないが、あんたのところに来たと知れたら面倒になるかもしれない」
「面倒は僕が引き受ける。それより——」
レオナルドの目がきらりと光る。
「せっかくだ。実力を見せてもらってもいいかな」
***
「模擬戦?」
ガルシアが訝しげに眉を上げた。ギルドの裏手にある小さな訓練場に移動したところで、レオナルドが模擬戦形式の実力テストを提案したからだ。
「加入にあたって、実力を把握しておきたい。僕が相手をする」
嫌な予感がする。
レオナルドの目が、妙にきらきらしている。紅蓮の剣にいた頃の面影もない、すっかり自信に満ちた冒険者の目。それはいいのだが——あの目は、どうにも気合が入りすぎているように見える。
「レオナルド」
「大丈夫、手加減はする」
——その台詞がいまいち信用できないのは、なぜだろう。
まずはガルシアが前に出た。大斧を構え、重心を落とす。中堅とはいえ紅蓮の剣で鍛えた冒険者だ。構えに隙はない。
「いつでもいいぞ、ギルドマスター」
「じゃあ——」
レオナルドが一歩踏み込んだ。
一歩。たった一歩。それだけでガルシアの間合いの内側に入っていた。ガルシアの目が驚愕に見開かれる。斧を振るう暇もない。レオナルドの剣の平がガルシアの首筋に触れた時、大柄な斧使いは構えたまま石になっていた。
「……え?」
リナが呟いた。弓使いの目をもってしても、今の動きの全容は捉えきれなかったのだろう。
「もう一本いくかい?」
レオナルドがガルシアに声をかけた。ガルシアは呆然としたまま、かろうじて頷いた。
二本目。ガルシアが先に仕掛けた。大斧の横薙ぎ——紅蓮の剣で磨いた豪快な一撃。
レオナルドが半身でかわす。斧の風圧が髪を揺らすほどの際どさで、けれど余裕があった。体の軸がまったくぶれていない。ガルシアが振り抜いた体勢を立て直すより早く、剣の切っ先が喉元でピタリと止まる。
「っ——」
ガルシアが斧を下ろした。顔に浮かんでいるのは悔しさではなく、純粋な驚嘆だ。
「次は私!」
リナが弓を構える。距離を取っての射撃戦なら弓使いに分がある——はずだった。
レオナルドが地を蹴った。矢が放たれるより先に距離を詰め、リナの弓を持つ手の甲に、そっと指先で触れた。
「当たり」
「——嘘でしょ」
リナの声が裏返る。矢をつがえる前に終わってしまった。弓使いに距離を取らせないという、最も恐ろしいことを涼しい顔でやっている。
エミリオに至っては、詠唱の最初の一節を口にした時点でレオナルドが目の前に立っていた。若い魔術師は口を開けたまま固まる。
三人が三人とも、手も足も出ない。
訓練場に沈黙が降りる。ガルシアが大斧を地面に突き立てて、深く息を吐いた。
「……こんな人間がギルドマスターなのか、ここは」
声が、畏怖で震えている。
紅蓮の剣のギルドマスターは中の上の実力だった。冒険者として前線に立てる腕はあるが、圧倒的とは言えない。ロレンツォの強みはむしろ人を束ねる声の大きさで、冒険者を唸らせるほどの実力ではなかった。
目の前のレオナルドは、違う。
三人のうち誰一人として一太刀も入れられなかった。手加減した上でこれだ。手加減する、と本人は言っていたが——
「レオナルド」
私は腕を組んで、訓練場の端から声をかけた。
「はい」
「手加減、していましたか?」
「……した、つもりだけど」
「ガルシアが斧を振る前に終わっています。リナは矢をつがえてすらいません。エミリオは詠唱の一節目です」
レオナルドが目を泳がせた。以前仕事部屋の椅子を指摘された時と同じ、観念した顔だ。
「……少し、張り切りすぎたかもしれない」
やっぱり。
「テストになっていません」
レオナルドが肩を落として小さくなった。国一番の冒険者が、たった一言でしゅんとしている。
ガルシアがぽかんとした顔でその光景を見ていた。リナとエミリオも同じ顔をしている。国一番の冒険者を遠慮なく叱るサブマスターという構図が、彼らには新鮮らしい。
——実力は、嫌というほどわかった。ただし、レオナルドのだ。
レオナルドの動きは、速さだけではない。相手の構えを見た瞬間に最適な間合いを選んでいる。斧の射程、弓の準備時間、詠唱の長さ。全てを把握した上で、相手が何もできないうちに終わらせている。
力任せではなく、観察と判断の上に成り立つ圧倒。
この人が国一番と呼ばれる理由を、私は初めて自分の目で見た。
「三人の実力テストは、別の方法でやります」
私が言うと、レオナルドは素直に頷く。
「すまない。任せるよ」
「最初から私に任せてくれればよかったんですが」
「……面目ない」
反省しているようには見える。ただ——ちらりとこちらを見る目の奥に、ほんの少しだけ「どうだった?」と聞きたそうな色があるのは気のせいだろうか。
気のせいだと思うことにした。
***
翌日。三人の実力を測るために、私が選んだのは実戦だった。
星の道標に届いていた依頼の中から、適切な難易度のものを三つ選ぶ。いずれも危険度は低いが、冒険者の特性が出やすい内容のもの。
ガルシアはマルコと組ませた。街道沿いの盗賊の偵察任務。前衛同士で組ませることで、互いの間合いの取り方と連携の呼吸がわかる。ガルシアは大斧で間合いが広い。マルコは剣で堅実に守る。攻めと守りで補い合えるかどうかを見たかった。
リナにはリーヴェの森の巡回を任せた。パートナーは、あの耳の良い斥候。索敵と射撃の連携は相性がいいはずだ。斥候が音で敵を拾い、リナが射程内に捉える。互いの距離感を測るには巡回任務が最適だった。
エミリオには、ターニャと組ませて薬草の採取と魔獣の警戒にあたらせた。魔術師と治癒術師という後衛同士の組み合わせ。戦闘になった場合の役割分担を実地で確認する意味がある。それに、ターニャは経験豊富で面倒見がいい。エミリオの緊張をほぐすにはちょうどいいだろう。
三組とも、夕方までに帰ってきた。
最初に戻ったのはガルシアとマルコだった。
「サブマスター」
マルコが砂を払いながら言った。リーヴェの森の討伐以来、彼は私に対する信頼を隠さなくなっている。
「ガルシア、いい腕だな。斧の間合いが広いから、俺が前で受けてる間に横から叩ける。偵察のついでに少し手合わせしたが、やりやすかった」
「お前こそ、よく動くな。防御が堅いから安心して攻められる」
ガルシアの声に、朝にはなかった温度があった。実際に背中を預けてみて、初めて信頼の糸口が見える。それは言葉だけでは絶対に作れないものだった。
リナと斥候も、上々の報告を持って帰ってきた。
「あの斥候、すごいわね。私が気づく前に全部拾ってる。おかげで射撃に集中できた」
「リナさんの矢、正確ですね。俺が音を拾って方角を伝えたら、一射で仕留めてくれた。楽でした」
エミリオとターニャの組は、一番和やかだった。
「ターニャさんが色々教えてくれました。後衛の立ち位置とか、前衛との距離の取り方とか」
「教えたっていうか、この子が素直だから話しやすいだけよ。筋はいいわ。もう少し経験を積めば、うちの主力になれる」
ターニャが珍しく目を細めていた。
酒場に戻った冒険者たちの間に、朝とは違う空気が流れている。紅蓮の剣からの三人と、星の道標の既存メンバー。別のギルドにいた人間同士が、たった一つの依頼で距離を縮めている。
マルコがガルシアに酒を注ぎ、リナと斥候が依頼の振り返りを始め、エミリオがターニャの隣で真剣にメモを取っている。
——よかった。
「見事だな」
隣にレオナルドが立っていた。いつからいたのか。
「何がですか」
「この組み合わせだ。全部噛み合ってる。偶然じゃないだろう?」
「偶然では困ります。冒険者の実力と性格を見て組むのも仕事ですから」
「ガルシアたちの実力は紅蓮の剣の時から知っていた。うちのメンバーの適性はこの数日で把握した。それを組み合わせて、実力テストと顔合わせを兼ねた依頼を選んだ——全部、計算ずくだ」
「当然です」
レオナルドが、酒場で打ち解ける冒険者たちを見渡す。それから、ひどく満足そうな顔をした。
「うちのサブマスターは世界一だから、安心してくれ」
声が大きい。酒場にいる全員に聞こえている。
「世界一は言い過ぎです」
「言い過ぎじゃない。これだけの采配ができるサブマスターが他にいるなら教えてほしい」
ガルシアが杯を持ったまま、不思議そうな顔でこちらを見ていた。ギルドマスターがサブマスターをこんなふうに褒める姿を見たことがなかったのだろう。私だって見たことがない。
「レオナルド。褒めるなら冒険者たちを褒めてください。実際に動いたのは彼らです」
「もちろん彼らも素晴らしかった。でも、動かしたのは君だ」
返す言葉を探しているうちに、レオナルドは酒場の中央に歩いていった。冒険者たちの視線が自然に集まる。この人にはそういう力がある。声を張らなくても、場の空気を引き寄せる力。
「今日からガルシア、リナ、エミリオの三人は星の道標の正式な仲間だ」
拍手が起きた。三人の顔に、ようやく安堵が浮かぶ。
「紅蓮の剣がどうなっているかは、みんなも耳にしているだろう。ギルドが一つ弱れば、行き場を失う冒険者が出る。腕があっても、居場所がなければ力は生かせない」
レオナルドの声は穏やかだった。煽るでもなく、気負うでもない。ロレンツォのように酒場を沸かせようとする声ではなかった。
「星の道標は、実力で生きたい人間のためのギルドだ。立場も、出身も、前にいた場所も関係ない。ここでは腕と信頼がすべてだ」
マルコが頷いた。ターニャが静かに杯を掲げた。
「——そして」
レオナルドが、一瞬だけこちらを見た。琥珀色の目が、まっすぐに私を捉える。
「皆の命は、僕達が預かる。安心して仕事をしてくれ」
僕達。
その一言が、耳に残った。
僕、ではなく、僕達。ギルドマスターとサブマスター。レオナルドと、私。
冒険者たちが杯を掲げた。歓声ではない。紅蓮の剣の夜のような、酔った熱狂ではない。静かな、けれど確かな信頼の空気だった。
ガルシアが杯を掲げながら、小さな声で呟いた。
「——早く来ればよかった」
リナが「ほんとにね」と笑い、エミリオが少し泣きそうな顔で頷いた。
私は酒場の隅に立ったまま、その光景を見ていた。
僕達が預かる。
レオナルドはあの言葉を、当たり前のように言った。私がそこにいることを、最初から疑っていない口ぶりで。
——「紅蓮の剣にお前を必要とする臆病者なんかいない」
ロレンツォは私を追い出す時、冒険者たちの前でそう言った。
レオナルドは冒険者たちの前で、私を隣に置いた。
比べるつもりはなかった。でも、「僕達」という言葉の温度が胸の底に沈んでいく。
それが嬉しくて、少しだけ、怖い。
この幸せに慣れてしまったら、失った時に立ち直れなくなる。
——でも今は、この場所にいたいと思った。
酒場の喧騒の中で、レオナルドがこちらを振り返った。
「ジュリエッタ。君も一杯どうだ?」
琥珀色の目が笑っている。さっきの演説の凛々しさはどこへやら、酒を勧める顔はひどく無邪気だ。
呆れるべきなのか、笑うべきなのか。
「……一杯だけなら」
そう答えた私の声が思ったより柔らかかったことに、自分で驚いた。




