2-21 深淵の都/転
神殿で目覚めたクロガネは、いつも通りの道を辿って、扉の向こうへと向かう。
熾天は前回を考慮して、街の外でクロガネを待ち構えるのだろうと想定しながら。
とすれば、クロガネとリシアは別行動して、クロガネが一人で熾天と戦うことになるのだろうと想定しながら。
甘い想定だった。
クロガネは、もっと死に物狂いになるべきだった。
いつだって後悔するのは、取り返しがつかなくなってからではないだろうか。
「……………………は?」
扉を開けて、目の前に熾天がいた。
いや、正確に言うならば、熾天ともう一人。いや、もう一つ。
真っ赤な液体と、新陳代謝を止めた肉塊。
熾天の身体から気色の悪い音と共に生え出てきた人間のような腕が、クロガネに差し出される。見慣れた少女の頭と共に。
リシアだ。
殺される瞬間を切り取ったかのような酷く歪んだ表情のまま、リシアは虚ろな目でクロガネを見ている。
怒りよりも、悲しみよりも、恐怖が先行した。クロガネはよろけて、その場に崩れ落ちる。
そんなクロガネを嘲笑うように、熾天は掴んでいた頭をクロガネに向けて放り投げた。
人の頭って、こんなに重いのか。
知りたくもないことを知って、次の瞬間には熾天の手によってクロガネの頭は握り潰された。
扉を開けると、相変わらずそこに熾天がいた。
今回は赫灼剣を構えて、クロガネは勇敢に立ち向かった。
けれど、今回は比較的損傷の激しくないリシアの死体を見せつけられて、思わず足がすくんだ。
理解しているんだ。何をどうすれば、相手が嫌がるのか。
その隙に、クロガネの心臓が熾天の腕に持ち去られてしまった。
扉を開けると、熾天がいる。
今回は趣向を変えて、リシアはまだ生かされていた。
けれどそれは、まだ死んでいないだけだ。「うあああああああああああああああああっ、やだっ、やだぁっ! 死に、死にたくない!」クロガネの目の前で、リシアの腕が指先から順番に切り落とされていく。「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああ! 助けて! 助けて! 助けてぇ!!」
赫灼剣を握る腕が、酷く震えた。
結局、リシアが出血多量で意識を失うまで、クロガネはその場で立ち尽くすことしかできなかった。
扉を開けると、熾天がいる。リシアは殺される。クロガネは何もできない。
扉を開けると、熾天がいる。リシアは殺される。クロガネは何もできない。
扉を開けると、熾天がいる。リシアは殺される。クロガネは何もできない。
扉を開けると、熾天がいる。リシアは殺される。クロガネは何もできない。
扉を開けると、熾天がいる。リシアは殺される。クロガネは何もできない。
クロガネが殺されるのは、別にいい。
クロガネが死ぬのは、別にいい。
けれど、リシアが殺されるというのは、話が違う。
クロガネが扉を出るたびに、リシアが殺されてしまう。
何度も繰り返したことで、神殿で目覚めるたびにリシアの悲鳴が聞こえてくるような気がして、恐怖と共に失禁するようになった。
その場に蹲って、意味のない絶叫を繰り返すようになった。
何度も吐き気に襲われた。
リシアが死ななくて済む方法が一つだけある。
クロガネが扉を開けないことだ。
そう理解した途端、クロガネは扉を開けることができなくなった。扉に近付くことさえできなくなった。
けれど、神殿はそれを許さなかった。
扉を開けなければ、試練に挑まなくていいことになる。それを許してくれはしなかった。
「が……っ!?」
扉から最も離れた神殿の隅で丸まっていたクロガネは、突然の衝撃に飛び上がる。
心臓が鷲掴みにされるような強烈な痛み。それまでの比ではなく、文字通りクロガネはのたうち回った。
異様な頭痛と、吐き気と、息苦しさ、眩暈、全身の震え、吐血、失禁。
思考すらまともに出来なくなるような激痛の中で、クロガネはこの痛みの意味をぼんやりと理解させられる。
試練を投げ出すことは、許さない、と。
罰則
そこから先の記憶は曖昧だ。
ただ間違いないのは、クロガネは生と死の境界線を、激痛と共に何度も行き来したということだ。
可能な限り長引かせられた激痛、それが終わるとクロガネは意識を失い──或いは死亡し──、だが次の激痛で目が覚める。恐らくは勝手に蘇生させて繰り返させられた。
痛みを紛らわせるために、クロガネは何度も自分の身体を傷つけた。舌を噛み切ろうとしたり、赫灼剣で自分の身体を刺そうとしたり。
けれどそれは何の救いにもならず、ただクロガネを苦しめる要因の一つに成り下がるだけだった。
それはとても長い時間のようでもあり、とても短い時間な気もした。
またお決まりのように、クロガネは神殿で目覚める。或いは今までのものは夢だったのかと錯覚するほどに、身体に異常はなく、痛みもない。
けれどそれまでと明確に違うものがあった。
「……」
恐らくは自分の死体が、神殿内に転がっている。
“恐らく”などと曖昧な表現をせざる得なかったのは、死体が酷く損傷しているからだ。まるで死後数年間放置されていたかのようで、かろうじて原型を保っているだけの状態。
皮膚はところどころ黒ずみ、或いは白く濁って蝋のように固まり、腐敗と保存のどちらにもなりきれないまま止まってしまっているかのようだった。
夢じゃないんだ。
咄嗟にクロガネは赫灼剣で己の心臓を突き刺し、自害を試みた。
けれど痛みばかりが激しくて、死ぬことができない。
もしくは、意図的に長く苦しむようにさせられているのかもしれなかった。
次に目覚めたとき、死体はひとつ増えていた。
それから、クロガネは逃げるという選択に切り替えた。
本当に惨めで無様だった。目の前でまだ生きているリシアを無視して、一目散に草原を走る。
自分が死なないために。自分が苦しまないで済むように。
クロガネの後方で、見せしめだとでもいうようにリシアが殺される。
リシアの断末魔が、クロガネの耳に届く。
それでもクロガネは走った。必死に走って、走って、でも結局、最後には追い付かれて殺されるだけだ。
何回も繰り返した。
繰り返すたびに色々な方向に逃げた。
けれどどこに向かっても、どこに逃げても、最後には追い付かれて殺されるだけだった。
どうすればいいの。
どうすればいいんですか。
助けてください。
誰か、助けてください。
だれか……。
……助けを求めているのは、リシアもでしょ。
と誰かの声が聞こえた気がした。
……助けを求める声を無視して、でも自分は助かりたいなんて言うんだ。
……わがままな人だね。
しょうがないだろ、だって、どうしようもないじゃないか。
勝てないんだから。
もうどうすればいいのか分からないんだから。
……諦めるの?
諦めるとかじゃない。
ただ、俺は、リシアを苦しめたくないだけで。
傷付いてほしくないだけで。
……違うよ。それは違う。
なにが、違うんだよ。
……救いもない、希望もない。
……助かる可能性がないと……分かってしまうことの方が、よっぽど辛いと思うよ。
「…………」
……人はね、光のない場所では生きられないんだよ。
……リシアを殺しているのは熾天だけれど。
……本当の意味でリシアを殺そうとしているのは、君だよ。
……君がリシアを殺しているんだよ。
……ああ、そうか。君は……まだ捨て方を知らないんだね。
……この世は、君が思っているほど生きやすくはないんだよ。
……平和なんてものは存在しないんだ。
……君が平和だと思っているそれは。
……後にやってくる暗闇の前の、ほんの一瞬の光に過ぎないんだよ。
……無秩序。無関心。偏執。抑圧。戦争。退廃。虚無。混沌。
……君の足元。薄氷の下には、そういうものが渦巻いているんだよ。
……その氷を割らないように、今の君は必死にバランスを取っているんだよ。
……けれど、どれだけバランスを取っても、どれだけ慎重に歩いても……いつかは必ず、氷は割れてしまう。
……君の生き方を否定したいわけじゃない。
……誰も傷付けず、皆を守れるなら、それに越したことはないと思うよ。
……けれど、君はそれを選ぶことができないんだよ。
……弱いんだから。
……悠長にしている暇なんかないんだよ。
……何とかなるのを待っている暇はないんだよ。
……次に踏み出す一歩に怖気づいていたら、置いてけぼりにされるだけだよ。
……アドバイスをしてあげよう。
……さっさと受け入れた方が、君のためだよ。
……難しいことはない。
……いつか割れる薄氷なら……いっそ、割れてしまえばいいんだよ。
……だからさ。
……………………いい子ぶってんじゃねぇよ。クソガキ。




