2-18 深淵の都-⑩
再封印された熾天の身体は、聖女による封印術によってそれまでとは比べ物にならないほどに厳重に封じ込められた。
……いや、封印術ではなく、正確には封印魔法と呼ぶべきだろうか。
決して、聖術士二名による封印術に欠陥があったわけではない。だが、あれほどの強大な力が隠されていたことを把握できなかったのが原因であり、これは大聖庁側に落ち度があるとクロガネは聞かされ、その日は大聖庁を後にした。
──熾天との戦いから数日後、ザンタリア中心部、大聖庁。“聖花苑”。
大聖庁の最上階にひっそりと存在するそこは、聖域と呼ばれ位の高い者でなければ見ることさえできない。端的に言えば、花園だ。とはいえ単なる花園というわけもなく、各地の希少な花々が咲き乱れ、さらには魔力に満ちた空間である。
当然、クロガネやリシアのような一般人が立ち入ることのできる場所ではないはずなのだが、今回は聖女自らが招待してくれたというのもあってこうして訪れることができたのだ。
……道すがら、とても人の目が痛くてしょうがなったけれど。
そんな聖花苑の一角にポツンと設置された丸テーブルと椅子に、クロガネと聖女は向かい合うように腰掛けていた。
「久しぶり、クロガネくん。あの日以来だね。元気だったかな?」
「……まぁまぁ、ですかね」
「だよねぇ。うん」
本当ならもっと良い返し方でもあるのだろうが、クロガネにはこれが精一杯だった。というか、実際ここ数日は心休まる時間が無さ過ぎた。
熾天との戦闘後はまず、大勢の聖術士に取り囲まれて浄化術を施された。例えるなら病原菌を外に拡めないための消毒といったところか。なぜそこまで、と思わなくもないが、何かしら理由はあったのだろう。……浄化術を施されながら何か言われたような気はするが、正直一つも覚えていない。
それからは大聖庁内で取り調べを受けた。一年分の取り調べを受けた気分だった。ひとつひとつ、本当にどうでもいいようなことまで質問されたし、ずっとそれに答え続けなければならなかった。
それを、三日だ。三日。三日である。本当にいい加減にしてほしかった。
そんな拷問みたいな取り調べが終わったのは、クロガネが聖花苑を訪れる三十分程前のことだ。
きっと聖女もそれを承知の上で、その質問をぶつけてきているのだろうとは思った。
「そんなお疲れなクロガネ君のためにおやつ用意したよ」
そう言って、聖女はお菓子の入った皿を差し出した。
美味しそうよりも先に高そうだな、という感想が先に浮かんでしまうあたり、クロガネもまだまだ俗物である。
だが疲れ果てているのは間違いないし、そんなクロガネがいま最も欲している糖分が目の前にあるのも間違いない。頭の中では、“できるクロガネ”が決め顔で『お気遣いありがとうございます』とかっこよく言っていたが、残念ながら現実のクロガネにそんな余裕はない。
「……………………!!」
獣の唸り声のような音が響いた。
クロガネの腹の虫だった。
「ふふっ、良かった。やっぱりお腹空いてたんだね。食べてからでいいよ」
「マジ感謝……」
高級そうなお菓子をこれでもかと頬張り、緩んだ表情のクロガネを、聖女は満足げに見つめていた。
クロガネがその視線に気が付いたのは、ひとしきりお菓子を平らげた後のことだった。「うぇっ」と変な声を漏らしながら、クロガネは慌てて口元を手で覆う。
「随分美味しそうに食べてくれて何より。恥ずかしがらなくていいんだよ~」
「い、いや……」
「聖女となると、頼んでもないのに高級なお菓子を皆が押し付けてくるから、食べきれなかったし。ウィンウィンってやつ」
ふふ、と笑った聖女の表情に、僅かに混ざる別の感情。クロガネはそれに気が付いたものの、別の感情が何なのかまでは分からなかった。
それを確かめる間もなく、聖女は話題を変える。追及はするな、という聖女の思いが透けて見えるようだった。
「ていうか、まだ自己紹介もしてなかったよね。私は神籬エリナ。よろしくね、クロガネくん」
「よ、よろしく……ていうか、なんで俺の名前知ってるんですか……」
「これぞ聖女パワーってやつですとも」
えっへん、と胸を張る聖女、もといエリナの姿に、クロガネは思わず苦笑した。
「なんてね。ブランシェちゃんからの報告で知っただけ」そこでふっと、エリナの目が僅かに細められ、雰囲気が変わった。「……そんなことより、聞きたいこといっぱいあるんじゃない? ねぇ?」
「そりゃまぁ。だけど、いいんです?」
エリナは何も返さなかった。無言は、肯定だ。
「じゃあ……折角だし。聞きたいことは主に四つ。聖術と魔法について。異形……というか熾天と、モルス・クルスについて。そして……君について」
「わぁお。大胆だね」
両手を頬に当て、目を輝かせるエリナ。分かってやってはいるのだろうが、クロガネは少し面食らった。
だが、確かに今のは確かにクロガネの言い方が悪かった。
「いや、そういうんじゃなくて……」クロガネは頭を掻いて、少し考えた。言葉を選ぶかどうか少しだけ迷ったのだ。けれど結局、やめた。それで機嫌を損ねるような人ではない。……はずだ。「エリナさんって、この世界の人じゃない……というか。……地球から、この世界に来てますよね」
エリナはにっこりと笑って頷いた。「せいか~い」ついでに言うと、とエリナはそのまま言葉を続ける。「私と一緒に、レンって男子もこの世界に来たんだよ。今はもう前線に行っちゃったから何してんだか分かんないけど」
「レン……?」
聞き覚えのある単語。
「冒険者ギルドを設立した異世界人、レン……?」
「そだよぉ。まぁ、冒険者ギルドはまだ出来て五年ぐらいしか経ってないし、あんまり上手くいってないっては聞くけど……」
これは驚きの情報だ。異世界人レンの名前は確かにカルファレステ街の冒険者協会でも聞いたことがあるが、同時期に異世界から来た者がもう一人いるとは。
だが、現在のエリナの立ち位置を見るとそれも納得がいく。レンは冒険者ギルドを設立しているのだから当然、冒険者になればおのずと耳にする名前なのだろう。対してエリナは大聖庁に所属する聖女。冒険者ギルドとは関りが薄いのだから、名前が知られていないのも無理はないのやもしれない。
ついでに、この世界についてもようやく分かってきた。
ここは恐らく、過去の世界。それも、カルファレステ街でクロガネが赤竜と戦ったりしていた時点から見ると、百年近く遡った世界なのだろう。
それを前提に考えれば、魔法が普及していないというのもあり得る話だ。
「レンさんとは、以前からの知り合い?」
「ううん。こっちに来てからかな。ていうか、同じ地球でもなかったし」
「ん……? それはどういう……」
「ちなみに、クロガネくんのいた地球では年号をなんて読んでた?」
年号。
クロガネは少しだけ考えた後、頭に浮かび上がったその単語を口にした。
自身に関する記憶は無いものの、地球での知識は失われていない。だからこそクロガネは年号を覚えてはいるが、実感が伴っていない。
「えーと、平成でしたね」
「お? レンと同じ年号だ。ということはクロガネくんはレンと同じ地球から来たのかもねぇ。あ、でもこっちに来る前に年号変わったとか言ってたんだっけ……」
「……えっと? ちなみにエリナさんの知ってる年号は……」
「聞いて驚け~。生年月日は祥栄十八年葉月の十六! こっちに来る直前は年号が変わって新光三年!」
思わず椅子からずれ落ちそうになった。年号どころか月の呼び方まで違うのか、とクロガネは驚いた。いや、厳密には月の呼び方が古いままではあるのだろう。
面白いよね~、とエリナは笑っている。衝撃の事実でクロガネはまだ頭が混乱しているのだが、エリナはそんなクロガネの様子を見て楽しんでいるようだった。
「話が逸れたね。話を戻して〰〰っとぉ……、私が地球からこっちに来たっていうのが、実は魔法と聖術の違いに繋がるの」
そういってエリナは話を続けた。
要約するとこうだった。
もともとこの世界に存在しているのは聖術。空気中の魔力を体内に溜め込んで浄化し、生み出した聖力を使って様々な現象を引き起こす技術。
対して魔法は、曰くエリナやレンをはじめとした異世界人が持ち込んだものだという。厳密には、こちらの世界にくる過程で例えば神であったり、聖霊であったりといった存在から力を授かったそうなのだが。
魔法の違いは、この世界でいう聖力だけではなく、魔力も使用する点にある。かつ、それらをより高効率で現象へと変換できる。
要は、体内に溜め込んだ分しか使えない聖術に対し、魔法は外部からも力を取り込めるし、さらには効率化されている分より強力である、ということらしい。
なお、現在はエリナがそれを聖術士に伝えて、新設された魔法研究院にて普及のために奔走している最中なのだとか。
「まぁ、ぶっちゃけると聖力なんてものはないんだけどねぇ。人間の体内に魔力を浄化する力なんてないから。もしそんなことができるならそれは人間じゃないかも」
「……にしても、魔力の概念は元から存在していたんですね」
「そうだよ〰〰。なんせ、これを提唱したのはモルス・クルスの初代盟主だから」
ドキ、とクロガネの心臓が跳ねた。
ここで名前が出てくるとは思っていなかったからだ。
「モルス・クルス……」
「当時は名前が違くて、逢魔同盟だったらしいけれど。聖術が生まれたきっかけは、この逢魔同盟が魔術を使い始めたからだって聞いてるよ」
そうしてエリナが説明した魔術は、聖術と近しいものではあった。
魔力を体内に取り込む聖術に対して、魔術は外部の魔力のみを運用する。それ故に基本は魔法陣を用いて行われる。魔法陣は外部の魔力を体内に取り込まずに直接、現象へと変換するためのものであり、身体や武器、防具などに描いてその効果を発揮させるそうだ。
聖術と魔術。差別化のためにあえて別の名で呼んでいるのだろうが、両者とも突き詰めていけば考え方は非常に近しいように思えた。
体内に魔力を取り込む方式も、外部の魔力を直接現象へと変換する方式も、結局は『現象を起こす』ための手段の『短縮化』、その違いでしかない。
さらには一方のメリットは他方のデメリットであり、逆もまた然り。
ふと、クロガネは思った。
聖術と魔術……両者が手を取り合うことができれば、或いは魔法は、神や聖霊に頼ることなく人類の魔力を運用する体系の中に組み込むことは出来たのかもしれない。
まぁ、そう上手くはいかないのが人間というものなのかもしれないけれど……。
「それで、じゃあ次はモルス・クルスと……熾天について話そうかな」
その言葉に、クロガネは少しだけ身構えた。
エリナの表情が少しだけ曇ったように見えたからだ。
「……あんまり気乗りしない話題だけど、ちゃんと話すからね」




