2-17 深淵の都-⑨
「せ、聖女様……!」
ブランシェの声音から溢れ出す安心感。その声の主の実力を知らないクロガネであっても、その存在がいかに大きなものであるかは何となく理解できた。
だがクロガネはその声に釣られて振り返りはしなかった。
正面に立ちはだかる異形——否。熾天がどんな行動をするのかが分からない以上、気を抜くことが出来なかった。……の、だが、クロガネの予想に反して、熾天は動かなかった。ぎょろぎょろと複数の目玉を動かしてはいるが、攻撃の構えを取るわけでもなく、ましてやクロガネを視認しているかも怪しい様子だった。いっそこのまま、ずっと気付かないでほしいな、とは思った。
そうしている間に、聖女と呼ばれたその女性はゆっくりとクロガネの隣まで歩み寄ってきていた。
「相手から視線を外さず、警戒を解かない。熾天ほどの相手に対して、よくやりました。えらぁい」
「はい……」と返事してから、ん? とクロガネは首を傾げた。「はい……?」
強大な敵を前にしているにしては、あまりにもあっさりとしているというか、落ち着きすぎているというか。そんな印象を受けたからだ。
「ですが、もうひと仕事していただかねばなりません。いけますか? いけますね? いきましょう」
「え? ん?」
「頑張って生き残りましょうねぇ。えいえい、おー」
「んん……?」
軽すぎるな……? 何と思っていると、聖女はふわりとクロガネよりも前に出た。真っ白な長髪と、白と金を基調とした杖。
「え——?」
思わず、目を疑った。
何故ならその姿を、クロガネはよく知っている。
「ヤタガラス……?」
「ん〰〰? 私はその“ヤタガラス”とやらではございませんよ?」
「え、あ……す、すみません、聞かなかったことにしてください」
「……誰なのかなぁ、そのヤタガラスって人。気になる。後で聞かせてね?」
ヤタガラスではないということなんて分かっている。けれど、クロガネを振り替えってふわりと笑うその姿は、ヤタガラスとあまりにも似ていた。
……このままじゃだめだ。クロガネは気を取り直して、再び目の前の熾天に意識を集中させた。
「心の切り替えばっちり。それじゃあ、いこうか。目標はあの熾天の再封印。君がやるべきことは、もう分かるよね?」
聖女がそういうや否や、クロガネの脳裏に鮮明に浮かび上がる“するべきこと”。そして、聖女の狙い。
まるで、聖女の考えがクロガネの脳裏に刻まれたような感覚。どういう方法でそれを成したのかは分からないが、クロガネはその指示に従うしかない。
「はい、行けます」
「よぅし。ブランシェちゃん、ササリアちゃんも、よろしくねぇ」
そう言って聖女が杖を構えたのと、熾天の目玉が一斉にこちらを見たのはほぼ同時だった。ぞくり、と背筋を冷たいものが走り抜ける。
最初に動いたのは熾天だった。複数の目玉がぎらりと光り、唸り声を上げると同時に、魔力が複数の目玉に収束されていく。その収束した魔力がクロガネたちに向けて放たれるであろうことは明白だ。
咄嗟にクロガネは赫灼剣を構え、前に出ようとしたところで、クロガネの行く手を阻むように聖女の杖が構えられた。
「ラ、ラ、ラ」聖女が鼻歌を歌うようにそれを口ずさむ。やや遅れて、それが聖女の詠唱なのだと分かった。「ラ、タ、タ」
熾天から、超高密度の魔力が放たれる。クロガネが前回の戦闘で受けた魔法よりも数段格上の威力だとすぐに理解できた。
だというのに、着弾するよりもずっと早く展開された障壁は、その魔力波の全てを受け止め、吸収し——
「タ、ララ——リララ——ラ、ラ、リ、ラ」
あろうことか、威力を底上げしたうえで熾天に向けて跳ね返したのだった。
轟音と共に炸裂する魔力波。熾天の体が大きく揺れた。だがそれで終わらない。聖女は息継ぎをすることなく、更なる詠唱を始める。
「ラ、タ、タ、リ、ラ、リ」中空に展開される魔法陣から、無数の光の矢が放たれる。「ララ、リラ、タッタッタ」
そこから聖女はさらに詠唱を重ねていく。止まらない。反撃する隙を与えさせない。
光の鎖が縛り上げ、間を置かずに光の槍を出現させては次々と突き刺していく。それらと同時進行で聖女が左腕を振るうと、見えない力に引かれるようにして熾天の身体が床面へと押し付けられた。
引かれる、というのは正確ではないかもしれない。まるで重力が増したかのように、熾天の体が床にめり込んでいくのだ。
過剰なまでの圧力により目玉のひとつが砕け散り、体の一部がもげ落ちていく。
それでも、聖女は決して攻撃の手を緩めない。熾天の身体が床の大理石をひび割れさせ、めり込んでいくのを視認すると、新たな詠唱によって床面から無数の槍を出現させ、熾天の体をさらに貫き通した。
そこで聖女は杖から手を離した。杖が倒れるかと思ったが、杖は空中に浮かび上がり、その場にとどまっている。聖女は両手を胸の前で組み、熾天を睨みつける。数秒ほど経ってから組んだ両手をゆっくりと離していくと、その手の内に何かがある。
正二十面体の透き通った結晶体。
少し離れた位置にいるクロガネであっても、その輝きがただ事ではないことは分かった。
それは熾天も同じだったようで、「ギギギギギイイイイイイイイイイイイイギギギギギギギギイイイイイイイイイイイ」と奇妙な咆哮と共に、先程よりもさらに小さく高密度に魔力を収束させる。
もはやレーザー光線と呼ぶべきその一撃が発射された——が、それでも正二十面体に吸い込まれるように軌道を捻じ曲げられ、聖女の手元、正二十面体の周囲を旋回させられていた。取り込んだのだ。あれほどの威力の魔力を。
それから聖女はゆったりとした動作で、正二十面体を熾天に向けて放つ。飛んでいくというより、漂っていく、という表現が似合うような動きだった。
両手で正二十面体を押し出すようにすると、まるで摩擦なんてものがないかのような動きで、宙を滑る。
その間も熾天は咆哮を上げ続け、二撃目、三撃目のレーザー光線を放っていたが、いずれも正二十面体に吸い込まれ、その結晶体の衛星にさせられる。
ゆっくりと、しかし確実に正二十面体は熾天に近づいていく。
必死の抵抗も虚しく、すべての攻撃を無効化したうえで正二十面体が熾天に接触した。
閃光。
瞬きよりもはるかに早く、短いその一瞬で、熾天の体の三分の一が消失した。
「ギギ/ギギ//ガガッガ//ッガ/アアア/ッ//ガアッガガガガ///ッガガ//ッガガ/ガ」
ノイズ。そうとしか言い表しようのない異様な咆哮が響き渡る。正直なところ、クロガネはこれで勝負がついたと思った。だが聖女は油断する様子はなく、すぐさま新たな詠唱を始めた。
「リ、ラ、ルル──ララ、タッタタ、リ、ラ」
クロガネに対する強化の聖術──。
「お……?」
これが聖術……? クロガネはおや? と首を傾げた。聖術というものの、体感的には魔法と変わりなかったからだ。
──いや、違う、そうじゃない。
クロガネの中で、違和感というほどにもならなかった感覚が、確信へと変わっていく。
そうだ、これが魔法だ。
それに対して聖術は──魔力が薄いんだ。
この両者の違い、恐らくは魔力の運用方法の違いだろうか。効率の違いというのがクロガネ的に最もしっくりくる。
恐らく、聖女の扱うそれは聖術ではなく魔法だ。とはいえ、聖術が主流であるはずのこの世界で魔法を扱える理由は分からないが、一先ずそれは今考えるべきことでないのは確かだ。
と、その時だった。突然、聖女の声がクロガネの脳内に直接響いた。
【さぁ、どうぞクロガネさん。一発ぶちかましてください】
脳内に響く声に驚いてクロガネが聖女の方を見ると、悪戯っぽく微笑み返すだけだ。
【驚いた? でも詳しい話はこれ終わってからね】
そう聞こえるや否や、今度は聖女の思考や思惑までがクロガネに伝わってきた。
──熾天には自己修復能力があり、恐らく完全に倒すには欠片も残さず一撃で葬る必要がある。けど大聖庁の地下でそれはできないから、再封印するしかない。
──そのためには熾天の弱点に強力な一撃を与え、一時的にでも自己修復を阻害させないといけない。
──私は、一瞬の隙に封印術を発動しなければならないから、代わりを頼みたいの。クロガネくんにね。
【……ということで、よろしく!】
お膳立てはばっちり、といったところか。
クロガネに対する強化魔法も、聖女の狙いも理解できた。熾天は身動きできず、弱点も……分かる。聖女の強化魔法によって、クロガネの目にもその位置がはっきりと映っている。熾天の胴体中央、その奥深くに黒い靄のようなものが渦巻いているのが。
ここまでしてもらえて、生半可な攻撃をするわけにもいかない。
クロガネは息を吸い込んで、赫灼剣に魔力を流し込んだ。
少しどころではなく、ありったけをぶち込む。
大丈夫。赫灼剣はちゃんと応えてくれる。
【……わお。想像以上】
強化魔法の効きが良すぎるのもあってか、過去イチの手応えを感じた。
赫灼剣は白く輝く。魔力を流し込んだ分だけ、重量も増しているような感覚があった。
キッとクロガネは熾天の弱点を見据えた。……明確な殺意とともに。
途端に、熾天の目玉がクロガネを捉える。クロガネの身体を突き抜ける、冷たい視線。恐怖。
初めて目が合ったな、と思った。
「フッ─────」
──考えるよりも先に身体が動いた。熾天の目玉が光った、と思った次の瞬間にクロガネは赫灼剣を振るっており、バヂヂッと空気が裂ける音が響き渡る。
熾天から放たれた魔力のビームを弾いたのだ。クロガネ自身も、それに反応できたことに正直驚いた。けれど同時に、次も反応できるという自信もある。
恐らくは聖女による魔法で強化されているせいなのだろうと思った。
と、のんびり考えている間にも熾天は二撃、三撃と魔力ビームを放ってくる。クロガネはそれらを次々と弾きながら、着実に前へと進んでいく。
赫灼剣を振るう。弾く。
赫灼剣を振るう。弾く。
振るって、弾く。
振るって、弾く。
「……よぉ」とクロガネは熾天に声を掛けた。対する熾天はといえば、目玉を真ん丸に見開いてクロガネを睨みつけているだけだった。「ぶった斬る……ッ」
気付けば、クロガネは熾天の目前まで迫っていた。赫灼剣を構え直し、渾身の力を込めて振り下ろさんと上段に構えたその時だった。
初めて、赫灼剣を『重い』と思った。
それもそのはずだ。クロガネの身の丈を超えるほどに膨れ上がった魔力と、それによって形作られた刃が、赫灼剣の全長を覆い尽くしているのだから。
「……ッ、あああッ!!」
クロガネは全身の力を込めて赫灼剣を振り下ろした。熾天の弱点へと一直線に伸びるその一撃は、まるで大地をも切り裂くかのような轟音を響かせながら、熾天の体を真っ二つに両断した。




