2-15 深淵の都-⑦
目を開けた時、クロガネは安堵するよりも先に目を疑った。
——知らない天井だったからだ。
死んだ、と思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。顔を動かして周囲を見回すと、そこがクロガネの知らない部屋であることは確かなのだが、少なくとも漂ってくる独特の匂いからここが医務室かそれに近い部屋であることは分かった。
身体を起こそうとして、やめた。身体中に激痛が走ったからだ。思わずクロガネは「う゛っ……」と呻く。
ここはどこなのだろう。そう思っていると、まるで見計らったように視界の端で人影が動いた。
「……目を覚ましたのね、クロガネくん」真っ白な服装の女性……クロガネは彼女を知っている。前回、槍使いの男と共に彼女は異形と戦闘していた魔法士だ。だが同時に、彼女はクロガネを知らないはず。そんな思考を読んだように、彼女は続けた。「あなたの名前は、こちらで調べさせてもらったわ。そう警戒しないで、私はブランシェ。敵ではないわ」
「あ、いえ……」
彼女──ブランシェの言葉によりクロガネは一層疑惑の念を強めるばかりではあったが、それを指摘することはない。
クロガネはこのザンタリアに入ってから、今回は誰にもこの名前を明かしていない。つまりはクロガネの名前を知っている人はいないはずだった。ましてや、前回ブランシェと顔を合わせたのは戦闘中で、そこでも名乗ってはいない。
クロガネの存在を知っている誰かがこの世界にいる……と、いうことになる。
「起きて早速で申し訳ないのだけれど、いくつか聞きたいことがあるの。協力してくれる?」
営業スマイルみたいな顔だと思った。クロガネに拒否権を与えるつもりがなさそうなところが。
まぁ、別に拒絶する理由は特にはないのだけれど……とは口には出さない。
「……どうぞ」とクロガネが言うなりブランシェは「ありがとう」とにっこり笑って、すぐさまクロガネが起き上がるのを手伝った。
まだ身体は痛むが、起き上がってさえしまえば寧ろこちらの方が良い。ずっと横になって動かないよりかはずっとましだった。
「じゃあ早速」とブランシェは、あらかじめベッドの脇に用意されていたであろう紙を手に取った。「貴方に襲いかかった男性……名前はバンドーリアというのだけど、面識は?」
「ないですね」
「目撃者が言うには、バンドーリアが突然襲いかかったというけれど、本当に?」
目撃者──というのは、あの場に居合わせた冒険者たちのことだろう。
「本当です」もし、クロガネが一度死ぬ前も含めていいのならば嘘になるが、それはあり得ないはずだ。もしそうなら、そのバンドーリアという男は前回の記憶を保持していることになる。──とそこまで考えて、いやまさか、とは思った。確かに可能性がゼロではない。「……いや、ないことはない、かも」
ブランシェが怪訝そうな顔をクロガネに向けた。言うんじゃなかった、と思ったのは丁度そのタイミングだった。時すでに遅し、だ。
「どういうこと?」
「……」少しだけ間を置いてから口を開く。「それに関しては、正直俺の中でも確信が持てない……けど、そうだな……」
まさか、という思いが頭をよぎる。
「ブランシェさん。一つだけ聞いていいですか」
「ええ、どうぞ」
「俺の名前、どうやって調べました?」
「……それは守秘義務があるから話せないの。ごめんなさいね」
「なるほど。守秘義務で話せないというなら、俺も詳しいことは言えないですね」
「それは……どうして?」
「貴女が、味方であるという確証がないからです。それに、質問に答えてもらわないと、予想が当たっているのか判別できない」
ブランシェはクロガネの言葉に眉をひそめた。「予想、というのは?」
だが、クロガネはそれに答えない。推測の話をするつもりはなかったからだ。
どう考えてもクロガネは疑われている。それは間違いない。であるなら、推測の話で墓穴を掘りたくないと思うのはきっと普通のことのはずだ。
「……。こちらが譲歩しない限り、何も話せない、と」ブランシェは少し苛立ったように見えたが、すぐに落ち着きを取り戻した。「はぁ。少しだけ待ってて」
そういうと、ブランシェは部屋を出ていった。……少し、申し訳ない気持ちが湧き上がる。とはいえ、ここはなんとなく譲れない部分のような気がしているし、勘弁してほしい。……と、誰に向けたわけでもない謝罪を心の中で反芻した。
それから数分後、ブランシェはある女性と共に部屋へと戻ってきた。まず最初に戻ってきてくれてよかった、と素直に思った。口には出さないが。
ブランシェが入ってきて、それに続いて入ってきたのは……クロガネも知っている人物だ。
──予想は当たっている。そんな確信。ブランシェがやけに素直にこちらの要求に応じた理由も、今なら分かる。
「クロガネくん。彼女が情報提供者。彼女がクロガネくんを知っているように、当然貴方も彼女のことを知っている。そうよね?」
「……勿論」クロガネは静かに、彼女に向けて視線を向けた。「リシアさん。……その。前回は、守ってあげられなくて、申し訳ない」
「でも、こうしてまた会えたね」──と、彼女は……リシアは微笑んだ。
そんな会話の最中で、ブランシェの顔が一瞬だけ驚きに包まれたのを見逃さなかった。
「……ブランシェさん、もしかしてリシアさんから聞きました? 前回のこと」
「え、ええ……何者かの攻撃によって、彼女……いえ、リシアさんは命を落とし、そして、時間が巻き戻った……。でも、本当にそんなことが……」
「じゃあ、話は早いかな。もう隠す必要もないので全部言いますね」
クロガネは一呼吸挟んでから、前回のことを話した。
突然襲いかかってきたのは異形としか言い表せない化け物であったこと。その異形と戦っていたブランシェと、槍使いの男を見ていたこと。そして、その異形の頭部がバンドーリアという男の姿をしていたこと。
そしてそこで、クロガネが命を落としたこと。
「異形……」ブランシェが少し考える素振りを見せた後、口を開いた。「赤黒い肌と膨れ上がった身体、そして全身に眼球……」
「同じ。ついでに言うと気色悪い翼も生えてたよ。……あ。それと、今回俺が襲われたのは、もしかするとその、バンドーリアという男も前回の記憶を引き継いでいるから……とも考えられますね」
「……!」
その後、ブランシェは何かを小言で呟いたあと、「す、少し確認したいことがあるの、待ってもらってもいいかしら……」と言い残し、慌てた様子で部屋を出て行った。
それを見送った後、取り残された二人は顔を見合わせた後、少しだけ笑った。
「……そ、その」リシアは何かを言おうとして、けれど言葉が出てくるよりも先に身体が動いていた。「……っ」
クロガネの身を案じるように、優しくリシアは抱きついた。
顔は見えなかったが、上下する肩を見ればリシアの表情を察するのは難しくはない。
しばらくしてリシアも落ち着いた頃、ようやくブランシェが戻った。いや、これは少し語弊がある。
なんとなく、ブランシェが部屋に入るタイミングを計っていたであろうことをクロガネは少し前から感じ取っていた。それに、部屋に入ってきた瞬間のブランシェの表情に、隠し損ねた別の感情が僅かに混ざっていたのを見逃さなかった。
他人の恋愛事情を覗き見してしまったような、微量の罪悪感……みたいなもの。
クロガネは即座に察した。勘違いされている気がする! ──と。
勿論、藪蛇になることは明らかだったのでクロガネは何も言わなかったし、ブランシェも出来た人間のようで、それに触れることはなかった。
クロガネとリシアを見る目は多少……変わってしまっているようだが。
「……クロガネくん。頼みが、あるのだけれど」ブランシェは少し躊躇いながらも口を開いた。「目覚めて早々に疑ったことには謝るわ。それに、今こんなことを頼むのも気が引けるのだけれど──」
「自分たちに協力してくれ……とか?」
「……ええ」
ブランシェの申し訳なさそうな表情とは裏腹に、正直なところクロガネにとっては願ってもない話だった。
この街のことについて、まだまだクロガネは知らないことが多すぎる。
理由は分からないが前回の記憶を保持しているリシアがいるとはいえ、協力者は多いに越したことはない。仮にブランシェが敵対的な存在であり、今回の挑戦の中で結果的に殺されたとしても、ブランシェが敵であるという情報を得ることができる。
何度も死ぬのは御免被りたいが、死ぬ回数を最小限に抑えられるなら許容……できる。ギリだけど。
……まぁ、ブランシェは味方である可能性の方が高いとは思うが。
そうじゃないなら、こんな頼み方はしないだろうし、前回のように異形と戦う理由もないはずだ。
「いいですよ。協力します」
「……」
ブランシェは少し驚いたような……、いや、少しじゃない。結構驚いたような顔をした。
まさか、こんなにあっさり了承されるとは思っていなかったのだろうか。いや、きっとそうなのだろう。
「あ、ありがとう……こんなにあっさり了承してくれるとは思わなくて……少し驚いたわ」
……本当にそうだった。
「利害の一致ってやつですよ。ところで、協力ってなにすればいいんです?」自分で言っておいて、ハッと気付いた。確かに詳しい話も聞かずにふたつ返事で了承したら驚くのも無理はない。
「ええと……端的に言えば、バンドーリアという男について、それと、モルス・クルスという組織についての調査を──」
「……モルス・クルスだって?」
ブランシェとリシアがびくりと肩を震わせたのを見て、そこでクロガネはようやく、自身が威圧的な雰囲気を放っていたことに気が付いた。
クロガネは慌てて深呼吸して心を落ち着けるが、それでも二人の表情は変わらない。
自分は今、どんな顔をしているのだろう。クロガネが周囲を見渡して、壁掛けの鏡に映る自身の顔を見た。……怖い顔の男が映っていた。
そうなるのも当然だ。
モルス・クルスによる襲撃によって、魔峰フェルガナにおいてクロガネ達は完全敗北を喫したのだから。
その名を聞いた途端に湧き上がる苦い記憶。
ミナの胸元にナイフを突き立てられたこと。
マナの頭を吹き飛ばしたこと。
赤竜の姿だったルーベリアを一撃にて気絶させたこと。
フィアにまで手を掛けたこと。
──そして、あの時の絶望感。無力感。
それらによってクロガネの制御を失った感情が、怒りと憎悪となって顔に表れていたのだ。
ましてや──クロガネ自身は気付いていないのだが──獣の試練を突破したその経験によって周囲に対する威圧の密度が増しており、それによってより顕著に表れたという側面もある。
「……急に、ごめん」クロガネは深く息を吐いた。「感情的になってしまって。……少し、因縁のある名前が出てきてしまって」
「い、いえ……」
ブランシェの硬い表情を見て、クロガネは本当に申し訳ない、と思った。無意識であったと言えども……だ。
モルス・クルス。
まったく面倒な名前が出てきてしまったなと、クロガネは思った。




