2-14 深淵の都-⑥
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見慣れた景色。
蘇生地点だ。
「め、めっちゃつよーい……」
ベヒーモスを倒し自信が付いたと思ったのだが、流石に試練というだけあってそう簡単にはいかないらしい。
しばらくクロガネはその場に寝転んだまま息を整えた。少しだけ、頭を整理する時間が必要だった。
クロガネは自身の行動を思い返す。
最初は草原に出て、そこから街を目指して移動。途中雨に阻まれながらも、リシアと出会い、街に到着した。移動時間はおおよそ半日。
それから街に着いた後、冒険者ギルドに向かった。手続きを済ませて、一泊。次の日はリシアと街を歩き、その途中で異形が出現。戦闘になり、敗北。──そして今に至る。
本当は同じ過程を辿りリシアともう一度顔を合わせたい……というのが本音ではある。なんせ前回はリシアを守れなかった。あれが最後の記憶というのはひどく目覚めが悪い……のだが、とはいえ記憶を引き継いではいないのだろうから、きっと顔を合わせたところでリシアはクロガネのことを覚えてはいないだろう。ただクロガネがリシアを覚えているだけで。
感情を抑えて理性で選択する。
次にクロガネがすべきは、前回把握しきれなかった部分を知ること。これに限る。
となればそこからはやるべきことが次々に浮かんでくる。草原から街までの移動時間をどこまで短縮できるか、そして街の中を把握すること、最後に……異形の出現場所とその正確なタイミングを知ること。
異形を倒して試練が終わるかは怪しいが、なんにせよあの異形に暴れられること自体が問題なのだからまずは倒すことを目標に据えるのが妥当だろう。
もしその先にすべきことがあるのなら、その時にまた考えればいい。
「……うし」
すべきことが決まれば、自然と気力も湧いてくる。クロガネは立ち上がると、再び草原へと向かうべく歩き出した。
扉を出て二度目の草原と感動の再開を果たした後、クロガネはひたすらに街を目指して走った。ショットを推進力に全速力で駆け抜けた。アレを走った、という表現は正確ではないかもしれないけれど。
結果から言えば、雨に降られる前に街に到着することが出来た。代わりにクロガネの息は上がり汗も滝のように流れ落ちていたが、それでも目的は達成できたのだから良し、だ。
ついでに言えば前回よりも早い段階でベヒーモスと相対した。前回は街のかなり近くではあったが、今回はそれよりもずっと早い。あのベヒーモスは街に向かって移動していたということなのだろう。
ベヒーモスを倒さないという選択肢はない。何故なら雨宿りを終えたリシアが街に向かう途中で遭遇する可能性があるからだ。
まぁ、クロガネにとってもちょうどいい相手ではある。それまでの感覚を忘れないように、或いは準備運動として。
街に続く街道に出て、道なりに進んで城門をくぐる。
それから前回と同じ裏路地を通って冒険者ギルドへと向かう……つもりだったが、普通に迷ったうえに雨が降り始めたのはそのタイミングだった。
「……ゲー」
裏路地に数名いた他の冒険者パーティーらしい面々が慌ててどこかへと向かう。
その先に雨宿りできる場所があると信じてクロガネはこっそりと後をつけると、その予想通り建物の軒下で雨宿りをしていた。
そもそもの道幅が狭い裏路地というのもあって、両側の建物をつなぐように天幕が張られているところもあった。数名の冒険者が雨宿りしているだけで、十分な空間が確保されている。クロガネはその中に混ざり、雨が止むのを待つことにした。
雨。
ふと、リシアとの出会いを思い出す。
今この時、リシアはびしょ濡れになったまま洞窟で雨が止むのを待っているのだろう。もう一度会いたい、そんな思いが浮かびあがる。
いや、とクロガネは頭を振った。こういう考えはよろしくはないのだろうが、二度目の今回も失敗すれば三度目に会いに行ことはできる。だから今は冷静に、理性的に行動しなければ。
……雨は次第に強まってくる。きっとすぐ止むのだろうと思っていたに違いない他の冒険者たちが、慌てて天幕の内側へと逃げてくる。
「……結構、降りそうですね」
すぐ近くまで冒険者たちが来たのを見計らって、クロガネはふとそう声を掛けた。
冒険者パーティーの面々は友好的に言葉を返してくれる。きっとクロガネが冒険者らしい服装をしているからなのだろう。盾士らしい男性一人と、魔法士と弓士らしい女性二人。内、弓士らしい女性は獣人だった。
「はは、そうみたいですね。とっとと冒険者ギルドに向かって報告して解散するつもりだったんですが」
恐らく、盾士の彼がリーダーなのだろうという雰囲気は感じられた。
「ね。買い物行こうと思ったんだけどなぁ」そう返したのは魔法士らしい女性だ。「明日にするしかないかな」
対して獣人の女性はやや警戒心が強いようで、クロガネの方をじっと見つめたまま特に口を開くことはなかった。
明日、と彼女は言ったが、その明日がロクでもないものだと知っているのはきっとこの世界にクロガネだけだ。少しだけ言葉を選んで、けれどすぐにやめた。明日は出かけない方がいいですよ、と言うのはあまりにも不自然だから。
顔を丸ごとフードで隠して、いかにもそれらしい水晶玉でも持参していれば話は別かもしれないけれど。
「まぁ、雲の流れは結構早いので、案外すぐに止むかもしれませんね」
そうクロガネは返した。まぁ、比較的すぐに止むことを知っているのだけど、それを言うわけにはいかない。
「そうですかね?」盾士の男性は少し疑わしげに言ったが、天幕から空を見上げて「確かに。そうなることを願うばかりですね」と続けた。
それから間もなく、雨はピークを迎える。あまりに強い雨粒が天幕を叩きつけ、まるで滝のような音で空間が満たされる。会話をするにも声を張り上げなければならないほどで、自然と皆が黙り込んだ。
けれど同時に、間もなく雨が止むような予感もある。視界の隅に見える空が、少しずつ明るくなってきているからだ。
ざああああああああ……。
その時だった。路地裏に俯いたままの男性が姿を現したのは。
雨が降っているというのに、そんなことを気にする様子もなく歩いている。視線は地面に向けられ、前方は見ていない。表情は見えないが、少なくとも笑顔ではないだろうことは確かだ。なんせこの雨の中を歩いている姿はどこか異様だった。
少なくとも何かがあったということは分かるし、それ以外は分からない。
声を掛けようか少し迷った、が。
三人の冒険者たちは明らかにその男には気付いているのだろうが、視線も合わせようとしておらず、ただただ無視を決め込んでいる。クロガネはそれに倣った。先程少しばかり言葉を交えただけだが、そこから分かることはある。盾士の男はややお人好し。そんな彼が無視を決め込むというのならそれなりの理由があると考えるのが妥当だろう。
ゆっくりと歩く男が、天幕の下へと辿り着く。けれど立ち止まるといったこともなく、速度は変わらない。
ざあああああああああああああああああ…………。
雨の音で、男の足音は聞こえない。
ゆっくりと歩くその姿は、まるで幽霊でも眺めているような気分にさせられる。もし足の動きが見えない服装であったのなら、或いは本当に幽霊だと信じたかもしれない。
そうして男はクロガネの正面に差し掛かった。
クロガネは一瞬だけ視線を向ける。……と、まるでそれを待っていたかのように、男はクロガネの方を見た。
ばち、と視線がぶつかる。
ざああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ………………。
クロガネはその視線に凍り付いた。
知っているからだ。この男のことを。
異形。
ざあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………………………。
クロガネが赫灼剣に手を掛けるよりも速く、その男は動いた。ふっと一瞬だけ姿が掻き消えた直後、気が付けばクロガネの目前に立っている。
反応する間もなく男はクロガネの首に手を掛け、勢いよく建物の壁面へと叩きつける。途轍もない衝撃。周囲に響き渡る鈍い音。そのままクロガネは壁面に押し付けられ、息が詰まる。
反射的に赫灼剣へと伸びる右手を、だが男は掴み取った。力強く握りしめられ、微動だにしない。およそ人間の膂力ではない。
それに、足が地面につかない。だからこそ踏ん張ることも出来ず、クロガネはただただ足をばたつかせ、もがくしかなかった。
「あ……が…………っ」
狭まる視界の中で、盾士の男が何とか引き剥がそうとしているのが見えた。けれど男は微動だにせず、まるで石像でも相手にしているようだった。
息が出来ない。
苦しい。
「……、……」
死ぬ。
そう思った。
——刹那。クロガネは半ば意識を失いながらも、だが本能的に左手を男へと伸ばした。
途端にクロガネは左手に魔力を収束させる。死を間際にしたことで魔力の制御を失っており、溢れるほどの魔力が左手に集まっていく。これまでは存在こそしていたものの、使用されることはなかったクロガネの内に眠る魔力が、今まさに解き放たれようとしていた。
いうなれば火事場の馬鹿力。
クロガネさえも想像できていなかったその魔力量は、基礎魔法であるショットを更なる威力へと押し上げる。
ボッ——。空気が破裂するような轟音と共に左手から放たれた魔力の塊は、男に一切の容赦なく衝突する。
更にはその一撃の反動も凄まじく、クロガネと男は弾かれるように吹き飛んだ。それぞれ建物の壁面に激突し、なおも止まらず建物を突き破って転がる。
既に使われなくなって久しいであろう古い建物であったためか、ぶわりと粉塵が舞い上がり、辺り一面が煙に包まれる。
建物の中でクロガネは数秒ほどの意識消失ののち目を覚まし、即座に起き上がる。視界を遮る粉塵の中、赫灼剣に手を掛けて、だが一瞬だけ躊躇した。
ふと脳裏に浮かぶ、粉塵爆発の文字。だがそれはありえない。砂埃は粉塵爆発の原因には成り得ない。
その油断を見透かしたかの如く、男はクロガネの目前へと一瞬で迫る。
目前に迫る拳。
視認は出来たものの、身体は反応しない。めぎょ、と鈍い音と共にクロガネの顔面に拳は突き刺さり、そのままクロガネは宙を舞った。
何度か壁を貫通し、そのままクロガネは建物丸ごと突き破って大通りに投げ出された。
激しい雨だったからこそ、大通りを歩く人は少なかった。それが幸いした。
宙を舞うクロガネに追随する男が更なる追撃を加えんと迫ったその時、またもクロガネの魔力が身体の主の制御を離れた。今回は身体を包み込むようにぶわりと魔力が湧き上がり、そのまま爆発のように全方位へと拡散する衝撃を放った。宙にいた男は当然ながら踏ん張ることも出来ずに弾き飛ばされ、つい先程クロガネが貫通した建物へと突っ込んでいく。
ドッと、背中に走る痛み。それが地面に激突した痛みであることをクロガネは把握する間もなく意識を手放した。




