2-13 深淵の都-⑤
死に損ない。今のクロガネを表現するのに最も適した言葉を探して、見つかったのはこれだった。
周囲は変わり果てていて、かつて街だったそれらは瓦礫の山へと変貌を遂げていた。それだけでは飽き足らず、辺りに充満する濃密な魔力と、そして血生臭さ。クロガネの周囲には死の気配が満ちていた。
人、人、人。正確には、少し前まで人だった肉塊。
かつて腕だったもの。かつて脚だったもの。かつて胴体だったもの。かつて頭だったもの。
かつてリシアだったもの。
「……くそ」
どういう奇跡が重なって、クロガネを死なせなかったのか。それは分からない。ただ一つ言えるのは、クロガネは確かに死に損なった、ということだけだった。
口の中に血の味が広がる。きつく噛み締めた唇から出血しているのだろう。それが余計にクロガネを現実へと引き戻す。
「…………」
ゆっくりと身体を起こす。視線を動かせば、この惨劇を生み出した張本人が今だ街に向けて幾度も魔法を放っているのが見えた。
リシアを守れず、街を守れず、住民も守れず。もしこれが取り返しのつかない現実だったのだとしたらと思うとゾッとした。獣の試練で成長した気になったが、全くそんなことはないのだと突きつけられているようだ。
これが試練でよかった。少しだけそう考えたあと、違うだろ、と自分自身に反論する。これが試練であれ何であれ、結果としてクロガネは何も守れていない。守れていないというのは、クロガネが殺したのとそう大きくは変わらない。
「くそ……っ! くそが……っ!!」
走った。この怒りと悲しみをぶつける相手は、アレしかいないことは明白だから。
「ぶっ叩き落す……」
クロガネの背面から放出するショットを推進力に、建物の屋根へと飛び乗り、そのまま建物の上を駆け抜ける。
建物から建物へ。足りない助走はショットで補いながら。
相変わらずアレは宙に浮かんでいて、探す手間が省けて丁度良かった。
にしても、とクロガネは始めて上から眺めるザンタリアの街並みに目を向けた。アレは、街の中心部を目掛けて進んでいるようだった。
そこにはあからさまに重要だと言わんばかりの背の高い建物がある。城、というのがしっくりくる見た目。そこに何かがあると考えるのが妥当だろうか。
何をもってこの試練を終えられるのかは相変わらず分からないが、目指すべき場所の一つにあの城があるのは間違いないだろう。
かなりの速度でクロガネは突き進んでいるが、それでも追いつくのにまだ時間がかかりそうだった。距離がある上に、アレもこちらに向かってくるわけではないからだ。
少しでも早く──そう思っていた矢先だった。前触れなく放たれた一つの魔法がアレへと直撃した。
大きく弾かれる身体。宙で回転しながら体勢を立て直すと、途端に魔力が湧き上がるのが分かった。デカいのが来る。そんな予感は、だが更なる想定外の攻撃により打ち砕かれた。
「……マジか!」
地面から飛び上がったふたつの人影による攻撃により魔法は阻止され、魔力は霧散する。
人影の正体は分からないが、少なくとも敵ではないことは確かだった。クロガネの視界の先で、二対一の戦闘が始まる。
一人は槍使いの男性。もう一人は、白い衣装が目立つ女性らしかった。女性による後方からの魔法支援と、男性による前衛での槍攻撃。遠目でも分かるほどの息の合った連携で、拮抗しているように見える。
おかげさまで、クロガネは想定より早く追いつくことが出来た。
「──誰!? 危ないから下がってなさい!」
そうクロガネに叫んだのは女性だった。だが生憎、ハイそうですかと引き下がる気は毛頭ない。
女性の制止を振り切ってクロガネは勢いよく跳躍する。ショットによる推進力も相まって、ソレを見下ろすほどの高度へとクロガネはあっという間に到達した。
そしてようやく、その姿を捉えた。
「……っ!」竜人化、というにはあまりにも禍々しく、歪だった。翼を生やしているところは確かに遠目では竜人化のように思えたが、その翼を含め、宿主の身体は人間と異形の中間といった様相を呈していた。
赤黒く部分的に変色した皮膚。膨張した筋肉は不気味なシルエットを描き、何よりも腕や脚といった複数の部位に存在する眼球のようなものが異様だった。
まるで複数の人間をすり潰して、歪に混ざり合った肉塊で人間を形作ったかのような、そんな印象をクロガネは受けた。
唯一、顔面だけは人間と呼べる男性のものではあったが、その表情は狂気に満ちていた。
「お前が……、お前は…………!」
クロガネは赫灼剣を抜き、叫ぶ。
「ぶっ叩き落す……ッ」
刹那、視界の中を爆ぜる閃光。
パキッ。
クロガネの怒りに呼応して、意識を一段階上の領域へと押し上げた。
異形がクロガネに気付き、振り向く。そこから攻撃を放つまで、一秒。
……が、ゾーンへと至ったクロガネの動きは、それを容易く凌駕した。
「フッ——」
異形が、魔法を放たんとクロガネに向けた腕を間髪入れずに叩き斬る。肘から先が二股に分かれて、異形の動きがほんの一瞬だけ止まった。目の前で起きた出来事を理解できない。そんな様子だった。
返しの一閃で異形の腕を完全に斬り落としたのち、クロガネは赫灼剣を上段に構え、ありったけの魔力を剣身へと注ぎ込む。
魔力は赫灼剣を熱するだけにとどまらず、剣身から溢れ出た余剰魔力を燃料として炎の大剣を形作った。
間髪入れずにクロガネはその大剣を振り下ろす──が。
「……な!?」異形はクロガネの想定を超えていた。「──ん、だそれッ」
炎の大剣は異形の身体を切り裂いた……これは間違いではない。だがより正確に言うのなら、突然膨張した腕を、だ。
赫灼剣を振るうクロガネの動作に合わせて、まるで水風船の様にその腕はぶくぶくと膨れ上がり、クロガネへと迫った。……悪寒。これに触れてはならない、そう直感したクロガネは咄嗟にショットを推進力として後退し、同時に炎の大剣を振り下ろした。
ぶよぶよと脂肪のような、手ごたえのない感触が赫灼剣を通してクロガネの手に伝わる。赫灼剣が赤熱化しているからこそ、余計に空を切っているかのような手ごたえのなさが際立った。
もしもゾーンに入っていなければ、恐らくこの時点で敗北していた。クロガネ自身がそれを理解したからこそ、次の一手は追撃ではなく後退を選択する。
ショットによって距離を取りながら、決して異形からは目を離さない。異形もまた、クロガネから目を逸らさなかったからだ。
深淵を覗くときはなんとやら……だ。
その目は狂気に満ちていたが、だからと言って油断や隙があるかというと、これまたそうではない。殺意が宿っている、というより、相手を殺すという一点においてのみ純粋だった。ずっとあの目の奥にはどうやって相手を殺すのかが映し出され、様々な死因のクロガネが浮かんでいる。
クロガネは宙に浮かぶ術を持たない。故に重力に手を引かれるまま自由落下にて地面に向かっている。
言葉も会話も、ましてや予兆があったわけでもないが、クロガネが着地した瞬間にしかけてくる。そんな予感。
僅かな静寂。
そこから、更に戦闘は加速する。
着地と同時にクロガネは地面を駆け、まったく同時に異形はクロガネめがけて飛び掛かった。──速い。ゾーン様々《さまさま》だなと思った。この状態でさえ、異形の僅かな残像を視認することしかできなかった。
が、クロガネの身体は鋭敏に反応する。咄嗟に赫灼剣を構え、異形の突進を見事にいなした。
慣性で地面を転げる異形は、だが即座に体勢を立て直しクロガネに向き直る。
またも、静寂。——戦闘再開の合図は、石ころが地面に落ちる音。
またも同時だ。クロガネと異形は一瞬で肉薄すると、赫灼剣と異形の腕が激突する。
クロガネも認識出来ぬ一瞬のうちに異形は腕を変形させ、両腕が長剣のようになっていた。
クロガネの一閃。異形の一閃。交互に放たれる閃光の如き攻撃の応酬が瞬く間に展開された。致命傷こそ負わないものの、頬や腕に細かな傷が増えていく。
が、そんなことに意識を向ける余裕はとうになかった。
攻撃ひとつひとつに明確な殺意が込められ、選択を誤ろうものなら即座に首を落とされる。
──集中が途切れた者から死んでいく。
そして、どれだけの時間を持続して集中できるかは、そのものの経験値に依存する。
残念なことに、クロガネにはまだ足りていないものがそれだった。
赫灼剣を振るう一瞬、僅かに手汗で滑った。それで赫灼剣を手放すといったドジは踏まなかったものの、僅かコンマ数秒のタイムラグがクロガネに襲いかかる。
しまった、という考えが頭に浮かんだ。……戦いとは関係の無い思考。すなわち、雑念。
迎撃の手段を脳が電気信号として手足に伝えるべきそのタイミングを、雑念は一切の容赦なく踏み荒らす。
クロガネの動きが止まったその一瞬を、異形が見逃すわけもなかった。
ぶくぶくと太ったその巨腕が、再びクロガネ目掛けて伸びていく。知覚はした。だが、身体がそれについていかない。あっという間にその手はクロガネを鷲掴み、そのまま握り潰した。
身体中の骨が粉砕する音。
肉が潰れる音。
誰かの断末魔。
ああ、俺か。と思った。
ひどく汚い声だと、他人事のように思った。




