2-12 深淵の都-④
リシアと別れたあと、クロガネは冒険者ギルドの二階にある宿へと向かった。ここは基本的に滞在者向けの宿であるらしく、基本的に空いてるようだった。
受付にいる男性は随分と暇そうにしていて、机の上で何かを弄っている。近付いていって初めて、それが知恵の輪なのだと分かった。音からして金属製。輪っかの中に入った小さな輪っかを取り出すというようなものらしかった。
クロガネが近付いてくるのを見ると、男性は顔を上げて軽く会釈した。
「ども。一人?」
「はい。部屋を一つお願いしたいのですが」
「あいよー。滞在票は、あるね。どこでも空いてるから好きに使っちゃってー」
「ありがとうございます」
取り敢えず通路の奥、角の部屋を選んだ。特に理由はないが……。
受付の男性から部屋の鍵を受け取り、部屋に向かおうとしたところで、「あ」と男性が声をかけてきた。クロガネもそれに気が付き、振り返る。
「そう言えばなんだけど」
「はい?」
「リシアちゃんとはどういう仲なの」
おっと。この話題が出るとは思わなかった。想定していない話題だっただけにクロガネは僅かに戸惑ったが、よく考えれば受付が空くのを待っている間、リシアと話しているのを見られていたということなのだろう。
とはいえ、別にやましいことはない。正直に答えても問題ないだろう。というか、この質問に対する回答次第で問題になる可能性があるのだろうか。
「どういう仲、というか、今日会ったばかりですよ」
「なにぃ? ほんと?」
「本当ですよ。ここに来る途中で雨に降られたとき、雨宿りできる場所でばったり会ったんですよ」
「はーん……。にしては、やけに仲良さげに見えたが。まさか雨宿りしながら……?」
「別に、やましいことはないですよ。……嘘言っているとお考えなら、直接リシアさんに聞けば解決するとは思いますが」
「ああ、いや? そういうわけじゃないが……」受付の男性の視線が動いた。「リシアちゃんに出会って一か月、中々進展しないヤローがいるもんで」
もしやと思って受付の男性の視線の先を見ると、そこには冒険者らしい青年が立っていた。いや、正確には、柱の陰からこちらを窺っていた。
特に深く考えるまでもなく、彼がリシアに好意を寄せているのは明らかだった。
というか、あれで隠れているつもりなのだろうか。割と丸見えなのだが。
クロガネが視線を向けてもなお微動だにせず、こちらを窺っている。その様子から、本当に隠れているつもりなのかもしれないという気がしてきた。
もしそうなら、彼は冒険者向きではないように思える。察するに、リシアを追いかけて冒険者に成ったとかそういう類いではなかろうか。
「はぁー……なるほど……。依頼人から、俺が何者か聞いてくれって頼まれたとか、そういう感じですかね」
「そ。大正解。察しがよくて助かるよ。……まぁ、あの通り、自分では声もかけられないヤローだから進展しないのも分からなくもないわけだが……」
受付の男性は苦笑した後、クロガネに向き直る。
「で。あんたはリシアちゃんのことどう思ってるわけ」
「ん? まぁ、いい子だなーっては思いますけど」
「……そうかい。引き留めて悪かったね。……あのヤローには気付いてない振りして部屋に行ってくれないか。なんかこう、アイツ見てると可哀そうに思えてくるんだよ。あれで隠れてるつもりらしいからな……」
対して知らない彼に対して、よく分からない同情心のようなものが芽生えるのをクロガネは確かに感じた。
受付の男性と話している内、彼の背後の壁に丁度良く鏡が配置してあることに気が付いてからクロガネは普段の仕草といった様子でさりげなく数歩分、横に移動していた。丁度、柱に隠れているつもりの“青年”の様子を伺える位置に。
鏡の向こうの彼は、クロガネと受付の男性の会話をどうにか聞き取れないものかと必死に耳を傾けているようだった。その様子から、よっぽどリシアに対して強い好意を抱いているであろうことは想像に難くない。
「了解」クロガネは困った風に苦笑いを浮かべると、受付の男性はお互い様だよ、とでも言いたげに頷いた。
それから、極力クロガネは振り返らないように部屋へと向かった。当然、後頭部に目は付いてないから後ろで何が起きているのかを映像として知ることは出来なかったが、ドタドタと隠す気のない足音が聞こえてきてクロガネは少し笑いを堪えた。
振り返らずとも、彼の慌てふためく様子は容易に想像できたからだ。
◇
部屋のベッドに横になった時、もしかすると夜中に何かが起こるかもしれない、とクロガネは考えた。というか、考えてしまった。あくまで今は試練の最中なのだから、と。
そうして、それまでクロガネを優しく包み込んでいた眠気はきれいさっぱり吹き飛んで目が冴えてしまった。おかげさまで眠気が来るまでぼんやりとしていたわけだが、結局のところ懸念は杞憂に終わり、結果だけ見ればクロガネはただ夜更かししただけになってしまった。
そんなこんなで、翌朝。クロガネは盛大に寝坊して、部屋の扉を叩く音で目を覚ました。
目が覚めた瞬間にサーっと血の気が引く感覚と、目覚めて即座にフル回転を始める思考回路。ベッドから吹き飛ばされるようにして、それこそ文字通り飛び起きたクロガネはすっ転びそうな危うい体勢で部屋を駆け、扉から顔を出す。
実に扉を叩かれてからここまで、僅か五秒ほどの出来事だ。
「……お、おはようございます、な、感じですね……クロガネさん」
リシアの目に映ったクロガネの姿は、それはもう酷い寝ぐせとやや半開きの目、つまりはだらしない姿だったのだろう。リシアの困った表情からこれでもかというほど感じ取れた。「…………ハイ。寝坊しました。すいません」
それから慌てて身支度を整え、クロガネは部屋の外に出る。
二階の休憩用テーブルでリシアはぼんやりと一階の様子を眺めているようだった。昨日と同じ決まった席。まだ部屋から出たクロガネに気が付いていない。
クロガネはふと視線を動かす。まず最初に、受付の男性がこちらを見ているのに気が付いた。彼は親指である場所を指している。リシアのいるテーブル……とは違う場所。クロガネは敢えてそちらには視線を向けなかった。見る必要すらなく誰がいるのかは明白だからだ。
「おい、どういうことだ」と受付の男性が声を潜めて言った。クロガネも、その隣で一度立ち止まる。「リシアちゃん、おめかししてるじゃねえか。ありゃあ完全にデートな感じだぞ。見てみろあの柱の陰。今にも奇声を上げて逃げ出しちまいそうなヤローの顔をよ」
「そんなこと言われても。いつもの冒険者丸出しな服装だと視線が突き刺さるからってだけでしょう」
「それは、そうだろうが、追い詰められてるヤローにゃそんなことはお構いなしだろ。これからおめぇ、リシアちゃんに声かけてみろ、トドメを刺しちまうかもしれねぇ……」
「まぁ……そこで折れるようじゃまだまだじゃないですかね」
受付の男性は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。それは確かにその通りだな。まさしく正論パンチ。そんな感じの顔。だがそれはそれとして、恐らくこれから起こるであろう出来事を止められないことに対する無念さのようなものも滲んでいた。
「ごめん、待たせちゃったよね。申し訳ない」
「いえ! 全然気にしてないです! 寧ろお疲れだったみたいで……無理言っちゃいましたか?」
「あ、いや、これは……自業自得だから気にしないで……」
リシアはにこやかに微笑んでいる。クロガネもそれに応えるように微笑み返した。リシアと出会ってからそんなに経っている訳ではないが、最初に比べるとだいぶ打ち解けてきたように思える。
そんなことを思っていると、後ろでドタドタと、これまたどこかで聞いたことあるような足音が聞こえた。それから間もなく、その影は階段を一目散に駆け下りて姿を消した。
「……あの、クロガネさん?」リシアが少し戸惑ったように声をかけてきた。
「あ、いや」クロガネは頭を掻きながら苦笑した。「案の定、トドメを刺したなと思って」
「……?」
冒険者ギルドを出て、街を歩く。
ここが雑貨屋。ここが防具屋。あそこが武器屋。あそこのお店のおすすめは何で、こっちの店のおすすめはこれで。リシアは丁寧にひとつひとつ教えながら歩いていた。へぇ、そうなんだ、なるほど、すごいね、今度行ってみようかな、などとクロガネは相槌を打つ。語彙力が乏しいと言われても仕方がないような相槌だがこれには理由があって、そうするしかないほどリシアは色々なことを知っていて、呼吸するように次から次へと話題が湧き出てくるのだ。
平和だなぁ、と思った。これが試練の最中でなければ、もっと楽しい時間になるのだろうに、とも思った。
「……クロガネさん?」ふと、リシアが立ち止まってクロガネを見つめた。「すみません、つまらなかったですか……?」
「え? いや、そんなことはないけど……どうして?」
「なんだか少し、寂しそうというか、そんな顔をしていた気がして」
少しだけドキッとした。表情に出ていたのだとしたら、クロガネは無意識のうちにそういう顔をしていたのだろう。……反省。
「折角誘ってくれたのに、そんな顔をしていたなら、ごめんね」
「いえ、そんな……」
「リシアさんと一緒にいてつまらないなんてことはないから、安心して」
「そうですかね……」と、リシアは言った後に、少し考え込むような素振りを見せた。「……えっと。今のって」
その後、リシアは少し恥ずかしそうに何かを呟いていたはずだった。けれどそれはクロガネの耳には届くことはなかった。
言葉を覆い隠すように、周囲の雑踏がにわかにざわめいたからだ。
同時に、クロガネの背筋を駆け抜けるひやりとした感覚。獣の試練でベヒーモスと相対したときと似た感覚。
それが異様に高密度な魔力によるものであると理解したのは、クロガネとリシアの視線の先で大きな爆発が起きてからだった。
「な……」
クロガネの視線がその爆発のあった場所に吸い寄せられる。
より厳密にいうなれば、そこに見える人影の“かたち”に、だ。
それと似たような“かたち”を、クロガネはよく知っている。
「竜人化……なのか?」
────目が合った。
ぞくり、と背筋を駆け抜ける強烈な悪寒。刹那、クロガネの脳裏には数秒後の惨状が鮮明に浮かび上がった。
それから間もなく、クロガネとリシアの周囲の人々がざわめいた。竜人化のようにも見えるあの影が、明確にこちらに向けて魔法を放たんとしているのが見えたからだ。あっという間にパニックに陥る。当然だ、魔法の威力が如何ほどのものかは、つい先程の爆発で思い知ったばかりなのだから。
だが、どこへ逃げればいいのか分からない。人々は右往左往し、悲鳴を上げ、叫び声を上げる。
結局、逃げるとかそういう次元の話ではなかった。集団での行動が合致せず、逃げようとする人同士がもみくちゃにぶつかり合って、結局一歩も動けない。もし転ぼうものなら、人々に踏みつけられて二度と立ち上がれなくなる。混乱する集団というのはそれ自体が凶器になりうる。
呆然と立ち尽くすリシアにクロガネは抱きついて、どうにか人の波から守ろうとした。
というか、それしかできなかったと言い換えてもいい。
この時点で既にクロガネの頭の中には、これからこの場を覆い尽くすであろう魔法を防ぐ手段を考える余裕などなかった。
リシアに覆い被さったとて、リシアが助かる保証はどこにもないし、クロガネ自身も無事でいられる保証も勿論ない。
何なら、クロガネはたとえ非情であってもリシアを投げ出して、自分だけでも逃げ延びるという選択肢が最適解であることは分かってはいた。
だが、そんなことはできなかった。できるわけがなかった。
もしそんなことをすれば、ヤタガラスに顔向けできなくなるからだ。
「リシア……っ!」
クロガネは絞り出すように、リシアの名前を呼ぶことしかできなかった。
直後、強烈な閃光と爆風がクロガネたちを襲った。浮遊感と、耳をつんざくような轟音。そして、全身を焼き尽くすような激痛。
最期に見えたのは、真っ青な空の色と、そこに浮かぶ白い雲。
巻き上げられた街の残骸と、かつて人間だったはずのものたち。
そして、胴から下をどこかに失くしてしまったリシアの姿だった。




