2-05 幽冥孤征-④
赫灼剣を振るう。
クロガネはその光景が、自分自身の行動の結果であることを理解しつつも、なおも信じられないでいた。
放たれた計十三の黒煙の槍、その全てをクロガネは赫灼剣で受け止め、弾き、斬り払ったのだ。
そして眼前に迫ったベヒーモスの巨体に、だが決して怯むことなくクロガネは前進する。
今なら何でもできる。そんな直感があった。
ゆっくりと動く世界で、ベヒーモスの着地にタイミングを合わせる。ベヒーモスはクロガネを睨みつけていた、だが、その動きに追随は出来ていない。
ベヒーモスが着地するのと同時に、クロガネは側面に回り込み赫灼剣を振るう。肉を断つ感触。ベヒーモスの腹部を捉えた。
そのまま、前進する。ベヒーモスの自重が助けとなり、赫灼剣はその腹部を大きく切り裂いた。
『グッ、ガァァァアアアアア!?』
初めて聞く、ベヒーモスの苦痛の咆哮。
まだだ。
追撃を──。
そう思ったところで、ぷつんと世界が元に戻る。
「あ?」
瞬きした瞬間に、クロガネの眼前にはベヒーモスの前腕が迫っていた。
死んだな、ということは分かった。
だが、クロガネの表情は絶望とはかけ離れたものだった。
勝つために道筋が、僅かにでも見えた。
これは、新たな一歩だ。
ばつん。
■■■■──。
……。
四十四度目の挑戦。……失敗。敗因、油断しすぎ。戦闘時間約十一分。
四十五度目の挑戦。……失敗。敗因、攻撃のタイミングミス。戦闘時間約七分。
四十六度目の挑戦。……失敗。敗因、集中力不足。戦闘時間約十五分。
四十七度目の挑戦。……失敗。敗因、ゾーン状態の維持失敗。過信しすぎ。戦闘時間約八分。
四十八度目の挑戦。……失敗。敗因、攻撃のタイミングミス。鞭の回避失敗。戦闘時間約十一分。
四十九度目の挑戦。……失敗。敗因、魔力配分ミス。戦闘時間約十八分。
五十度目の挑戦。……失敗。敗因、瓦礫に足を取られた。戦闘時間約二十分。
五十一度目の挑戦。……失敗。敗因、ベヒーモスの新技の餌食。超至近距離での黒煙双剣を確認。戦闘時間約十五分。
五十二度目の挑戦。……失敗。敗因、黒煙双剣の回避失敗。戦闘時間約十六分。
五十三度目の挑戦。……失敗。敗因、黒煙双剣の回避失敗。戦闘時間約十九分。
五十四度目の挑戦。……失敗。敗因、黒煙双剣の回避失敗。戦闘時間約二十五分。
五十五度目の挑戦。……失敗。敗因、黒煙双剣の回避失敗。戦闘時間約十九分
五十六度目の挑戦。……失敗。敗因、足を捻った。戦闘時間約三十分。
五十七度目の挑戦。……失敗。敗因、攻撃のタイミングミス。戦闘時間約二十三分。
五十八度目の挑戦。……失敗。敗因、鞭の回避失敗。戦闘時間約二十七分。
五十九度目の挑戦。……失敗。敗因、魔力配分ミス。戦闘時間約三十五分。
六十度目の挑戦。……失敗。敗因、違和感解消のため。
黒煙双剣の剣戟を真正面で受け止めてみる。想定外に、およそ三分間耐えた。戦闘時間約五分。
四十三度目はクロガネにとって明確に転換点となる戦いだった。四十三度以前の平均戦闘時間が約五分程度であったのに対し、以後は約十七分にまで伸びている。ベヒーモスの行動パターンを把握し始めているというのもあるが、最も大きな要素はクロガネ自身の成長に他ならない。
特にゾーンを経験してからの成長は著しく、ベヒーモスの攻撃を回避しつつも的確に反撃を加えることができるようになっていた。それまで確認すらできなかった超至近距離での黒煙双剣の存在を把握してからもそれは変わらず、寧ろ更なる成長を促す結果となった。
……六十一度目の、挑戦。
「……ん~」四十八度目以降、クロガネは扉の前で立ち止まり肩を回す癖がついていた。「よし」
シンプルでありながら、最もクロガネの集中力を高めるルーティン。「行くか」クロガネは呟くようにそう言って扉を開ける。
もう見飽きた景色。闘技場の中心で、相変わらずベヒーモスは心地よさそうに丸まっている。
初撃の純属性魔法は五十四度目から使うのをやめた。
クロガネの使用する攻撃の中でも威力が飛びぬけていることは間違いないが、消費する魔力量との兼ね合いが悪い。ベヒーモスの動きに付いていけるようになった頃から、赫灼剣へと魔力を回す方が遥かに効率的であると判断したのだ。
扉の開く音にベヒーモスの身体が微かに揺れる。そうしてゆったりとした動作で顔を上げ、クロガネを視認した。そこから気怠げに身体を起こしてクロガネと向き合うまで、たっぷりと三十秒ほどかかる。
強者の余裕。或いは慢心。
それを悠然と眺めていられるのは、クロガネが“ズル”しているからだ。
いつかベヒーモスのようなモンスターを前にして、“ズル”せずに真正面から立ち向かえる日は来るのだろうか。そんなことをぼんやりと考える。そうするぐらいの余裕は、今のクロガネにはあった。
いや、と自分の心に言い聞かせる。
“ズル”せずに立ち向かえるように、ならねばならないのだ。
ベヒーモスはクロガネの存在を認識するも、自身から積極的に襲いかかろうとはしていない。
深呼吸。
目をぎゅっと閉じて、そしてゆっくりと開けた。
刹那、赫灼剣は白く輝く。
六十度もの戦闘によって培われた経験と、リアルな死の感覚。何度繰り返せど、死に直結する痛みと恐怖には決して慣れることはない。死にたいと思って戦っているわけではないし、この痛みに慣れたいと思って戦っているわけでもない。慣れないというより、慣れるべきではないし、慣れたいと思うべきことではない。
それらの感覚が、クロガネの魔力操作の精度を指数的に高めていくこととなった。
そうして常人の数倍の速度で、クロガネは一秒以内での魔力収束を無意識に会得していた。これを会得できるかどうかは、冒険者としての将来を大きく分かつ分水嶺と呼んでもいいだろう。
途端に赫灼剣から湧き上がった尋常ならざる魔力の奔流が周囲に舞い拡がる。
ベヒーモスの目がぎょっと見開かれるその時には既に、クロガネは駆け出している。慢心し、油断しているベヒーモスにこの一撃を当てるのは、簡単だ。それをクロガネは実体験として知っている。
「──ふッ」
ザンッ、と振り下ろされた赫灼剣はベヒーモスの顔面を深々と切り裂く。左目のやや上から刃は侵入し、袈裟懸けに振り払われる一閃。超高温の刃は、正確には切り裂くというよりも溶かし斬ると形容すべきだ。肉の焼ける香ばしい香りと、骨をも断つ感触。一拍遅れて、ベヒーモスの悲鳴が響き渡る。
地面に降り立つと共に、クロガネは即座にベヒーモスの死角となった左側面に回り込む。初撃で視界を奪うことで得られるアドバンテージを活用しない手はない。そのままベヒーモスの左前腕の筋を断つことが出来ればよかったが──これは毎度、変数に踊らされる。今回ははずれだった。左前腕に向けて振るった斬撃を見切ったわけではないのだろうが、たまたまベヒーモスは左前腕を少し前に出した。空振り。これにはがっかりする。
ベヒーモスは殺気に敏感だし、おまけに耳も良い。赫灼剣の空振る音をしっかりと聞き分けることができるぐらいには。
「ちぇっ」
クロガネは舌打ちしながら後退する。さして間を置かずベヒーモスはぐるりと身体を回転させ、かつ同時に黒煙を湧き上がらせる。
本来ならばクロガネはベヒーモスの動きに合わせ、左側面から離れないように旋回するのがセオリーなのだろうが、これには理由がある。視界を半分失ったベヒーモスは、かなりの確率で鞭を選ぶ。
一番苦手なのがこの鞭なのは今でも変わらない。その先端を見切ることは出来ないし、薙ぎ払いをするのが鬱陶しいことこの上ない。
そして左目を失ったベヒーモスは当然ながら暗黒に包まれた左側を特に警戒する。薙ぎ払いをする場合はほとんどこの左側面を巻き込むように行う。
何度これで痛い目にあったことか。
鞭はしなり、音速を超えて周囲を駆け巡る。案の定、左側面を大いに巻き込んでの薙ぎ払いだ。もしクロガネがそこにいたなら、もれなく大怪我を負っていただろう。いや、ひき肉になっているやもしれない。
だが、“ズル”しているクロガネは安全地帯を把握している。鞭を振るう最中で、ベヒーモスがクロガネの姿を捉えて一瞬硬直する姿も。
距離感を測り、ベヒーモスは黒煙を切り替える。
クロガネの位置は槍の射程圏内だ。
「よし」クロガネは思わずにんまりと笑った。
ベヒーモスの攻撃はどこか典型的で助かる。この距離ならこうする、そういうのが分かりやすい。
地球的に言い換えるなら、『ゲームみたいだ』となるだろうか。
鞭から槍に切り替える動作はほとんど隙が無いが、代わりに槍から別の武器に切り替える動作には他と比較してかなりのタイムラグがある。
恐らく、黒煙には総量が決まっているのだ。それらの中で運用するため、槍を投擲するとその分だけ黒煙を消費することになる。つまりは変化させるための黒煙を遠くに投げ捨てているともいえる。
槍を突破するのは幾度も経験しているし、実際クロガネにとってはかなりの得意分野だ。勿論、このベヒーモス戦に限っては、であるけれど。
ものの数秒で切り替わった黒煙の槍は、クロガネを標的に定めて放たれる。
始めこそは槍が着弾してから破壊していたが、慣れというのは恐ろしいもので、今では地面に到達するよりも先に槍を打ち落とすことができるようになっていた。
総数は十三。それらを正確に、十三撃で破壊する。
「ふんっ」一撃一撃を確実に赫灼剣で捉えていく。「だぁ……っ!」もしどれかを外せば、その槍がクロガネを背後から狙うことになる。確実に、丁寧に、だ。
そうしたら、あとはベヒーモスの懐に飛び込むだけだ。
まぁ、ここから先が最も大変なのではあるけれど。
いつも痛い目を見るのは、この先だ。




