2-04 幽冥孤征-③
もはや見慣れた暗闇と、今だ慣れぬ頭痛。
聞き取れぬ「■■■■」という声とともに、クロガネは四十二度目の目覚めを経験する。
そして、四十三度目の繰り返しがまた始まる。
「……全ッ然、勝てる気がしねぇ、くそ」
こんな言葉を繰り返したのも、もう何度目だろうか。少なくとも両手両足の指では数えきれないことは確かだった。
あれから何度も繰り返して、分かったことはいくつかある。
この繰り返しは時間の逆行ではなく、クロガネの身体がこの神殿に戻されているということ。いわば蘇生地点とでもいうべきか。試しにクロガネが神殿の壁面にわざと傷をつけると、その傷は次に目覚めた時にも残っていた。
だが同時に、神殿から続く階段の先からは都度リセットされているようで、洞窟の壁面やベヒーモスの居る空間は毎回元通りになっている。
ベヒーモスに対しても同様で、クロガネが向かうたびにベヒーモスは傷ひとつなく、疲れた様子もなく、あの場所で心地よさそうに眠っている。
まぁ、それらは別にどうでもいい。
そんなことよりも、今考えるべきは現状どうやってもベヒーモスに勝てないことについてだ。
明らかにクロガネの実力不足。魔法に関してはショットでは太刀打ちできないことは早々に理解した。
つまり立ち向かうには純属性魔法を叩き込むしかないのだが、まずその隙がない。
しかもだ。純属性魔法であっても一撃では倒しきれないことも検証済みだ。試しに部屋に入った直後に純属性魔法を放つことは出来た。だがそれだけだった。そこから先はベヒーモスも本気になり、クロガネはあっという間に吹き飛ばされる。
先行き真っ暗。どうしたものか。
それに、ベヒーモスにぶっ飛ばされるのも無痛なわけではない。
四十二度の激痛の一つ一つを詳細に思い出せる。いっそ全部忘れてしまいたい。
「…………」何度も立ち向かって、何度も負ける。しかも、何度も同じ痛みを味わう。「……早く、何か、突破口を見つけないと」
焦りがある。同じぐらいの恐怖もある。
だが、それでもクロガネが前を向き続けられるのは、やはりヤタガラスとの約束だ。いや、それだけではない。
何度も何度も痛い目見るたびに痛感する、カルファレステ街での恵まれた自身の立ち位置。
それまでの戦いは、クロガネが一人で何かを成し遂げられたわけではない。いつだって誰かがいた。一人ではなかった。
だからこそ、今この時、クロガネは一人で立ち向かわなければならないのだ。
バチーン、と自身の頬を思いっきり叩く。
「……よし」
痛いのは嫌だし、負けるのも嫌だ。
けれど、ここで負けているままではきっとこの先もずっと負け続ける。
変えなければならないのだ。
変わらなければならないのだ。
クロガネは勢いよく立ち上がり、赫灼剣の赤熱化した軌跡によって神殿の円柱に傷をつける。
四十二度の敗北の記録。
四十三度目の挑戦の始まり。
そうして、神殿を後にする。
何度も通った道を、何度も通った階段を、クロガネは再び歩いていく。
その間、ずっとベヒーモスのことを考えている。
何度も繰り返している内に、自然と他の思考は洞窟を歩いているときに消えていくようになった。
戦いの前のルーティーンのようなものだろうか。
ベヒーモスの居る部屋の前に付くころには、クロガネの心の中はこれから待ち受ける戦いのことだけでいっぱいだ。
「──ふぅ」
クロガネは深呼吸と共に赫灼剣を左手に持ち替え、右手には魔力を収束させる。
初撃で純属性魔法を放つ。現状、これをしなければ何も始まらない。
必然的にベヒーモスは本気になるが、遊ばれて体力を消耗するよりかは、まだマシだ。
魔力を、練る。
とにかく、練る。
──クロガネは気が付いていない。
この繰り返しの中でクロガネの魔力収束が徐々に早くなっているということ。威力も増していること。
たっぷりと一分間、魔力を練り上げたクロガネは、その次の瞬間足で扉を蹴破る。
そして直後に、放つ。
「──氷雪一閃ッ」
ベヒーモスがクロガネに気が付き、起き上がろうとしたその直後にそれは衝突する。
クロガネの手を起点に伸びていく氷柱は、真っ直ぐに直進してベヒーモスを穿つ。ギャアッ! という聞きなれた悲鳴が反響し、戦いは始まる。
本来であれば体内に残存する氷柱が放射状に伸び、ベヒーモスを体内から貫通するはずなのだが──何故かそう上手くいかない。
これまでの戦闘を振り返ってもそれはずっと不明のまま。
だが、痛手を負っているのは確かだ。
ここで、二度目の純属性魔法は放たない。
クロガネがそれを放つよりも先に、ベヒーモスは立ち上がり、襲いかかってくる。
『ガァァァァアアアアアアアアアア!!』耳を劈く咆哮と共に、ベヒーモスの身体から大量の黒煙が舞い上がる。
決まって最初に放つのは、黒煙の槍。
ベヒーモスは敵との位置関係から複数の黒煙を使い分ける。
遠距離には『槍』、中距離には『鞭』、近距離には『盾』と『剣』。
そしてベヒーモスの“クセ”として、最初に放つ『槍』はクロガネを狙ってはいない。必ずといってもいいほどクロガネの足元を狙い、クロガネがそれを避けた後に本命の攻撃を放ってくる。
クロガネの周囲に降り注ぐ黒煙の槍。避けようとすれば直撃だ。
だからこそ、振ってきて地面に突き刺さった槍を赫灼剣で破壊する。
「ラァ!!」
かなり強力に赫灼剣を赤熱化させることで、黒煙の槍を破壊することは可能だ。
そうして粉砕した槍の隙間から飛び出す。一瞬でも遅れると、ベヒーモスの前腕に吹き飛ばされてあっという間に意識が途切れて振り出しだ。
「…………ッ!!」
目にもとまらぬ速度で迫ったベヒーモスが、黒煙の槍で破砕させた地点を前腕で大きく薙ぎ払う。たったそれだけで地面は抉れ、更には破片がさながら砲弾の如く飛び散る。
あれに直撃しても、終わり。
まさに規格外。一撃で全てが決まる。
転がりながらもなんとかその攻撃を避け、体勢を立て直す。
ベヒーモスに視線を向けると、黒煙はすでにその頭上にあり、『鞭』へと変化していた。
──不味い!
最もクロガネが警戒しているのはこの『鞭』だ。
『ガァッ!!』
とにかく、早い。視線を一瞬でも逸らせば、その直後には恐らくクロガネの首が飛ぶ。
だが視認できるかというとそうではない。鞭の先端はおよそ人間が認識できる速度を超えている。
結局、クロガネにできるのは鞭の予備動作から避けるタイミングを見計らうことだけだ。
……まぁ。成功率は五割といったところだが。
「──ッ、だぁああ!!」ほとんどが勘。左方に放射型ショットを放ち、右方に避ける。いや、これは避けるというより、吹き飛ぶといった方が的確か。「ぐえ!」
十メートル近くを吹き飛び、地面を転がる。だが、それほどの速度でも避けられないときはある。
黒煙の鞭、不可視の斬撃ともいうべきそれに、何度も痛い思いをさせられた。こうして吹き飛んだ直後、立ち上がろうとして足首から先がなくなっていたこともあった。
今回は、無事だ。
……と、一息つく間もない。
ベヒーモスはすでにクロガネに向かって走り出している。
黒煙は──『槍』。
すでに発射される一瞬前。
今回はこれか、とクロガネは息を吐いた。
ベヒーモスの攻撃パターンは大体決まっている。が、だからといってそれを利用できるほどの身体能力はクロガネにはない。
だからこそこうしてジリ貧になる。これから辿ることになるクロガネの未来が、脳裏に浮かび上がった。
「くそ……」
黒煙の槍に突き刺されるか、或いは破損した床に足を取られて、前腕に吹き飛ばされるか。
クロガネは強く歯を噛み締めた。
何度やったら前に進める。
何度負けたら成長できる。
やけくそになって、クロガネは赫灼剣を赤熱化させた。クロガネの体内に存在する魔力をすべて注ぎ込む。
赫灼剣は、赤熱化というより真っ白に発光していた。
せめて。
せめて、もう一歩先に。
パキッ。
……?
何かが弾けた音。
「あ?」
クロガネに迫る黒煙の槍の、軌道が見えた。
ゆっくりと空中を突き進む計十三の槍。
「あれ?」
三本が、右に。
二本が、左に。
五本が、やや前方に。
残りの三本が、クロガネを狙っている。
「……え?」
動く。
何故か、動く。
身体は、黒煙の槍がクロガネに到達するよりも早く、動く。
赫灼剣を振るう。
真っ白な軌跡が、黒煙の槍を薙ぎ払う。
触れた先からその槍は霧散し、崩壊していく。
黒煙が、消えていく。
──消えている?
刹那、クロガネの脳裏に走る、雷のような閃き。
そして同時に、クロガネの身体はそれまで体感したことのない新たな領域へと足を踏み入れる。
その状態は、俗にこう呼ばれる。
『ゾーン』と。




