2-03 幽冥孤征-②
クロガネは闘技場の外周を全力で駆ける。
幸運だったのはベヒーモスが直接襲いかかってこなかったことだろうか。幾度も床を抉っては、瓦礫を投げつけてくるだけだった。
避けられるものは避け、無理なものはショットで弾く。
何度繰り返しただろうか。
闘技場をおよそ半周したあたりで、ベヒーモスは苛立ちを抑えきれないといった様子で吠えた。
空気が震える。
クロガネの背後の壁が小刻みに揺れ、今にも崩れ落ちそうだった。
「ひ〰〰! 怖すぎ!!」
ベヒーモスが真っ直ぐにクロガネを睨みつける。
直感で突進してくるのだと分かった。壁際にいるのは危険だ。咄嗟に前方へと飛び出す。
ベヒーモスが突進してくるのは、まさにその直後だった。
凄い速度だと思った。
けれど、かつて赤竜が滑空して襲いかかってきたときの方がよっぽど速かった。
赫灼剣を逆手に持ち替え、クロガネもベヒーモスに向かって突進する。目前までベヒーモスが迫った時、クロガネはショットを放った。
──拡散型ショット。弾かれるようにクロガネはベヒーモスの左側面へと回り込む。ベヒーモスはその巨体故に、例え視線でこちらを捉えていたとしても勢いを即座に殺すことは出来ない。
間髪入れず、赤熱化させた赫灼剣を構える。
それだけでいい。
「ん、が、あああああああ!!」ベヒーモスの突進する勢いを利用して、赫灼剣は勝手にその身体を切り裂いていく。
突然の痛みに、ベヒーモスは悲鳴を上げながら壁に突っ込んだ。
ズシン、と大きな音を立てて壁が崩れる。なんという威力、当たったら確実に、致命傷だ。
だが、こっちだって負けてられないのだ。
油断はしない。
壁にめり込んだベヒーモスに対し、追い打ちをかけるようにショットを放つ。身体を宙に浮かせて放つは──。
「アイシクル・ショット!!」
放つ瞬間の反動で身体を後方へと流しながら、同時にベヒーモスに向けて氷の弾は飛んでいく。それはようやく振り返ったベヒーモスの顔面を捉えた。
触れた部分を起点に、ベヒーモスの顔面は氷に覆われていく。
だが、あまり効いているようには見えない。顔を大きく振ると、氷は呆気なく砕けて霧散する。
「タフすぎる……」クロガネの顔が歪む。
もし本気で倒すことを考えるなら、やはり純属性魔法を放つほかない。
だが、果たしてその余裕はあるだろうか。
つい今しがたのベヒーモスの突進を利用した攻撃はかなりベストな動きだったはずだが、それでも全くといっていいほど純属性魔法を放てるだけの隙には成り得なかった。
腹立たしいほどにタフ。
腹立たしいほどに強く。
そして何より、こんなにも弱い自分が腹立たしい。
「ライトニング──」魔力を、それまで以上に収束させる。勝つったら勝つ。諦めるもんか。「ライフル・ショット!!」
轟音と共に放たれたショットは空気を切り裂いて直進し、ベヒーモスの胴体に直撃した。
……それだけだった。
「………………は?」
明らかにそれまでよりも威力があるはずのショットであるのに、ベヒーモスの身体が揺らぐことさえなかった。
体毛が赤紫に淡く光り、ぞっとするような黒煙が立ち上る。黒煙、そうとしか言いようがないが、より正確に言えばあれは恐らく魔力。だがどうして、魔力を噴出させているのかが分からない。
だが、その黒煙が宙で渦を巻き、細長い槍のようなものを形づくったことで、クロガネはようやく理解する。
黒煙もまた攻撃であることと、そして──ただ突っ立っているということの愚かさを。
気が付いた時には手遅れだ。
咄嗟に動き出そうとしたクロガネの足元を崩すように、黒煙の槍が無数に飛来する。クロガネ自身ではなく、クロガネの行く手を阻むように周囲を黒煙が取り囲んだ。
まずい!! 逃げ遅れた!!
それを理解したとき、心臓を冷たい手に鷲掴みにされたような感覚が身体を駆け巡った。その瞬間、脳裏に浮かんだのは打開策などではなく、自らの終わりを告げる冷え切った静寂だった。
ただただ明確な死の直感。
「──まっ、」
一瞬、天井にベヒーモスが張り付いているように見えた。
……違う。
クロガネの視界が、反転しているのだ。
「────が……ッ、ぁ……」
呼吸が出来ない。
床に倒れているのか。
分からない。
動けない。
終わり?
これで?
■■■■──。
「…………」クロガネはゆっくりと目を開けた。「……なんだ、ここ」
洞窟か、地下か。どちらにせよ分かるのは太陽の光が届かない場所であるということだけだ。
暗く、そして光源はない。当然ながら何も見えない。目が慣れてきて少しずつ周囲の様子が見えるようにはなったが、視界は依然として暗い。
「…………」
辺りを見回すも、何もない。何かがあっても見えていないだけの可能性は大いにあるが。
周囲を手探りで確認すると、触ってすぐに分かる形のものがある。赫灼剣だ。
すぐさま手に取ると、クロガネに向けて魔力が逆流するかのような感覚があった。ありがたく、その魔力をそのまま剣身に流し込むと、すぐさま赫灼剣は淡く輝き始める。明るすぎては視界が明順応してしまう。基本的に暗闇であるから、光量は控えめに。
やけに赫灼剣が手に馴染む感覚があった。
ここまで繊細に、かつ手に取るように魔力を操作できた記憶は正直な────い?
刹那、激痛と共にクロガネの脳に記憶がなだれ込む。
「がっ、う、あ、あああああああああああああああああああ!?」
まともに思考が出来ないほどの頭痛。両腕で頭を抱えても安らぎはしない。
見えない何かが頭の中で暴れまわっている。見えない腕が脳を掻き混ぜている。
地面をのたうち回って、頭を掻きむしりながら叫ぶ。
およそ、一分間。
ようやく頭痛は去っていき、平穏が訪れる。目眩でも起こしたみたいに視界の中では光が爆ぜている。静かに目を閉じて、深呼吸をする。
何度も、何度も、深呼吸を繰り返す。
冷や汗が滝のように流れて身体中がびしょ濡れになった。
まともに思考ができるまで、たっぷり十分ほど時間がかかった。
「…………」思い出した。というか、思い出させられた?「……繰り返した?」
この漆黒に包まれた神殿を見たのはこれが初めてではない。
ゆっくりと身体を起こす。
「……………………もう一回、アイツと戦えって、ことか……」
クロガネはしっかりと思い出していた。対峙したときの緊張感や恐怖まで、明確に覚えている。
まるで、つい少し前までそうして戦っていたとでもいうかのように。
訳が分からない。
だが、死んでいないのならば、戦うしかない。
“あの道”をまた進んでいって、またあの部屋に辿り着くというのならば。
「……っ!」
クロガネは迷いなく赫灼剣を手に取り、立ち上がる。赫灼剣を発光させ、照らし出されたその景色は記憶と違わない神殿。
以前と同じく神殿内を駆け足で回るも、やはり出入口は下りの階段一つだけだ。
──記憶通り。
階段を下り、洞窟に出る。振り返れば、神殿につながる階段はすでになく、ただの岩肌だ。
──記憶通り。
曲がりくねった洞窟を進み、その先にはまた階段がある。
──記憶通り……。
階段の先に、扉がある。
──……全部、記憶通りだ。
その扉に到着するまでの道のりは、本当に一つも違わない。
クロガネは思わず頭を掻いた。
やはり、あの化け物を倒す他ないのだ。
扉の前で深呼吸する。何度も何度も、心が落ち着くまで、何度も、何度も。
これ以上吸えないというまで息を吸い込み、これ以上吐けないというまで息を吐き出す。
「…………くそ、次こそ……!」
この『繰り返し』がこれからも続くかは分からない。これに命を懸けるわけにはいかない。
一回目よりも遥かに気合を入れてクロガネは扉を開けた。
クロガネの気合は十分だった。
それ以上ないほどに、ベヒーモスを倒すことだけを考えていた。これは間違いない。
だが、それでもクロガネの刃はベヒーモスの喉元に届かない。
明確に。
圧倒的に。
絶望的に。
どうしようもなく。
クロガネの実力不足だった。
クロガネの経験不足だった。
結論を先に述べるのであれば。
ここからクロガネは実に、四十二回ほどベヒーモスとの戦闘を繰り返し。
その全てで、敗北している。
■■■■──。




