2-02 幽冥孤征-①
神殿の外周面を一周すると、一か所だけ階段があった。つまりそこが出入り口なのだろうが、にしては下りの階段だった。
そこで、フェルガナの神殿では円柱の裏側にひっそりと隠れていた階段を思い出す。それを疑ってぐるりと見て回るも、特に怪しいところは見当たらなかった。
頭を使え。
仮に出入り口が二箇所以上あるとするなら、空気の流れがあるはずだ。逆に、出入り口が一箇所のみであり、ここが袋小路となっているのであれば空気の流れはほとんど起こらない。
厳密には寒暖差による空気の流れはあるが、空気の通り道がある場合と比べれば微々たるものだ。
そして空気の流れを確認するならば、煙だ。
クロガネは神殿から続く階段の前に腰を下ろし、衣服の一部を裂いた。火は、赫灼剣がある。
地面に置いた衣服は、赤熱化した赫灼剣で僅かに触れただけですぐに燃え上がった。
炎はあっという間に布を焼き尽くし、可燃物がなくなったことであっけなく消えた。そうして、黒煙が立ち上る。
対した量ではないが、空気の流れを確認するなら十分だ。
煙は──僅かに揺らぐものの、ほとんど真上に立ち上っていく。
「…………」
出入口はここだけ、ということらしい。
下り。いったいどこに続いているのか見当もつかないが、行くしかない。
神殿を振り返る。短い時間だったが、どこか名残惜しさを感じなくもない。
階段の目の前でクロガネは深呼吸し、意を決して下り始めた。
五分。いや、十分。もっとだろうか。
曲がりもせず、ただ真っ直ぐに続く階段を下り続ける。
そうして、ようやく階段の終わりが見えた。ようやく一息つけると思ったのも束の間、その先に続いていたのは洞窟だった。
階段が終わった途端に地面は凹凸が激しく、更にはかなり尖った岩石も多くみられる。
左右の壁と天井、そして足元の岩肌は、どれも黒い。
これは困ったと思った。
転んだりするだけでも危険だ。慎重に進まねばなるまい。
一先ずは階段に腰を下ろして、ひと息つこうと思った。……が。
振り返ったクロガネの視線の先には階段などはなく、ただの洞窟の袋小路でしかなかった。
「……は!?」
化かされた気分だった。
恐る恐る洞窟の壁面に触れるも、特に変わった感触はない。岩。叩こうが耳を当てようが、ただの岩だ。向こう側に空間があるようには到底思えない。
怖い……よりも、むしろ腹が立った。
ぎゅっと赫灼剣を握りしめると、呼応して剣身が赤く輝いた。
両手に持ち、少し前まで階段だったはずの岩肌に突き立てる。赫灼剣は岩をものともせず、バターのように突き刺さっていく。更に魔力を込めると、岩はあっという間に溶けていった。
「ぐ、ぬぬ……」
赫灼剣の剣身の長さだけ壁面をくり貫く。が、やはり向こう側などというものはない。
行き止まり。ただの岩壁。袋小路。
心を落ち着けるように息を吐く。
「……………………最悪……」
諦めてクロガネは背を向けた。
追い出されたかのような気分にはなるが、戻ったところで何もない。戻るだけ無駄なら、戻れなくなって好都合だ。──と、考えることにした。
それからもクロガネは洞窟の中を進んだ。
分かれ道などはないが、代わりに曲がりくねっていた。そして、心なしかゆったりと下っているような気がした。
クロガネが向かっているのは地上のはずだが、どうしたものか、どんどん地下深くに進んでいる。
誘導されているかのようだった。
考え過ぎだろうか。
分からない。
だが、進むしかない。何故なら今までの道に分かれ道がないのだから、前に進むしか選択肢はないのだ。
その進んだ先に何がいようが、それしか道がないのなら進むしかない。
分からないことは分からない。だから今は考えるだけ無駄だ。
悩んでいるぐらいなら、それを苛立ちに変えた方が丁度いい。
仮にだ。まさしくどこかに向かって誘導されているとしてだ。
というか誘導と呼んでもいいのか微妙だが、意図的にどこかに向かわせられているのなら、きっとここを作ったやつは面白くない奴だ。
誘導というのはもっとこう、自然に人を導くようなものだろう。分かれ道があっても、誘導したい道を選ばせるような情報を散らばせて、向かわせるのが上手いやつだ。
……などと、訳の分からないことを考えながら進んでいると、これまた見覚えのある階段があった。
「……うわ」
神殿に続く階段と同じような、下りの階段。
どうせ降りたらまた洞窟で、また気が付いたら階段が消えているのだろう。
二度目は流石にあまり面白くない。
ため息混じりに階段を下りていくと、今回はすぐに終わりが見えた。
「あれ……扉……?」
階段を下り切った先は踊り場のような空間があり、そして頑丈そうな扉があった。
二度目は面白くない、とか思って申し訳ない。
明確に、今までとは何かが違う気がした。
特に気にもせず扉を開けようとして、扉に触れた瞬間だった。
ぞあ。と凄まじい悪寒がクロガネの身体を突き抜けていく。
思わず数歩後ずさりしてしまう。気が付くと手が震えていた。怖いからではない。この扉の向こうには何か、恐ろしいものが待っている。そんな直感。
仮に扉を開けて向こう側に行ったとして。この扉が消えないで残っている保証はない。
もし、赤竜のようなクロガネ一人の手に負えない何かがいた場合、別のところから逃げられるだろうか。
この扉が消えたとて、きっと別の扉がある……はず、だが。
今までが一方通行すぎて、それすらない可能性も否定できない。
「…………」
──と、不安は数あるが、悩んでも仕方がない。後ろに戻ってもあるのは袋小路だ。
行き止まりじゃない可能性は、クロガネの前方にしか存在しない。
意を決して、扉に手を掛ける。
見た目の重厚感に反して、扉は軽く開いた。
扉の向こうは、かなり広い空間だった。円形の広間、まるで闘技場だ。壁面には等間隔に燭台が付けられ、その闘技場は比較的明るい。おかげで視界は確保されているが、代わりに対角の壁まではかなり距離があるのが分かった。少なくとも直径数百メートルは優にある広さだ。
そして。
ああ、なんということだろうか。
その空間の中央には、巨大な獣がいる。
デカい。丸まって寝ているのだろうが、それでもクロガネは見上げるほどだろう。離れているというのに小さく見えないのだから、近付けばかなりのサイズ感であるはずだ。
ハッとクロガネが気が付いた時には、背後の扉は消えている。
知っていました。だろうと思いました。クロガネは息を吐き、覚悟を決める。
そしてそれを待っていたかのように、その獣はぐぐぐ、と身体を起こす。
「う……げ…………」クロガネは顔を顰める。「でっっっ…………か……………………」
端的に言い表すなら、そのモンスターの名は。
「ベヒーモス……………………?」
筋肉質な体躯、黒や赤紫の毛皮。頭部には二本の大角が生え、口からは牙が覗いている。
四足歩行ではあるが犬や猫のような体つきかと言うとそうではなく、やけに前腕が発達していて太い。まるで大樹の幹だ。前腕だけではない、その周りの肩幅もかなりのものだ。対して後脚は、太くはあるが前腕に対して短い。ケツと腰は対して大きくもなく、肩に向かって大きくなる。
逆三角形というのだろうか。
アンバランスすぎる。動物的な進化の合理性が全く感じられない。
まるで破壊のために生み出されたかのような──そんな見た目。
ベヒーモスは、ゆっくりとクロガネに視線を向けた。
特に怒っているような印象は感じられないが、クロガネから視線を外さない辺り、興味は持たれているようだ。
コロロロロロ……。
喉が鳴っている。かなりの巨体だからかその音もデカい。
クロガネは動けずにいた。
赤竜以外でここまでの巨体を見たことはない。そもそもの戦闘経験も少ない。
倒せるだろうか。
いや、キツイ。
視線だけ動かして周囲を見渡すが、それらしき扉は見当たらない。
仮にあったとて、その向こう側から鍵が掛けられていたらどうだろうか。その隙にベヒーモスに襲われて死んでしまう気がする。
戦うしかないのか。
本気で言ってるのか。それ。
幸い、まだベヒーモスはこちらを窺っているだけで攻撃を仕掛けてくる様子はない。
どうする。どうすればいい。
先手必勝だろうか。いや、先手を取ったところで何の優位性がある。
何にも知らないのだ。もしかすると赤竜のように炎を噴出するかもしれないし、体液が猛毒かもしれない。
あるいは人間の相手に慣れてて、先を読まれて叩き潰されてしまうかも。
くそ。
全然勝てるイメージが湧かない。
中途半端な戦闘経験が、余計にクロガネの思考を濁す。
事実、赤竜との二度の戦闘経験はあるものの、どちらも勝利したとは言い難かった。それらの過去が、今の自分に重くのしかかる。
心臓が早鐘のように打ち始めた。死ぬ。死んでしまう。
くそくそくそくそ。
化け物め。
その時だ。
ベヒーモスは前腕で地面を抉って、それまで地面だった岩石をこちらに向けて投げ飛ばしてきた。
軽く飛ばしたようでありながら、あっという間にクロガネの眼前にそれは迫る。
頭は真っ白だった。
普通に死んだ、これで終わりだと思った。
だがそんな状態ながらも、クロガネはなぜか右前方に駆け出していた。
「……?」
何が何だか理解する前に、クロガネの後方で轟音と共に岩石が壁に直撃し、轟音と共に粉塵を巻き上げる。
よく分からないが、死んではいない。
ベヒーモスは完全に戦闘態勢に入り、クロガネに向かって毛を逆立てている。
どうするか、とか、考えるより先に左手はベヒーモスに向いていた。
「……ッ!」覚悟を決めろクロガネ。「……ああっ!!」
ベヒーモスが再度地面に腕を突き立てた。先程の岩石を再び投げ飛ばそうとしている。
させるか。
クロガネは左手に魔力を収束させる。
「ライトニング——ショット!!」
クロガネの左手から放たれた雷の弾は、ベヒーモスが地面を抉るよりも先にその巨体に命中した。
そのまま衝撃で大きくよろめきながらも、だがベヒーモスは倒れない。
どころか、完全にクロガネを敵と判別したようだ。
覚悟決めろクロガネ。
「ここで、ぶっ倒す……!」




