2-01 奈落
同じ景色が何度も繰り返される。
夢だと分かっている。
けれど、ひどく苦しい。
ミナの胸元に突き刺さるナイフ。
マナの頭部に突き刺さるナイフ。
夢だ。
これは夢だ。
けれど、現実だった。
「…………」クロガネはゆっくりと目を開けた。「……なんだ、ここ」
洞窟か、地下か。どちらにせよ分かるのは太陽の光が届かない場所であるということだけだ。
暗く、そして光源はない。当然ながら何も見えない。目が慣れてきて少しずつ周囲の様子が見えるようにはなったが、視界は依然として暗い。
「…………」
辺りを見回すも、何もない。何かがあっても見えていないだけの可能性は大いにあるが。
周囲を手探りで確認すると、触ってすぐに分かる形のものがある。赫灼剣だ。
すぐさま手に取ると、クロガネに向けて魔力が逆流するかのような感覚があった。ありがたく、その魔力をそのまま剣身に流し込むと、すぐさま赫灼剣は淡く輝き始める。明るすぎては視界が明順応してしまう。基本的に暗闇であるから、光量は控えめに。
やけに赫灼剣が手に馴染む感覚があった。
ここまで繊細に、かつ手に取るように魔力を操作できた記憶は正直ない。
ルーべリアが赫灼剣を復活させてくれたあの時、何か仕込んだのだろうか。
「……あ」思考の中にルーベリアという単語が出てきたことで、必然的に思考はそちらに向かう。
ルーベリア。フィア。
マナ、ミナ。
当然ながら、クロガネの脳内に存在する最も新しい景色の中には致命傷を負った仲間たちの姿があった。
特に、マナとミナ。
驚くほど鮮明に、生々しくクロガネの脳裏に焼き付いた血の色。
途端、クロガネの身体が酷く震えた。
自分で思っているよりも遥かに激しく、自身の制御を離れて震える。
赫灼剣をまともに握っていられない。これは駄目だと赫灼剣を地面に置いた。
幸い、赫灼剣は一度赤熱化し安定すれば、周囲の魔力を取り込んで赤熱化を維持することができる。
──怖い。
クロガネは自分の心の中にある感情を、そう認識した。
怖い。言葉として形容できないほどに、何もかもが怖い。
クロガネはその場にしゃがみ込み、膝を抱えて丸まった。
どうすればいいのか分からない。
この震えを止めるすべを知らない。
怖い。
……怖い。
そうしてどれほどの時間をその場で蹲って過ごしただろうか。
漆黒に包まれた空間は、クロガネを励ましてはくれない。背中を押してくれはしない。ただ周囲の暗闇は静かにクロガネの周囲にまとわりつき、ゆっくりとその心を蝕んでいく。
赫灼剣という光源が存在することで、必然的に明るい場所と暗い場所が存在する。
始めはただ震えるだけだった。だが次第に、明るい場所と暗い場所がはっきりと分かれていることでクロガネは暗い場所をも恐れるようになった。
一寸先の闇。その黒い空間には何もないはずだった。
先ほど手探りで確認したとき、そこには何もなかった。
だが光が存在することで出現してしまったその一寸先の闇の中に、何かがいるような気がしてならなかった。
ぞわ、と背筋が寒くなるような感覚。一度考えてしまったが最後、それを意図的に忘れることは出来ない。
何もいない。何もいない。何もいない。何もいない。
自分に向かって何度も唱えるほど、だがその恐怖は増していく。
赫灼剣の光によって照らされた場所は、クロガネにとっては安全な場所であるはずだった。
だが、光は明るくなるほどに暗い場所を際立たせる。
ふと、クロガネは背後にも何かがいるような気がした。
視界の外側。振り返ったら、何かと視線が合ってしまうような、言い表しようのない感覚。
例え振り返ったとて、クロガネの視野角は狭いことに変わりはない。視界の外側には何も存在しないことを証明するすべは、今のクロガネにはない。
耳を塞いだ。
目を閉じた。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
急に色々なことが馬鹿らしくなった。
死んだら楽になれるのかなと、考えた。
「……はは」
次の瞬間には、ぶわりと涙が溢れ出した。
「……できるわけないのに」
ヤタガラスとの約束がある。ここで止まるわけにはいかない。
こんなところで死んだら、どうするつもりだ。
待ち続けるヤタガラスはどうなる。クロガネを信じたアマテラスはどうなる。
ヤタガラスのことを覚えているクロガネがこの世から去ったらどうなる。
誰からも思い出されないのは、きっと、寂しくて、辛い。
溢れ出した涙はそのまま垂れ流しにする。
涸れろ。この涙はここで涸らせ。
泣いていると、少しだけ心が落ち着いた。
「…………」
気が済むまで涙を流し尽くしてから、クロガネはゆっくりと立ち上がった。
赫灼剣を手に取り、魔力を流し込む。
加減はしない。明順応が何だ。暗順応が何だ。そんなものが必要ないぐらいに周りを照らせばいい。
クロガネの意志に応えるように、赫灼剣はもはや視認できないほどに眩く輝く。
周囲の暗闇が一掃された。
そうしてクロガネの視界に映ったのは、見覚えのある神殿の造りだ。まさしくそれは魔峰フェルガナで見た神殿の姿に酷似している。
だが、似ているというだけで同じものではないことは明らかだ。
クロガネは赫灼剣を頭上に掲げた。
赫灼剣はもっと眩く輝くことができる。更に魔力を込めると、しっかりそれに応えた。
ここがどこかは分からないし、どうすればいいのかも分からない。
けれど少なくとも、立ち止まることだけは駄目だという直感。
深呼吸。
そしてクロガネは、ゆっくりと歩き出す。
とにかく、歩け。
歩いて、歩いて、歩いて、歩いて。
もしモンスターが来たなら、戦え。
ヤバそうなら逃げろ。
とにかく進め。
とにかく生きろ。
足踏みしている時間はない。
動けば腹が減る。
動けば喉が渇く
今のクロガネにあるのは、この身体と、赫灼剣だけだ。
進め。進め。進め。進め。
絶対に帰るんだ。




