1-64 劫火赫灼の竜/転
ルーベリアに案内されるまま寝室へと入ったクロガネは、そこから先の記憶がない。というか、寝室に向かうまでの道筋からして思い出せない。
朧げな記憶の中の最期の光景は、クロガネを見下ろしているルーベリアの姿だった。
……多分、朝。
クロガネが目を覚ましてから昨晩のことを思い出そうとしても、その程度しか思い出せなかった。
そう。思い出せないのである。色々と。それはもう色々と思い出せないのである。
なので、これは不可抗力ではなかろうか。
「……………………」
クロガネが横になっていたベッドに、ルーベリアが寝ている。
ドユコト〰〰〰〰!!
と、心の中で叫びつつクロガネは心を落ち着ける。叫びつつ落ち着く心とはこれ如何に。まだ混乱しているようだ。
流石に人妻に手を出すほどクロガネは愚かではない。はず。昨晩のクロガネが愚かだった可能性が捨てきれないのが悔しいところだが、今はそれを考えるのはやめた。
ひとしきり悩んだ末に、クロガネは今だ寝息を立てるルーベリアに亜麻の布を掛け、ベッドの横に立てかけられていた赫灼剣と共に部屋を後にした。
マナやミナは可愛いという言葉が似合うが、ルーベリアは美しいという言葉が似合う。
ジャンルが違うが故か、無防備な寝顔につい見入ってしまいそうになる。そうして眺めているところを見られでもしたら、それはもう人妻の寝顔をじっくり眺める変人の完成である。それは許容できない。
頭を抱えながら部屋を出る。
そう、部屋。今までいた寝室は一般的な宿を思わせる部屋だった。壁、床、天井がそれぞれ木材で作られている。あの荘厳な神殿とは打って変わってシンプルな作りだ。
部屋を出ると当然、廊下がある。ここは地下なのだと思い出させる、岩肌が主張的な廊下だ。
廊下は真っ直ぐに続き、その先に階段がある。
階段を上がった先は、神殿に並ぶ円柱のすぐ裏側だった。
「なるほどね……」
階段は特に隠されているわけではないが、円柱の裏側というのもあってかなり気が付きにくい位置ではある。
昨日ぶりの神殿の姿をぐるりと見まわしたのち、クロガネは外を目指した。起きたとはいっても、太陽光が入ってこない地下では今が朝なのか、それとも昼なのか判別がつかないのがどうしても違和感が拭えなかった。
神殿から外部に続く階段を上がっていく。
間もなく地上といった辺りで、壁面や階段を外から差し込む光がぼんやりと照らしていた。
「……昼頃じゃないだろうな」というクロガネの嫌な予感は、何事もなく的中する。よくよく考えればここは火口の底。ここに光が直接差し込むのは、太陽が最も高い位置にいる頃だけだ。「おーう……」
太陽はクロガネを射抜くように輝いていた。おはようクロガネ、もう昼だけど。と、言われているような気がする。なんかムカつく。
クロガネは忌々しそうに手を翳しながら空を眺めていると、ふと視界の端で何かが動いた。
はっと視線を向ければ、マナが立っている。
「……おはよ、クロガネ…………」
「おはよう、マナさん……? な、何か?」
クロガネに向けて真っ直ぐに歩いてくるマナの表情は冴えない。
「………………昨晩はお楽しみだった、ようで」
「え?」刹那、クロガネは目覚めた時のことを思い返した。そうだ。隣でルーベリアが寝ていた。「……意義あり!」
「聞きましょう」
「昨晩は本当に部屋に入ってからすぐに寝ましたし、ルーベリアさんとはなにも」
「ルーベリアさん、っていうんだ」
「ハゥア!!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
自ら入る墓穴をこんなに丁寧に掘ってどうする。冷静になれクロガネ。ここから話を続けようにも、寝て起きたらルーベリアが隣で寝ていたというだけだ。これではマナの疑念は晴れない。晴れるどころか、ますます雲行きが怪しくなるだけだ。
「……アノ……」クロガネは言葉を選ぶように口を開く。「ホントに、なにもないです……ほんとに……」
なぜ、何も悪くないのにこんな気持ちになるのだろうか。段々と本当に何かしてしまったような気持ちにすらなる。
冤罪。冤罪である。
怒られているときの子供の如く俯いたクロガネは、震えながらマナの言葉を待った。
……が、想定外にマナの返答がない。
顔を上げるかもかなり迷ったが、心の中に浮かび上がった違和感が背中を押した。
そうして顔を上げればどうだ。
マナはニヤニヤと笑った表情でクロガネを見つめているではないか。
「あっ、アーッ! 分かっててやったな!?」
「……ふふ、まあね」
「なんでそんなこと……ぎぎぎ!」
く、悔しい。
だが、それ以上に苛立ちの感情が勝った。本当に……本当に何もしていないのに、何もしていないことを知っているのに、どうしてこんなことを……!
そんなクロガネを知ってか知らずか、マナは一歩踏み込んで言った。
「だって、昨日はクロガネと一緒に寝れなかったから」
恥ずかしげに顔を赤らめながらそう言ったマナに、クロガネは思わず目を丸くした。
なんだそりゃ、それじゃまるで、マナが────
『はぁい。イチャイチャしてるとこゴメンね!』
「どえあ!?!?」「わっひゃあ!?」
クロガネとマナは二人して大きく肩を跳ね上げた。
マナは咄嗟に数歩後退してからその声の方へと振り返る。
「なっ、なに!? だれ!? だ……っ、……って、あなたは」慌てていたマナの声が驚きからか急激に小さくなる。「あの時の……」
「……アマテラス?」
『はーい、そうですよアマテラスちゃんです。マナちゃんはパヌルと戦っていたあの日以来だね』
ふわりと降り立つような仕草で、光の粒と共に現れたのはアマテラスだった。
面識あったの? とクロガネが振り返ると、マナは「うん」と頷いた。「危うくやられそうになった時、助けてくれて」
マナの表情を見ても嘘や誤魔化しではないことは分かる。初耳だ。というか、思い返せばパヌルとの戦闘後はほとんどアマテラスが顔を出すことはなかった。かなり久々に顔を見た気がした。
『急にごめんね。非常事態だったから』
「非常事態……?」
アマテラスの普段と違った雰囲気に、思わずクロガネも身構えた。どこかおちゃらけた雰囲気が根底にあるそれまでと違って、焦りが伺える。こんな雰囲気のアマテラスは初めてかもしれない。
『そう、それに、私がこの世界に干渉するのもこれからは難──し……:;/ ──な、・・そ』
「え!?」
嫌な予感ほど、的中する。
突然アマテラスの姿が“ブレ”た。ノイズ、或いは故障でもしたみたいにガザザザと音を立てて“ブレ”たあと、明滅しながらもアマテラスは何とかその姿を保った。だがそれも長くはもたない、そんな雰囲気を感じさせるにはあまりにも十分だった。
『あああ、やばい、時・・間/.;://--いかも……ごめ、聞き取れるかな?』
「あ、アマ……テラス? こっちはなんとか聞き取れて……」
『.;;;/.//..……ぁあ、分かんな……;/.,:[@[……あのね! 聞い:/.;::し、いんだけ、ど、これ・kら──yばい、敵が、来,.::;[///////,』
「え!? 敵!? 敵が来るって、どこから!?」
『///,,,;@][:;/://死な//,;ないで.////.,;:::////.,.../... き、.,,そ、こまで.//:;:もう』
「アマテラス!?」
『/.//.//..:::;?/.::////////////////////////././...,,,;;;:;;//////.:;/;/.;/:/;//////////////////生////////き/て//////』
その直後だ。バツン! と一際大きな音と共にアマテラスの姿は完全に消えた。
クロガネはその場に立ち尽くす。マナも同様だった。
「……一体、何が」そう呟いたところで、はっとクロガネは気が付く。「そ、そうだ、フィアとミナは今どこに」
「二人は、朝から──」
マナが途中で言葉を切った。視線は空を向いており、クロガネも釣られてその方向を見る。
真っ青な空。雲一つない景色であるからこそ、すぐに気が付いた。
「……何かから、逃げてるのか?」大きな体躯の竜と、それを追随する小さな竜の影。逆光ではあるが、すぐに分かる。逃げているのはフィアだ。「一体誰が……!」
助けに行こうにも、その影は遥か上空。ただの人間には到底届くはずもない高さだ。
見ていることしかできない。クロガネは我知らずに拳を強く握りしめた。ショットを放つにも、距離がある上に動いている相手に当てるなんて無理だ。未来でも見えてれば別だが、そんな便利な力を持ってはいない。
何が出来る。何ならできる。
ここで突っ立っているわけにもいかない。一先ず斜面を駆けあがって火口の淵まで移動しようとしたまさにその時だった。ズシンと低い音とともに大地が揺れる。
「失礼。少々、深く眠りすぎてしまいました」
「ルーベリアさん!」
地下の神殿の入り口とは全く別の位置から地面を突き破って姿を現したのは、竜の姿となったルーベリアだった。何故そこから? と思わなくもないが、時間短縮ということなのだろう。
身体の大半が地上に出たところで、ルーベリアは両翼を大きく羽ばたかせた。途端、周囲に舞い上がっていた粉塵が一気に吹き飛ばされる。途轍もない風量だ。クロガネとマナもまた、その風圧に吹き飛ばされそうになった。
そしてその体躯は、フィアの姿よりもさらに数回り大きい。こうして間近で見ると、圧倒される。
「乗ってください」
ルーベリアの端的な一言に、クロガネは迷わずに走り出した。マナは一拍遅れてクロガネに続く。
身体が大きすぎてどうやって登ろうかと思っていると、分かっていますとばかりにルーベリアは前腕を差し出した。そこを起点に、勢いよく四肢を使い身体を駆けあがって背中に飛び乗る。登れるかヒヤヒヤしながら駆け上がったクロガネに対して、マナは身軽そうに飛び乗ってくる。
マナの身体能力が羨ましい。
乗ったのを確認するなり、ルーベリアは大きく翼を羽ばたかせた。そして大地を蹴り上げるようにして、空へと飛び立つ。
正直、フィアの背中に乗った経験があったが故に油断した。というかもしかするとフィアはクロガネたちを慮って飛んでくれていたのかもしれない。
一切の遠慮がなく、クロガネに対する配慮もないルーベリアは、飛び立った次の瞬間にはフィアの最高速度を優に超えていた。
更には直上に向けての急上昇。
声を上げる余裕すらない数秒間ののち、急激に速度が緩まった。
既に言葉はなかったが、何となくクロガネもマナもルーベリアの意図を理解した。
視線を上げれば、前方にフィアとその背中に乗るミナ。その後方に、大型な部類の“鳥”と、その背中にまたがった真っ黒なフードのいかにも怪しげな者たち。
即座にクロガネは片膝立ちの姿勢をとり、右手を構えた。
言葉もなくマナはクロガネの背後に回り、背中合わせにクロガネを支える。
何が起こっているのかは分からない。だが、やるべきことは単純だ。
怪しいやつらを、『ぶっ叩き落す』。
「ライトニング——」右手に魔力を収束させる。久々だが、感覚は忘れるどころかそれまでよりも遥かに鋭く研ぎ澄まされる。アレクに感謝だ。「──ショットッ!!」




