1-62 劫火赫灼の竜-④
竜種とひとえに言っても、序列がある。
最上位に、全ての始まりとされる始祖龍。
次いで、陸・海・空を統べる皇龍。
その下に、各属性を統べる劫竜。
そして最下位に存在するのが、ルーベリアもとい赤竜となる。
直近上位に位置する劫火竜の系譜として生まれ落ちた赤竜は、一対の存在だった。その一体がルーベリアであり、もう一体は番の赤竜だ。
生まれ落ちたその時からこの火山──魔峰フェルガナに住まうことを定められ、赤竜はこの火山の主となった。
とはいえ急斜面の地形や活火山であったことからか、人間、特に冒険者が来ることは稀であった。
火山の主となってから百と十三年。ついぞ赤竜を追い詰めるほどの強者は現れなかった。
鱗を傷付けることすらままならない冒険者など、赤竜にとっては無害な存在でしかない。いわば地を這う虫と同義であり、ついぞ一度も関心を向けることはなかった。
当時から人間嫌いであった黄竜や黒竜は頻繁に人間の住まう街を襲撃していたこともあり、人間としても竜種は恐怖の対象だったことは間違いない。
当然ながら、そんな中で竜種に歩み寄る者はいるわけもなかった。
しかしそれでも、“人間を嫌ってはいなかった”赤竜が認識を改めなければならない出来事が起きる。
火山の主となってから百と四十五年目のことだった。
当時、齢十七であったパヌルとの邂逅である。
「今でも忘れません。まだ空も暗い明け方、最も油断した一瞬を狙い定めたパヌルは、一撃で番の赤竜の首を落としました」
赤竜が弱いわけではない。劫火竜の系譜であるその特徴は優れた熱操作能力と、それに耐えうる強靭な外殻だ。
人間程度の一撃であれば、並大抵のものでは傷付けることさえできない。はずだった。
だが、パヌルは違った。並大抵ではない身体能力に加え、その手に握られていたのは竜種を葬るためだけに作られた魔剣だった。
赤竜と相克関係にある青竜の骨髄を用いて作られた剣身を青竜の血、及び絶望の中で殺され怨念のこもった数十名の人間の血を用いて三日三晩の呪詛とともに鍛え上げた魔剣は、まさしく赤竜の首を一撃で落とすに足る威力を持っていた。
すなわち、禁忌装具。道徳観念を逸脱した、竜種を狩るためだけに作られた武器である。
そして驚くべきは、その時点で既に青竜を討伐しているという事実だ。
青竜もまた決して弱いわけではなく、寧ろ赤竜からすれば気性も荒く襲いかかってきた存在に対して一切の容赦もしない、そんな竜だった。
信じがたいことではあったが、番の赤竜が首を落とされたのは事実であり、信じる他なかった。
咄嗟にルーベリアは反撃。加減することも忘れ、当時持ちうる最大火力の一撃を放った。
それによりパヌルは魔剣と共に蒸発、跡形もなく消え去った。だが同時に、その一撃は活火山である魔峰フェルガナを大きく揺らし、これまでに類を見ない大噴火を引き起こすこととなった。
フェルガナの北側斜面は大きく崩落し、そして四方へと流れだした溶岩や噴石、火山灰がタングリア王都──現在のタングリア旧都跡──を埋め尽くした。
こうしてタングリア王都は壊滅的な被害を受け、以降は人々が住まうことはなくなる。
その日から約一年間、火山は轟々と燃え続けた。
まるで、ルーベリアの怒りに呼応しているかの如く。
……時間は平等に流れていく。
パヌルの襲来以降は驚くほど平穏な日々が続いたものの、ルーベリアは人間に対して強い警戒心を抱くようになった。それこそ、冒険者が来るたびに憤慨し、小規模ながらも火山の噴火を引き起こすほどだった。
それを憂慮した劫火竜がルーベリアの元に訪れたのは、火山の主となってから二百と五十年が過ぎた頃のことだった。
それから約五十年間、ルーベリアは劫火竜と共に過ごした。
劫火竜は非常に賢い竜だった。魔法の扱いに長け、自ら新たな魔法を創り出してしまうほどに。
そうして劫火竜はルーベリアと共に過ごしながら竜人化の術を考案し、そしてそれを成功させた。始めこそはその姿にルーベリアも拒否反応を示したものの、劫火竜の言葉に耳を傾け、そして竜人化の術を受け入れた。
人の姿を得た劫火竜は繊細な作業ができる両手に感動し、人間を真似て彫刻を始めた。
そうして作り始めたのが、フェルガナの火口内部に存在する正二十面体と、地下に存在する神殿だ。
劫火竜は言った。『この神殿が完成するまでは、ここにいることにします』と。
始め、ルーベリアはその彫刻に興味を示さなかった。だが劫火竜が熱心に彫刻を続ける姿を見ているうちに、自然と興味が湧いた。
人間の姿で彫刻をする劫火竜を眺めるのに、赤竜の姿は邪魔だった。劫火竜がそこまで予見していたのかは定かではないが、結果的にルーベリアは自発的に竜人化の術を受け入れた。
それからは、人間の姿で過ごすことがほとんどとなった。
それに、劫火竜はただ山に住まうだけではなく、ひっそりと人間の街へと赴くこともあった。
賢いが故に人間の文化や習慣にも興味を持ち、そしてそれを学ぶことに喜びを見出していた。
無関心。或いは、敵愾心。
そういったものしか知らなかったルーベリアにとって、劫火竜との出会いは大きな転機となる。
人間に対する警戒心は薄れ、そして興味を持つようになった。
そして同時期に、劫火竜の存在に惹かれていることも自覚した。
「そうして、私は劫火竜との間に子を授かりました。フィア、貴方がそう名付けたあの子です」
その後も劫火竜は一心に彫刻を続け、そしてルーベリアはその姿を見守り続けた。
竜種の卵の孵化は多大な魔力を必要とする。毎日、劫火竜とルーベリアは卵に魔力を与えては、孵化するその日を待ちわびていた。そんな日々が、約十年ほど続いた。
劫火竜と赤竜の間に生まれた卵であったため、孵化するまでに非常に長い時間がかかることは予想していた。赤竜同士の間に生まれた卵であれば、遅くとも十年ほどで孵化する。
だが十五年が経過しても、卵は未だ孵化する気配を見せなかった。だが、その経過時間と与えた魔力量はそのまま生まれてくる子の強さに直結する。強い子が生まれてくるのだと思えば、ルーベリアは決して焦ることはなかった。
そしてその年の末に、地下の神殿は完成した。
『約束の刻となりました』と劫火竜がルーベリアを真っ直ぐに見つめて言った。『竜言に反することは出来ません。我らが子が心残りではありますが、どうか良き母となってください』
竜言。すなわち強力な言霊を持つ竜種の言葉。それは時に自身に矛先を向けることにもなる。
その竜の言葉を持って約束した以上、神殿が完成してから間もなく劫火竜はルーベリアの前から姿を消した。
そうして、ルーベリアは一人で卵を抱き、孵化を待ち続けた。
このまま何事もなく孵化するのだと、そう思っていた。
だが、劫火竜が姿を消してから僅か一月後。
“それ”は、悪意と共にやってきた。
「見た目は老爺でしたが、すぐに分かりました。それは、かつてこの手で葬ったはずの男……パヌルであるのだと」
パヌルを葬ったのは赤竜であり、かつその出来事があったのは百五十年余り前のこと。同じ人間が生きているはずもない。
だが、パヌルは確かにそこにいた。
そしてパヌルから立ち上がる異様な雰囲気を見て、ルーベリアは悟った。
「あの男を……かつて私が葬ったこと、それが失敗であったのだと理解しました」
パヌルを見た時点で、それが生きた人間ではないことに気付いた。
それは血肉を混ぜた泥人形、禁忌魔導【傀儡】だった。だが、本来の【傀儡】は誰かを複製し、かつ本体と同等の能力を持つ泥人形を作り出すものである。だが、禁忌魔導が最も強まるのは死を直前にした時、そして、死を迎えたまさにその時だ。
「パヌルは、私に殺される直前に禁忌魔導を発動させたのです。そうして、泥人形を作り出した。それもただの泥人形ではなく、殺された本体の意志を受け継いだ、特異存在として」
そうしてパヌルという名は、一人の男性を現す名ではなく、数多に生み出される泥人形の総称となった。
だが幸いだったことと言えば、【傀儡】の対象範囲に青竜の魔剣が含まれていなかったことだ。
それ故に、確かに分体による波状攻撃は脅威ではあったものの、赤竜にとっては致命的なものではなかった。
さらに言えば、劫火竜と共に過ごしたことで赤竜は魔法の扱いにも長けていた。厳密には、魔素及び魔力の流れを理解していた。
魔法というものの最小単位は魔素であり、それらが連なって魔力となる。酸素と水素が結びついて水となり、水はいずれ川となるように。
それは、本来は痛覚を共有しない【傀儡】による分体に対して、魔力の流れを弄ることで痛覚を共有させることも可能にした。
すなわち貫通攻撃。
パヌルによる攻撃は赤竜にとって致命的ではなく。
だが、赤竜による攻撃はパヌルにとって致命的だった。
「こうして、パヌルを倒しきることが出来ればどれほどよかったことか」ルーベリアがどこか遠くを見つめながら言う。「私を倒すことが出来ないと悟ったパヌルは、標的を変えたのです」
標的となったのは、劫火竜との間に生まれた卵だ。
当然ながら、ルーベリアは全力で抵抗した。
だが複数の分体による攻撃の恐ろしさは、標的がルーベリアではない時こそ真価を発揮した。倒せど倒せど無尽蔵に押し寄せる『パヌル』に押され、ルーベリアは卵を守ることができなかった。
卵を奪取してからの逃げ足は速かった。
追いかけようとするも、それまでの戦闘の疲労と、そして容赦なく襲い来る分体の攻撃によりそれは叶わなかった。
それは明確な敗北だった。
これは、クロガネがカルファレステ街にやってくる、その二年ほど前の出来事である。
ルーベリアの想像を超える過去に、クロガネは言葉を失った。乾いた唇を湿すためにティーカップを口に運ぶ。紅茶はとっくに冷めていた。
「……そんな、ことが」我知らずクロガネの手は震えていた。ティーカップとソーサーが慌ただしく擦れ合い、ハッとクロガネは手を止める。
「クロガネが思い悩むことではありません。これは私の過去であり、私が背負うべきものです」
クロガネは極力音をたてないようにティーカップをソーサーに戻し、ルーベリアの方を向く。
「それでも……それほどのことがありながらも、人間を信じようと、してくれているんですか?」
「ええ。それが劫火竜の教えであり、そしてこの目で見て、感じたことです。……が。……あの、えっと。…………とはいえ、その……卵の行方を探している時は、その余裕もなく、お恥ずかしい限りです」
ルーベリアは見て分かるほどに落ち込んでいた。
クロガネは何も言い返せない。というか、言い返さなかった。カルファレステ街に到着する目前で赤竜に襲われてみたり、ライカンスロープの群れと共にやって来てみたり。それはまぁ、色々と大変だったことは変わりない。
だが、卵──いわば自身の娘が攫われて正常でいられる訳がない。
仮に、クロガネの目の前でパヌルがフィアを攫ったとするなら、クロガネはどうするだろうか。
少なくとも、一旦落ち着こうなどとは思わないだろう。
「特に、その」ルーベリアは言葉を詰まらせた。「クロガネがカルファレステ街へと向かっていた道中で、襲いかかったことに関しては、本当に……申し訳ないと思っています……どうしてかは分かりませんが、パヌルの雰囲気に似ていたもので……」
あまりにも申し訳なさそうな表情に、クロガネは責めることも出来なかった。
気を晴らすように、ケーキスタンドから一口サイズのケーキをいくつか取り、それをルーベリアへと差し出した。
「まぁ、今となっては俺も責める気はありませんし、こうしてひと段落出来たんですからそれでよしとしましょう」
ルーベリアの申し訳なさそうな表情はついぞ消えないものの、クロガネの言葉に少しだけ笑顔を見せて、差し出されたケーキを受け取った。




