1-61 劫火赫灼の竜-③
神殿の最奥にある祭壇の前で、女性は立ち止まった。
床や柱と同様の大理石で作られた祭壇は、直方体の形だ。丁度、人が横たわるのに適した大きさである。
側面には細やかな装飾が施され、特に竜の姿を模した装飾が多く見受けられる。
その祭壇に女性は手を据える。
「──────」クロガネの耳には聞き取れない、恐らくは独自の言語だろうか。それはまるで、鳥の囀りのように心地よく、跳ねるように紡がれていく。
そうして十数秒ほどの詠唱が終わるのと同時に、ぶわりと祭壇の周囲に光が溢れ出す。
思わず目を背け、光が収まるのを待つ。間もなく眩さは収まり、ゆっくりと目を開けると──景色が一変していた。
それまでの場所とは全く違う、どこまでも続く様な平坦な草原。上を見れば青空があり、だがそこに太陽は存在せず一対の月が浮かんでいる。片方は大きく、真っ赤。もう片方は、小さく、青い。
そしてクロガネの視線の前には、真っ白な円卓と、二脚の椅子。その一つには、既に女性が腰掛けていた。
席が足りていない。
おや? とクロガネがマナに視線を向けるも、だがそこに姿はない。慌てて全方位を見回すが、どこにもいない。
「……失礼しました。彼女らは、私が呼んだ者ではありませんでしたので。フィアの眠る“部屋”へと行っていただきました」
「ああ……そういう」
そもそもフィアが街に来た目的は、あくまでクロガネ一人だけといった感じだった。マナとミナはこちらの都合で同行してもらっただけであり、確かにその言葉に納得できるところではある。
気を取り直して円卓へと向かう。すぐ前まで行くと、椅子が勝手に動いた。女性の目は真っ直ぐにクロガネを見ている。
座っていい、ということなのだろう。「失礼します」と言って、クロガネは椅子に腰を下ろす。
円卓上には、ティーポットとティーカップ、ソーサー。そして様々なケーキやスコーンの並べられた三段のケーキスタンド。
一般的に言うアフタヌーンティーのような光景が広がっている。
既にティーカップには紅茶が注がれており、柔らかな湯気と香りが漂ってくる。
「……先に言っておきますね」とクロガネは申し訳なさそうに女性を見る。「こういうの、全然経験ないんです」
「ふふ。そう畏まらずに。実は私も似たようなものです」
「…………へ?」
「何せ、こうして人とお茶を飲むのはこれで二度目です。一度目も、相手が用意してくださったので、見様見真似でしかありません」
ふふ。と女性は笑う。
大人の女性、といった雰囲気。柔らかくもあり、どこか凛とした印象もある。器が大きいとでも言うのだろうか。
余裕のあるその笑みに、ドキと胸が高鳴る。
経験の差というか、全てを見透かされているようでもあり、慣れない。どこかヤタガラスにも近い雰囲気を感じる。ヤタガラスよりももっと寡黙で、落ち着いているといったところだが。
「二度目のお茶会の相手に選ばれるなんて、光栄ですね」
「あら。やはり、冒険者らしくない方ですね。……本当に、不思議な感覚です」
そう言って女性は、ティーカップを手に取り一口。
そして不思議なぐらい音を立てずにティーカップを置くと、クロガネを真っ直ぐに見つめた。
「私のことは、ルーベリアとお呼びください」
「すでにご存じかと思いますが、クロガネです。よろしく……」
名前があるのか、と思った。
フィアは、竜に名付けの風習はないと言っていたが、それを信じるのなら女性──ルーベリアもまた誰かから名付けられたということなのだろうか。
聞きたい気もするが、仮にそうならそれとなく漂うこの雰囲気は人妻的なそれなのだということになる。
……というのが、クロガネの顔に書かれていたのだろう。
「この名は、自ら名乗っているだけです」
「え? ……あ。顔に出てました……?」ルーベリアの無言は、肯定と考えていいだろう。「なんか、すいません」
クロガネは気を紛らわすように、ティーカップを手に取る。ふわりと鼻腔をくすぐる心地よい紅茶の香りを楽しんでから、くい、と一口。
「……美味しい」
「お気に召したのであれば、何よりです」
なるべく音をたてないようにティーカップを置くが、やはり音は出てしまう。先程のルーベリアのように音を立てずに置くことはできそうにない。……ちょっと、というかかなり、悔しい。
それから視線を上げて、クロガネはルーベリアを見た。
「それで、先程言いかけていたフィアの名前についてですが……」
「……名前」ルーベリアはそこで言葉を区切った。「というより、言霊と呼ぶべきでしょうか。私たちの言葉には、名付けが慣習化された人間よりも遥かに強力な言霊がこもってしまいます。それ故、竜種には名付けの風習がないのです」
「強力な、言霊……」
「ええ。もし私が娘に、いえ。フィアに名を授けたとすれば、その名がフィアの存在そのものを定義付けることになります。……簡単に言えば、竜として生きるための力を持つことになり、裏を返せばそれ以外の生き方を選択できなくなります。それは、娘から自由を奪っているも同義です」
ルーベリアはティーカップを手に取り、香りを嗅ぐ。心を落ち着かせようとしているようにも見えた。
「人語を失い、人化を失い、明確に“竜”として生きることになります。それは、私の願うところではありません」
そう言って、静かに紅茶を口に運んだ。
ふと、ルーベリアの言葉を思い返す。──そろそろ、我々竜族も、変わっていかなければなりませんから。そう言っていた。
そして、人語と人化を失うことではその願いは達成し得ないということだろう。
つまり。
「……人間との共存を、考えて?」
「ええ。今や人間は決して侮れぬ存在へと成りました。我々竜種であっても、油断ならぬほどに。……貴方のように」
「このままでは、いつか今の力関係が逆転することもあり得る、かもしれない。だからこその共存。子孫を思ってのこと、ですか?」
「はい。その通りです」
クロガネに詳しいことは分からない。だが、少なくともそれが間違ったことではないというのは分かる。
「……素晴らしいことだと思います」クロガネは柔らかく笑った。「フィアも、きっと喜ぶと思います」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
ルーベリアの微笑みの裏側に、僅かに驚きが混じっていたのをクロガネは見逃さなかった。
もしかすると、ルーベリアから見た人間はもっと冷淡か、あるいは無関心な存在だったのかもしれない。
それにクロガネが話したことは全て本音で、忖度するような意図はない。それもまたルーベリアにとっては意外だったというのもあるやもしれない。
ルーベリアはケーススタンドの中段からサンドイッチを一つ皿に取り、クロガネに差し出した。
「聞きたいこと、まだ山ほどあるように見えますね」
「それは、まぁ」
「遠慮なさらず」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
実際、聞きたいことは山ほどある。それはもう、山ほど。
だが、まずは目の前のサンドイッチを食べることにする。折角の食事を冷ますのも勿体ない。がっつくようには見せず、けれどゆっくり過ぎず。そうしてサンドイッチを頬張っていると、ルーベリアは微笑んで見守ってくれた。
「美味しそうに食べますね」
「実際、美味しいですから」
そうしてサンドイッチを完食したのち、クロガネは始めに「……まくしたてるようで申し訳ないですが」と謝ってから、勢いよく聞きたいことを言っていく。
パヌルについて。フィア……赤竜の卵について。そして竜人化について。赫灼剣について……。
よほどクロガネが申し訳なさそうな表情で話していたのか、一通り聞き終わるとルーベリアは微笑みながらも苦笑いを浮かべていた。
「本当に、クロガネは不思議ですね。冒険者には到底見えません」
「……なんか、似たことを冒険者協会の職員にも言われた記憶がありますね」
「決して悪いことではありません。現に、こうして顔を合わせて話しているのがクロガネであったことに安堵しています」
「そ、れは。どうも……」
真っ直ぐに目を見て、真っ直ぐに褒めてくれる。
それがどうにも照れくさくて、クロガネは居心地悪そうに視線を逸らす。その仕草を見て、ルーベリアはふんわりと笑う。ああ。身体全体を羽毛で包み込むかのような母性を感じる。
「さて、では順を追って説明しましょうか」
ティーカップに残った紅茶を一口で飲み干すと、ルーベリアはゆっくりと話し始めた。
「赤竜について。そして、パヌルについて。それらを説明するために、少々長くなってしまうかもしれませんが昔話をさせてください」




