1-58 天空の旅路
「すげ〰〰!!」
景色が流れていく。
クロガネ、そしてマナとミナはフィアの背中に乗り、風を切るように空を飛んでいた。遮るものがないどころか、空気にぶつかりにいっているかのような感覚がある。始めこそ顔を上げるのも大変だったが、慣れてくれば次第に心地よさを理解してくる。
そうして気が付いた時にはクロガネは上体を上げ、風を思いっきり感じていた。
「たけ〰〰〰〰!!」
眼下には森──タングリア旧都跡が見える。こうして見るとかなり広い。振り返れば、タングリア旧都跡に丸く空いた空間が僅かに見える。フィアが竜の姿になり、飛び立った地点だ。
その更に後方にカルファレステ街があるはずだが、今ではもうほとんど見えない。
こうしてみると、タングリア旧都跡は本当に広い。カルファレステ街の数十倍は優にあるのではないかと感じられる。
視線を前方に向ければ大地が少しずつ盛り上がり、やがて山の裾野へとつながっていくのが分かる。そうしてカルファレステ街から見ればタングリア旧都跡を挟んだ向こう側に、山がある。
現在の位置からでも霞んで見えるということは、かなり距離が離れているようだ。
高さもあり、カルファレステ街から見えてもおかしくはなさそうではある。が、見た記憶がないということはやはり距離が離れすぎていて、余程空気の澄んだ日でもない限り見えていなかったのだろう。
「……あそこに、赤竜ママが?」
『はい! あの山のてっぺんにいます!』
「え、あ~……」
『……? どうしました?』
クロガネは少し困ったように言った。
「このまま飛んでいったら、到着する頃には俺たち気絶してるかも」
『ええ!?』
眼前の山はかなりの標高に見える。ということは、高山病を引き起こす可能性があるということだ。とはいえクロガネに専門的な知識があるわけではないが、だからこそ気を付けるに越したことはない。
少なくともクロガネが分かっているのは、一気に高度を上げすぎない、やばそうなら降りる、ということだ。
深く考えず
にフィアの背中に乗って空を飛んでいるが、冷静になるとこれもかなり危うかったのかもしれない。
……ええい! 取り敢えず問題なさそうなので気にしない!!
そう思い直したクロガネは、フィアに向けて言った。
「取り敢えずこのままの高度で進んでいって、山の中腹辺りに降りよう。そこからは申し訳ないけど、歩いて行った方がいいかもしれない」
『分かりました!』と返事した後に、フィアは『あ』と言葉を続けた。『それなら、竜の姿で背中に乗せたまま進むのがいいですかね?』
「……いいの? なんか申し訳ないけど」
『ぜんぜん大丈夫です! 人間の姿と違って、竜の姿の方が疲れなくて私も楽です!』
「そう? じゃあ、お願いしちゃおうかな」
『はい! お任せください!』
さて、そんな会話をしている最中であっても、一度として会話に参加しなかった人物が二名ほどいる。
というか、フィアの背中にしがみついて丸まったまま微動だにしていない。
マナとミナである。
「「………………」」
「……えーと、大丈夫?」
「「大丈夫じゃない」」
「あ、そう……」
大丈夫じゃないそうである。
見たところ、高所恐怖症というやつだろうか。それとも単に、これほどの高さを経験するのが初めてなのか。いや、両方の可能性も大いにある。
そもそも、こんな高さの場所などカルファレステ街の周囲にはない。空を飛ぶ、ということもきっと経験していないはずだ。
ともすれば、当然の反応なのかもしれない。
「慣れればこの景色眺めるのもいいですよ」
「「むむむむむむむむむむむ無理無理無理無理」」
「あ、はい……無理なさらず……」
クロガネはそう言いながら、フィアの背中にしがみつく二人を眺める。
なにが怖いのか、怖くなくなるすべがあるのか、それが分からない。のであれば、やはり聞くほかない。
出来うる限り丁寧に、マナの方に尋ねてみる。
「……何が、怖いの? 俺に出来ること、ある?」
「…………風で……」
「うん」
「風で……吹き飛ばされそうで……」
「なるほど」
「前に……その……赤竜よりも全然小さい、翼竜の……」
「うんうん」
「背中にナイフを突き立てて……」
「うん?」
「そのまま翼竜が空を飛んで……」
「……落ちそうになった?」
「ううん……落ちた……」
「………………Oh……」
普通にトラウマになっている件について。
それは流石に怖いはずだ。どうしてそんな過去があるのに、フィアの背中に乗ることを決めたのか……とクロガネが思うのは当然であり、それはマナも承知だったようだ。
「……フィアの背中なら、大きいし……イケると思って……」
「イケると……思ったんだ……」
トラウマに立ち向かう勇気が凄すぎる。
「うう……怖い……怖い、けどぉ……」マナの声が震えている。当然だ。トラウマはそう簡単に克服できるものではない。「景色も見たいぃ……」
いや、これもうちょっとで克服できそうな件について。
すご……すごくない? 怖いのに別のこと考えられてるの、すごくない?
「……な、何か、手伝えることあるかな」
「う……うう……」とマナは唸りながらも、色々考えているようだった。「……後ろから、支えてくれる……?」
「いいよ、お安い御用」
「ありがと……おっぱい揉んでていいよ……」
ナニイッテルノ。
「いや、揉まないけど……」
「……揉んでよ!」
「なんで怒るのさ!?」
バカみたいなやり取りをしていると、隣のミナが声を震わせながら言った。
「……クロガネ君」
「はい」
「お姉ちゃんばっかりずるい……」
「あ、うん、ごめん、こっち終わったら……」
「私のも揉んでいいから……」
「『も』!? 『も』ってなに!? 揉んでませんが!? もう揉んでるみたいに言わないでくれます!?」
余裕があるんだかないんだが分からない。クロガネは思わず頭を抱えそうになった。
このノリはなに。心配した方がいいのか、安心した方がいいのか。
そんな声に、フィアまでもが加わってしまった。
『おっぱい? クロガネさんは、揉みたいんですか?』
「いや……あの……」クロガネは本当に頭を抱えてしまった。「揉みたいか揉みたくないかで言えば、この世の男性に揉みたくない人はいないわけで」
『主語デカいですね!』
「誰からその言葉を教わった?」
『ミナさんから!』
分かりやすくミナの背中が跳ねたのをクロガネは見逃さなかった。
「……さいですか」
もう突っ込むのも疲れた。というか、今ので一気に力が抜けた。
一先ずもう何も考えず、クロガネはマナの背後に回って腹部に手を回す。最早、後ろから抱き付くかのような格好だ。
ちょっと、というかかなりドキドキする。マナは恐怖に包まれているというのに。ぎゅ、と下唇を噛み締めて己を戒める。
「これでいい?」
「う。うん。たぶん……うん」
「身体、起こせる?」
「……がんばる」
そう言って、ゆっくりとマナは身体を起こしていく。随分順調だなと思ったが、よくよく見たら目はがっちりと閉じていた。
恐らく二分ほどかけて身体を起こしきるも、まだ目は開けられないようだ。
ずっと抱き付いているからこそ分かるが、マナの身体は震えていた。このトラウマは本物なのだろう。
もし無理だというのなら、無理をさせる気は毛頭ない。
それこそすぐにでも直下のタングリア旧都跡に降り、陸路に切り替えればいい。辛い思いをさせてまで空を飛ぶ必要はないのだから。
それに、マナが辛そうにしているのをフィアも察したのだろう。時折不安そうに振り返りこちらの様子を伺っている。
フィアの立場になれば、自身のせいでマナとミナが辛い思いをしていて気分がいいわけもない。むしろ、申し訳ない気持ちでいっぱいのはずだ。
「ご、ごめん」
「だいじょーぶ。気にしないで。急いでないから」
そうしてから、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。恐らくは十分ほどか。次第に収まりつつあったマナの震えが、ふと止まった。
「……あ」
そのたった一文字に、マナの感じた多くの感情が詰まっていた。
「…………きれい」
覗き見たマナの横顔はとても穏やかで、その目を輝かせながら視線を右往左往させている。
凝り固まっていた表情が緩み、恐怖の色が消え去っていく。
それを見てクロガネは深く息を吐いた。
「手を放しても、大丈夫そう?」
「え、あ、うん……」少し不満げな表情のマナは、首だけ振り返って小声で呟く。「……ほんとは、もっとぎゅってしててほしいんだけど」
「……………………お、ぅ」
マナの頬が──赤く染まっていた。
思いっきり裏返った声で返事しそうになったのを堪えた自分を褒めたい。
……沈黙。
一切視線を逸らさないマナの顔を、クロガネもまた逸らすことが出来なかった。
少しだけ、いつもの冗談なのだろうと思った。が、マナの目を見ればそれが冗談でもなんでもないことがよく分かる。
どうする。
どうすればいい。
どうすればいいのか。
どうするのが正解なのか。
思考がまとまらないクロガネの脳内で、様々な言葉が駆け巡る。
やるべきか、やらざるべきか。たったの二択。されど二択。
ぐるぐると回る思考の渦に飲み込まれかけた、その時だった。
「あ、あの〰〰……すみませ〰〰ん……」がたがたに震えたミナの声が、二人の耳に届く。「そろそろ……私も限界ですぅ……た、助けてぇ……」
視線の先のミナは、背中を丸めた姿勢のまま必死に片手を振って助けを求めていた。
「あ、ああ……ごめん、今行く……」
そう言ってマナの身体から手を離したとき、マナは少しだけ……ではなく、かなり残念そうな表情を浮かべていた。
あまりにも不服、不満な仏頂面。思わずクロガネはマナの耳元に顔を寄せて、囁くように言った。
「……また今度、ね?」
顔が熱い。さぞかし赤くなっているのだろうと思った。
顔に吹き付ける風がやけに心地いい。
ふわりと微笑んだマナの表情が、答えだ。




